第2話 とあるエンジニアの憂鬱(その1)
二〇六三年、春
日本、横浜市
人気のないビル街の裏手の路地に一人の少女がいた。
春を迎え、もう一月もすれば初夏の気配が漂ってくる頃合いだがまだ夜風は少々冷たい。それでも彼女は街灯も届かないビルの裏手にある鉄柵に腰を下ろしタバコを咥えていた。
明るい茶色の髪をポーニーテールにし、吊り上がり気味の目つきでどこともなく睨んでいるようだった。パーカーのポケットに手を突っ込み、独り言の一つでも漏らすでもなくただ煙を吐き出すだけだ。
「……帰るか」
やがてタバコを吸い終えると少女はそれだけをつぶやき立ち上がる。暗く細い路地を抜け、大通りとは反対方向へと歩いていく。
公園の脇を抜け、建設途中のマンションの前を通り抜ける。車の通りもなく人気もない。切れかかった街灯が点滅した。
彼女は空を見上げた。夜空に星は見えず、欠けた月が紫色のベールに包まれて怪しく輝いていた。
「やあ、そこのお嬢さん」
彼女の背後から声が掛けられた。少女は立ち止まり、不機嫌そうな眼で振り返るとそこには外国人らしき男性が立っていた。
仕立てのよさそうなスーツを着て優男風な笑みを浮かべ、線の細い金髪が風に揺れていた。その容姿はひどく整い
「……」
「あ、ちょっとぉ!! 無視しないでよっ!」
少女が無視して立ち去ろうとすると男は慌てて追いかけてきた。少女の横に並んで歩き、しつこく声を掛け続けてくる。
「ねぇねぇ、ちょっと話したいことがあるんだけどさぁ」
「アタシにはねぇよ」
「そう冷たいこと言わないでさぁ! 別に僕怪しい人じゃないから!」
「ンな路地裏で声かけてくる時点で十分怪しいんだよ」
「お願い! 少しだけでも良いから! 十分、いや五分だけで良いからっ!」
「残念だったな。アタシは今機嫌わりーんだ。慈悲はただいま布団の中で爆睡中。出直してきな」
追いすがる男性だったが少女の反応は冷たい。それでも何とか話を聞いてもらおうとするも、少女は少女で決して脚を止めることがなかった。
なので男性は思わず少女の腕を掴んだ。
それが誤りだったのである。
「テメェ……」
少女の眼が見開かれていく。ドスの聞いた声が夜の路地に響いた。
引き締まったそのしなやかな脚が後ろに振り上げられていく。
「あ、え――」
「気安く――」
そしてその脚が前に向かって振り抜かれた。
「さわってんじゃねぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」
男の股間に向かって。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!!」
悶絶し、男が泡を吹いてその場に倒れた。白目を剥いて端正な顔立ちが台無しになり、ピクピクと体を痙攣させている。少女はようやく溜飲が下がったとばかりに鼻を鳴らし、その場を立ち去ろうとした。
しかし。
「……あ?」
その脚を男が掴んだ。それとほぼ同時に、靴音が鳴り響く。
彼女が顔を上げる。するとそこには、足元で転がっている男性と同じ様な、外国人らしき人間たちがそこかしこからぞろぞろと姿を見せ始めた。そしてまたたく間に十人程の男たちがずらりと居並び、彼女を囲む。
「ちっ……面倒くせぇなぁ」
舌打ちを一度。だが男たちに臆することなくグルリと全員を睨みつけた。
「どこのどいつらかは知らねぇけど……」フッと彼女は笑い、両拳を握りしめた。「いいぜ、ちょうど暴れたい気分だったんだ。そっちがやる気なら――やってやろうじゃねぇかっ!!」
そう叫んで、少女は男たちの中へと飛び込んでいったのだった。
それからおよそ三十六時間後
夜空に星がきらめいている。大きな満月と並んで地上を照らしている中で、夜の帳を打ち破り幾つもの巨大な影が躍動していた。
