第3話 とあるエンジニアの憂鬱(その2)


 日本、神奈川県横浜市。


 新生重工特殊車両事業部、特殊車両技術部、特殊車両設計二課

 

 通称、特車二課




 伊澄は緊張した面持ちで上司の白髪頭を見つめていた。目の前では設計課長の片岡が黙って手元の書類に目を通している。

 それは伊澄が提出した、新たなノイエ・ヴェルトの設計構想書だ。ここ数週間、通常業務の合間を縫って懸命に作り上げた力作である。果たしてどういった評価が下されるのか、腰の後ろで組んだ手のひらがじわりと湿り、額に汗が滲んだ。

 伊澄の作り上げた書類の最後のページを読み終えると片岡は掛けていたメガネを外す。そして隈のできた寝不足の眼でジロリと伊澄を睨めつけた。


「……羽月よ」

「はい……」


 そうして発せられた声色に、伊澄はまた・・今回もダメだった事をいち早く知った。


「私はお前がとても熱心な社員であると知っている。そしてお前が如何にノイエ・ヴェルトを愛してやまないかもだ。技術部ウチには多くのノイエ・ヴェルトのマニアがいるだろうが、お前を上回るやつはそう多くないだろう。その情熱は素直に尊敬に値する」

「……ありがとうございます」

「だがな、羽月――もっと事業の事を考えろといつも言っているだろうがっ!!」


 怒鳴り声がオフィス中に響き渡り、伊澄はビクリと肩を竦ませた。そして何とか申し訳なさげな表情を取り繕い「すみません……」と絞り出す。当然仕事中の同僚たちも一斉に揃って振り向くが、叱られているのが伊澄だと分かると何事も無かったかのようにまた自分の仕事に戻っていく。

 片岡も一度は怒鳴りつけはしたものの、すぐに息を吐いて気持ちを鎮め、落ち着いた口調で話し始めた。


「いいか、羽月。我々は大学ではない。

 我々は企業であり、利益を出さねばならん。そうでなければ事業の継続はできんし、多くの社員を露頭に迷わせることになる。この――」片岡は手にした書類の束を机に放った。「お前の趣味全開なノイエ・ヴェルトを作ったとして、誰がいったい買ってくれるんだ? ええ?」

「はい、それも分かってます。ですが、この機体そのもので利益を出すのではなくてですね、この機体をベースに技術の研究をして――」

「その技術を既存機に転用させる。お前はそう言いたいんだな?」

「え、ええ、そうです。新規開発した技術を既存機にレトロフィットさせれば、既存機種の商品力向上にも繋がりますし、次世代機もゼロベースの開発ではなくなるので開発速度も――」

「もういい。お前の言いたいことは分かった」


 片岡はため息を吐いて眼を擦る。そしてメガネを掛け直した。


「お前の言うことも一理はある。だがな、今我々に求められているのはそういうことではない。

 第三次世界大戦も終結し、ノイエ・ヴェルトの需要は当分先細りだ。不謹慎だが戦争が終わった反動で景気も悪化しているのはお前だって知っているはずだ。金と人手を掛けて高性能な物を作れば売れる時期は過ぎた。今、必要なのは『原価を上げずに性能を改善できる技術』だ。抜本的な新技術は要らん。この間の技術企画部の資料は当然読んだな?」

「……はい」

「市場が成長期の後半に差し掛かった今、短いサイクルで新製品を開発し、しかも廉価機でシェアを確保せねばならんのだ。その上でアフターサービスで利益を稼ぐ。そうすれば資本に余裕もでき研究所と共同で新技術を開発できるだろう。しかしそれも当分先の話だ」


 片岡から書類を突き返され、伊澄は「ありがとうございます……」と力なく返事をするしかできなかった。


「好きな研究したければ大学に行け。金にならん開発に金を掛けられる程、金も人も余裕はない」


 自席に戻る伊澄の背に掛けられたその言葉は、言外に「お前など、居なくなっても会社は困らない」と言われているように思えた。あるいは、伊澄の気質が会社に合っていないと感じた片岡なりの気遣いなのかもしれない。だがいずれにせよ、伊澄の心にグサリと突き刺さった。


(『尖った』技術を考えろって言われたからそうしたのに……)


 もちろん伊澄にだって言い分はある。席に戻った伊澄はため息混じりにパソコンの課長からのメールを開いた。部長から片岡課長に送られたものを課長自身が転送したそこには、今は利益を生み出さないかもしれないが他にはない技術研究の提案を奨励する旨が書かれている。当然このメールは片岡課長も読んでいるだろうが――


