第2話 猫のような彼女
暗くなってきたな。
辺りもだいぶ静かになってきたところでふと思う。
既に沈んだ陽の光を惜しむかのように空はわずかに朱を残す。ビル群の一つ一つからの照明が空へ対抗するように点されている。
「くしゅん」
突然、聞き逃してしまいそうなくらいの小さなくしゃみが間近で聞こえた。
今時くしゅんとかどこの作り声だよ。……そういえば制服、だいぶ乾いてきたな。
東京の夜とは言っても服にはまだ多少の湿りがあり割と寒い。こんな時に屋外からくしゃみが聞こえてくるなんて、この声の主も同じ状況に置かれてるのかなと勝手に推測してみる。
だいぶ暗くなり外灯の力で視力を得た俺は声のする方を向いたが、そこには何かが建つのか骨組みの建物がある敷地だけで人気はなかった。
仕事帰りのサラリーマンとはちょくちょくすれ違うが、いまのくしゃみは明らかに女の子の声であった。気のせいだろうか?
そうだ……気のせいだ。きっと疲れてるんだ。早く帰って風呂入って寝よう。
そして視線を変え、歩こうとした時……視界の中で何かがごそっと動いた。敷地内から道路にさしかかろうとする広いブルーシート、きっと建設材料だろう、それを守るかのように覆っている。そこのから中だ。
まさか……人?
おいおいやめてくれよ。もし人だったらこんな夜に何をやっているんだ? 声からしてもだいぶ若かったような。
不気味ながらもそこへゆっくり近づき、それの目の前に立つ。目を瞑って呼吸を整えた。
よし開けよう。
角に固定されていた石を退け、ブルーシートさっとあげた。
覗き込んでみると、やはりそこには人がいた、積み重ねられた木材に背中を預けている小柄な女の子が。
フードを深くかぶっていたので口元しかわからなかったが、事前に聞いていた声とフードの隙間からちらほらと流れている規則正しい髪の毛、そして少し手を出せばすぐに壊れしてまいそうになるくらいの小さな口元。それで女の子なのだろうと確信した。
彼女は俺に気づくなりはっとし、後ずさりをするように地面を足で削る。何かに怯えてるように見えるその身は、両手で自分の身を守るような体勢で守られた。
「誰?」
か弱そうなその体からはあまり想像がつかない程強気の声が聞こえた。
そんな引くことないだろ、結構ショック。
「大丈夫だよ。何もしないって」
安心させるように言った。すると自宅方面から走ってくるような足音が聞こえてきた。
まずい、この状況を見られるのは色々と面倒だ。
咄嗟にブルーシートを閉じた。その足音は次第に大きくなり、俺の真後ろでピタッと止まった。
「おいそこの少年」
「……何ですか?」
振り返るとそこにはサングラスをしてスーツを着た、いかにも黒人だと感じさせられるガタイのいい男が2人並んでいた。
「この辺りで女を──ちょうどお前くらいの年齢の女を見かけなかったか?」
……女? 女ってこいつか? このブルーシートの中の──顔はよく見てないから分からないが。
もしそうならこんなところに隠れてる理由は大体想像がつく。
そしてこいつのことを黙ることにした。
別に言っても良かった。俺がどうにかなるわけでもないし、俺には関係ないだろう。だが……心の片隅で後悔するかもしれないと思っていた。
後悔だけは嫌だ。
「……いや、見てないです」
「……本当か?」
少しとぼけた風に喋ってしまったせいか、怪しまれてる。
「はい」
目の前の威圧に圧倒されてる自分がいる。
頼む、早くどっか行ってくれ。
波打つ心臓の音がこいつらにも聞こえてるか心配だ。俺は動揺を隠すのに必死で、彼らから目を逸らさずただ沈黙の時間だけが流れ続ける。
しばらくし、願いは叶ったみたいで彼らは俺から視線を外し、また走り始めた。
「ここのあたりにはいないみたいだ」
「ああ、分かった。まったくこんなことが上に知られたらエラいことだぞ……」
そう口にしながら暗い道を通り過ぎていったその背を見送る。
エラいことって何だ? 彼らの言ってる女がこの子なら……一体何者なんだ?
足音が聞こえなくなった。辺りを見回して人気が無いことを確認し、再度ブルーシートを上げる。
今度は怯えているようには見えなかった。
「もしかして……追われてるのか? 大丈夫、誰もいないよ。出ておいで」
見つけてしまった以上、こんな夜にこんな所で少女1人を置いてくわけにはいかない。さらに追われてるならもっと別だ。
空いていた右手を彼女に差し出す。
「うん」
こくんと頷いて彼女は左手で俺の手を取り、立ち上がった。
長い間ここに居たのだろう、暗い視界の中でも服がだいぶ汚れているのが分かる。
俺は手を取られたのを確認してブルーシートから引っ張り出す。その時、頭がブルーシートに引っかかったせいか彼女のフードが外れた。強く引っ張っり、よろめくように出てきた彼女は白い外灯の光を浴びた。
彼女の容貌が分かった時、俺の心は何かに動かされた……
そして彼女が追われてる理由が分かった気がした。同時に彼女と会うのは初めてだが、絶対的な身分の違いを感じた。
きっと彼女は住んでる世界が違うのだろう……そう確信した。
「どうしたの?」
その声で現実に引き戻された。複雑な気持ちになってる俺の顔を、彼女は覗き込んでいた。
「ごめん……」
どうしてこんな子が追われなくちゃいけないんだ。
拳を固く握り締め、俺は何者かも分からないこいつを護ってやろうと思った。
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