第1話幸せな日常

   第一章 素敵なグットライフだよ



「ロードだと風が気持ちいいな」


 飛鷹・トレは愛車のロードバイク、シルヴァD18を漕ぎながら呟いた。数週間前に、近所の自転車屋のセールで二割引で購入した人生初のロードバイクで、その性能には感動すら覚える。


 いままで乗っていたマウンテンバイクとは、前に進む速度がまったく違う。ダイレクトに漕ぐ力を伝えてくれる感覚があり、まるで自分の肉体と一体化しているようだ。ロードは速度が出る。シルヴァD18が入門クラスの安物なのは理解しているが、性能的には十分だ。


 だってこんなにも頬に頰に当たる風が気持ちいいのだから。

 飛鷹が走っているのは千歳市の道路だ。千歳市は日本連邦共和国の最北の州である北海道、その南部に位置する都市だ。五月に桜前線が到達する北海道では、7月はほんのりと暑くなり始める季節であり、ロードを走らせるには最適だった。


 ただ残念なのは、今日初めてロードに乗ることだろう。

 飛鷹の身長は180センチ。父親がスカンジナヴィア・バルト出身で母親は日本人。ハーフで古流剣術の飛太刀二刀流の免許皆伝の腕前だ。精悍な顔つきをしたがっちりした体格のため、通常よりも大型のフレームでなければいけなくて、入荷するのが遅れてしまった。


 標準サイズというのは数が最も多く、どちらかといえば小さいよりも大きいほうが需要が少ないために生産数は少ない。周りには高身長を羨ましがられることもあるが、自分からすれば普通の身長に憧れている。


 ――まあ普通とは無縁の人生なのが俺だから仕方ないか。


 飛鷹は自分自身を納得させる。

 飛鷹は高校二年生で一八歳だ。二年前のザ・クロック事変で高校が一年間閉まり、さらに人にはいえない事情で一年間も入院していたため、こんな年齢になってしまった。


 まさか自分が留年するとは思っていなかったが、留年した理由は人に誇っていいものだ。


 ――俺がザ・クロックのボスを倒したなんてさ。


 飛鷹は一年九ヶ月前、ロボット兵士を大量投入して世界征服を行おうとしたザ・クロックを倒した英雄だ。数え切れない人を救い、そのことを誇りに思いつつも、一緒に戦い散っていった仲間達のことを考えると胸に痛みが走る。


「私も気持ちいいよ。飛鷹くんと一緒にロードを買ってよかったと思っているよ」


 柔らかい声がインカムから聞こえてきて、飛鷹は現実に戻された。

 飛鷹はサイクリングミラーで、後にいる幼なじみを確認した。


 サイクルジャージとサイクルパンツ、そしてスカートを履いている。背中にはお揃いのカメラがはいるバックパックを背負っていた。サイクルウェアはくっきりと体形を表すから、すらりと伸びた足と、くびれた腰がはっきりとわかる。


 腰まで伸ばした艶のある黒髪。優しさをたたえた黒い瞳。日本人形のように整った顔立ちに、穏やかな笑顔を浮かべている。


 瑠璃川雫。飛鷹の小学校一年からの幼なじみで、付き合いは十三年になる。高校も同じだが、飛鷹が一年留年したので学年はひとつ上だ。


 ――ロードを買ったもうひとつの役得がこれだよな。


 飛鷹は心のなかで鼻を伸ばした。普段の雫は女子高生らしいカジュアルな服装で、スカートを履いている。だが、サイクルウェアを着るのも悪くない。というか、サイクルウェアを着た女の子というのはどうしてこんなにかわいいのか。


