第3話 再び現れた敵

 ぞくり。背筋を冷たいものが流れ、嫌な予感がした。


「おい、あれはまさか――」


 客のひとりが上空を指差す。

 多くの観客達が指差されたほうを向き、飛鷹も目を向けた。

 豆粒サイズの弾丸のような物が浮かんでいる。

 いや、遠いから豆粒サイズに見えるだけで、実際のサイズはもっと大きい。

 上空を飛ぶ飛行機が豆粒サイズに見えても、間近で見れば百メートルを超えているようなものだ。


 誰かが叫び声をあげた。

 その声を引き金にして、悲鳴が連鎖する。

 忘れていた、忘れ去ろうとしていたトラウマが掘り起こされたのだろう。無理もない話だ。


 飛鷹も高鳴る心臓を抑えられない。


 ――倒したはずだ! なぜ復活した!


 空を飛ぶ弾丸、通称バレット級――それはザ・クロックの超音速を誇る輸送機だ。光学迷彩で姿を消し、衝撃波を発生させないため、その光学迷彩を解除したときでなければ視認することはできない。


 攻撃力は皆無だが、戦闘機も追うことができない高い機動性と神出鬼没を可能とする光学迷彩だけで厄介すぎる存在だ。


 その認識は即座に訂正される。

 バレット級の前面に複数の砲門が現れる。

 二対の砲門から一条の白と黒が不規則に並んだビームが発射され、管制塔を文字通り消滅させる。


 かつてのバレット級とは違う。攻撃力も備えている。最悪だ。高い機動力、隠密性、さらには攻撃力まで加わった。完全な奇襲を自由に行える相手に、迎撃準備が整っていないこの基地が何分耐えられるだろうか?


 バレット級は駐機している心神を無慈悲に破壊していく。

 バレット級の胴体がパカリと左右に開く。開いた部分から丸いタイヤがパラパラと落ちてくる。そのタイヤには人の形をしたロボットが収まっていた。


 戦闘機のパイロットのようなヘルメットを被り、体のラインが出るスーツを着ている。カラーリングは全部が白銀だ。その両手は筒型のビーム砲で、先端にエネルギーが溜められている。


 クロックロイド。

 ザ・クロックが誇る主力兵器であり、圧倒的な物量で都市や軍事基地を文字通り圧し潰してきた。


 基地にけたたましい警報が鳴り響き、スピーカーからは民間人を避難させるように指示が飛び、クロックロイドのビーム砲からビームが発せられ、守備隊の高射砲を潰す。

 クロックロイドは重力に引かれて落下しながら、無数のビームを地上に向けて放ちはじめる。


 基地のあちこちで爆発音が轟き、爆風が発生する。

 人々が悲鳴を上げながら逃げ回り、兵士たちがクロックロイドに向けて発砲。激しい戦闘が始まる。


「逃げるぞ!」


 飛鷹は雫の手を掴んで逃げ出した。

 適当な建物の影に身を隠す。


「ゲートから逃げないの?」


 雫が尋ねてくる。その声は落ち着いていた。こんな状況なのに落ち着いているとは、マイペースな一面がある雫らしい。


「人が多い場所をクロックロイドが狙う可能性もあるからさ。もしそうならば、いまゲートから外に逃げるのは危険だ。万が一転んだら、踏み殺される危険もある。少し様子を見て、逃げたほうが良い」

「冷静な判断だね」

「徴兵されて何度も戦ったからな」

「あの時はびっくりしたよ。飛鷹君のいた部隊が壊滅したという連絡を聞いた時は心臓が止まるかと思った。救出されて、病院で治療を受けていたからよかったけど」

「入院中に連絡をしたかったんだが、看護師さんも忙しかったんでさ。ベットに縛られて寝たきりだったし、連絡が遅れた。悪かったよ」

「ううん、生きているだけで嬉しかったから。私も前線行きを希望したけど、後方勤務から外してもらえなくて。とても心苦しかった。私も前線で戦いたかった。だから飛鷹君が生きていて、心底ホッとしたよ」

「後方勤務だって大事な仕事だぜ。俺たちが前線で戦えたのは後方で頑張ってくれる仲間がいたからだしさ」


 そう言いながら、飛鷹は泣きそうな顔をしている雫の頭を軽く撫でた。


「いまこんなことを話している場合じゃないな」

「でも話せなかったからね。お互いにこの話題は気まずかったし」

「そうだな。忘れたかったもんな。戦っていたなんて思い出したくもなかった。いまだってそうだけどさ」


 突然の襲撃がなければ、話さなかっただろう。だが話さないほうが良かった。雫とはいつまでもザ・クロック事変が起きる前の関係でいたかった。

 あちこちから銃声と怒号、悲鳴が絶え間なく聞こえている。建物から顔を出して確認したくはない。スマホを取りだし、カメラをオン。高速連写モードで広範囲にパシャパシャと撮り、手元に引っ込めた。


