第7話 6

 主人たちの昼食のあとは、フィリナたち使用人の番だった。

 手早く食事を終えたところで、キッチンに金髪の麗人がひょっこり首を出した。

「フィリナ、バーバラ。時間ができたら僕の書斎まで来てほしい」

 二人のメイドが膝を深く折ってイエスを伝えると、彼は満足げにうなずいて足早に戸口から去った。姉妹はエプロンを汚れたものからきれいなものへと換え、首を傾げながら書斎へ向かった。

「旦那さま、急なお仕事でも入ったのかな?」

 誰にでも気軽なのは、いつだってバーバラである。

「あ、あとはあれかな。あたしの学費の話」

 フィリナは小さく息をついた。妹もセシル同様、パーシィから学費の支援を受けている一人なのだ。

「あなたの大学の学費については、大丈夫。年度頭にまとめて支払っていただいているもの。それから、いままでもこれからも、わたしたちがお仕事に直接関与することはないわよ。だってあなたの一日は学業と仕事できっちり半分こになっているじゃない」

「間接的になら?」

 髪と同じチョコレート色の瞳を輝かせる妹の表情は、よくないことを思いついたときのそれと同じだった。姉は眉をひそめる。

「もしかして最近、探偵小説でも読んだの?」

「好きか嫌いなら、好きだよ、フィクション。でもやっぱ、歴史書にはかなわないかな。なにせ、嘘が無いからね」

「あんまり鵜呑みにするのもどうかと思うけれど」

「おっ。姉さん、鋭いね。歴史は、いつだって変わるんだ。未来での発見が過去をすっかり変えちゃうなんて、ロマンじゃない?」

「難しいことはさっぱりだわ」

 軽く話にけりをつけると、フィリナは主人の書斎の扉を叩いた。その乾いた静かな音は鼻息を荒くする妹の冷静さを取り戻させるのに、十分だった。

「入りたまえ」

「失礼いたします。フィリナです」

「バーバラでっす」

 揃って入室した姉妹が見たのは、頤(おとがい)に万年筆のお尻を当てているパーシィの姿だった。フィリナは鳶色の瞳をぱちくりさせた。

「……殿下、何かお悩みでも?」

 パーシィは驚いたように空色の瞳を見開いた。

「よくわかったね、フィリナ」

 わかったもなにも、とメイド長は思った。彼女の主人は、思案にふけるときには決まって同じ仕草をするのだ。

 呆れそうになるフィリナの隣で、バーバラが明るい声を上げる。

「あっ、わかった、わかりました、殿下! セシルちゃん(・・・)がセシルくん(・・)だったせいで気落ちされたんですねっ」

「ん? 何の話だ、バーバラ?」

 小首を傾げた主人のはちみつ色の髪が疑問符とともにさらりと揺れるのにも気にせず、少女はまくしたてた。

「そうですよね。セシルって名前、女の子の名前だもん。セシリアだったら、ドンピシャだなあ。しかもあんなに少女服を買ったあとじゃ――」

「バーバラ!」

 姉が厳しくとがめて、やっとバーバラは己の口が回りすぎたことに気付いた。ばつが悪そうに、瞳をくるくるさせる。それが、彼女が恥じたときの行動だった。

「ふむ。なにか、勘違いがあるようだ」

「そのようです。殿下。わたしたち、これからお話をうかがうのですもの。さあどうぞ目一杯、詳しくお話しになって下さいませ」

 フィリナは妹にするのと同じ語気で、主君を責め立てた。

 言葉少なな青年をいなすことができるのは、彼女とナズレぐらいだった。パーシィはそれきたと小さくほほ笑んだ。だがそれもすぐに引っ込んだ。そうしてあらわれた冷やかささえ感じさせる真顔が、彼のいつもの表情だった。

「バーバラ。まずはきみの勘違いから解消しよう。きみの心配は無用だ。なぜなら僕は、彼を――セシルを、男の子と知って連れてきた。それに彼は、ヴァイオレット殿のご家族だよ」

 今度は、バーバラの二つのお団子が揺れる番だった。

「ヴァイオレット、さま?」

 妹が首をかしげるのも無理はないと、姉がすかさずフォローを入れる。

「伝説の魔女さまよ」

「そう。僕の命の恩人だ」

 青年はうなずいた拍子に、ふと何かに気づいて姉妹を暖炉のそばのソファへいざなった。女性たちはそれぞれに目くばせしあうと、主君の真心を頂戴した証拠に、柔らかなソファの上に腰を下ろした。

「じゃあじゃあ、セシルくんも魔女なんですか?」

 いや、男の子だし魔法使いか、とぼそぼそ独りごちるバーバラを止めるのはいつだって姉の役目だった。

「ちょっと、バーバラ。いちいち口を挟まないの!」

「はぁい」

 二人が改めて向き合ったパーシィは、まばたきだけで問うてきた。いいかな? そして、一呼吸おいて、再び口を開いた。

「ヴァイオレット殿から聞いたが、セシルは女系の跡取りということで、生まれてこの方女装をしてきたという。なるほど、そのほうが暮らしやすいのかと思って、少女服を集めていたんだ。飛空艇のスイートでも用意させていたんだが、その――」