 雫のようなスタイルのいい女の子だと尚更だ。

 しかも防衛大に推薦が決まっている才女だ。明治から軍人という筋金入りの軍人家系の家柄というのだから恐ろしい。


「まあクエロドロップがロードに含まれるかは、微妙なところだけどな」

「ええっ、そうなの? せっかく、お年玉を奮発したのに」


 雫が困惑の声を上げる。


「良い自転車だとは思うぜ。クロモリフレームだし、クラシカルな美しさがあるからさ。見た目で選んだんだろう?」

「うん、そうだよ。自転車って、色々あってどれがいいかわからないからね。とりあえず見た目で選んでみた」

「俺も見た目だな。あとは予算。ジャイアントとかも選択肢にあったが、シルヴァD18がセール中なんてチラシが入っていて、見た目も悪くないなと思ったからさ。選んでしまった。カラーリングが好みじゃなかったのが欠点だが」

「飛鷹くんは青が好きだからね。自分で青に染めたのは驚いたけど」

「大変だったけどさ。せっかく高い金を払って買ったんだ。色も好きなものにしないとな」


 飛鷹はブルーとホワイトの愛車を自慢げに見下ろし、塗装に四苦八苦した日々を思い返す。


 身長が百八十五センチある飛鷹は、一番大きいフレームを購入した。塗装のことを考えれば、一回り小さいサイズの方が良かったのだが、体に合ったフレームを選んだほうが良いといわれて一番大きいのを選んだのだ。


 その一番大きいフレームに剥離剤を塗って塗装を剥がし、サーフェイサーを拭く。マスキングをして、まずホワイトをスプレー掛けする。今度はホワイトを塗った場所にマスキングをして、ブルーを吹きつける。


 剥離剤を塗るときに手袋をしていなかったので、剥離剤が手について刺すような痛みに襲われたが、今となっては良い思い出だ。


「あと十五分くらいか」


 飛鷹はスマホホルダーにセットされたスマホに目を落とす。


「この調子だと間に合いそうだな」

「楽しみだね、千歳基地の航空ショー」


 雫がるんるんとした口調で言う。


「ああ、楽しみだぜ」


 飛鷹も期待に胸を膨らませる。

 日本連邦空軍屈指の軍事基地、千歳基地。そこで一年に一度開催される航空ショーを見るために、飛鷹たちは自転車を漕いでいた。連邦空軍の精鋭であるブルーインパルスが参加する航空ショーの評判は高く、飛鷹は前々からみたいと思っていた。


「航空ショーを見に行くのは初めてなんだよな。どんな感じかね」

「ネットの書き込みでは、かなりのど迫力らしいよ」

「テレビで見るのとは大違いだろうからな。生で飛ぶのを見られるんだぜ。くぅ~、楽しみでおかしくなりそうだ」


 思わずガッツポーズを取ってしまう。興奮で心臓が高鳴ってうるさい。


「これがきっかけで航空ショーを見るのに嵌まったりしてね。飛鷹くん、なんでも興味を示すからね」

「好奇心が旺盛と言ってくれたまえ」

「じゃあ、好奇心が旺盛だね」

「ありがとよっ!」


 飛鷹は軽く手を上げた。

 雫とこういう何気ないやりとりをするのがとても楽しい。やはり自分は雫が好きだ。


 告白しようと何度も考え、思いとどまる。玉砕する心配はしていないが、なんとなく関係が変わるのも怖いし、きっと雫は自分以外の誰とも付き合わないだろうという驕りもあった。


 いや、根拠はある。

 雫はモテる。美少女だし、性格も明るい。話しているだけでどこか癒やされるのだ。


 振られた男子の数は両手では数えられないほどだ。運動部で部長をしていて、成績も優秀なイケメンもいた。

 なぜ誰とも付き合わないのか、何気なく尋ねてみたら、「秘密だよ」と笑顔で返してきた。

 自分のことが好きだから誰とも付き合わないんだ、そんな希望的観測を抱いているが


 ――実際のところはどうなんだろうな。


 自分は子供のころから、雫が好きだった。では、雫は?


「やっぱ、答えは出ないな……」


 飛鷹は首を振う。


「飛鷹くん、後悔しないようにね。無理かもしれないけど」

「うん? どういう意味だ?」


 雫の言葉が理解できず、聞き返す。


「ふふっ、いずれわかるよ」

 雫は悲しそうな笑顔を浮かべて誤魔化した。

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