第12話 インタグルドの総司令官

 ディセットの研究室を出たら、スワーラがいた。


「待っていてくれたのか?」

「ええ。あなたには通信機を渡していなかったから」


 スワーラはスマートウォッチを手渡してくれた。一見するとアップルウィッチにそっくりだが、機能は大きく異なる。偏向スピーカーと脳波を言葉に変換する装置が内蔵されているため、誰かに聞かれることなく通話が出来る。


 コンタクトレンズは文字を映すが、音は聞こえない。音は空気の振動なので、コンタクトレンズが振動したら目が痛くてたまらないから付けなかったのだろう。


「総司令があなたを呼んでいるわ」

「やれやれ。大人気だね」

「それだけあなたが重要な人物ということよ」

「グランドコンプリケーションを倒したからな。だがグランドコンプリケーションを倒せたのは、大勢の仲間たちの犠牲のうえに成り立ったんだ。俺一人の手柄じゃない」

「謙虚も過ぎれば嫌味になるわ」


 スワーラは歩き出す。なにか癪に触ることでも言ったか?

 聞いてみようかと思ったが、なんとなく聞きづらい雰囲気だったのでそのまま歩いた。


 総司令官の執務室は中央ブロックに戻り、改めてサウスブロックに向かわなければいけない。


 サウスブロックは居住エリアだが、その真ん中の階に総司令の執務室はあった。総司令官専用の居住スペースと幹部たちが会議するための会議室が隣接していて、総司令官はすぐに起きて執務や会議が行えるようになっていた。


 一般的にはビルの最上階が最高級だが、インタグルド本部の場合は一番価値のあるのは真ん中の階になる。もしインタグルド本部が攻撃を受けた場合、海底からではなく海上から攻撃を受けることを想定しているためだ。


「保安部の隊員を見掛ける回数が増えたんだが」

「総司令の部屋よ。警備が厳重になるのは当然でしょう」

「それもそうか」


 インタグルドの要となる人物だ。警備が手厚くなるのは理解出来た。


「それにしても巡回が多いな。監視カメラとかないのか?」

「相手はザ・クロックだから、監視カメラの映像を誤魔化す可能性があるのよ。ネフアタルには装着者のバイタルを常時チェックしているけど、偽装される可能性は否定出来ない。一番確実なのは巡回して警備することよ。人間の目は誤魔化しづらいわ」

「怖い話だ」

「私たちが戦っている相手は、それだけ手強いということよ」


 世界中の軍隊が勝てなかった相手だ。むしろこの程度の警備では手薄いのかもしれない。改めて自分が相手にするザ・クロックへの恐怖を抱く。

 ドアのまえにふたり、歩哨として立っている。


「失礼するわ」


 ノックをすることもなく、スワーラは総司令の部屋に入る。 

 部屋の広さは二十畳ほど。白い壁に囲まれているが、奥の壁は一面がガラス張りで光の注がない海を魚が泳いでいる。この本部が海のなかにあることを実感させられる。


 部屋の奥にはウォールナット製の長机があり、一目で高級とわかる椅子には気品のある男が腰掛けている。


 スワーラと同じ白銀の髪。年齢は四十そこそこか。制服の上でも、がっしりした巨軀だとわかる。整った顔立ちをした絵に描いたような美丈夫だ。優しそうな瞳をしているが、その奥には揺るぎない信念の光りが宿っていた。


「久しぶりだね、飛鷹・トレ一等騎士。インタグルドの総司令官のキュンメネン・ウッグラだ」


 バリトンの効いた声でキュンメネンが挨拶をしてくる。

 後ろに執事服をきっちりと着こなした初老の男が控えていた。いかにも執事然とした風貌で、所作も執事として完璧なものだったと記憶している。


「カハデクサン、このふたりに紅茶を入れてくれ」


 キュンメネンの後ろに控えていた初老の執事服を着こなした男――カハデクサンが一礼する。カハデクサンは部屋の隅に向かう。そこは一見すればなにもないように見えるが、カハデクサンが壁に触れると、壁からテーブルや食器類がスライドして現れた。