「あー、嫌だったんだ。それで殿下と喧嘩しちゃったんですねー」

 主君に対してうんざりしてみせる豪胆さがあるのが、このバーバラ・ミスクスという少女だった。しかしそれを許す姉ではない。

「バーバラ!」

「構わないよ」

 とんでもない、と叱責を飛ばそうとした姉を遮るのは、雄弁な女学生だった、

「ハイ、遠慮なく。殿下はどうか知らないですけど、人から用意された服って、ある日突然嫌になるもんなんですよ。急にです。自我の芽生えっていうか……」

「僕は嫌ではないが」

「殿下の話じゃないんですってばー」

 フィリナはバーバラの太ももを軽くたたいた。おいたがすぎるようなら、わかっているわね?

 バーバラは姉の警鐘を手で軽く払った。わかってる、とは言わない彼女なのだ。

「とにかくセシルくんは嫌なんじゃないですか、って話です。ちゃんと話したんですか?」

 そこは大事だわ、とフィリナもパーシィに好奇の瞳を向ける。

「ああ。ワンピースを見て戸惑っていたようだが、『きみを魔女として雇ったから』と言ったし、わかってくれるだろうと――」

「なぁに、それ」

「もう!」

 噛み合わない二人の会話に、フィリナもなんだかたまらなくなってしまった。そしてここにいあわせない少年のことが気の毒になった。

 身内に対してさえ口数が少なすぎるというのに、初対面の子どもならなおさらわかるはずがないんだわ!

 美しい青年は、その高貴な生まれのせいで世話をされること、問われることに慣れている。その裏返しに、世話をすること、明確に説明することが苦手だったのだ。言わずともわかるだろう、というやんごとなき姿勢は、フィリナが召し抱えられてからほんの少しずつ改善されてきていたが、それも彼の基準においてである。世間的には通用しないものだった。

 パーシィはフィリナの主君で、一つ年上の兄のような存在でもあったが、常識の蓄えはフィリナのほうが勝っていた。ここは、引き締めねばならないポイントだ。そう思うと、おのずと口が動いていた。

「確かに、殿下も殿下です。気の進まないセシルさまに女装を強いているご自覚はおありですか?」

「ないな」

 バーバラが顎を下げるが、フィリナも引きさがらない。彼女に自覚はなかったがこういう気の強さは姉妹そっくりだった。

「強いていらっしゃるんです! セシルさまにそこまでする必要はないと思いますよ。だって、彼は男の子ですもの。なにか理由がおありなんですね?」

 ぐぐっと詰め寄る姉に合わせて、妹も興味津々の瞳を主君に向ける。

 パーシィは、思ってもみないことを言われたというふうに、口をぼんやりと開いた。

「理由か」

「そうです。理由が知りたいんです、殿下っ」

 バーバラが身を乗り出すも、青年は空色の瞳をゆらゆらと動かすだけだった。己の心を探っているようだ。

 しばしの沈黙を、薪(たきぎ)のはぜる音が縫い取る。

 ときおり、突風が窓を震わせたり、その窓辺で冷やされた空気が足元をかすめてゆく。

 金髪の貴人は瞳を閉じた。

 姉妹ができることといえば、彼の見つけ出した答え、あるいは推理の結論を聞くために待つことだけだった。

 待つ側には無味乾燥な沈黙。それが破られたのは、フィリナでさえ待ち時間に飽きて、三時のお茶は何にしようかとぼんやり思い始めたころだった。

「似ている、気がする」

「何に?」

 問うたバーバラと一緒に、フィリナも首をかしげていた。長いまつげがすばやく羽ばたく。

「誰かに。誰だか、昔会った人に。名前も、顔も思い出せないんだが、なぜだか似ていると思った……」

 そう言った彼の瞳から、さらりとひとしずくがこぼれおちた。それをきっかけにして、はらはらと輝く涙があふれ出す。その表情に悲愴や歓喜はなかった。ただ無表情に、涙を流していた。

「で、殿下?」

 姉妹の慌て方も大概だったが、前触れなく泣き出した青年本人が、一番戸惑っていた。瞳を濡らすものがなにかも、一瞬判断がきかなかったようだ。指先で拭っては、ただただ呆然としていた。

「これは……、涙か? 僕はなぜ、泣いているんだ?」

「それはあたしが聞きたいですよー!」

「……殿下……」

 フィリナがそっとハンカチーフを差し出すも、パーシィは相も変わらず涙を流すままにしていた。彼は、大きなエメラルドのループタイの上に骨ばった手のひらを乗せた。平たい胸が大きく激しく上下する。

「あのお方、なのですね?」

 メイド長がそっと伺うと、パーシィはうわごとのように言った。

「ああ。きっと、そうだ。僕が失くしたあの子……」

 そして、どこか嬉しそうに笑い声を立てた。

「顔も名前もない、あの子。あの子に、似ているんだ」

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