第5話 とあるエンジニアの憂鬱(その4)

「~~~ぷはぁっっ!! すみませーん、生中おかわりっ!!」

「はーい、ただいまお持ちしまーすっ!」


 二杯目の中ジョッキを一気に飲み干すと、伊澄は若い女性店員に向かって声を張り上げた。

 即座に元気の良い返事が笑顔とともに届けられ、三杯目のジョッキがテーブルに乗ると同時に掴み上げる。そして半分ほどを一気に飲み干していった。


「今日はまた景気のいい飲み方だね」


 そんな伊澄をソフィは苦笑い気味に見つめ、自らも手にした芋焼酎のロックを飲み干した。彼女は白い頬を幸せそうに赤らめて「ほぅ……」と小さな吐息を漏らす。そして空っぽになったグラスの中で二、三度カラカラと氷を踊らせ、四合瓶を掴み上げると手酌しようとする。しかしソフィアの手から伊澄は無言で瓶を奪い取り、グラスの半ば過ぎまで焼酎を注いでやった。


「ありがとう」

「別に。手酌させるのも気が利かないと思っただけだし」


 ソフィアの礼に、伊澄は所在なさ気に視線を彷徨わせてこめかみを指先で掻いた。だがそれ以上何も言わずにジョッキを傾ける。


「お待たせしました~っ! 出汁巻玉子と五種の刺し身盛り合わせになりまーすっ!」

「あ、お姉さん。もう一杯生をお願いします。あと、焼酎のボトルを追加で。同じヤツ」


 追加の注文を伝え、出汁巻きをつつく。出汁と卵の甘さが口の中に広がり、向かい合って座った二人の赤らんだ頬が同時に緩んだ。

 そこに届くビールと酒瓶。既に杯は重ねているが、どちらともなく自然にジョッキとグラスをぶつけ合い喉に景気よく流し込んでいく。ちなみに伊澄はビール四杯目、ソフィアは焼酎ボトルをすでに二本開けている。


「珍しいじゃないか、伊澄。君にしてはずいぶん早いペースだね」

「そういうお前だって」

「私はいつもこんなものだよ」

「じゃあ僕もこんなもんだよ」


 すっかり真っ赤になった顔で伊澄は再びビールを流し込んでいく。喉を突き抜ける炭酸の爽快感がたまらない。大きなため息がついつい出てしまう。

 正面に座るソフィアは醤油皿にわさびを溶かし、更に刺し身の上にもわさびを載せていく。器用に箸で口に運び、美味い魚の味わいに満足し、まるでどこぞの食通のように「うんうん」とうなりながら頷いた。

 外国の血が半分流れていて、風貌も白人に近い彼女だが、すっかり堂に入った食べ方だ。


(まあ……今更な話だけどさ)


 正面の彼女を眺めながら伊澄がそんな事を考えていると二枚目の刺し身を取りながらソフィアが口を開いた。


「それで、今日は何があったんだい?」

「……何って?」

「とぼける必要はないよ。でなければ君がこうも早く杯を重ねることはないからね」

「……お見通しかぁ」

「伊澄とはそれなりに長い付き合いだからね」ソフィアはフフッと笑った。「それに―― 一時期は共に暮らした仲だ。君が胸に何か凝りを抱えていることぐらいは察しがつくよ」


 白咲・ソフィアは伊澄にとって最初の、そして今現在では最後の元彼女だ。

 初めての出会いは、伊澄が高専から編入した大学での教室だ。工学系の学部で女性は少なかった上に彼女の容貌が容貌であるため、見た瞬間にその姿は伊澄の眼を引いた。

 白咲・ソフィアは才女であり、そして美人であった。今と変わらない赤みがかった金色の長い髪を後ろで縛ってポニーテールにしていて、目はパッチリとしている。また欧米系に多い鼻筋が通ったはっきりとした顔立ちであるけれどもどこか幼さも残していて、まるで海外ドラマの若手女優みたいだった。透き通るように肌は白く、それまで女性に対する関心が薄かった伊澄をして初めて異性に興味を抱かせた。

 けれども最初はそれだけだった。こんな美人が現実にいるものなんだ、と感心こそすれ特段彼女とお近づきになりたいなどという気もなく、また平々凡々な容姿である自分には彼女も興味を抱くことはないだろうと思えた。


「……どうした? そんなに私を見つめても何も出てきやしないよ?」

「知ってるよ。それこそ長い付き合いだからね」


 それなのに彼女と付き合うようになったきっかけは何だっただろうか。ふとそう思い、伊澄が記憶を探っていくとそれは実験レポートの提出の日に、たまたま彼女が寝坊してしまったことが最初だったなと思いだした。

 提出前に一度彼女とレポート内容をすり合わせておこうと大学に行けども午前中のどの授業にも出ておらず、美人故に何か事件にでも巻き込まれたのではないかと心配になった伊澄は緊張しながら彼女のアパートを尋ねた。

