第6話 スカウト
数時間後、飛鷹は札幌市中央区の警察署からの帰路についていた。
ザ・クロックに襲撃された現場に居合わせたため、事情聴取された。しかも警察ではなく、国のザ・クロック対策委員会のメンバーとのことだ。
新生ザ・クロックについて、わかっていることは少ない。オーバーテクノロジーを持ち、圧倒的な攻撃力を誇る。しかし攻撃対象は軍事施設や人の集まる都市などで、わざわざ民家をピンポイントに、しかもごく少数で襲ってきたケースはいまのところないらしい。
新生ザ・クロックについて、政府は少しでも情報を得たい。対処するためには情報が必要だからだ。それは理解していても、拘束されるのはキツい。
とんだ災難だと思いつつも、こうしていま自分が帰路についているのは、水葉のおかげだろう。
事情聴取される前に、自分がブルーティアに変身したことは伏せておこうと取り決めていた。もしブルーティアに変身したことがバレたら、身柄を拘束される可能性があるからだ。
雫が死んで落ち込んでいるのに、なんの罪も犯していないのに、身柄を拘束されたくはない。
札幌の夏は真夏以外は日中はそれなりに暑くても、夜は冷える。おかげで熱くて寝苦しいことは殆どなくて、色々あって混乱している頭を冷やすにはちょうど良い。
「飛鷹・トレね?」
声を掛けられて、顔を上げ――息を飲んだ。驚いて息を飲む、その表現は知っていたが、経験したのは二度目だ。
絶世の美女がこちらに向かって歩いてくる。
肩口に切り揃えられた透明感のある白銀の髪が、照明の光を浴びて輝いた。その髪はまるでステンドグラスのように幻想的な美しさを讃えている。
すっきりした鼻筋と、女の子らしいやわらかな唇。西洋人形のように整った顔立ちは、一流モデルに勝るとも劣らない。肌は白磁のように透明感があった。
シスター服からでも一流モデルのようなすらりと伸びた肢体と、豊満な胸が一目で分かる。モデルとなれば、その凛とした美しさから瞬く間にトップモデルに躍り出るだろう。
「スワーラ・フィーアか。久しぶりだな」
一年九ヶ月ぶりの再会だが、すぐに思い出せた。
こんな美女に会って、忘れるというほうが難しい。それだけの美貌を彼女は持っている。
嫌いな相手ではない。むしろ親しみを覚えるし、会えて嬉しい。
しかし同時に会いたくはなかった相手でもある。
そんな飛鷹の気持ちに関係なく、彼女は淡々とした口調で名乗った。
「私は対オーバーテクノロジー犯罪組織の私設武装組織、インタグルド。総司令官直属の精鋭部隊、スミーヴァ。総隊長を務めているスワーラ・フィーア騎士長よ」
湖のように青い作り物めいた瞳を向けて、告げてきた。
「騎士長か。出世したな」
「あなたがインタグルドを去ったあとも、私は残ったわ。もしあなたが残ってくれれば、スミーヴァ総隊長の地位はあなたになっていたかもしれないわね」
「久しぶりの再会ですぐに皮肉を言ってくるとはな。だが、俺も限界だったんだよ。秘密組織でずっと生活するなんて、耐えられない」
あの平凡な日常に戻れないのは我慢できた。しかし雫と話し合えないのは辛かった。それだけ自分にとって雫は大切な存在だった。
「かつてのザ・クロックの首魁、グランドコンプリケーションを倒した英雄、ブルーフォース。いいえ、飛鷹・トレ三等騎士。あなたが必要よ」
「英雄というのはむずかゆいぜ。ただ俺は大切な人を死なせたくないから戦った。会いたくて、死んで欲しくなかったひとがいたから頑張った。意味がなくなっちまったがな」
まったく笑えない冗談だ。二年前に自分はなんのために旧ザ・クロックと戦って来たのか。世界平和のため。意味は求めればいくらでもある。しかし本当に守りたかったものを守れなくて、なにが英雄か?
