第10話 9

 少年を囲んだお茶会は和気あいあいと滞りなく済んだ。

 パーシィの命の恩人、魔女ヴァイオレットの孫息子セシルは、それを知られまいとぎくしゃくすることもあったが、そんなふうにボロが出そうになったときは必ずバーバラが素知らぬふりをしてカバーしてくれた。目に見えてほっとしてみせる少年を見て、フィリナのほうが胸をなでおろしたものだった。

「あの子に助けられるなんてね……」

 食器の類をすべて片付けたフィリナは、廊下の柱時計が五つ鳴ったのを耳にし、体を少しびくつかせた。

「おや。きみらしくない」

 メイド長は思いもよらぬ声を聞いて、あわてて振り向いた。もちろん、深く膝を折り曲げて頭も下げる。

「でん――旦那さま!」

 彼女が振り向いた先にいたのは、この屋敷の主(あるじ)だった。いつの間に階上から降りてきたのだろう? フィリナがまともに見てしまったパーシィの目元はほんの少しだけ腫れぼったかった。だが、じきに赤みは引きそうだ。彼は先ほどの失態をなんとも思っていないのか、いつもどおりの涼しい顔をしていた。窓から差し込む斜陽が空色の瞳をきらめかせている。

「セシルは?」

 彼の声も、その口元同様、きりりと引き締まっている。

「ご機嫌麗しいようです。晩餐まで時間がありますので、バーバラが屋敷を案内しているところです。殿下におかれてはご気分いかが……」

 フィリナは自分が出すぎた真似をしようとしているのに遅ればせながら気づいた。メイドは主人に問えるような――対等な立場ではないのを、なぜいままで失念していたのだろう。メイド長は恥じ入り、小さくなった。

「申し訳ございません」

「悪くない。気分も、きみの態度も」

 金髪の青年はふっと口元を緩めた。

「さっきナズレにこっぴどく叱られたから、きみがそうやってやさしくしてくれるのにはなんだか安心したよ、フィリナ」

「まあ」

 不器用な彼の感情表現に思わずくすりと笑みがこぼれる。

「その、ナズレさんはなんていわれたのでしょう」

 パーシィは言い訳をするように、一糸の乱れもない短い金髪へ指を通した。その視線は雪降る外へと向けられた。二人の足元をひんやりとした空気が撫でてゆく。

「子どもみたいに、物言わずしてなんでも気づいてもらおうとするのはやめろと。結論ありきで話しだしては、セシルが驚くだろうと。僕はきちんと説明しているつもりだと言ったんだが」

 フィリナは、たまらず笑い出してしまった。両手で口元を隠すメイド長へ、パーシィは心外そうな視線を向ける。

「笑い話ではないぞ」

「ええ、ええ。そうですわね。くふふっ」

「では、どうして笑うんだ?」

「だって……」

 本当に、わかっておいでではないのね。フィリナは主君の成長しきらなかった部分についてよく知っていた。だがその本人が全くの無自覚というのがたまらなくて、笑わずにはいられなかった。

「わたしたちは殿下のその美点を知り尽くしていますけれど、それがセシルくんに通用するわけがありませんもの。初対面の男の子なんですよ」

 パーシィは小さく憤慨してみせた。少し突き出されたくちびるが子どもっぽさを強調している。二七歳の美青年がする表情じゃないと思うと、フィリナの腹は震える。

「僕だって男の子だった」

「セシルくんが生まれる前ぐらいに、ですね」

「妹やきみたちのように年下との付き合いだってしている」

「殿下は知らないでしょうけど、女の子は男の子よりもずっと先に大人になるんです。体ではなく、心が」

「む」

 パーシィの凛々しい眉がきゅっとひそめられたのに気づき、フィリナは己の舌が回りすぎたことに遅まきながら気づいた。これじゃあ、バーバラのことを言えた義理じゃないわ。フィリナは慌てて取り繕おうとしたが、急なことに頭が真っ白だった。

「あ、あの、殿下……」

「……確かに、その通りだな」

 青年はいからせていた肩をため息とともに潔く落とした。

「きみはいつだって、僕の姉のようだから」

 そのとき、パーシィのふっとほぐれた面(おもて)に、陽だまりのような笑顔が現れた。

「僕は、セシルの兄になれるだろうか」

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