「一方的だな」


 飛鷹は苦笑を浮かべた。

 写真にはクロックロイドに蹂躙されている兵士たちの姿が、はっきりと映し出されている。どちらが優勢かは火に油を注ぐよりも明らかだ。ザ・クロック事変から一年と九ヶ月。


 たったそれだけの時間では数百年の技術差は埋められない。頭ではわかっていても、その光景を目にすると悔しさがこみあげる。

 ゲートのほうを見れば、人の姿はない。どうやら無事に逃げ切れたらしい。


「雫、ゲートから逃げるぞ」

「大丈夫?」


 雫が不安げな顔でいう。


「今回のクロックロイドは戦闘員しか狙わないらしい。いや、戦闘員を優先しているというべきか。いずれにしてもこちらに注意が向いていない今がチャンスだ」

 兵士たちには悪いが、囮になってもらう。

「その必要はないみたいだよ」


 雫が空を指差す。

 その視線に連れて顔を上げてみれば、上空を漆黒の翼が飛んでいる。いや、よく見ればパワードスーツを装着した兵士たちが乗っている。


 遮光処理されたバイザーが顔面を覆い、その表情は見えない。

 全身をグレーのインナースーツが包みこんでいる。各部位を覆うアーマーは直線的で、分厚い。カラーリングはモスグリーン。近未来的なライフルを構えている。


 右肩には百二十ミリほどの大砲があり、左肩には八連装のミサイルランチャーが見えた。


 ザ・クロックと互角に戦った正体不明の武装集団、インタグルド。

 インタグルドに所属していた飛鷹でも、どういう組織なのかはわからない。

 ただ人々を、大切な家族や幼なじみを守りたいという思いだけで戦った。いま思えば無謀だが、それも若さゆえだったのだろうと若いくせに思う。


 そのインタグルドの一般兵が装着する戦闘用パワードスーツ、ネフアタル。モスグリーンは戦術部仕様であり、最も数が多い。

 そのネフアタルが飛行用支援装備のフリーグドに乗りながら現れた。


「……インタグルドか。おせえよっ!」 


 数はおよそ二百。

 クロックロイドの百分の一以下しかいないが問題はない。地上のクロックロイドに向かって一斉発射。逃げる隙間もなく放たれた一斉射撃が、クロックロイドを次々と破壊していく。


 ネフアタルがフリーグドから飛び降りた。フリーグドの翼が折りたたまれ、ネフアタルは盾のように構えた。クロックロイドに射撃を喰らわせて、迎撃をしていく。

 その動きは一糸乱れず、高い練度を誇っていた。


「練度は維持しているんだな」


 飛鷹は懐かしさを覚える。

 ザ・クロック事変から二年。大打撃を受けて多くのベテラン戦闘員を失ったインタグルドだが、この二年の間にだいぶ回復したらしい。


「クロックロイド相手に善戦している。これならば大丈夫そうだ」

「クロックロイドというのは面白いネーミングだよね。タイヤを丸い壁時計や置き時計のフレームとして、ボディーや腕を短針や長針に見立てたんだよ。そもそもクロックロイドを保有するのがザ・クロックだからなんだろうけど。

 時計の名前を持つ組織の尖兵だから、クロックロイド。洒落ているよね」

「雫?」

「あれ? 飛鷹君? どうしたの?」


 飛鷹は乱暴に雫の手を掴む。

 なにかがおかしい。いや、考えてみれば当たりまえだ。


 雫もザ・クロック事変を生き残ったが、兵士ではない。実戦が始まり、おかしくなったとしても無理はない。


 そのことに気づかなかった自分を、飛鷹は呪った。

 迂闊だった、自分はあまりにも戦場に慣れすぎていた。

 もっと早く気付くべきだった。


「大丈夫か? 俺が誰かわかるか? いまどこにいるか、認識しているか?」


 矢継ぎ早に質問を繰り返し、雫の瞳を真剣に覗き込む。


「飛鷹・トレ。飛太刀二刀流とナエスト流の免許皆伝。ここは日本連邦空軍の千歳基地だよね」

「ああ――俺たちは航空ショーを見に来たんだ。覚えているか?」

「忘れないよ。今日は大事な日だから。何回だって、忘れない。忘れるはずがない。ううん、忘れられない。この日はどんなに繰り返しても、絶対に……」


 やはり雫は冷静ではない。

 頭がおかしい。

 無理もないのか。こんな状況でおかしくなるのは仕方がないのかもしれない。ザ・クロック事変でおかしくなった戦友やクラスメイトは何人もいた。


「飛鷹くんは私がおかしくなったと思っているんだよね」

「悪いが」

「ある意味で正解だよ。私はおかしくなっている。恐怖で頭が混乱している。何回やっても慣れないものだね。だから今回はひとつ違うことをしようと思うんだ。いいかな?」


 一刻も早く、この場から避難したほうがいい。雫の手を取り、走り出そうとした。


「大好きだよ」

「ああ、俺もだ」


 あっさりとした口調で雫が言うので、飛鷹も軽く返す。


「ううん、そうじゃないの。愛しているって言う意味でね」

「はっ? 愛している?」

「うん――」


 雫が唇を重ねてくる。

 突然のキスに、しばし頭が硬直する。


「これでわかってくれたかな?」

「ああ――お前が誰でもキスをするような奴じゃないのは知っている」

「じゃあ理解してくれた?」


 飛鷹は頷く。

 よかった、と雫は頬を赤らめながら呟いた。


「どうしてこんなときに?」

「……こんな、ときだからかな」

「それよりもいまは逃げるぞ!」

「返事を聞かせて!」

 雫が大きな声で叫ぶので、走ろうとした足が止まる。

「飛鷹くんは嫌かな?」

「いや――嫌もなにも」


 いつからだろうか。好きだった。恋していた。何故好きになったのか、どうして好きになったのか。どこが好きなのか。もし聞かれたとしたら、全部だ! と胸を張って言える。それだけ愛している。


