第16話 九大賢者物語
…光と影の均衡は、突如として破られた。混沌より生まれし四柱の魔王たちが、世界を朱に染めた。街は焼き尽くされ、河は血へと変わった。異形の魔物たちよって、殺戮と蹂躙の悲劇は地の果てまで続いた。死屍累々の屍が大地を埋め尽くし、残された人々は救世主の出現を天に祈った…
…その祈りは神々に届いた。稲妻と共に、神の使徒が降臨した。剣一振りで森一つの木々を刈る剣皇「リウィ」、拳一つで大地を割る拳帝「ヤンマ」、地平の彼方を飛ぶ蠅すら射落とす弓神「ラン・ボゥ」、国一つを焼き尽くすほどの魔術を操る大魔術師「クリフトス」、死者をも生き返らせる祝福の聖女「フェミリア」、剣と魔法を極めし武王「ガ・クーヒ」、あらゆる戦術を修めた軍神「コゥ・メィ」、神器をも生み出す神匠「マサーネ」、そして彼らを束ねし名も無き勇者の九人である…
…神々の智慧と技を大地にもたらし、人々を救済した使徒たちは「九賢者」と呼ばれるようになった。九賢者はまず海の近くの大地を蘇らせた。荒涼とした大地は肥沃な畑へと変わり、村々を荒らしていた魔物は消え、人々には笑顔が戻った。だがそれは、大陸を覆った悲劇と比べれば、豆粒ほどの幸福でしか無かった…
…牛の魔王、蝙蝠の魔王、淫の魔王、鋼の魔王の四柱は、大陸で最も高い山「チェモラン」の中で話し合った。これまでのように、それぞれが好き勝手に悪さをしていては、神の使徒たちによって滅ぼされてしまうかも知れない。誰かがまとめ役にならなければならない。四柱による壮絶な闘いの結果、鋼の魔王がまとめ役となった。彼らの戦いにより、チェモランの山は跡形もなく消し飛んだ…
…鋼の魔王は言った。まずは「マサーネ」を殺すべきだと。マサーネの生み出す神器は、他の八人の使徒のみならず、人々を大いに助けるものであった。狡猾な蝙蝠の魔王による悍ましい行為によって、無味無臭の猛毒が作られた。鋼の魔王は自らマサーネに近づき、その猛毒を飲ませた。マサーネは七日七晩にわたって苦しみ、全身が漆黒へと変わり、果てた…
…マサーネの死に涙した八人の使徒たちは、魔王討伐を決意した。名もなき勇者は宣言した。「魔王を滅ぼし、この地に秩序を取り戻す。それまで我らは決して戻らぬ……」 人々は喝采し、歓呼の声をもって使徒たちを送り出した…
…鋼の魔王は地下深くに魔王城を築き、使徒たちを迎え撃った。その闘いは熾烈を極めた。狡猾な罠が仕掛けられた迷宮の中を進み、強力な魔物たちが群れをなして襲い掛かってきた。智慧によって皆を援けていた「コゥ・メィ」が、卑劣な罠によって命を落とした。「ガ・クーヒ」は片腕を失った。だがそれでも、使徒たちは先へと進んだ…
…多くの犠牲、友の死を乗り越え、ついに魔王たちとの決戦が始まった。鋼の魔王の操る強力な魔法は、使徒たちを大いに苦しめた。だが一柱、また一柱と魔王たちを倒し、ついには鋼の魔王を討った。使徒たちの犠牲も大きかった。最前で闘っていた「リウィ」と「ヤンマ」は鋼の魔王の手に掛かり、命を落とした。「クリフトス」は魔の女王と相打ちとなった。「ラン・ボゥ」と「ガ・クーヒ」は、牛の魔王、蝙蝠の魔王を倒した時に崩れ落ちた。そして名もなき勇者もまた、鋼の魔王と相打ちとなった。全てが終わったとき、立っていたのは聖女「フェミリア」だけであった…
聖フェミリア教会編「九大賢者物語」より
ヴァイスたちが迷宮に潜ってから数時間後、地上は大騒ぎとなっていた。迷宮から膨大な魔素が溢れ出し、結界を突き破ったからである。「
「距離を取って矢を射掛けろ! 魔法師たちもだ! ここで食い止めねば、森が滅びる!」
