第2話航空祭
「飛鷹くん……」
「どうした?」
雫がロードバイクを止める。
「私は限界だよ」
雫はロードバイクを降りて、歩道に座り込む。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと体力の限界が来ただけ」
雫は苦笑いを浮かべた。
「防衛大学への推薦が決まっているんだろう? これくらい走れないと」
「わかっているんだけどね――ちょっと本調子ではないんだよ」
「そういや最近は学校を休みがちなんだってな」
雫がよく休むと学校ではちょっとした噂になっていた。教師は一身上のものというだけで、詳しい理由は教えてくれないらしい。防衛大への推薦が決まっているから、その関係ではないかという憶測が立っているがほんとうのことはわからない。
「機密事項だったら話さなくてもいいけどさ。防衛大が関係しているのか?」
「二年前のザ・クロック事変で、軍も幹部が減っちゃったからね。幹部を少しでも速く軍に配属するために、育成を急いでいるんだ。だから訓練を進められるところは進めているんだよ。
いっそのこと高校を卒業して、防衛大に入学させてくれたほうが楽なんだけどね。日本には飛び級制度はないし、まだ高校生だから最低限の出席日数がないと高校を卒業させてくれないんだよ」
「悪かったな、疲れているところを」
「ううん、誘ってくれて嬉しかったから。防衛大の訓練は大変だから、リフレッシュしたかったしね」
雫はほんとうに嬉しそうな顔をする。
「でも……ちょっと限界かな」
「わかった」
飛鷹は手を上げて、タイミングよく来たタクシーを止めた。
「悪いよ」
「気にするな。財布には余裕があるからさ」
「――なにか悪いことでもしたの?」
「むしろいいことだぜ」
詳細は話せない。しかし雫が知らない方法で稼いでいた。本当ならばシルヴァD18よりも高価なロードを簡単に買えるほど。敢えてそうしなかったのは初めてのロードバイクだし、目立つことはしたくなかったからだ。
「ちょうど駐輪所もあるし、そこに止めればいい」
市営の地下駐輪所を飛鷹は指差した。
タクシー運転手に少し待ってもらい、駐輪所の飛鷹と雫のロードバイクを止めた。
それからタクシーに乗り込み、千歳基地の近くにある青葉公園まで頼む。
青葉公園のトイレに行って、着替える。
「このままの格好で会場に行くわけにはいかないからな」
くっきりと体形を表すサイクルウェアは、人の集まる場所には向かない。コンビニなどにサイクルウェアを着た集団が現れたら店員や客はびっくりするし、見ていてあまり気分がいいものではない。
要するにマナーの問題だ。
自転車で走りながら航空ショーを閲覧するわけでもないし、無難にいつもの服を着るのがいい。
青いジーパンに、Tシャツ。その上に青いサマージャケットを羽織る。
バックパックからカメラを取りだし、肩に掛ける。
トイレから出て、雫を待った。
数分が経ち、雫が現れた。
「お待たせ」
雫は明るい声で言った。
白いブラウスにピンクのスカート。雫の雰囲気に合う清楚な組み合わせに、飛鷹は思わずドキリとしてしまう。
「どうしたの?」
「いや、別に。いい天気だなって思っただけさ」
「そうだね。晴れてよかったよね。せっかくカメラを持ってきたのに、雨が降ったら台無しだもんねっ」
「だよな」
飛鷹は上手くごまかせたことに内心でほっとしながら、歩き始めた。
青葉公園から歩いて数分。千歳基地の正門が見えてくる。
アスファルトの壁に囲まれた正門の前には人垣が出来ていた。正門には空港のような保安検査所が設けられ、そこを通過しないと入れない。保安検査所には日本連邦空軍の兵士が105式自動小銃を構えている。
「警備のひとたちを見ながら、なにを想像していたの?」
「なぜザ・クロックのロボット兵士、クロックロイドには通常のライフル弾で倒せたのかと思ってさ。クロックロイドはビーム兵器と高い機動力を誇ったロボット兵士だ。
もし高い防御力も持ち合わせていたら、すごく厄介だったのになと思ってさ」
「相変わらずだね、飛鷹くんは。105式を見て、そんなことを考えるなんて」
雫はクスクスと笑う。
「なっ、いいだろう。ちょっと考えるくらいっ」
「ううん、愛おしいなって思っただけだよ」
「それって、どういう意味だ?」
「秘密だよ」
雫は花のように笑う。
