第22話 束の間の平穏
「私がサーミ人なのは知っているわね?」
「いつだったか教えてもらった」
「目が見えないことも」
「知っているから、助けに来たんだ」
スワーラは「ありがとう」とそっと口にした。
「この能力があるからこそ、戦えるし、アニメや海外ドラマも見られるし、漫画も読める。感謝しているわ」
「最初以外は同列に扱っていいか疑問だが――まあ、いいとするか」
突っ込みをいれる気力が沸かない。俺もどうやら相当疲れているようだ。
「でも、時々見えなくなるわ。疲れると目がかすむことがあると言うけど、それと似ていると思う」
「なるほど」
「幸いなことに、物心つく頃にはこの能力に目覚めたわ。だからさほど苦労していない。でも、やはり他人と違うというのはストレスよ。一種のコンプレックスなのよ」
「確かに他人と違うというのは嫌なもんだよな。違うのは当たり前なんだけどさ」
「あなたも苦労していそうね」
「まあ両親が大学教授で、あまり出来のいい息子じゃないんでさ。親は優秀なのにね、なんてよく言われるぜ」
そういう大人たちは悪意はないのかもしれない。しかし言われる方はあまり面白くはない。
「私は祖父母に育てられた。両親には捨てられた――いいえ、必要とさえされていなかったわ。母は父をつなぎ止めるために私を産んで、上手くいかないと判断したらあっさり捨てた。だからあなたが羨ましい」
「大変だな」
敢えて話すようなこととは思えないのだが、どうして話してくれるのか。
「ごめんなさい。こんなこと、聞きたくないわね」
「何か話題がないと緊張ではち切れそうだしさ。むしろ話してくれると助かる」
「ありがとう」
「明日は雪が降るかね」
頭を小突かれた。
「私はインタグルドに無理やり入れられたと話したわね」
「ああ、言っていたな」
「より正確に言えば、六年前にいきなり軍の士官学校に強制的に入学させられたのが始まりね。入学しなければ祖父母を逮捕すると脅されてね。訳がわからなかったけど、必死に頑張って卒業した。
悔しかったから、首席で卒業してあげたわよ」
「悔しいというだけで首席で卒業とか、普通出来ないぞ」
「私は優秀ってことね」
「自分で言うかねえ」
飛鷹は苦笑したが、スワーラが優秀なのは間違いない。
首席で卒業するのが彼女なりの抵抗ならば、全力で頑張ったのはわかる。
「ピンクガーベラ――いいえ、スワンとは士官学校の教官で、大切な親友よ。美人で優しくて、姉のような存在だったわ。捻くれていた私を救ってくれた、大切な人。
大切な人を失ったあなたの痛み、多少はわかった気がする」
「そうか……」
肯定も否定もするつもりはなかった。スワーラの親友と自分の大切な幼なじみが同列かどうかは、自分ではわからないからだ。
「士官学校を卒業したあと、次の配属先はインタグルドだったわけよ。最初からインタグルドに入れるつもりだったんでしょうけど。
実は士官学校時代の同期はインタグルドに何人もいるのよ」
「インタグルドはエアリーズ社を隠れ蓑にしている。それでエアリーズ社はスカンジナビア王室が保有している企業だ。つまりインタグルドはスカンジナビア王室の私設武装組織といえるから、自国の優秀な兵士を配属するのは当然だな」
スカンジナビア系の兵士が多いと思っていたが、納得がいった。
「私がインタグルドに入るのは、産まれたときから決まっていたのよ。父はそのために、優秀な猟師の娘である母に近寄ったんだわ」
「それは邪推しすぎじゃないか?」
「いいえ、間違いないわ。あのクソ野郎は、それくらいのことは平然とするわ。優秀な狙撃手を自分の子供として欲しかったのよ。血縁者という呪いは切りたくても切れないわ。血で縛るとはクソ野郎が考えそうなことね」
クソ野郎か、相変わらず父親が許せないらしい。
「しかしまあ随分前からインタグルドは準備されていたんだよな。一体、どれくらい前から計画されていたんだ? スカンジナヴィア・バルト王室はいつ、どうしてザ・クロックのことを知ったのか」
「あるいは王室がザ・クロックと繋がっているか、でしょう? あなたは前に疑っていたわね」
「出所が同じとは聞いたな」
「詳細は語れないわ。インタグルドはオーバーテクノロジーをばらまく黒幕と敵対している。それだけは間違いない。王室関係者の私が保障する」
「あんたは王室が嫌いなんだろう?」
「王室関係者という事実は消えない。血の繋がりは永久に消えない指紋のようなものよ」