「六色聖剣たちは何をやっているんだ! 魔物大行進が始まってしまうなんて……」
迷宮内の様子を知らないエルフたちは、溢れ出る魔物を抑えながら、六色聖剣の悪口を言う。だがオリハルコン級冒険者パーテーであっても、数時間で迷宮を討伐することは不可能だ。
「文句を言う暇があるのなら、手を動かせ! この程度で済んでいるのは、
レイナの父親であるオリドスが叱咤する。実際、溢れ出てきた魔物の大半は、エルフたちでも討伐できる程度の強さであった。数もそこまで多くはない。六色聖剣が迷宮内で食い止めているであろうことは、明らかであった。弓矢の雨を抜けてきた魔物は、オリドスや他の剣士たちが屠る。溢れ出た魔物はせいぜい百体程度であった。やがて全ての魔物を倒し終え、魔素が霧散していく。
「……終わった、のか?」
「『
魔法士たちが両手を前に出す。オリドスは眉間を険しくしたまま、呟いた。
「無事でいてくれ。レイナ……」
「キシャァァァッ!」
襲ってきた「元エルフ」の首を刎ね、その部屋を紅蓮の炎で焼く。吸血鬼となった者、異形の仔を孕まされた者、得体の知れない実験の犠牲となっていた者など全てを焼き尽くす。ヴァイスは詫びの言葉を呟きながらも、その手は止めなかった。
「……許せ。俺には、お前たちを救ってやることができない」
(あり…がと……)
燃え盛る炎の中から、そんな声が聞こえた気がした。祈りの言葉は知らないが、哀れなエルフたちの冥福を心中で祈り、六色聖剣が待つ部屋へと戻る。
「終わったぞ」
戻ってきたヴァイスの顔色を見て、全員が黙って頷いた。暗い雰囲気を切り替えるように、アリシアが手を叩いた。
「さぁ、戻るわよ! お酒が飲みたいわ!」
「フッ…… そうだな」
小さく笑って立ち上がろうとしたグラディスが崩れた。ヴァイスが両手で肩を掴む。男の匂いに包まれ、ヴァリ=エルフの本能が反応する。躰がカッと熱くなる。
「大丈夫…… ではなさそうだな」
「へ、平気だッ!私に触るなッ!」
乱暴に振りほどき、ヴァイスから離れる。肌全体が赤みを帯び、褐色の色味が強くなる。心なしか、息も荒くなっている。他の五人も、グラディスの変調に気づいた。
「みんな、少し待ってて。グッディ、話があるわ」
グラディスの腕を掴み、レイナは部屋から出ていった。
「クッ…… お前と一緒に、捜索など……」
グラディスはヴァイスと一緒に、他の部屋の捜索を行っていた。表向きの理由は、他の犠牲者はいないか、魔物はいないか、本当にここが最下層なのかを調査することにあった。
〈ゾディアックの時もそうだったでしょう? ゾディアックはダンジョンマスターではなく、ただの一魔物だった。今回もその可能性があるわ。私たちがいる第四十五層が本当に最下層なのかを調べましょう。決して一人では動かないで、三時間後に、この部屋に再び集まりましょう〉
レイナはミレーユと、アリシア、エレオノーラ、ルナ=エクレアは三人組となって捜索を開始した。ヴァイスはグラディスと一緒だが、それは裏の理由の為だった。
「こ、ここは……」
主寝室らしき部屋に入る。豪奢なベッドがあり、寝具も整えられていた。戸惑うグラディスをヴァイスは押し倒した。
「な、何をするんだ! 貴様、狂ったか!」
「狂っているのはお前だ。あの吸血鬼に妙な真似をされたんだろう? 鎮火しない限り、お前は色情魔になってしまうぞ」
「クッ…… な、何とかしてくれ。本当に、狂いそうなんだ」
涙目で訴えてくる。ヴァイスはその唇を塞ぎ、手早く甲冑を外しはじめた。褐色肌を晒したグラディスを見下ろす。全身から汗の玉が浮き出して寝台に横たわる姿は、何とも艶かしく扇情的だった。