 いつか恋人の関係になりたいと思っていた。でも、告白するのは怖かった。雫から告白してくれないかと臆病なことを考えていたら、まさか実現するとは思わなかった。


 気分はまさに有頂天。このままエベレストまで駆け上がれるほど嬉しかった。ひゃっほー! 俺は世界一の幸せ者だ! そう大声で叫びたかったが、自重する。

 こんな大変な状況で馬鹿をやるわけにはいかない。


「その、なんだ――俺もだよ。ずっと昔から、お前のことが好きだった」

「ふふっ――嬉しい」


 雫は微笑む。両目から涙が落ちて、頬を伝う。


「ライフ・イズ・ビューティーだね」

「ああ――幸せだ」

「でも、もっと早くに告げればよかったとも思っているよ」

「まったく遅くはないぜ! これから宜しくな!」

「うん――宜しく」


 今度こそ走れる。安全なところに逃げて、ふたりで生き残ろう。恋人になったとしても、すぐに死んだら意味がまったくない。


 雫がぎゅっと手を握ってくれて、心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じる。

 好きな子に、恋人になったばかりで始めて手を握ってもらった。たったそれだけなのに、とても嬉しい。こんな状況で不謹慎だと思うが、思春期の男の子に自制しろというのは無理がある。


 飛鷹は駆け出し――三歩ほどの距離であれ? と思った。

 雫の手の感触がない。

 雫が手を放したのだとすぐに理解する。

 どうしてそんなことをしたのか? まさか告白は冗談だったのか? そんな考えが頭を過ぎり、雫はそんな風に人の気持ちを持て回すようなことはしないと考えを改める。


 ではどうして雫はそんなことをしたのか?

 ほんの一瞬前までいた足元に、小さな穴が穿たれている。


「なんだよ、これ?」 


 飛鷹は理解出来なかった。

 雫の方へと視線を向ける。雫の心臓の位置から血があふれ出していた。


「しっ、雫!?」


 飛鷹は慌てて駆け寄った。

 雫が目を閉じる。脱力したように倒れ込み、飛鷹は慌てて抱きかかえる。

 上空から巨大な爆発音が聞こえるが、そちらに目を受けている余裕はない。


「雫! 雫!」


 飛鷹は雫に話しかけた。

 スマホを取りだして、救急車を頼む。急いできて欲しいと慌ててまくし立てながら、雫の脈を確認する。脈は弱くなっていく。この感覚を知っている。戦場で何度も体験した。命の灯火が、ゆっくりと燃え尽きていく。


「ひだ……か……くん?」


 雫が朦朧とした目をかすかにあけた。


「雫! 大丈夫か! しっかりしろ! 俺がわかるか? 救急車を呼んだからな! 大丈夫だ絶対助かる!」


 飛鷹は叫んだ。生きていて欲しかった。ただ生きていて欲しかった。彼女に死んで欲しくはなかった。


「きみがくれ……た……グッド……ラ……イ……フ……だよ…………」


 雫が焦点の定まらない目で呟く。

 ごふっ、ごふっ、と大きく血を吐いた。


「みん……な……を……まもっ……て……ね……ぶるー……てぃ……ぁ……」


 目を閉じた。

 体温がすぅっと消えていく。大切なペットや戦友たちが死んだとき、いつも感じたあの感触――命が消える。


「おい! 雫! おい! 」


 雫の肩を揺さぶった。返事はない。脈もない。彼女がどうなったのか、わかっている。だが、認めたくはなかった。認められるはずがない。これから先もずっと一緒にいると思っていた幼なじみが、こんなことで死ぬなんて! 認められるはずがない!


「ぶるーてぃあって誰だよ……間違えているんじゃねえよ。俺は飛鷹だぜ? きちんと訂正してくれよ。頼むから起きて教えてくれよ。誰と間違えたんだよっ」


 無駄だとわかっている。それでも揺さぶる。話しかける。ひょっとしたら、万が一、億が一でもかまわない。目を開けて、「ごめーん、間違えちゃった」と言って欲しかった。


 だって最後の言葉が、見知らぬ誰か? と間違えるなんて、あまりにも酷い。やり直して欲しい。せめて六十年後に。

 そのためにはいま起きなければいけない。起きなければ修正が出来ない。

 だから起きてくれ、頼む! 雫!


「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 飛鷹は絶叫する。

 こんな終わり方、認められない。

 ありえない。夢だ。そう思いたかった。徐々に冷たくなっていくその体は現実だった。

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