スワーラは諦めたように言った。
「そして私はスナイパー。観察には自信があるわ。あの野郎を含めた、王室関係者はザ・クロックと関係がない」
「あんたがそう言うならば信じるさ」
無駄に疑っても疲れるだけだし、スワーラのことは信頼している。多分、大丈夫だろう。
「前から疑問に思っていたんだが。インタグルドはザ・クロックが行動を起こすことを事前に知っていたんだよな。どうして世界各国に教えなかったんだ?」
もし伝えていれば、もっと犠牲は抑えられたのではないか。雫も死ななかったかもしれない。
「もし教えれば、いまのように自由には動けないわよ。各国の利害関係に縛られて、様々な制約を課せられるわ。例えばザ・クロックが北米同盟を攻撃していても他の国家には利益になった場合、出動を邪魔しようと圧力を掛けてくる可能性があるわね」
「おいおい、人命第一だろう」
「人の不幸は蜜の味。富が有限である以上、他者が落ちるのは自らの富が増えることに繋がるわ。各国の複雑に絡み合った思惑に脚を引っ張り合って、インタグルドは制約を課せられたでしょう。
つまり現状がベストなのよ」
「嫌だねえ、人間という生き物は。人類は危機に瀕すれば、一致団結するというのは嘘だったわけか」
「もっと追い込まれれば、あるいは協力するかもしれないわよ。そうなったら反撃する余力がないかもしれないけれど」
「滅びるだけじゃないか」
「人類を滅ぼすのは結局は人の業というわけね。それが人類という種の限界ならば、仕方ないと思うわ」
スワーラの言葉には憎しみが詰まっていた。薄々感じていたが、スワーラは人間が好きではない。
「あなたといるとホッとするわね。隊長という仮面を外すことが出来る」
「ゆっくり休んでくれ」
スワーラが疲れているのはわかっていた。だが、こんなに疲れているとは思わなかった。約二百人を纏める隊長という職務をこなしながら、狙撃も行うのは想像以上に負担だったのだろう。
「こういうのも悪くないしな」
「どういうこと?」
「厳しい女上司の素顔が、こんな弱々しい女性だったなんてさ。おっさんくさい言い方になるが、可愛らしく思えてきた」
スワーラがこつんっと後頭部を小突く。
「あなた、私が何歳かわかっているの?」
「十九歳だろう? 知っているさ。ザ・クロック事変からの同期だぜ。未成年というのが驚きだがねえ」
「私の国では成年よ」
「あんた大人っぽいからな」
飛鷹は陽気に答えた。
「ちなみにスミーヴァという名称もあんたがつけたんだろう?」
「あなた――ひょっとして、心を読めるの?」
「いや、こいつはあんたがオタクだと言うことを考えればすぐにわかる。スカンジナヴィア語で身軽はスミーデグ、ナイフはクニーヴ。組み合わせれば、スミーヴァだ。スミーヴァのエンブレムからもわかることだな。
あんたがなぜこんな名前にしたのか。インタグルドは盾で、盾からナイフが射出される。あれだろ、ダブ――」
「もういいわ――!」
スワーラが大声で被せてきて、飛鷹の背中に額を埋めた。
「なんだか恥ずかしくなってくるから。これ以上ネタばらしをしないで」
「了解」
飛鷹はケラケラと笑った。
「話を戻すけどさ。インタグルドに怒りを感じないわけじゃないが、事情があったんだろう。裏切ることはないから安心してくれ」
「保障が欲しいわね」
「なにかに誓えば、いいか? 雫、両親、国家、神様でもいいぜ」
「いまいち信用できないのだけど」
「そりゃ、誓う相手がこんなにいれば信用できないだろうさ」
「このまま絞め殺したほうが早いということかしら?」
「ご勘弁願いたいね」
飛鷹は肩をすくめる。
「せっかく距離が縮まったんだ。このままお近づきを保ちたいからさ。さし当たっての理由としては駄目か?」
「あら、私を口説こくつもりかしら」
「俺の思い人は雫一人だ。悪いね」
飛鷹は悪びれる様子もなく言った。
「勘違いしないで欲しいけど、別にあなたのことを好きになっているわけじゃないわ」
「ツンデレくさいねえ」
「真面目な話よ」
「わかっているって」
飛鷹は頷く。
「ただ、誰であったとしてもだ。親しくなった相手を失いたくはないんでさ。ようやくわかり合えたんだ。あんたを運ぶのも結構大変だったんだぜ。そのがんばりを無駄にするにはもったいないってことさ」
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