第4話 ブルーティア前編


「ここは……どこだ?」


 分厚いコンクリートの壁を見つめながら、飛鷹は呟いた。

 自分がシャルター内にいることに初めて気がつき、愕然とする。


 ――ああ、俺はまともじゃないらしい。仕方ないか、大切な幼なじみが死んだんだ……そうだ、死んだんだよ。


 頬を伝う涙は熱くて、これが夢でないと語っている。

 夢であって欲しい。そう願うのに、頭のなかの冷静な部分が夢でないと認識していた。


 無性に悲しくなり、なにもかもやる気がなくなってきた。

 意気消沈したまま、シェルターの分厚いドアに向かう。


「避難解除の指示は出ていません」


 そう市役所の職員に言われ、生気のない目で見つめる。

 飛鷹は無言で頷き、シェルターの隅に座り込んだ。

 もう雫と会うことは出来ない。

 こんな世界にいても意味はないのかもしれない。

 シェルターに備え付けられたモニターをぼんやりと眺める。

 緊急速報が流れていて、キャスターが緊迫した顔で現在の状況を伝えている。


 内容はザ・クロックについてだ。世界中の軍事基地を襲い、大打撃を与えたとのことだ。前のザ・クロックが都市も積極的に攻撃したことを考えれば、軍事基地に限定されているのはまだマシだろう。


『新生ザ・クロックを名乗る組織は世界に降伏を求めていますが、各国政府首脳はその要求を断固拒否。毅然たる姿勢で戦いを挑む姿勢を見せています』


 ザ・クロックの目的も前のザ・クロックと変わらない。世界征服だ。各国のお偉いさんがその要求をのまないのも同じだ。しかも今回は多少の自信があるだろう。

『これに対して、二年前のザ・クロック事変で活躍したインタグルドからも声明が出されています。今度こそ、ザ・クロックを殲滅する。だから世界中の人々は安心して欲しい。とのことです』


 そう伝えるキャスターの顔にはほんの少しだけ安堵が浮かんでいた。

 一言でいえば、インタグルドは実績がある。多くの犠牲を生んだが、その犠牲の果てに得られた平和は世界中の人間が感じていたはずだ。


 だからインタグルドの言葉は人々を安堵させる。

 飛鷹も安堵した。

 次に心に宿ったのは怒りだ。

 北極の氷に飛び込んでも消えそうにない燃えたぎる怒りが全身を襲う。


 ――世界征服だとクズ共が! キチガイどもが!


 そのキチガイ共に雫は殺された。

 そう認識するだけで心にずんっとした重みが掛かる。ブラックホールのように重く、光を通さない。


「殺してやる……!」


 自然とそんな言葉が口から出ていた。

 雫は復讐のために戦わないで、と言っていたがそんなことは出来ない。

 自分は聖人君子ではない。

 大切な人を奪われて、なにもしないなどありえない。

 必ず殺してやる! 皆殺しだ! 雫を奪った奴ら、全員を殺してやる!




   ※




 数時間後、シェルターは開放された。


 シェルターの外に出たらザ・クロックが襲ってくるかもしれない。だからシェルターから出たくないとだだをこねるものが現れると思っていたのだが、違ったようだ。いずれ再攻撃があるのは明白だが、このシェルターに閉じこもっていても、座して死を待つことになるのは誰もがわかっていたからだろう。


 戦って死にたい者、自分の家で家族と共に死にたい者、またはザ・クロックと互角に戦えるインタグルドに希望を見いだすもの。


 様々な思惑を抱いて、皆がシェルターを出る。

 飛鷹も自宅に帰る。


 「ただいま」と言っても、誰も応えてくれない冷たい家。

 両親は海外出張で帰っていなくて、弟は祖父母のところにいる。

 連絡してみたら無事との返事があったのはせめてもの救いか。

 愛用のパソコンであるApple note PROを立ち上げ、スカイプを起動する。ナエスト流の師匠とはよくSkypeで連絡を取っている。動画機能を生かして動きに問題がないかを指導してもらったり、雑談を交わしたりしていた。


 応答はあった――ただ出てきたのは師匠の孫だった。

 師匠であるセダム・ナエストはザ・クロックが現れる少し前に行方不明になったという。警察に捜索願を出したが、いまの状況で警察も悠長に捜査してくれる余裕はないだろう。


 かつての英雄もいまは一介の市民でしかない。行方不明=死んだと判断したほうがいい。


「色々と相談したかったんだがな」


 頼りになる大人はいない。

 一緒に幸せになりたかった。その夢は、望みは、再び現れたザ・クロックに叩きつぶされた。


 まったくなんの怨みがあるのかと言いたい。てめえらに俺がなにをしたんだ!

 頭を切り換えよう。いまの自分はなにが出来る?


「連絡できればいいんだけどさ」


 インタグルドは一方的にスカウトしてきて、一方的に解放された。

 銀行口座には一生掛かっても使い切れないような莫大な金が入っていて、家族にもしっかりと説明されていた。最高級の病院で入院させてくれて、隅々までフォローがしっかりしている組織だなと感じた。


 しかしこちらからの連絡は取れない。

 秘密組織なのだから当然だろう。

 しかしいまの自分は戦いたかった。雫の仇を討ちたい。そのための連絡が欲しい。もう一度、戦う力を――!


