第4話 とあるエンジニアの憂鬱(その3)



 その日、伊澄が会社を出たのは、夜の九時半を過ぎた頃だった。

 会社の最寄り駅へ走り、電車に飛び乗る。そのまま二十分弱揺られ、更にそこから歩いて十五分程の場所にある、横浜市内にしては安めのアパートに伊澄は住んでいた。

 今日は週末のせいか、比較的遅い時間にもかかわらず車内はそれなりに混んでいた。飲み会を一次会で上がったらしい、伊澄とそう歳が変わらない会社員たちが大声で話している。

 少々うるさいが、取り立てて注意するほどでもない。誰もがシートに座って目を閉じたりイヤホンの音量を上げて外部の音を遮断している。伊澄もまたイヤホンで音楽を聞きながらドア近くに立ち、車窓の外で流れる華やかなネオンの光をぼんやりと眺めていた。


「さて、と」


 いつもならば電車を降りてそのまま真っすぐに帰宅するところだが明日は休日だ。伊澄は到着駅から外に出ると、いつもとは逆に曲がった。そのまま数分も歩けば華やかなネオンがきらめく歓楽街に差し掛かる。週末はいつもこの場所に脚を運ぶのが伊澄の習慣だった。

 その目的は当然ながらお酒――ではない。そもそも伊澄は酒を進んで嗜まない。客引きの声を適当に聞き流しながら伊澄は、この歓楽街にあっては目立たない控えめな看板の傍にある小さな入口へと入っていった。

 途端に騒がしい音が耳をつんざいた。コインが擦れる音や派手な効果音がそこかしこから響き、小さな世界を鮮やかに彩っていた。

 伊澄が入った店はいわゆるゲームセンターだ。多種多様なゲームが所狭しと置かれ、若いカップルや発泡酒の缶をあおる若者が歩き回っている。その隙間を縫うように伊澄は店の奥へ向かった。

 伊澄の目的は唯一つ。ノイエ・ヴェルトを題材としたゲームだ。コクピットを模した大型の筐体がいくつか並んでいるそれは、オンラインで繋がった世界中の相手とノイエ・ヴェルトで対戦ができる、一部で大人気のゲームだった。

 現実のノイエ・ヴェルトではまだ当分実用化されなさそうな全天周囲モニターが実装されていて、これまた現実には難しい三次元的な挙動が可能。振動も、抑えられてはいるが安全に問題がない範囲で機体の動きに合わせて揺れ、派手な効果音と目まぐるしく回る視界は臨場感が溢れており、操作主だけでなく外から戦いの様子を見ている人も楽しめるようになっていた。

 大げさな見た目に違わずワンプレイの金額もそれなりにするのだが、対戦に勝ち続ければワンコインで長くプレイがシステムだ。伊澄は慣れた手付きでお金とパーソナルカードを挿入して筐体へ乗り込んだ。


「……今日はどの機体で行こうかな?」


 機体選択画面では、現実では考えられない程スタイリッシュなデザインの機体と、現実世界の延長線上にありそうな鈍重な見かけのノイエ・ヴェルトが並んでいる。伊澄は少し悩むも、最近お気に入りの旧式――現実に比べれば遥かに先進的だが――ノイエ・ヴェルトを選択した。

 勝つことを目的とすれば、通常のユーザーはまずこの機体を選ぶことはない。動きこそそれなりだが装甲は貧弱であるし、近接武器も射撃武器も火力不足なのは否めない。

 唯一のメリットは被撃墜時の損失ポイントが低く、逆に撃墜時の取得ポイントが多いことだが、やはりデメリットの方が圧倒的に大きいだろう。だからジョークではなくガチンコの勝負で選ぶのはリスクが大きい。それでも伊澄がこの機体を選ぶのは、近い将来に実現が可能なのではないかと思わせてくれる現実味があるからだ。


 ――いつか、こんな機体の開発に携われたらいいな。


 もっとも、それは実現できたとしてもかなり先の話だ。課長の話の限りでは、少なくとも数年以内にそんな開発はなさそうである。

 昼間の事を思い出して気持ちが沈みかけるも、すぐに頭を振って気持ちを切り替えた。


 ――さあ、今はこのゲームを楽しもうじゃないか。


 画面に次々とオンライン参加者の機体が現れ、実際さながらの操縦桿とペダルの感触を確かめる。伊澄は画面をにらみ、無意識に下唇を舐めた。

 そして画面が切り替わる。


 ――BATTLE START!!