背面から推進剤を噴出し、高速で空を駆け回る。手にしたライフルから幾つものビームが打ち出され、瑠璃色の空に白い筋を次々と作り出していく。それらは全て一機の人型兵器、ノイエ・ヴェルトへと注がれていた。
「くぅ……!」
自身に押し寄せる慣性力に押しつぶされそうになりながら、コクピットの中で羽月・伊澄は唸るような声を上げた。機体が激しく三次元的な挙動を行い、その度に血液が足先や頭部へ集中して意識が持っていかれそうになる。苦しいし気分も悪くなる。それでも伊澄は今行われている戦いを楽しんでいた。
「……ぅぉぉぉぉぉおおおおおおっっ!」
雄叫びを上げて自身を鼓舞。敢えて口元には笑みを浮かべて余裕で自分を洗脳する。
両手の先にあるアームレイカータイプの操縦桿、そして足先のペダルを巧みに操作していく。
機体背面からバーニアが噴出し、機体は更に加速。宵闇に紛れるような漆黒の機体を、通り過ぎていくビームが明るく照らし出し、その全てを避けていく。
コクピットからの景色が凄まじい勢いで変化していく。その中でも、伊澄の瞳はモニターに映る敵機の姿を捉えて離さない。
「そこぉっ!!」
バーニアの青白い線を夜空に描き、伊澄は敵機の背後に回り込んでいく。モニター内に照準器が現れ、敵機の真ん中を捉えた。
迷わず、右手指先のスイッチを押し込んだ。
放たれる高出力ビーム。伊澄の一撃に貫かれた機体は爆発し、炎の中に包まれた。
「一つっ!」
一機を撃墜した伊澄が楽しそうに笑った。だがそこに他の機体が押し寄せ、再び次々と攻撃を加えていく。
伊澄は「ちっ」と舌打ちをしながらも機体を回転させてそれらを避ける。敵に向き直ると、逃走するかと思いきや、逆に敵機目掛けて加速した。
「っ……」
乱れ飛ぶ敵の攻撃。伊澄の瞳にそれらが投影され、機体をかすめていきながらも決してひるまない。
そのまま敵陣の中へ突入。敵のど真ん中を突っ切って背後に飛び出すと、即座に反転。持ちうる全ての武装を起動させて一斉に発射した。
「二つっ! 三つ、四つ、五つっ!!」
おびただしい数の弾が敵に降り注いでいき、次々と敵機に着弾していく。ビームに貫かれた機体から爆炎が舞い上がり、伊澄の黒い機体を取り囲んでいた敵機が続々と地上へと落下していった。
それを見届けるまでもなく、伊澄は更に機体を疾走らせた。
「そして――ラストォッ!!」
猛烈な勢いで接近しながら手にしたソードを振りかぶる。残った敵機もまた抜剣し、応じようとする。
だが、伊澄の方が速かった。
「……っ!」
振り抜かれたソードは敵機を両断。上下に分たれた機体が火花を撒き散らしながらずれていく。
残心した伊澄の背後から爆風が訪れ、昼間のように真っ赤な火炎が黒い機体を照らす。その最中、機体の首が空へと向けられた。
バーニアが吹き出す。機体がどんどんと空高く昇っていく。
遥か彼方にある星空。コクピットの中で伊澄は見上げ、きらめく星たちを掴まんとその手を伸ばした。
あと、少し。あと少し。瑠璃色の空はその濃さを増し、地上からの距離が開いていく。昔から夢見ていた、地球の外へ。伊澄は子供のように笑みを浮かべながらペダルを踏み続け――
「あだっ!?」
不意に襲ってきた痛みに伊澄は眼を開けた。
大きく伸ばした左腕。その先にあったのは幾千の星空――ではなく、毎日眺めている天井であった。
「……」
何度瞬きしてみてもそれは変わらない。伸ばした腕がパタリと床に倒れ、前髪で半ば隠れたシミのある天井を呆然と眺める。
カーテンの隙間から差し込むのは一日の始まりを告げる日差し。薄いガラス窓の奥からは鳥たちの鳴き声が微かに聞こえてくる。
それを聞きながら伊澄は腕で目元を覆った。
「……
ため息をかき消すように、起床時間を告げる目覚まし時計がジリリリとけたたましく鳴った。
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