「ソファーも用意しよう」


 キュンメネンが机に触れると、床から来客用のソファーとテーブルが上がってくる。

 細かいことはわからないが、ネイビーブルーの布を張った高級そうなソファーだ。

 テーブルはウォールナットで、高級感が漂っている。


「あまりごちゃごちゃとして部屋が好きでなくてね。普段は目に付かないように収納しているんだよ」


 キュンメネンはフレンドリーに話しかけてくる。


「座ってくれたまえ。君たちが座ってくれないと私も座れないからね」


 そう言われれば座るしかない。スワーラが腰掛けたので飛鷹も続く。

 ソファーはふわりとした座り心地で、なんだか座るだけで緊張してしまう。もし傷でも付けたらとんでもない修理額を請求されそうだ。


「どうぞ」


 カハデクサンが横からすっと音もなく紅茶のカップを置いていく。気配すらなく音もなく置くその姿は、長年勤めてきた熟達した動きだからこそだ。


「なにか反応してくれると嬉しいのだが」

「失礼。久々だから緊張しちまって」

「君と話したことは、ザ・クロック事変のときも殆どなかったね」

「あんたと会ったのはほんの数回だけだ」

「はははっ、そうだったか。忙しい身なので忘れていたよ」

「王族だもんな」

「おや、バレてしまったか」

「入院中に暇だったから読書三昧でさ。暇だったから適当に読んだ本にあんたのことが書いてあったぜ。スカンジナヴィア・バルト王国連邦の王室、ウッグラ家。その三男でエアリーズグループの筆頭株主。


 スワーラについての記述はなにもなかったが」

 予想はついているが、確証はない。


「そのことについてはお察しのことと思うが、スワーラは正妻の子ではない」

 思った通りだ。スワーラは愛人の子供だ。

「肉親といってもその存在を知ったのは二年前でしかないわ。私の才能を知ったから、強引にインタグルドに入れたのよ。正直、いい迷惑だわ」

 スワーラは不快感を露わに語る。

「スワーラ、君の気持ちは理解できる。ザ・クロックを放置するわけにはいかないのは、君自身もわかっているはずだ。世界はいずれ統一されるべきだと私は思っているが、彼らのやり方はあまりにも乱暴だ」

「あんたはザ・クロックが間違っていないと思っているのか?」

「いずれは地球の国々が統一された、地球圏統一国家が出来るとは考えている。これは歴史を見れば明らかだ。国連非加盟の国を含めれば、現在の国家は324」

「随分とあるな」

「ふふっ、そう思えるだろうね。だが十八世紀から十九世紀のインドですら藩王国が600はあった。中国の春秋時代にも二百あった国家が七つにまで統一され、やがて秦が勝利した」

「だが秦は滅ぼされたぜ」

「漢が秦の制度を受け継いだのだから、漢は秦の魂を受け継いだともいえる」


 飛鷹は頷いた。

 始皇帝の一族は処刑され、権力の座からは転げ落ちた。だが、制度を受け継いだのだから秦の形が滅びたとは言い切れない。


「だが秦の統一だけで莫大な血が流れたんだぜ。地球圏統一国家が出来るとすれば、同じだけの血が流れるかもしれない。そのことについてはどう思う?」

「もし多くの血が流れるならば、私はザ・クロックに賛同するだろう。だがそうなるとは思わない。人間はそこまで愚かではないからだ」

「そうかねえ。世界には争いが満ちているぜ」

「たしかに争いは耐えないが、いまの時代は人類史でもっとも平和な時代だと証明されているのだよ。人権意識の高まりなど、幾つもの理由があるが――そうだな、私は人々が進化している結果だと思っている」