「総隊長ということは、本隊と複数の小隊で構成されたままか?」
「基本的な構成は変わらないわ。総隊長直属のiPowered装着者で構成された本隊が攻撃を担当し、一から四小隊が逃げ遅れた民間人の避難誘導及び護衛を務める。
副長が一から四小隊を指揮して、総隊長が直属の本隊及びスミーヴァ全体を指揮しながら戦う。一から四小隊はそれぞれ四二名で編成。小隊の構成は小隊長、副小隊長、パイロット、オペレーター、ガンナー、下士官、一般隊員。
前と変わらないスタイルよ」
「そうか。なら安心だな。攻撃に集中できるから楽なんだよな」
ザ・クロック事変で一般兵として戦ったのはほんの短い期間だが、民間人を守りながら戦うのはかなり大変だった。
だからスミーヴァで攻撃に専念できるのはかなり楽だった。
「インタグルドもザ・クロック事変が終わったあとで、なにもしていなかったわけではないのよ。新たな装備の開発。人員の確保。不穏な動きを見せる組織がいないか調査し、兆候が見られたら即座に潰す。旧ザ・クロックが何者だったかの調査。
やるべきコトは山積みで水面下で戦ってきた。表に出ないように証拠金滅する専門の部隊も創設されたから、世間には知られていないけど」
「俺がいない間にも、色々と戦っていたんだな」
考えてみれば当たり前のことだ。
なぜ旧ザ・クロックがオーバーテクノロジーを持っていたかも、インタグルドさえもわからない。スワーラがそう言っているだけで、本当は正体を掴んでいる可能性は十二分にある。
インタグルドもオーバーテクノロジーを持つ私設武装組織で、いつ世界から敵として認定されるかわからない。その一員としてこれから再び戦おうとしている自分の危うさに気づいて、思わず苦笑が漏れた。
「人員も増えたわ。以前は三万人だったのが、いまは約十万人。
部署の構成は変わっていないわ。戦闘を行う戦術部、新兵器の開発や分析を担当する技術部、情報を分析して提供する情報部、兵站を担う総務部、本部の保安を一手に預かる保安部。
戦術部は百ユニットまで増えて、情報部にも行動課と分析課が併設されたわね。一ユニットは約二百人だから約二万人ね。人材のスカウトを行う総務部のスカウト課も規模を大幅に拡大。そして私の階級ならば自由にスカウトする権限が与えられているわ」
「騎士長様だもんな。ザ・クロック事変の頃は、俺と同じ三等騎士でスミーヴァの平隊員だったのに出世したな」
インタグルドの階級は七つに分かれている。下から従士、従士長、三等騎士、二等騎士、一等騎士、騎士長、副司令、総司令。五つの部署の部長は騎士長しかなれない。
つまりスワーラは僅か一年九ヶ月の間に三階級も出世したことになる。インタグルドは階級が七つだから、三つ階級が上がる意味合いは大きい。
日本警察で三階級上がるにはノンキャリア、準キャリア、キャリアで違うし、階級があがるたびに次の階級にいくのは難しい。キャリアでも警部補から警視正になるのは個人差もあるが十数年はかかる。
「スミーヴァは私とあなた以外が戦死。私だけがインタグルドに残ったからよ」
「ひょっとして責めているのか?」
「いいえ――あなたは心身ともに限界だったし、インタグルドに残るよりも幼なじみがいる日常に帰りたがっていた。あなたが戦う動機は大切な人たちを、もっと言えば大切な幼なじみを守りたかったからなんだから、引き留めることは出来なかったわ」
「雫には死んで欲しくなった」
もし自分がインタグルドに残れば、雫は死ななかっただろうか? 彼女の前からは姿を消さなければいけない。それはあまりにも辛い選択だが、千歳基地でブルーティアを使えていれば彼女を助けられたはずだ。
後悔は先に立たず。それは逃れようのないこの世界の絶対的なルールだ。だが、その絶対的なルールも覆って欲しいと切に願う。
「本音を言えば、あなたには残って欲しかった」
スワーラは声のトーンを落とす。
「さっき兆候のある組織は潰しているって言ったな」
「あなたは新旧のザ・クロックがどうしてオーバーテクノロジーを持っていたか、考えたことがある?」