 そうして訪れた先で見たのは――見事なまでの汚部屋だった。

 ワンルームの床は彼女の脱ぎ散らかした衣服やレポート用紙、その他諸々の食べ散らかしたゴミで埋まり、しかもそれらゴミをベッドにして彼女は寝ていた。

 伊澄とてそこまできれい好きというわけではない。だがこれはあまりにもあんまりだろうと、気づいたら彼女を蹴り起こし、部屋の大掃除を敢行してしまっていた。

 お陰でレポートの提出に遅れてしまい、二人揃って夜中に教授に詫びをいれながら何とか受領してもらったのだがそれも今となれば良い思い出か。

 そうしている内に友人として付き合うようになり、やがて男女の仲となり、そして――また良い友人へ戻った。大学を卒業して互いに別々に就職してもこうしてたまに顔を合わせれば酒を飲む程度には関係は続いていて、それがお互いにとって心地の良い距離でもあった。


「それで、今日はどうしたんだい? また仕事絡みかな?」

「……うん」


 ソフィアは氷の入った新たしいグラスを伊澄に差し出した。伊澄がそれを受け取ると、ボトルを細い指で軽々掴み上げ、注いでいく。


「良いさ。明日は私も休みだし、今日は伊澄が吐き出す番だ。とことん付き合うよ。

 さあ――溜まっているものを存分に吐き出してしまいたまえ」






 ダン、と音を立てて伊澄はグラスをテーブルに叩きつけた。


「だいたいさぁあ? ぶちょーとかちょーで考えが違うってのも変なんだよ。なあ? せめて基準くらい統一しとけっての! そうは思わね?」


 飲み始めた早々から赤かった顔を更に赤くして伊澄はうなだれた。テーブルに肘をついて、ヒラヒラとさせている手の中ではグラスの中の氷がカラカラと揺れていた。


「うん、そうだな。その点は伊澄の言うとおりだろう。上の人間のベクトルが違っていれば下で働くはどちらに向かって良いのか分からないからな」

「だろう~? ソフィもそう思うよなぁ~?」


 伊澄に同意すると、ソフィアはボトルに入っていた焼酎を最後まで伊澄のグラスに注ぎきった。残っていた刺し身にたっぷりとわさびを乗せて先に口の中に放り込み、伊澄は注がれた焼酎で一気に流し込んだ。

 最早何味かすら分からず、ただツンとしたわさびの刺激だけが鼻を抜けていく。伊澄は苛立ったようにグラスを強くテーブルに叩きつけ、しかしため息をついてそのままテーブルに突っ伏した。


「伊澄?」

「でもなー……そういうとこも上手いことやってのけるってのが『仕事がデキる』って事なんだよなぁ……俺だって分かってるんだ」


 テーブルに頬を付けたまま伊澄はソフィの白い顔を見つめ、フッと笑った。それは多分に自嘲を含んでいた。


「上司の要求を上手いこと噛み砕いてさ、誰が相手でもきちんと臆せずに議論できてさ……時々肩の力抜いて、手も抜いて、要所を上手いこと締める。

 言葉にするとすっげぇ簡単だけど、俺にとってはすっごい難しいよ。まず、上司や先輩に上手く自分の考えを分からせるって事ができないんだもんな……」


 もう一度伊澄はため息をついた。


「みんな凄いよなぁ……資料も上手くまとめて、振られた仕事をキチンとこなして、やりたくない仕事だってスマートにさばいてさ……上司に怒鳴られたってすぐにケロッとして。残業も少なくて、プライベートも充実してる……俺も早くそうなりたいよ」

「……なに、伊澄が努力してる事は、みんなにも伝わっているさ。そうでなくたって、見てくれてる人はきっといると私は思うよ」

「……みんな俺なんかより頭もいいし才能もある。才能が無い俺が生き残るにはもっと……もっと頑張んなくっちゃいけないんだよ」

「相変わらずお前は不器用だ。もっと力を抜いて生きてもいい」

「力は程々に抜いてるよ。俺は俺が大したことない人間だって知ってるから。頑張ったってどうにもならないことがある」


 伊澄は眼を閉じた。そうして思い浮かぶのは、幼い時に見た大きなロボット――ノイエ・ヴェルトだ。デモンストレーションで行われた動きは複雑で、不格好だったがそれでも人間に近い動きだった。

 いつか、自分もアレに乗って自由に動かしてみたい。そう思い、けれども願いは叶わなかった。それでも諦めきれず、せめて作る側ならばと勉強して会社に入ってみたが今の自分はどうだろうか。満足に仕事もこなせず、怒られてばかり。同僚にさえ大きく差をつけられている。

 いつの日か思い描いていた自分。果たして今の自分はその自分にどれだけ近づけているか。そもそも近づけてさえいるのか。きっと答えは「NO」だ。


「分かっちゃいたけど……好きなことだけじゃ生きていけないもんな、俺みたいな凡人は」

「伊澄……」

「大丈夫、大丈夫だよ、ソフィア。そんな声出すな。お前がいなくったって俺は一人でもちゃんとやってるよ。人生なんてそんなもんだ。凡人は凡人らしく、我慢しながら慎ましやかに生きていくからさ」


 そう言って伊澄は体を起こし、取るに足らないことだとばかりにニヘラと笑ってみせた。

 それが伊澄特有の強がりだと分かってはいたが、ソフィアは掛ける言葉が見つからず自分のグラスに視線を落とし、すっかり氷で薄くなった焼酎を無言で飲み干したのだった。

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