第10話 インタグルド本部
イーストブロックのドアを抜けて、中央ブロックとの渡り廊下を歩く。ドアが閉じただけでイーストブロックの騒音が聞こえなくなったのだから、防音性能に力を入れているのがわかる。
ネフアタル保安部仕様の二人組が歩いていた。
戦術部仕様はグリーンだが、保安部仕様はネイビーブルーだ。
バックパックの側面に装着されているのは六連装のガドリングガンで、両手にはショットガンとサブマシンガンの二パターンがあった。
保安部は本部の警備や侵入してきた敵の迎撃、制圧した敵施設の捜査が主な任務だ。狭い空間で活動することが多く、狭い空間で制圧することに向いた装備になっている。
「うおっ」
飛鷹は息を飲んだ。
「どうしたのかしら?」
「いや、どうしたもなにもさ!」
飛鷹はスワーラだけでなく、。誰もが平然としている。
「グリズリーがいるんだぞ! 少しは驚けよ!?」
北米に生息する熊のグリズリーが、こちらに向かって歩いてくる。
グリズリーの身長は二五〇センチ。体重は四百キロになる。あるインディアンの部族は、成人の儀式としてグリズリーを素手で仕留めるという。それを聞いたときは凄いなあと思った程度だが、実際に目にしてみると素手で仕留めるなんてとてもじゃないが無理だ。
もし戦うとなれば、ブルーティアで戦う。卑怯とは思わない。それだけグリズリーとは力の差がある。
「ああ――そういうことね」
スワーラは納得した様子だ。
手を上げて挨拶をしたら、グリズリーも手を上げて返してくる。
「驚くわね」
「当たり前だ! なんでグリズリーがいるんだ?」
「保安部の一員だからよ。ついでに言えば、iPoweredのひとつ――ブラッククローバーの装着者ね。虎とライオンを指揮して戦うわ」
「色々と突っ込みたい部分が多いんだけど。グリズリーがiPowered装着者って――そもそもグリズリーは猛獣のはずなのに、ビーストテイマーって変じゃないか?」
「飛鷹が言いたいことはわかるわ。iPoweredはインタグルドに十個しかない。特別な代物よ。それを猛獣に渡されていることに違和感があるんでしょうね」
「違和感というレベルじゃないと思うが……」
インタグルドはオーバーテクノロジーを持つ常識破りな組織だ。多少のことはいまさら驚かないが、さすがにグリズリーが貴重なパワードスーツを装着していて、しかも虎とライオンを操るのは驚きだ。
あっ、ありのまま起こったことを言うぜ。という有名なAAを張りたくなる。
「大丈夫よ。人懐っこいから」
スワーラがあっけからんとした口調で言う。
「保安部長が赤ちゃんの頃から育てているから、自分のことを人間だと思い込んでいるのよ。保安部長は自分の可愛い弟だと豪語しているわ」
「いや、それおかしくね? どんな弟だよ? つーか、グリズリーが弟とか、どんなセンスしているんだ?」
「言われてみればおかしいわね」
「言われなくてもおかしいんだよっ」
もはや突っ込みが追いつかない。
俺がいない間に、インタグルドになにがあった? ひょっとしたら、一年九ヶ月ではなく、百年経過しているのかもしれない。精神と時の部屋のようにインタグルド本部はときの流れが遅いのだ。
そうだ、きっと、そうに違いない。百年先のセンスならば、納得だ。アハハッ。
「大丈夫よ。一説には、熊の知能は霊長類に匹敵すると言われているわ」
「つまり、人類が滅びたら、熊が地球を支配するのか」
「猿の惑星ならぬ熊の惑星ね」
なんだか、どっと疲れたのは気のせいか? いや、多分、気のせいではない。
「問題はないんだよな?」
「スミーヴァ総隊長の私が責任を持って断言するわ」
「スワーラがそう言うならば、信じるか」
一応、信じることにする。そうしないと、もう精神が持ちそうにない。
「飛鷹。ひと言、アドバイスがあるわ」
「……なんだ?」
「細けえことはいいんだよ」
「俺は松田じゃねえんだけどな」
飛鷹は投げやりに答えた。
「ちなみに彼はトラとライオンと一緒に育てられたわ。だから兄弟のように仲がいいのね。その虎とライオンも保安部長は弟だと言っている」