「インタグルドのオーバーテクノロジーも出所不明だと思っているぜ」
「そうね。大元が同じだと疑われても仕方ないと思うし、否定はしないわ。機密事項だから話せないけれど」
もはや大元が同じだと認めているも同じだ。スワーラがそのことに気づかないはずがない。だが、敢えて濁したのには理由があるはずだ。
「状況はあなたが考えているよりもずっと複雑よ。もし本当に大元が同じならば、黒幕の情報は掴んでいるわ。でも残念ながら、インタグルドは黒幕が誰かわかっていない。
わかっている数少ないことは、進級のザ・クロックは最初はオーバーテクノロジーを持っていなかったという事実よ」
「つまり既存の組織に何者かがオーバーテクノロジーを与えたと?」
「オーバーテクノロジーを持っていても、それだけで組織を運営できるわけではないわ。オーバーテクノロジーも技術に過ぎない。最終的にどう使うかは組織のトップの手腕に掛かっている。
私たちが水面下で潰してきた組織は、トップの手腕が大したことがなかったものばかりだった。だから私たちに察知されて、準備が整う前に奇襲を受けて殲滅された」
「だったら新生ザ・クロックはとびきりやばいってコトだな」
「ええ、最悪なことにね」
スワーラはため息を吐いた。
これからの戦いは厳しくなりそうだ。
雫の仇はもちろん取る! だが敵は前回に比べて強い可能性が高い。
――思った以上に厄介だな。
憎しみに支配されず、冷静な判断ができるのは実戦経験のおかげだろうか?
「O学会という名前、聞いたことがあるか?」
「初耳ね」
飛鷹のぽつりとした言葉に、スワーラは即座に返事をしてきた。
嘘をついているのは明白だった。旧ザ・クロックとの決戦で、グランドコンプリケーションが口にした組織名をスワーラが聞いていないはずがない。
なぜ嘘をつく? 問いただそうとして、やめた。どうせ答えてくれるはずがない。機密という言葉で隠すのが、スワーラという人物だ。
死線をともにくぐり抜けてきた戦友だが、彼女は秘密が多い。そのことが気にならないわけではないが、雫の遺言を叶えるのに支障がなければどうでもいい。
「復帰するとなると、あなたは一等騎士に昇進するわね。おめでとう」
「はっ? 一等騎士って――」
「私のひとつしたよ」
「二階級昇進というのが死んだみたいで嫌なんだが」
「安心して。世間的には死んだことにしているから」
「おいっ」
飛鷹はスワーラを睨む。笑えない冗談だ。
しかしスワーラは真面目な顔で答えた。
「それだけの覚悟が必要な相手ということよ、今度のザ・クロックは前以上に手強いはずよ」
飛鷹は舌打ちをひとつ。
「……わかったよ」
渋々と納得する。
新生ザ・クロックが暴れ回っている世界情勢で、いつ死んでもおかしくはない。秘密組織の一員として戦ううえでも死んだことにしていたほうがなにかと都合もいいだろう。
雫の仇は取りたい。だが、家族にも死んで欲しくはない。
家族にも危険が及ぶのだから自分の命を賭して戦わなければ勝てない。
「しかしなぜ昇進なんだ?」
「iPoweredはインタグルドの切り札のひとつよ。切り札を使う人間の階級が三等騎士だと格好がつかない。なにより手当にも随分と差が出る。お兄様――総司令は仕事へはきちんとした報償を支払うわ」
「つまり一等騎士として、より頑張ることを期待されているわけか」
「そういうことね」
出世は飴であり、鞭でもあるわけか。
飛鷹は殆ど会ったことがない総司令官の顔を思い浮かべる。
「iPoweredをひとつ作る費用は、日本のイージス艦一隻に匹敵するわ」
「マジかよ、凄まじい値段じゃねえか」
確かイージス艦は一隻千四百億円。自分は千四百億円の兵器を扱うことになる。以前よりも働きが期待されるのは当然だ。
「参考までにネフアタルはラプターと同じ値段ね」
「ひとつ二百五十億円か。そんなに高価なものだとは知らなかったぜ」
「イニティウムの値段も知りたい?」
「怖いからやめておくぜ」