「まずは、と――」


 伊澄はランダムで選ばれたマップを確認した。一人称視点のモニター内には工場地帯らしい建物が並んでいて、早速モニターの右隅にあるレーダーが敵機の動きを示している。それを見て伊澄はペダルを踏み込み、後方に飛び退いた。

 戦闘形式は総数六人でのバトルロイヤル方式だ。その中で撃墜数や回避率などの要素がポイント化されて上位二名が引き続きプレイできる仕組みとなっている。撃墜されるとマイナスは大きく、逆に撃墜すれば多くのポイントが得られる。撃墜・被撃墜の機体によって傾斜配分はあるものの、極端な話、弱そうな敵がいればそいつを狙って撃墜し続けるだけで上位に入る事も可能だ。

 故に、最も弱い機体を使っている伊澄が狙われるのはセオリーだ。敵たちはそれぞれが全くの無関係であるが、我先にと伊澄機に群がってくる。


 ――おーおー、みんな揃いも揃って。


 前方後方問わず敵が殺到し、瞬く間に取り囲まれる。だが伊澄は焦ることなく、逆にほくそ笑んで舌なめずりをした。


 こうしたゲームにおいて、弱い機体を使う人間は概ね三タイプに別れる。

 一つめはなんとなく、デザインの好みだけで選ぶ人間。

 二つめはゲームに慣れて強い機体で戦うのに飽きてきた人間。その場合は、半端に腕があるがそれまで使っていた強い機体との感覚の齟齬に追いつけずあっさりやられる。


「でもまあ――ナメてくれる分にはありがたいけどね」


 最後の三つめが――本当の上級者だ。機体の全ての特性を理解した彼らが使うと弱い――とされている――機体は一気に生まれ変わる。そしてこれらのタイプの中で伊澄は紛れもなく最後者であった。

 伊澄は滑らかにペダルを踏み込み、操縦桿を倒した。ガシュン、ガシュンと足音を表現する効果音がスピーカーから響き、正面にいる敵の側面に回り込んでいく。

 正面の高性能機がライフルを構える。そして左右にステップしながら伊澄機目掛けてビームを発射した。

 それを予期していた伊澄はその直前に一気にペダルを踏み込んだ。通常一気に加速しようとすればその前の予備動作としてタイムラグが生じるのだが、極わずかのタイミングだけラグを限りなくゼロにして加速できる時があった。それは練習する中で伊澄が発見したこの機体の特性だった。

 ビームが頭部をかすめ、僅かにダメージが入る。しかし機体の動きは止まらない。敵の懐に入り込むと伊澄機はそのままショルダータックルを当てて敵を転倒させた。

 そこに素早く取り出した近接武器を当て、敵の頭部を攻撃。この程度で撃墜にはならないがこれで敵はしばらくペナルティとして画像が不鮮明になる。

 立ち止まることなく伊澄は機体をジャンプさせた。そこに他の敵からの射撃が飛んでくるが、上手く遮蔽物に機体を滑り込ませてそれらを防ぐ。

 そこかしこの建物を上手く利用しながら伊澄は敵の後ろへ回り込んだ。レーダーには全機が同じシンボルで表示される。それも、かなり大雑把なものだ。それゆえに一箇所に全機が集まると、目視以外では伊澄機と他の機体の区別はつかない。そもそもが全員が敵同士であり、故に伊澄を見失った敵たちは近場にいる相手同士で削り合いを始めていた。

 伊澄は慎重に移動していき、やがて再び機体を踊らせた。そして背を向けている一体の敵目掛けて接近し、近接武器で敵機体を斬りつける。十分に体力が削り取られていたその機体が派手に爆発し、伊澄に大量の撃墜ポイントが入った。