その笑顔に本日何度目なのか、ドキリとしてしまう自分を自覚しながら、小さな違和感を覚える。
「ちなみに答えは簡単だよ。防御力は必要ないからだよ。戦車の装甲も一撃で溶かすビーム砲と装甲車並みの機動力。これだけあれば無人の兵器としては十分だからね。
有人ならば生存性を考慮しなければいけないけど、無人機ならばその必要がない。壊れても補えばいい。むしろ補うことを考えれば、生産性を少しでも上げる必要があるから余計な防御力は省いたほうがいいと考えたんだね」
「さすがは防衛大に推薦をもらっている才女だけある」
「それほどのものじゃないけどね」
雫は今度は寂しそうに笑った。
「なあ、雫。今日のお前、ちょっと変だぞ」
「幼なじみの直感ですか?」
「真面目にさ。さっきも意味深そうなことをいうし、なにかあったのか?」
「なんでもないよ。ただ、ちょっと浮かれているだけって言うかな」
雫はなんだかとても楽しげだ。それはとてもいいことなのに、どうにも胸騒ぎがしてくる
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。変な飛鷹くん」
「俺は真面目に聞いているんだが」
「そうだね――だったら、私も真面目に答えようかな」
雫は唇に人差し指を当てる。雫が考え事をするときの癖だ。
「まず、前を向こうか。そろそろ入場するよ」
「あっ、ああ」
飛鷹はポケットの中から前売りで購入していたチケットを取りだし、係員に渡した。
X検査機に手荷物を入れて、チェックをしている間に金属探知機のゲートを潜る。警備兵から視線を感じて、自分が見られているんだと自覚する。引っかかるようなことは一切していないので問題なく通過したが、あまり気分が良いものではなかった。
「凄い警備だね」
雫の言葉に飛鷹は頷いた。
基地のなかでは武装した警備兵が至る所で配置され、二人一組でパトロールまでしていた。小隊規模ではなく、陸軍から応援が来ているのは間違いないだろう。警備用のドローンまでも飛んでいる。まるでアメリカの大統領並の警備体制に、苦笑を漏らすしかない。
「今日は中華統一機構軍の初の軍事演習があるんだったか」
「わざわざ中華統一機構軍の軍事演習に合わせるなんて、日本政府も豪気だね」
ザ・クロック事変により各国の軍隊は大きく消耗し、経済は衰退した。各国は近隣諸国とより綿密な関係、つまり国家を形成することで軍事と経済の両方の強化を図った。
中華統一機構も中国と近隣の国が合体した国家であり、今日初めての軍事演習が行われる。
敢えて中華統一機構の軍事演習に合わせて航空ショーを行うのは、重武装中立を掲げる日本連邦共和国が独立を貫く意思を世界に表明するためだろう。
それ故に他の国家からの破壊工作を受ける可能性はある。中華統一機構とは限らない。海を挟むという条件ならば隣接する国家はロシアを中心とした旧ソ連の国家で構成されたユーラシア連合、ASEANを発展及び解消させたASEAN共同体、オーストラリアを中心としたオセアニア地域の国家であるオセアニア会議、北米大陸三カ国で構成された北米同盟など。
いくつもの国家に囲まれているのが日本連邦だ。
特に重武装中立を実行できる軍事力とその軍事力を実現できる高い経済力を誇る日本連邦は、ザ・クロック事変で消耗した各国家からすれば喉から手が出るほど欲しい。
日本近海の豊富な海底資源も理由のひとつだろう。海底熱水鉱床に埋蔵されたレアメタル、レアアースの埋蔵量は世界有数であり、確保できればその国家は他に比べて優位に立てる。
「まあこの凄い警備のなかで、仕掛けてくる馬鹿はいないだろう」
「馬鹿は来るよ!」
「そいつは重武装で弾切れをしょっちゅう起こす王子様か、超一流のスナイパーくらいでないと無理だな」
「もしも来たらどうするの?」
「いざとなったら、守ってやるさ。俺は飛太刀二刀流とナエスト流の免許皆伝の腕だしな」
飛鷹は胸を張る。
「チェスト! って叫びながら相手に斬りかかる示現流の使い手だもんね、飛鷹くんは」
「キェェェ、が正しいし、猿叫びというんだけどな。飛太刀二刀流が示現流の流れを組んだ剣術なのは間違いないぜ。厳密に言うと、示現流の高弟だった薬丸兼陳が家伝の剣術と組み合わせた古流剣術の薬丸自顕流。その薬丸自顕流の高弟だったご先祖様が新陰流や柳生新陰流、二天一流、タイ捨流も治めて、独自に編み出した剣術だけどな」