 そんな自分を見抜いているから連絡がないのかもしれない、そんなことを考えるとなんだか虚しくなる。


 とりあえずいま自分がすべきことはなにか?

 雫の葬式への参列だ。

 まずいつ葬式があるか、雫の家族に聞く必要がある。

 電話で聞けば手っ取り早い。


 雫が死んだあとに雫の両親と電話で話したし、彼女の姉とも直接会った。誰も責めはしなかった。ザ・クロックには軍隊でも勝てない。軍人一家である雫の家族はよくわかっている。

 だから電話でもいいが、直接出向いて謝りたいと思った。

 守れなかったのは動かない事実だ。


「公園は静かだな……当たり前だけどさ」


 雫と航空祭に行く途中で見た公園は子供達が元気に遊んでいた。

 そんな光景はまるで嘘のようになかった。

 非常事態で呑気の子供を公園で遊ばせる親はいないのはわかっているが、遊んでいて欲しかった。


 ザ・クロックに子供達が遊ぶ光景を奪われたのが――いや、俺は雫の思い出が消えたのが許せないんだよな。最低だぜっ。

 自己中心的だと思うが、この気持ちは抑えられない。

 雫を失った傷はほんの数日で癒えるほど小さくはない。

 一生言えることはないのかもしれないな、そんなことを考えていたら、雫の家に着いた。


 雫の家は庭付きのごく普通の一軒家だ。札幌の中央区にある何の変哲もない家。雫の両親は両方とも軍人で、佐官だ。もうちょっと大きい家でもいいと思うのだが、無駄に大きな家は維持するのも大変だから普通の家のサイズにしたのだと、生前の雫が語っていたのを思い出す。


 チャイムを鳴らすと、雫の三つ上の姉の水葉が応じてくれた。

 世界はすっかりと変わってしまった。ザ・クロックの脅威に立ち向かうため、世界中の軍人がかき集められている。雫の両親も前線で忙しくしているそうだ。


 水葉によると、葬式は行えないようだ。あまりにも死者が多すぎて、葬式が追いつかない。ザ・クロックという災厄のまえに、生き残った人々は生きるので精一杯で葬式をする余裕すらない。


「ザ・クロックに殺された人が大勢いるからね。民間人も大勢犠牲になったし」

「そうですか」

 親類縁者を集め、お坊さんにお経を読み上げて貰う。そんなごく普通の葬式は余裕があるからこそ出来たのだと思い知らされる。


 せめて腐敗しないように冷凍室に補完するので手一杯らしい。

 それを聞いて愕然としたが、諦めるしかない。

 飛鷹は帰ろうとしたが、


「飛鷹くん。あの子が君に残して欲しいと言っていたものがある」


 水葉に案内され、雫の部屋に入る。

 整理整頓された部屋だった。

 チーク色に塗装されたアンティーク風な家具に囲まれているが、一緒に手作りしたものばかりだ。DIYはお店で購入するよりも安く手に入るが、慣れない作業だったので大変だったのを思い出す。


 それもいまは良い思い出か。

 部屋にはまだ人の気配があって、主が死んだとは思えなかった。

 水葉はクローゼットを開けて、あるものを出した。


「日本刀?」


 二振りの日本刀だ。

 ひとつは一メートル半もある大きな刀で、もうひとつは平均的なサイズだ。


「刀身を抜いてみてくれないかな」


 とりあえず普通のサイズのほうの鞘を左手に持ち、ずしりとした重さに驚く。

 毎日、飛太刀二刀流の鍛錬は欠かさずしている。雫が死んで落ち込んでも、習慣から行っていた。鍛錬には日本刀を使うので、日本刀の重さには慣れているはずだ。その自分が驚くほどの重さ。振るうことは出来るが、ここまで重いとは想定外だ。

 材質はなにを使っているのか? 疑問を抱きながら、抜いてみる。


「翡翠色……? ガラス? いや、それにしては」


 透明な翡翠色の刀身だ。鞘をテーブルに置いて、手で触ってみるとひんやりして冷たかった。触ってみた感触はガラスではない。なぜ、雫はこんな物を自分に残したのだろうか? 雫の姉に尋ねてみたが、首を振るうだけだ。


「大きいほうがクレセントムーンで、もう片方はレフトセンテンス。そう言っていたよ」

「三日月と左文か……三日月宗近と宗三左文字が元ネタか? しかしどういうことだ」


 ネーミングの由来は予想が付いたが、雫がどういうつもりでこの二振りの刀を遺したのかわからない。

 しかし二振りの刀。

 まるで雫が自分の正体を知っているかのような――馬鹿な、そんなことあるか。あいつは死んだんだ。


「飛鷹くん。ありがとう」

「水葉さん?」

「あの子の死に顔は穏やかだった。君の腕の中で死んだのは幸せだったんだろうね」

「それはどういう意味――」


 飛鷹の質問は、居間のほうから響く壁が吹き飛ぶ音にかき消される。

 急いで居間のほうに向かう。

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