 突如現れた伊澄の存在に、敵たちは一斉にターゲットを彼に変更した。様々な角度や武器で射撃してくるが、伊澄は攻撃のタイミング、軌道を全て把握している。旧式の機体に似合わないなめらかなステップで、それら全てを避けていく。

 だが退避はしない。全弾をかわしながら距離を詰め、多少なりともマシな攻撃力をもつ近接戦で敵にダメージを与える。それによって転倒した敵機だが、伊澄は他の攻撃の射線上となるよう彼らの射線上に入るようにも移動し、流れ弾が次々と転倒した機体に着弾し、ダメージを蓄積させていく。そして最後にトドメを伊澄が加え、倒れていた敵機は爆発。伊澄はそのエフェクトに紛れてまた移動を開始した。


「……バトルロイヤルのはずなんだけどな」


 尚も追ってくる敵機を後方モニターで眺めながら伊澄はため息をついた。最弱と思われた伊澄機に良い様にやられたことで躍起になっているらしい。執拗に伊澄機だけを追いかけ、機体性能に物を言わせて距離を徐々に詰めてきている。


「けど――そうこなくっちゃ」


 そうでなければ面白くない。伊澄はモニターの端に取り付けられた、ゲームとは別のモニターをチラリと見た。そこでは、この試合を観戦しているネット上の人たちのコメントが流れていた。


 ――さあ、今日も皆を楽しませよう。


 伊澄は操縦桿を一気に前に倒した。

 貧弱なマシンガン豆鉄砲をばら撒き、弾幕を張る。攻撃力は皆無だが、ちまちま体力が削られていくのはストレスが溜まるものだ。

 嫌がる敵がステップし、その終わりの硬直を狙って着実にダメージを積み重ねていく。そして自機はステップのリズムを巧みに変えながら敵の射撃を全てかわし、敢えて射線上に位置する事で敵同士の同士討ちフレンドリ・ファイアを誘発する。

 そもそもが敵も決して仲間同士というわけではないため、連携などあってないようなものである。味方同士の攻撃で敵機がよろけ、伊澄はその好機を見逃さず一気に近接。短刀のような格闘武器で急所目掛けて攻撃を仕掛けた。


「――っと」


 だがその直前、直感に任せて伊澄は機体を左へ倒した。直後に強烈なビーム弾が伊澄機の後方から飛来し、かすめていく。伊澄機とは比べ物にならない威力を誇るそれは、伊澄の旧式機では一撃でも直撃すれば致命傷になりうる。だが伊澄は特に驚くことなく、まるで死角である後方に眼がついているかのようなスムーズな動きでそれを避けたのだった。

 そしてその後も動揺を見せることなく目の前に居た敵機を破壊。更に遮蔽物に隠れていた、先程のビームを放った敵も一方的に近接戦で攻撃を加えていく。

 やがてタイムアップの文字がモニターに表示され、伊澄は息を吐き出した。


 結果は、圧勝。


 獲得ポイントが発表され、伊澄が獲得した数値は他を寄せ付けない圧倒的なものだった。

 観衆のコメントが流れるモニターに眼を向ければ、伊澄に対する賞賛が溢れていた。もちろん中には貶めるようなものもあるが気にはならない。見ている人が喜んでくれた事が嬉しくてゾクゾクとした快感を覚え、伊澄は頬をやや紅潮させて画面の向こう側に向かって一人サムズアップをした。


 その次の試合、またその次の試合と伊澄は当然のように勝ち残っていった。いずれもほぼ一撃も食らうことなく、最弱の機体で最強の機体たちを圧倒し、またその滑らかな動きと全方位が同時に見えているのではないかと思わせる立ち回りで観衆たちを魅了していった。

 溢れるコメントから伝わる興奮。それを栄養として伊澄はますます機体を躍動させ、戦いに勝利していく。

 しかし。


「っ、つぅ……!」


 伊澄は突如、刺すような頭痛と目の奥の疼痛を覚えた。眉間にシワを寄せ、痛みを堪えながらも機体を操作していく。だが集中力が切れたことに加えて視界が霞んでいくせいで動きは一気に悪くなり、敵から集中攻撃を受ける。

