第9話 8

 メイドたちが部屋から連れてきたセシル・ヴァーベン少年は、再び訪れた食堂で碧の瞳をキラキラさせた。

「ふわー!」

 少年の声は、シャンデリアが陣取る天井にまで響いた。そこにいないパーシィ以外の全員が、微笑みを噛み殺しながら立っていた。使用人たちは子どもと接するのは久しぶりで、なんだか心が温まる気がした。暖炉が赤々と燃える色にもほっこりする。

「すごいね、これ! これ、全部ニールさんが作ってるの?」

「おうよ」

 ニールはにやけ顔をさらに誇らしげにほぐして、とんがり鼻のてっぺんをこすった。フィリナは知っていた。彼女をはじめ、使用人たちがその仕事に対する賞賛をほとんどもらわないのを。彼らの主人は、使用人を決して無視しないものの、褒めるときにも無言を貫くのである。注文が多いかというと、そうでもない。パーシィのコメントは貴重であり、だからこそ手放しの歓声は素晴らしく嬉しいものだった。

「お菓子も上手なんだ! すごい! どれもおいしそう!」

 セシルはふわふわの亜麻色の髪を揺らしながら、テーブルの上に広がったお茶菓子やテーブルウェアを物珍しそうに観察した。食い入るような視線は、皿やその下に広がるテーブルクロスまでもなめてしまいかねないような熱量があった。

「ねえねえ。ちっちゃいケーキにピンクのとか、青いのとか、緑のとかかかってるけど、これ、食べれるの?」

「料理人なめんな。食べられないものは作らないぜ。まずいものは、絶対にな!」

「へぇー! じゃあ、全部おいしいんだ!」

 その少年の肩を上から押したのは、バーバラである。そのせいでセシルは、すとんと椅子の上に座らされてしまった。

「それをこれから確かめるんですよ。あたしが言えるのはそれだけかな」

「えっ。なんで?」

「ほっぺたが落ちそうなくらいにおいしいって、先に言うのって野暮だと思ってるから」

 バーバラは少年にウインクを飛ばす。フィリナは廊下から音もなく入ってきた初老の執事を笑顔で迎えた。彼は穏やかな笑みを浮かべてうなずいたので、メイド長は心底ほっとした。

 ナズレは彼の若き主人に一人分のティーセットをもっていってから、食堂にきたのだ。フィリナはその執事の隣にそっと立って、彼に聞こえるだけの声でささやいた。

「殿下は?」

「ご心配にはおよばない、フィリナさん。少し、思い出されそうだったようだ」

「〈記憶の君〉……。少しか思い出されたのです?」

「いいや」

 ナズレは曇り顔で小さく頭(かぶり)を振った。

 使用人同士は、本当ならば家名で呼び合うべきという暗黙のルールがあった。けれども、ここグウェンドソン邸では採用していない。ただ一人、ナズレだけが受け入れがたいとの理由をたてて姓で呼ばれたがったので、そうしている。

「晩餐には顔を出すとおっしゃられた。それまでは、セシルさまのことを頼むと」

「わかりましたわ。ではそろそろお湯を――」

「フィリナさんはここに。今日の紅茶はわたくしが淹れましょうかな」

 ナズレは骨ばった頬を持ち上げると、踵(きびす)をかえした。主人以外に茶をふるまうのは、彼なりにもてなそうという気持ちのあらわれだと、フィリナはわかった。

 どうやら、パーシィは落ち着いているようだ。古株のナズレが大丈夫のサインをみせるのだから、信憑性がある。フィリナは正直なところ、青年の涙の理由には自分たちの粗相も含まれているのではないかと気が気でなかったのだ。ぴりぴりと張りつめていた腹のあたりの痛みがにわかに引いていくのを実感する。

 フィリナは先ほどまで手前でにぎやかにしているバーバラたちに小さくイライラしていたが、それもおさまり、今やほほえましくさえ思えてきていた。

「ニールのお父さんも料理人だから、味にはうるさいんだよ。あたしたち旦那さまとちっちゃいころからの知り合いで――」

「幼馴染ってやつだ! 俺の親父も、そのまた親父も料理人でさ。キッチンが遊び場みたいな。だから、で――旦那さまとはずっと一緒だな」

 引き継いだニールとバーバラの小気味よいやり取りに、セシルもくちびるをほぐし始めたようだった。

「あ、オレみたい! 俺もダ・マスケで――! あっ」

 セシルがしまった、という顔をするも、使用人たちはそれぞれ顔を見合わせた。

 訳知り顔で目くばせをしあう全員が、彼が魔女の血を引いていることを知っているのだ。それを知らぬは本人だけだ。そうしろ、というのが主人であるパーシィからの言いつけだった。

「あ、えっと、えーっとー。かあさんとばあちゃんのできることがオレもできるっていうか……」

 いち早く機転を利かせたのはバーバラだった。彼女はさっそくセシル少年の隣の椅子へ腰を下ろし、肘をつき、我が物顔で手指をひらひらさせていた。

「そうそう。家族ってそうですよね。あたしも姉さんとメイドやってるし、わかりますよっ。似たくないのに似ちゃうっていうか」

「あら。どこが似ているのか教えてくれないかしら、バーバラ?」

 フィリナはあいていたセシルの左隣を席に選んだ。

「えっ! 二人とも姉妹(きょうだい)だったの?」

 驚くセシルの声に、赤毛のニールが噴き出す。少年は左右を見比べながら碧の瞳をしばたたかせた。

「全然違うね」

「そんなものですよ。家族は複製じゃないですから。ねっ」

 同意の視線をフィリナへと送ってきた妹の釣り目は、勝気な輝きに満ちている。その証拠に、彼女のくちびるはいつだって上向きだ。フィリナはその反対だった。目じりはやんわりと下がって、にらみを利かせることができないし、活発な性格でもない。しかし、それを恥じることはもうやめていた。だからいまでは、フィリナの口元にも穏やかな笑みがある。

 じっと視線を感じたほうに瞳を動かすと、隣のセシルと目が合った。この子にも兄弟がいるのかしら?

「うん。そうだね。おねーさんはべっこう飴みたいな髪だし、おねーさんはチョコレートの色をしてるもんね」

 セシルは自分の考えに満足したようだ。

「おいしそうな色が、そっくりなんだ」

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