「美しいな……」
「は、早くしろ! いちいち感想を言うな!」
「こういうのは気分が大事なんだよ。だがわかった」
熱く火照った躰が静まるまで、もう暫くの時間が必要だった。
三時間後、再び集まったときには、グラディスは晴々とした表情となっていた。身を焼く程の欲情は綺麗に拭い去られ、湖水のように心気が静まっている。何があったのかは、ミレーユを除く他の全員が気づいていた。無論、口には出さない。咳払いをして、エレオノーラが一冊の書物を机に置いた。吸い込まれるような漆黒の表装には、何も書かれていない。
「捜索をしたところ、地下に続く階段などは見つかりませんでした。書棚があったため、何かしらの手掛かりはないかと調べたところ、この書物を見つけました」
「こ、これは……」
ルナ=エクレアが震える手を差し出して、表装を撫でた。
「エクレア、この本を知ってるの?」
アリシアの質問に、エクレアは首を振った。
「ハッキリしたことは言えません。ただ、聖フェミリア大教会には『禁忌』とされる外典があります。遥か太古、邪神と四柱の魔王が降臨し、多くの人々を苦しめました。阿鼻叫喚の地獄の中、人々は救世主の出現を祈りました。そしてやがて、九人の大賢者が現れました。熾烈な戦いの末、彼らは邪神と魔王を『漆黒の書』の中に封じました……」
「『九大賢者物語』ね。でも一般的なお話とは違うわね。九大賢者と四大魔王の戦いってなっているわ。邪神なんて出てこないし、そんな漆黒の書なんて話も無いはずよ?」
「アリシアさんの言う通りです。四大魔王との戦いで唯一、生き残ったフェミリア様によって『九大賢者物語』は描かれました。外典は、聖フェミリア大教会内でも枢機卿以上のごく一部の者しか知らない話です。大教会の中で一部の者達に口伝として伝わるものなのですが、ただの御伽噺と思っていました」
「その、四大魔王および邪神の名は残されていないのか?」
ヴァイスの問い掛けに、エクレアは首を振った。
「残されていません。当時の記録は全て破棄されており、口伝しか残されていません。大教会は、フェミリア様の時代から歴史があります。教皇猊下であれば、何かご存知かも知れませんが……」
(聖フェミリア大教会……たしか帝国の南西にある国だったな。機会があれば行ってみるか。ひょっとしたら、プレイヤーの足跡があるかもしれん)
「ゾディアック、アスモデウス、そしてヴィラゴニア・ツェペリン…… 奴らが四大魔王の可能性があり、そしてその親玉、邪神は俺と同じく、異世界の出身者って可能性があるわけだ」
「だが、ゾディアックは桁外れていたが、ヴィラゴニアについてはそれほど強そうには見えなかったが?」
グラディスの疑問に、ヴァイスが説明した。
「あの戦いは不意打ちに近い。
暗く、重い空気が漂った。ヴァイスは「漆黒の書」を手に取り、
DODの魔法道具であれば、瞳に緑色の光が浮かび、アイテム名や使用方法が表示されるはずである。緑の光が過ぎる。その途端、急速に頭痛が襲ってきた。ヴァイスは思わず呻いた。
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道具名:#%($*:()!&;@
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「グッ…… な、何だ? コレは……」
「ヴァイス? 大丈夫?」
バサッと書を落とす。中身は全て白紙で、何も描かれていない。片手で頭を抱え、ヴァイスは壁に手をついた。表示された情報を読み取ることが出来なかった。まるで文字化けである。慌てて両目を閉じて表示を消す。頭痛がスッと引いていった。