「進化しているのか? 肉体的には退化していると思うが」

「それは誤解だ。例えば、昔は百メートル走で九秒で走れる選手はいなかった。十秒の壁と呼ばれていた。だがいまでは九秒の選手は珍しくはない。なぜかと思う?」

「人類が進化したとでもいうのかよ」

「ある意味でそうなる。十秒の壁を越えられると証明されたことで、自分も九秒で走れると陸上選手達が思った。要するに常識が崩壊し、人類は壁を突破できるようになった」

「そんな簡単なものかね」

「簡単だ。心理的な鎖というのは君が思うよりずっと人間の行動を制限するのだよ。君のような天才には理解できないかもしれないがね」


 キュンメネンは紅茶を口に入れた。


「やはりカハデクサンの紅茶は最高だ。君も飲んでみたまえ」

「いただくか」

 飛鷹は紅茶を口に含み、キュンメネンの言葉が正しかったと理解する。

 いままで飲んできた紅茶が、どれほど不味かったかがわかってしまう。


「その顔をみればわかる」

 キュンメネンは微笑む。その笑顔はスワーラと似ていて、兄妹なんだなとわかった。

「察しのいい君のことだ。私が君を呼んだ理由はわかっているだろう?」

「二年近く離れていたからな。ヤバイしそうに染まっていないか、確認したってとこだろう?」

「ご名答だ。さすがはトレ一等騎士」


 キュンメネンは応用に頷いた。


「しかしこの短時間で十分だったのか?」

「もちろんだ。これだけの時間を掛ければ、君の人柄は理解できる。私も総司令官という立場なのでね。人を見る目は鍛えている」


 飛鷹はゴクリと唾を飲んだ。

 この短時間で自分の人柄を見抜いたというのは驚きだが、嘘とは思えなかった。この男が教養のある人物なのは、僅かに話しているだけだが理解できた。


「合格だ。おめでとう」

 飛鷹は息を吐いた。

「先ほどの会話で君がザ・クロックに強い嫌悪感を抱いているのは、十二分に理解できた。我々がもっとも恐れるのは、iPoweredを装着したものが寝返ることだ。

 裏切り者に制裁を与える準備はしているが、残念ながら我々とザ・クロックとの間に技術的なアドバンテージはない。技術の方向性に違いはあるが、ほぼ互角といって差し支えはない。

 だからiPowered装着者が寝返るのは避けたいのだよ」

「なるほど」


 飛鷹は頷いた。納得のいく答えだ。十一しかない貴重な装備を敵に回るのは避けたいだろう。尤もその貴重なiPoweredは三つも行方不明というのだから、この組織の管理体制の杜撰さが垣間見えるが。

「飛鷹」

「なんだ?」

「あなたは疑っているわね。私たちのことを」

「なんのことだ――といいたいところだが、お見通しか。そうだな、インタグルドとザ・クロック。どうしてふたつの組織はどちらもオーバーテクノロジーを持つのか。疑問に思っているさ」


 一つの組織が理念の違いから分裂したのか。あるいは他の理由か。いずれにしてもろくなことではないだろう。

「疑っているならば、迷わず私たちを殺しなさい。ブルーティアの力があれば、私たちを殺すことは出来る。インタグルドを壊滅させることも出来るかもしれない。

 それだけの力がブルーティアにはあるのよ」

「そんなこと」


 出来るはずがない。そう口にしようとして飲み込んだ。

 弱気な態度を露わにしてはいけないと、なぜか本能が警告している。

「私の戦う目的は単純よ。故郷の村で猟をして、祖父母に囲まれて、日本の漫画とアニメを堪能して、隣国の親友と語りあう。この生活を取り戻す。そのためにはザ・クロックは排除しなければいけない」

「すごく俗っぽいな」


 スワーラは悪の組織から人々を守る組織の幹部だ。

 もうちょっとそれらしい理由だと思っていたのだが、あまりにも斜め上過ぎる。

「人々の自由と平和を守るためと言って欲しかったかしら?」

「そりゃまあな。どん引きだぜ。親近感も沸いたけどさ」

「大げさな大義を掲げるほうが嘘っぽいと私は思うわ。大げさな大義のために戦う人はいるでしょうけど」

「嘘はつきたくないってことか?」

「嘘をつく必要がないと言ったほうが正しいわね。あなたに嘘をついてもメリットはないわ」

「はっきり言うねえ」


 馬鹿にされたような、褒められたような気分だ。だが正直に話してくれるのは悪い気はしない。

「さて、面接も終わったことだし失礼するわ。構わないわね、お兄様?」

「ああ、もちろんだ。お手間を掛けてすまなかったね」


 スワーラは一礼してドアに向かう。飛鷹もあとを付いていく。

 そんな飛鷹の背にキュンメネンが声を掛けてきた。


「トレ一等騎士。復隊記念にひとつだけお教えしよう」

「なんだ?」

「君の予想通り、我々とザ・クロック、ザ・クロックの技術の出所は残念ながら同じだ。しかし技術は使い手次第だ。

 例えばスマホを使いこなしてビジネスで生かして金を生み出す道具とするものもいれば、ただ毎日ゲームして金を消費するものがいる。

 我々は無辜の人々を傷つける目的では決して使わない。プライドが許さない。しかしもし――我々が暴走するようなことがあれば、君が止めればいい」

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