第6話 5

 モルフェシア公国で探偵業を営んでいる貴人、パーシィ・グウェンドソンは、ジュビリア大陸の西海岸を支配する生まれ故郷のコルシェン王国から、客人付きで舞い戻った。

 帰宅のあれやこれやを済ませると、主人は暖炉が暖める居間に全員を集めた。その中心にいたのは、亜麻色の髪とエメラルドの瞳を持つ少年だ。フィリナの隣で、バーバラが瞳を期待に輝かせている。口を開いたのはパーシィだった。

「セシル。自己紹介を」

「……言われなくても」

 セシルと呼ばれた少年は、車から降りたとき同様、むっつりとしていた。声音も同様だ。生意気な口を利くのは子どもだからかしら、とフィリナは目元をひとつひくつかせた。このお方はそんな真似をしてはいけない方なのに。

「セシル・ヴァーベン。えっと……」

 少年の碧の瞳が、ちらとパーシィを見上げた。紳士がひとつうなずいたので、セシルは一息ついた。

「コルシェンの出身で、モルフェシアに来たくて。そうしたら、そのぉ、おばあちゃんの知り合いがオレの後見人(パトロン)になってくれるって、それで――」

 歯切れの悪いボーイソプラノを引き継いだのはパーシィだ。

「今日から、僕たちの家族になる。ということだ。ここからエルジェ・アカデミーに通うようになる。みんな、よろしく頼む」

 使用人たちはそれに引き続き口々に名乗ると、早々に昼食の支度にとりかかった。

 ニールは時間ぴったりに焼きあげた昼の分のパンをはじめ、とろける黄身のゆでたまごにベーコンのソテーを用意し、下僕がいない分の配膳は全てナズレがまかなった。キッチンから食堂へ運ぶのはバーバラが担った。フィリナはというと、キッチンで使用人たちが食べる分をより分けていた。

 ふと、セシル少年のことが気にかかり、フィリナも食堂へ向かった。食後は紅茶か、コーヒーか、または温めたミルクがいいかききたかったのもある。

 旦那さまとお二人で、緊張しないかしら。それから、マナーがわからなければ食べた気もしないだろうし。

 まるで妹を思うのと同じように思いを巡らせながら食堂に着くと、案の定、少年は浮かない顔をしていた。

 フィリナは心を寄せた。と同時に、ナプキンを彼の膝に広げてやっていた。

「差し支えなければ、使ってくださいね」

「あ……。うん、ありがとう」

「とんでもありませんわ。フォークもナイフも好きにお使いくださいな。ランチなのですもの」

 メイドのアドバイスに、照れくさそうに少年がほほ笑む。

 少しは安堵できたのだろうか、彼の表情にフィリナも自然とつられた。芽生えたいたずらごころのままに、そっと耳打ちする。

「ニールはできたてにこだわるのです。同じだんまりなら、ぜひ召し上がってくださいな」

「うん……!」

 セシルが、パンの乗ったかごに手を伸ばしはじめると、フィリナもなんだかみちたりた気分になった。

 食堂を見下ろす窓の枚数よりも少ない人数で囲むのは、それはそれは大きな食卓である。そこに満ちている音が、暖炉ではぜる木炭のぱちぱちいうそれだけだなんて、なんとも気まずいものだ。

 身を引いたメイドがちらりと主人と執事のほうをうかがうと、二人は目に見えてほっとしていた。どうやら大の男がふたりして、迎え入れた少年への対応に手をこまねいていたようだ。

 軽く腰に手を当てて見せると、貴人も執事も、揃って苦笑いをこぼした。にわかに窓辺から日差しが差し込み、食堂のシャンデリアはそれを大切そうに拾い上げ、部屋中へ散らす。

「キッチンへ戻りますが、何かもってきましょうか?」

 メイドが問うと、主人は頤(おとがい)に手をやってひと思案した。

「あたたかい紅茶かな」

 その答えに、フィリナは本来の用事を思い出した。

「かしこまりました。セシルさまはいかがなさいます?」

「えっ! えっと、なんでもいい……」

 貴人扱いされるのに慣れなくてどぎまぎするのが、やっぱりほほ笑ましいと、フィリナはにっこりした。

「なんでも(・・・・)ございますから。選んでくださいな。紅茶にしても、コーヒーにしても、甘いものから苦いものまで」

「……甘いもの! ねえ、子どもっぽいって、笑わない?」

「ええ」

 気を許し始めてきたのか、無邪気に見上げてくるのが、なんとも愛らしい。

「オレ、ハニーミルクがいい」

「まあ」

 フィリナは想定していなかった答えに、口元を緩めてしまった。それを少年に見とがめられる。

「わ、笑った! 笑わないって言ったのに!」

 すっかり緊張が解けたようだ。それは自分も同じだと思いながら、フィリナはくすくすと腹を震わせる。それに合わせて、耳元で切りそろえた髪の毛先が頬をくすぐってくる。

「だって、旦那さまと同じものをおっしゃるから」

「パーシィが?」

 セシルはいったんきょとんとするも、次の瞬間には笑い出していた。

「あはは! 子どもみたい!」

「僕は紅茶と言った」

 ゆでたまごを口に運んでいた青年が、心外そうにスプーンを口から取り出す。

「今は、そうですな」

 今度は、執事が口を開いた。そのバスバリトンは静かだったが、必要なだけくっきりとしていた。

「セシルさま、旦那さまの眠れぬ夜にはハニーミルクと、相場がきまっておるのですよ」

「へえ」

 家臣の思わぬ手のひら返しに、パーシィは焦りを見せた。その証拠に、まばたきが多くなり、早口になった。

「ナズレ、それは子どものころの話で――」

「あら。今もお作りしていますよ」

「フィリナ!」

「ご歓談中、失礼します」

 そう言って食堂へ顔を出したのは、もう一人のメイドだった。

 バーバラは、パーシィとセシルのそれぞれの手前に甘い香りのする白い飲み物を置いた。

「ニールが、お二人にって」

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