(相性良くないからなぁ……)


 技術研究所出身の技術部長と設計畑一筋の課長。当然表向き対立することはないが、言葉の端々から片岡があまり部長を好いていない事は察せられる。伊澄は、部長と課長なら部長の指示を優先するのが筋だろうと思っていたのだが、よくよく考えればまず課長を通さなければ部長まで書類は上がっていかないのだ。

 課長と部長。二人の意向を「いいとこ取り」した設計構想書など、伊澄には到底思いつきそうに無かった。


「はぁ……」


 夢のように機体に乗って飛び回れるわけではなく、地上で重力に引かれたまま仕事も上手くいかない。現実は無情である。


「なぁ、羽月」


 落ち込んで机に突っ伏した伊澄に頭上から声が掛けられた。顔を上げて振り向けば、伊澄と同期の石田が図面片手に立っていた。


「お前、時間ある? 主任に見せる前にこの図面のチェックを頼みたいんだけど。あと、設計の数値にミスが無いかも確かめてくれないか? ほら、凡ミスがあるとさ」石田は課長をチラリと見た。「分かるだろ?」

「……うん、分かるよ」


 たった今、課長の機嫌を悪化させた張本人だからね、と内心で伊澄は自虐した。

 正直なところ、時間があるかと問われれば無い。片岡に突き返された書類を作るために後回しにした仕事が山程あるからだ。

 しかし伊澄は小さく笑みを浮かべると迷わず「大丈夫」と石田から図面を受け取った。


「なら頼む。設計計算のファイルは後でメールで送っとくから。んじゃ宜しくな」


 そう言うと石田は自席のノートを掴むと慌ただしく部屋を出ていった。伊澄はそれを笑顔のまま見送ると机に向かい、眼の前の図面を見下ろした。

 石田は同じ入社三年目だが、もうすでに幾つかの重要な部品の設計を任されるようになっていた。先輩たちにも頼りにされ、色んな打合せにも参加している。

 対する伊澄はまだこういった図面のチェックや過去の図面を探して引っ張り出してくるなど、誰かの指示の下でしか仕事を任されていない。


(きっと――)


 彼であれば、伊澄が出したような設計構想書であっても上手く説き伏せて承認されるのだろう。或いは、先程見直した部長のメールを引き合いに出して強引に論破するのかもしれない。実際に石田が臆せず片岡と激しく議論しているのを何度か見ているし、片岡もそうした積極性を評価しているようだった。

 だがもともと気の弱いところがある伊澄にとって、そうした議論は苦手だった。何とか主張しようとしても、相手が強気に迫ってくるとどうしても言葉が詰まって自分から引いてしまうくせがあった。

 世間的には伊澄は優秀な部類だ。学制改革により飛び級しやすくなった制度を利用して小・中・高専で合計四年通常より早く卒業し、二十二歳にして入社三年の社会人である。しかし十三年前に発生した「瑠璃色の黄昏」以降の開発競争によって世間の花形となったノイエ・ヴェルト業界ではそういった人材は珍しくないし、先程の石田とて同様に飛び級を繰り返して入社している。

 この会社にいる限り、伊澄は至って普通、それどころかコミュニケーションが不得手なお陰で評価は低く、それを伊澄自身もひしひしと感じていた。


「でも……」


 こうして仕事を頼まれるのは嬉しかった。例えそれが同期の仕事の手伝いであっても誰かに頼られること、それ自体は励みになる。

 実際に伊澄のチェックは細かいにもかかわらず早く漏れがない。課長やチームリーダーといった管理職側からはあまり評価されない部分だが、歳の近い同僚たちからは感謝されることも多い。

 誰かに頼られる。伊澄が仕事を頑張れているのはそうした些細な喜びがあるからだった。それでも今の叱責は堪えた。

 いつかはノイエ・ヴェルトの基本設計に携わりたい。そのためにはこんな事でめげててはダメだ。もっと、もっと頑張らないと。

 そう自分に言い聞かせて落ち込んだ気持ちを立て直そうとするもののやはり気は重い。果たして、自分の目標に届くのはいつになるのか。遅々として成長しない自分に嫌気がさしてくる。

 それでも仕事は待ってくれない。せっかく頼まれた仕事である。せめてこれくらいはキチンとやり遂げなければ。

 まずは落ち込んだ気持ちを何とかしよう。そのためには大好きなノイエ・ヴェルトを見ることが一番だ。そう考えて伊澄は机の下のヘルメットをつかみ、重い足を引きずるようにして工場へと向かっていったのだった。



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