「どうしたの? いきなり呻いて……」
「あぁ…… この道具を鑑定したんだがな。正体不明だ。少なくとも、俺のいた世界のモノではない。だがこの世界のモノなら普通に鑑定できる。一体、コレは何なんだ?」
ヴァイスは数瞬沈黙し、漆黒の書を手に取った。アイテムボックスの中に入れようかと思ったが、万一を考えてルナ=エクレアに渡した。
「この正体を知るには、フェミリア教会の協力が必要かもしれん。その時まで、貴女が預かっておいてくれ」
「わかりました。責任を持ってお預かりします」
聖フェミリア大教会の元聖女、ルナ=エクレアは祈りの言葉を唱えて、漆黒の書を自分の革袋に入れた。
全員が手を繋いで円になる。「
「結界を解除しろ! 皆さん、よくぞご無事で……」
レイナの父、オリドスが出迎えてくれた。手を差し出されたため、ヴァイスは握手を交わす。エルフ族に対してはあまり良い印象を持っていないが、この程度は最低限の儀礼だろう。
「攻略の途中で
「やはり、皆さんが食い止めてくださったんですね。百体ほど魔物が出てきましたが、何とか討伐しました。怪我人も複数出ましたが、死者はいません」
「そうか。依頼は、半分は達成したな。このダンジョンを根城としていた吸血鬼は退散し、何処かへと消えた。ダンジョン自体は、もう大丈夫だろう。だが、捕まっていたエルフたちまでは救えなかった……」
「そうですか…… いや、有難うございました。お疲れでしょう。宴を用意しています」
「待てっ」
合議会議長のゲルクが進み出てきた。眉間が険しい。ヴァイスの前に立つと悲壮な表情を浮かべて尋ねた。
「囚われた
「……聞かないほうがいいだろう。相手は命を何とも思わぬ悍ましい魔物だ。それだけで想像できるだろう?」
「グッ…… わ、儂の息子がいたはずなのだ。息子が……」
「救えなかった。済まない」
ヴァイスは、肩を震わせるゲルクに謝罪した。ゲルクは拳を震わせ、やがて肩を落とした。ヴァイスはオリドスに顔を向けた。
「宴という気持ちは有り難いが、とても祝うようなことではない。亡くなられた
オリドスも瞑目して頷いた。
エルフ族の風習にある「慰霊の儀式」が行われている。ヴァイスとレイナは、遺族たちに頭を下げて謝罪した。オリドスからは、謝る必要などないと言われていたが、依頼を受けた冒険者としての信義の問題であった。長命のエルフ族であっても、肉親を失った悲しみは変わらない。呪詛の言葉を掛けられると覚悟していたが、その前にゲルクが感謝の意を述べてきた。
「良くやってくれた。心から感謝する。貴方がたがいなければ、我々は滅びていた。ありがとう。本当に、ありがとう……」
儀式の後は、ささやかな宴が開かれた。父親と顔を合わせようともしないレイナに、グラディスが声を掛ける。少し迷っていた様子であったが、宴の途中でレイナの姿が消えた。
「満天の星だな……」
宴の席を少し外し、ヴァイスは夜空を眺めた。この世界に来てから、様々な出会いがあった。最初はゲームの中だと思っていたが、今では「生きている」という実感がある。戻る方法があるのなら知りたいが、戻れなくても良いと思い始めていた。
ふと、人の気配を感じた。振り向くとゲルクであった。
「お主に、会ってもらいたい人物がいる。儂らの長老じゃ」
「長老?」
「儂らは『
「なんだと?」
「大婆様より、お主に伝言じゃ。時があるのなら、
動揺を抑えられなかった。ヴァイスの顔色が変わった。
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