超音速で飛行し、光学迷彩まで装備する機体だ。戦闘能力がなくても、iPoweredも高いのは簡単に予想ができた。
「スワーラは何歳だっけ?」
「女性に年齢を聞くのは失礼よ」
「戦友だろう?」
「そうね」
スワーラは納得したように頷き、
「あなたのふたつ上。21歳よ。若いピチピチね」
と真顔で茶化した感じに返してくる。
はあ、と飛鷹は曖昧な返事をした。
サバを読んでいるのではないかと勘ぐってしまうし、本当に19歳のような気もしてくる。白人は東洋人に比べて老けているのは、ハーフである飛鷹は嫌というほど知っていた。
「嘘は言っていないわよ」
「いや、そうは思っていないさ。ただ21歳なのに精鋭部隊の隊長なんて、スゲェと思っただけだぜ」
これは紛れもない本心だ。
いままで責任のある立場は積極的に避けてきた。だからスワーラのように責任のある立場は素直に凄いと思う。
「ふふっ、あなたはいつもそう言うわね」
「どういう意味だ?」
「ただ意味深に言ってみただけよ。少しミステリアスでしょう?」
スワーラはいまいち掴めないことを時折、口にする。懐かしさが浮かんでくる。
「どうして雫の家にあったんだ?」
「わからない。数ヶ月前に、ブルーティアは盗まれたわ」
「ザル警備だな」
「ザル警備はガンダムの伝統よ」
「いや、笑えないから」
秘密組織の管理するものが盗まれるとか、心配すぎる。
「なあ、嘘だろう」
「いいえ、本当よ」
「ブルーティアは俺専用にカスタマイズされているのにか?」
「その根拠は?」
「ブルーフォースのときはロングソードだった。ロングソード術も身につけているから戦えたが、俺の一番得意というか、手に馴染むのは日本刀だ。それも二振り」
「来たるべき備えのためにiPoweredを改良していたわ。でもあなたを装着者としては想定していなかったはずよ。少なくとも私はあなたを再びインタグルドに呼び戻すつもりはなかったわ。
あなたがトゥルービヨンドを倒すなんて思いもしなかった」
スワーラはポーカーフェイスで答える。嘘か本当か、どちらかわからない。
「さっき装着してわかったが、二年前よりもぐっとパワーアップしていたぜ。前のブルーフォースは装着して戦うたびにすげえ疲れたし、最終決戦後には一年近く入院しなければいけないほど肉体にダメージを負っていた。
だが、ブルーティアは違う。かなり改良されている。二年前も大量生産品のネフアタルと違い、カスタマイズされた特注品だった。いまもそう変わらないだろうから貴重品のはずだ。盗まれたなんて下手な嘘にしか聞こえないぜ」
「本当に盗まれたのだから、そうとしか言いようがないのよ」
飛鷹はため息をひとつ。
ここまで言っても答えてくれないならば、無駄だろう。彼女は秘密としたことは、どんなにキツい拷問をしても墓場まで持っていくタイプだ。それだけ口が固い。
だからこそインタグルド総司令直属部隊の総隊長など任せられたのだろうが。
「まあいいか。ちょうど俺も復讐をしたかったところだ。都合がいい」
雫を殺された怒りをぶつけたかった。その手段があるならば、遠慮なく使ってやる。もちろん復讐だけではない。雫の最後の言葉も実行する。みんなを守る、それが雫の遺言だ。
「それとも復讐のために戦うのはいけなかったか?」
「いいえ、使えるものはなんでも使えがインタグルドのモットーよ。人がなんのために戦うかなんて、ほんとうのところはわからないわ。国のために戦うなんて言ってる人間も内心では出世のためかもしれないし、誰かを守るためとカッコよく言っていても本当は復讐が目的かもしれない。
その点で言えば、あなたはとてもわかりやすい。人手不足のインタグルドにとって、あなたは貴重で得難い人材。断る理由はない」
スワーラは相変わらず合理的だ。しかしそこがいい。
飛鷹は手を差し伸べる。
スワーラは飛鷹の手を握り返し、こう答えた。
「ようこそ、インタグルドへ。歓迎するわ」
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