「凄すぎてなにを言っていいかわからないぜ」
「そうね。私もなにを言っているのか、わからなくなったわ」
スワーラもようやく気づいたようだ。
「慣れというのは、なんていうか、恐ろしいものだな」
「まったくね」
もはや苦笑いするしかない。
そんな無駄話をしている間に、廊下の先から自然光が見えてきた。
ここは海中だ。普通に考えれば、自然光は望めない。
しかし自然光は確かに感じる。
「着いたわよ」
インタグルドの本部の中央ブロック、その中心部に着いた。
燦々と降り注ぐ自然光を植物たちが浴びている。植物は背の高いものから低いものまで様々で、その様相は植物園だ。
天井を見上げれば数百メートル先にガラス張りされた天井があり、太陽の光を注いでいる。
ぐるりと見渡せば、百以上の床――フロアが見えた。
「中央ブロックは吹き抜け構造。壁もないのは変わらずか」
下からでも各フロアで作業をしているのが見える。デスクにモニターとキーボード、マウスを置いて作業をしているのはごく一般的な光景だ。
「各部署が見えることで連帯感も生まれるのよ」
「そう言っていたな」
やはり二年近く離れていると色々忘れてしまう。
「移動はどうするんだっけ?」
「実演するわ」
スワーラは「五階よ」と呟く。
彼女の足元の一平方メートル程の大きさなブロックが浮き上がり、五階で止まる。
「すげえな」
ブロックの底面からはセキレイ粒子が放出されているので、セキレイ粒子を利用したエレベーターなのだろう。超技術であるセキレイ粒子をこんな風に使うインタグルドの贅沢さに驚きを隠せない。
「このブロックは衝撃吸収の機能も含まれているわ。だから転落事故があったとしても怪我をせずに済むようになっているのよ」
「吹き抜けとか開放的だけど、転落事故はあり得るからな」
「一番うえから飛び降りたとしても怪我一つしないわよ。だから緊急に脱出するときにも役に立つわね」
「よく考えられているな」
セキュリティ対策は万全だ。
「他にも、ほら、飛んでいるわ」
スワーラが指差した先には、インタグルドの制服を着た隊員が階の反対側に飛んでいた。
「ベルトの両端に小型のセキレイ粒子発生装置が付いていて、あんな風に飛ぶことが出来るのよ」
「前はこんなに配備されていなかったよな。パワードスーツ限定だったはずだ」
「生産技術の向上により、大量生産が可能になったのよ」
「進化しているわけか」
iPoweredも第三世代に変わり、劇的に変化していた。飛鷹が気づかないところも色々とアップデートされているのだろう。それでもザ・クロックの出現を止めることは出来なかった。
ザ・クロック事変よりも厳しい戦いになるのは間違いない。
スワーラが立ち止まり、いきなり独り言を始めた。
「大丈夫か」
「心配ないわ」
スワーラは誰かを手招きする。
その手招きに応じて現れたのは、一人の白い制服の隊員――医療関係だろう――がこちらに向かって降りてくる。その手にはDIYに使うドライバドリルのようなものが握られていた。
「忘れていたのだけど。インタグルドの隊員は、首にマイクロチップを埋め込むのよ。スマホがなくても通信が出来るようになるわ」
「なんだか怖いな」
「SFでは定番のあれか」
「チクッと痛いってやつか」
隊員は無表情で飛鷹の首にドライバドリルのようなものの先端を突きつけてくる。
一瞬だけ、チクッとした。
それ以上に、無表情でドライバドリルのようなものを首に突きつけてくるのは怖いからやめて欲しい、マジで。
「これでどこでも通信が出来るわ。ナノマシンで金属探知機でも発見も不可能よ。安心しなさい」
「まあスマホがなくても通信が出来るのは便利だよな。ハンズフリー、バンザイだ」
戦場でいちいちスマホを取り出すわけにはいかないし、悪くはない。
「飛鷹。あなたはディセットがいる研究室に向かいなさい。久々に話したいそうよ」
電話が終わったスワーラにそういわれて、飛鷹は開発及び研究エリアであるノースブロックに向かう。
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