「柳生新陰流と新陰流の違いがわからないんだけど。二天一流は宮本武蔵が使っていたから知っているけど、退社流?」
「仕事を速くこなして、残業無しに帰宅する流派じゃねえからな。スピードハックスじゃないんだし」
「色々な流派を口にされても、違いがよくわからないよ。テコンドーとかコマンドサンボとか、ジークンド、クラウ・マガ、ムエタイとかもだっけ? なにが違うのと思うし」
「それぞれの国で性格の傾向が違うだろう? 大阪人はボケないといけないし、京都の人間は保守的みたいな。ひとつの国家でも地域で特色があるように、国が変わればそれに合わせて武術も変わる」
「偏見が混じっている気もするけど」
「ステレオタイプ的に見方なのは否定はしないぜ。大阪と京都に行ったことないから、人づての伝聞でしかしらないわけだしさ。海外は色々回ったからわかるんだけど」
子供のころ、長期休みのたびに父親に海外に連れて行かれた。観光だったら楽しかったのだろうが、海外の一流の武術家と立ち合う武者修行の旅といえるものだったのでかなり大変だったのを覚えている。
「まあその地域に合わせて、人間に限らず生物は適応していくわけだ。マレー熊とグリズリーは同じ熊だけど、大きさが違うだろう? 体に合わせて最適な体の動き方も変わる。それと同じでその地域の人間に合わせて、最適な体の動かしかたは変わるってことだな」
「つまり、日本人は空手とか剣道以外はあわないってこと?」
「一概にそうは言い切れないんだけどな。フェンシングの世界大会で優秀した日本人選手もいるし。そもそも古流剣術は着物と草履を履いていた時代に編み出された武術だから、いまの日本人とは体の動かしかたも異なる」
「難しい話になってきたね」
「それぞれの武術はその地域に適した発展をしたってことさ。ただ、他の地域の人間が取得して一流になることも可能だ」
「飛鷹くんのような半分外人さんでも日本の剣術を修得出来るしね」
「皮肉か?」
「事実をいっただけのつもりだけど」
「そうだな」
半分、日本人ではないのは変えられない現実だ。そのことについてよかったと思うこともあるし、嫌な思いも随分とした。虐められたこともあるが、やり返して黙らせた。その強気な部分はよくも悪くも半分流れる外人の血のためだろうと思い、複雑な気分になったことを覚えている。
「ナエスト流も叫ぶんだっけ?」
「西洋剣術だから叫ばねえな」
「飛鷹くんは西洋剣術も使えるんだ。さすがはハーフさん」
「ハーフとかは関係ないぞ。海外の軍人の間で忍術や古流剣術が人気だったりするしな。幼いころから武術を習ったり軍人が他国のを含めて色々な流派を習うのは昔からよくあることさ――あれ?」
「どうしたの?」
「いや、時計がさ」
いま何時かと思い、時計に目を落とした。飛鷹が腕に巻いているのは電波をキャッチして、時間を常に正確に合わせるタイプであり、時間が狂うことはないはずだ。しかし時計は午前0時を指していた。
いまが午前0時のはずがない。明るいし、そんな深夜に航空ショーはやらない。そもそも千歳基地が一般開放されない。
「スマホの時間が午前0時になっているぞ」
「ほんとだ、あたしのも0時になっている」
「ねえ、ママ。いま0時なの?」
「おかしいわね。時計が狂っているの?」
「少尉! 基地の時計に異変が!」
耳を立てれば、他の人たちも同じことが起きているようだ。時計が一斉に狂うなんて、あり得るのか?
周りを見渡していたら、八十年代風のスーツを着た青年が懐中時計を手にしてにやけている。
「アナログはいいですね。こういうときにも正確な時間を維持できる。デジタルと違い、ハッキングされて時刻が狂うこともない」
青年はこちらに向かって話掛ける。
「時計はいい。人々は時計に幻想を抱く。世界終末時計もその幻想の現れでしょう。もし全てのアナログ時計が狂うとき――それは世界の終わりを告げるかもしれません」
「あんたはいったい――」
青年からは得体の知れない不気味さがあった。
「あなたたちはラッキーなのかもしれませんね。このザ・クロック戦争をある意味で象徴するものたちによって実験されるのですから」
頭がおかしいと判断するのは簡単だろう。しかし男が狂っているとはどうしても思えない。
「実験――開始です――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます