第11話 10

「オレ? 一人っ子だよ」

 晩餐の後部屋に戻り、そう、けろっと言ってのけたのは、グウェンドソン邸の新顔、魔女の末裔セシル少年である。

 彼に与えられた部屋は、メイドたち二人が住まう部屋のそれよりも広くて明るい。壁紙も美しい花々の地模様がエンボス加工されている真っ白なものに張り替えられたし、衣装箪笥の姿見も新しい。その扉を開けば、パーシィが自らの足で買い集めた高級ブティックの少女服が所狭しとかけられている。深緑色の絨毯はモルフェシア製の機械織だったが、手織りのそれと遜色(そんしょく)ない品質だ。それらを暖かな橙色で照らし出すのは、この屋敷中にめぐらされたガス灯である。

 セシルはそんな部屋の中、自身のお気に入りのシャツとパーカー、半ズボンでベッドに寝転んでいた。借りてきた猫かと思いきや、このリラックスのしようである。フィリナはこの少年の適応力に舌を巻きそうになった。けれども、今はその話をしに来たわけではない。彼女の心のしこりを、晩餐までの短い暇(いとま)になんとしても取っ払ってしまいたかった。

 若きメイド長は、うなずいた。彼女の視界の隅で、姿見に映りこんだ自身の髪が揺れたのが見えた。

「それはちょうどよかった。わたしからお願いがあるのです、セシルさま」

 名前を呼ばれた少年は、反動をつけて起き上がった。それにベッドが軋る音が続く。

「なあに、えっと――」

「フィリナです」

「うん。フィリナさん。いいよ。難しいことじゃなければ」

 セシルはお茶会と、そのあとの小さな探検とで曲がったへそをすっかりまっすぐにできたようだった。それか、腹をくくったのかもしれない。

「旦那さまを、お兄さまと思って過ごしてくださいませんか?」

 少年が碧の瞳をまるめる。

「兄弟っていたことがないから、よくわかんないんだけど……」

 かと思いきや、考えるのはお手上げというふうに眉を下げ、顔を崩した。もちろん口は曲がっている。

「女装しろって言うあたりは、うちの母さんと変わんないやぁ」

「ふふっ」

「あっ」

 たまらず噴き出してしまったフィリナを、顔を真っ赤にしたセシルが指さし咎める。

「だってフィリナさん! オレ、男だよ! ダ・マスケ――えっと、故郷の村が女系だからってさ、なんで男なのに女の恰好しなきゃなんないんだよ! フィリナさんだったら、なんの理由もなしに男の服、着られる?」

「そうですね……」

「無理でしょ?」

「いえ、大丈夫です」

 試案したフィリナは、ぶすっとしているセシルの前で足首まで覆い隠すお仕着せのスカートを広げてみせた。

「衣装だと思えば、なんでも着られます。このお仕着せだってそうです」

「衣装?」

「ええ。例えばですが、この夕暮れどきにでかけるとします」

 メイドがふと窓の向こうを見ると、少年も同様にした。どんよりと重たい雲間の彼方から、焼けた光がかすかにモルフェシアの首都ケルムの街を照らしている。その燃えるような赤い光を浴びてさえ、雪は溶けないのだから不思議だ。葉を落とした木々の間から見えるのは、無個性に並ぶテラス・ハウスだ。誰もが縮こまり、面白くなさそうに沈着している灰色の冬を、少しでも明るくするために雪は降るのかもしれない、とフィリナは思った。

 そしてちらつく雪の中、街灯をつけてまわる梯子を持った男のシルエットをぼんやりと見送った。

「わたしが、このお仕着せのままでかければ、きっとやましいことを考える人には、都合がいいと思います」

「やましい?」

「ええ。泥棒や、人の弱みにつけこみたがる悪い人です」

 脅すつもりはさらさらなかったが、フィリナの言葉は田舎から出てきたばかりの少年にはてきめんだったようだ。その証拠に、彼は生唾をごくりと飲み下した。

「ケルムには、モルフェシア国民以外にもたくさんの流れ者がいます」

「オレみたいな?」

「そうですね。でも、セシルさまは大変恵まれていらっしゃるほうです」

 フィリナは気づけば、冷たい窓辺に歩み寄っていた。呼気で曇るひんやりした格子窓を指先で拭うも、それはすぐに白く濁った。

「こんな寒い日に、外で過ごさねばならない人もいる。今日の夕飯を買うお金もないかもしれない。そこへ丸腰の女性が一人歩いていたら、どうかしら。お仕着せを着ている女性です。裕福な家庭の使用人だとわかりますね」

 セシルもぴょんとベッドを飛び降りて、フィリナの隣へやってきた。並んで初めて、メイドと同じぐらいの背丈だと分かった。ただやっぱり、彼が窓に触れた手指は筋張っていて、これから大きく成長したがっているそれだった。彼女の丸みを帯びた手のひらとは違う。少年もそれに気づいたようだった。顔ではないけれど、しげしげと見つめられると、どこか照れくさい。

「……そっか。スカートの影は、広いもんね。女の人って遠くからでもわかる。じゃあ、フィリナさんはどうしても夜に出かけなくちゃいけないときは、男の恰好をするの?」

「そうですね。どうしても必要になったならば。でも、お出かけは昼間と決めているんです」

「どうして?」

 フィリナは見上げてきたセシルの瞳を、まっすぐに貫いた。

「着替えるのが面倒だからです」

「ぷっ!」

 二人は鼻を突き合わせて、どちらともなく噴き出した。前髪がほっぺたをくすぐるのもおかしく感じられるほど、二人は笑いあった。

「旦那さまはきっと、セシルさまを守る衣装として少女服をお選びになったんじゃないかしら」

 少年は腹を抱えて地団駄を踏んでいる。一緒になって揺れる亜麻色の髪は艶やかで絹糸のようだ。少女のそれと遜色ない、とフィリナは思った。

「そうだとしたら、趣味最悪!」

「あら。お似合いになるのは、今だけかもしれませんし」

 メイドは気持ちと同じ軽いステップで、衣装箪笥の正面へ行き、中からシャンタンで作られたアイボリー色のワンピースを取り出した。悪ふざけついでにセシルの手を引っ張って、鏡の前に立たせ、その少年の手前にワンピースをあてがってみる。

「せっかくです、兄妹ごっこをなさっては?」

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