 そしてモニターが一面、火炎のような模様に覆われた。それは撃墜されたことを表す演出だ。程なくタイムアップの文字が流れ試合が終わる。

 前半で稼いだポイントがあったが、それでも終盤でポイントを稼げなかったのと撃墜されたせいでポイントを失い、次の試合へ勝ち残りは後少しのところでできなかった。

 コメント欄には「どうした?」や「もしかしてパイロット変わった?」などの文字が流れ、しばらくするとその後はまるで伊澄の戦いなど最初から無かったかのようにコメントが消えていった。おそらくは新たに始まった別の戦いの方に流れていったのだろう。


「……やっぱりここらが限界、かぁ」


 伊澄はコクピットのシートに背を預け、ため息をついた。

 集中力が長く続かないというのは、伊澄にとっては昔からの悩みだった。勉強をしている時はそんな事は無いのだが、どういうわけかノイエ・ヴェルトに乗り続けていると、ある程度時間が経過したところで唐突に頭痛が襲ってくるのだ。

 しばらく休めば痛みも取れて体調も元通りになるため大事には至らないが、病院を受診しても原因は不明。検査結果も異常なし。日常生活には全く支障がないため通常なら問題ないのだが、この事実は伊澄の人生にとって暗い影を落としていた。

 羽月・伊澄の夢。それは大好きなノイエ・ヴェルト乗りになることだった。小さい頃から好きで好きでたまらなくて、ノイエ・ヴェルトに関することは何だって読み漁った。見聞きした全てを活かしてノイエ・ヴェルトを思い通りに動かす、その事を妄想して少年期を生きていたのだ。


「はぁ……ヤになるなぁ」


 だがそれは、十八才の誕生日の日に脆くも崩れ去った。その日の事を、伊澄は今もまだはっきりと思い出せる。

 アルバイトをして貯めたお金で受けたノイエ・ヴェルトの免許試験。全てが順調だったのに、試験中に伊澄は今のように頭痛を発症し、意識を失った。

 当然試験は不合格。諦めずに何度も受験したが搭乗の度に発症し、それが原因で適正なしとして操縦そのものを禁じられたのだ。

 せめてノイエ・ヴェルトに関わりたい。その思いを糧に、蓄えた知識を活かして現在の仕事についたが、結局は彼の情熱の副産物でしかない。

 開発にも満足に携われない今の自分。せめてもの慰めに、と思ってこうしてゲームでうさ・・を晴らしているが、ゲームであってもこうして長く続けることができないでいる。それが情けなく、自分が惨めに思えた。


「……帰ろ」


 筐体から降りると、他の筐体は埋まっていて激しく前後左右に揺れている。いつの間にか観客が周囲に集まっていて、大きな観戦モニター内で繰り広げられる戦いに歓声を上げていた。伊澄はそれを横目で一瞥し、しかしそうするだけで店から出ていった。


「あ」


 店の出口を通った伊澄は空を見上げて声を上げた。ゲームセンターに入るまでは降っていなかった雨が今は伊澄の行く手を阻んでいた。結構な土砂降りで、先程までは客引きや酔っぱらいで賑わっていた路地も今や雨から逃げ惑う人たちの悲鳴が入り混じっていた。しかしその声もどこか楽しそうだった。


「参ったなぁ。傘持ってきてないや」


 一応カバンの中を探ってみるが、今日に限って折り畳み傘は家に置いてきてしまった。

 覚悟を決めて軒先から飛び出して走り出してみる。しかし思った以上に激しい雨は瞬く間に伊澄を濡れ鼠へと変えてしまい、こりゃたまらん、とまた適当な軒先に雨宿りするしかなかった。


「天気予報的には雨じゃあ無かったはずだから、そう長く降らないとは思うけど――」

「ああ、先程アプリで確認すると一時間もすれば止む通り雨だな」


 独り言のつもりだったのに、思いがけず届く返答。伊澄は驚いて顔をあげた。

 そこには、彼がよく知る女性がいたずらっぽく笑っていた。


「ソフィ!」

「久しぶり、という程でもないか。何にせよ君が息災なのは、うん、喜ばしいことだ」


 そう言ってソフィ――大学からの友人である白咲・ソフィアは濡れた前髪をかきあげて伊澄にハンカチを差し出したのだった。


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