第3話 初クエスト

【小解説】VRの功罪


 完全なヴァーチャル・リアリティ(VR)を実現させたアヴァロン・システムの普及は、それまでのゲームを一変させた。従来は、視覚と聴覚のみを刺激していたゲームが、VRゲームでは五感全てが刺激される。肉を食べていないのに肉の味が口に広がり、触れてもいないのに女性の柔肌を感じることができるのである。アヴァロン・システムによるVRの確立は、サービス産業そのものを大きく変えるものであり、社会的混乱が予想された。そのため厳しい規制が課せられ、VRゲームでも極端な性的行為などは法によって禁じられたのである。だが現実社会では叶わないことがVRによって実現し、現実のように感じられるということは大変な魅力であった。例えば「幼児愛好」などは現実社会では違法であり厳しく罰せられるが、VRであれば実際の被害者は出ないのである。AI技術の進歩に伴い、人間の音声や感情表現なども現実と変わらないほどになっていたため、VRによる性的サービスの展開は一瞬で広まった。


 西暦2055年頃には、VR端末をクラックするクラックツールが蔓延し、各国は取り締まりを諦めざるを得なかった。「個人の自己責任」の範囲で、そうしたクラックツールの使用が黙認されたのである。それから十年で、VRは社会に欠かすことのできないものになった。実世界では見向きもされないような五十代の主婦が、VR世界では二十歳の若い女性となり、奔放な性行為で欲求を満たす。十歳前後の可愛らしい女の子を侍らせ、欲望の赴くままに幼児愛好の劣情を叩きつける。AI技術を使い、昔のAVアダルトビデオ動画データから擬似的な「本人」を生み出し、若かりし頃の夢を叶える、などの使い方が蔓延し、それに伴い急速に実社会での「人との出会い」は減少した。


 「VRは人々を幸福にした。だが同時に、どうしようもなく堕落させた」と語る哲学者もいる。その言葉の是非はともかく、VRの登場は数億人の「引き篭もり」を生み出したのは事実である。




 リューンベルクでも上等な宿の個室で、ヴァイスは目を覚ました。冒険者ギルドを出た後は、街を見て回ったりした。この宿に決めたのは外見が良かったことと個室が空いていたためだ。後で知ったが、一定以上の冒険者は宿ではなく部屋を借りるようである。だがこの世界に来たばかりのヴァイスが知るはずもなく、一泊銀貨三枚という高い宿賃を支払うことになった。金貨三枚を先に渡しているので、十泊はできる。その間に街の様子を知り、物価相場を把握し、せめて数字だけでも読めるようになっておきたかった。だが部屋を出て一階のロビーに降りると、カウンターの女将から声を掛けられた。ギルドからの呼び出しである。受付に行くと、ミリアが仕事の詳細を説明してくれた。


「山賊討伐?」


「そうです。最近、公国の北にある山に山賊が住み着いているのです。北から小麦や毛皮などを運ぶ行商隊が幾つか襲われ、近隣の村々にも被害が出ているため、公国から早急に討伐するよう指示がありました」


「そうした討伐は、通常は国自体が動くのではありませんか?」


「確かに仰る通りなのですが、公国の軍は警備隊という色合いが強く、街中での喧嘩や窃盗などを捕まえるのが主な仕事なのです。こうした討伐は冒険者ギルドに依頼が来るのです」


「なるほど、理解しました。では地図をいただけますか? 早速、討伐してきましょう。ですがどうやって、討伐完了の確認をするのです?」


「手配書が回っています。山賊の頭領は、北では名が知れていたそうです。六色聖剣が討伐するという噂を聞いて、拠点を変えたみたいですね。頭領の首を持ってきて頂ければ、確認ができます。報酬は金貨十五枚、あと頭領には金貨二十枚の懸賞金が出ています」


「合計で金貨三十五枚ですね。解りました。引き受けしましょう」


 手配書と地図を受け取り、ヴァイスは討伐へと向かった。






「で、アウグストの旦那。俺たちはソイツの後をつけて、その仕事っぷりを確認すれば良いんだな?」


 冒険者ギルドの三階にあるギルドマスターの部屋では、ミスリル級冒険者パーティー「夜明けの団」のリーダー、トマス・オールディンが足を組んで座り、ギルドマスターと話をしていた。


「そうだ。奴が死んだのならそれで良し。命からがら逃げてくるようであれば、お前たちで奴を取り押さえろ」


「成功しちまったらどうする?」


「相手は少なく見積もっても五十人以上の山賊だぞ? 単独で行って成功すると思うか?」


 トマスは肩を竦めて笑った。


「もし成功したら、ソイツは化け物だ。アダマンタイン級と言われても信用するね」


 トマスの冗談に、アウグストは苦笑いしかできなかった。




 ヴァイスは徒歩でリューンベルクの街を出た。昨夜のうちに、宿の部屋である程度の法則は確認していた。まず魔法は普通に発動した。移動魔法の一つである「飛翔フライ」を部屋で試したが、発動条件はDODと同じであった。つまり「頭で考えるだけで発動する」である。だがステータス・ウィンドウはやはり出なかった。魔法「鑑定アプレイザル」ではウィンドウが出現するが、コンソールを利用したステータス表示は無いようである。悩んだ挙句に思い出したのが「魔眼イビル・アイ」というアイテムであった。これは掛けただけで相手のステータスを視ることができるというものである。だが自分で自分を視ることは出来ない。そこで鏡を使って見たところ、思いもかけず成功したのである。


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Name:ヴァイスハイト・シュヴァイツァー

Level:999

Job:Grand Brave

最大HP:85177

最大MP:54093

状態異常:無

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 DODでは対人戦を盛り上げるため、他者のステータスを簡単に知ることはできないようになっている。そのためこうしたアイテムが用いられていた。もっとも、それでも知ることができるのは相手のレベルと最低限度の情報だけである。相手がどのような魔法、スキルを有しているか、攻撃力や魔法防御力はどの程度かなどは表示されない。これは対人戦にスリルとリアリティを持たせるための配慮だ。実世界においては、そもそもステータス数値など無いのである。

 DODの対人戦では、いちいち魔法やスキルを選択している時間などない。プレイヤーは自分のステータスやスキル、魔法をすべて覚えばければならない。覚えていければ対人戦では一方的に負けて終わりである。当然ながらヴァイスも、自分の持つ117種の魔法、84種のアクティブスキル、29種のパッシブスキルを全て覚えている。

 自分のレベルに安堵したヴァイスは、他者に魔眼を使うことで相対的な強さを測ろうと考えていた。だが魔眼はアイテムであるため、使用すれば相手にも見えてしまう。ギルドなどでは使えないと考え、街から出て通りすがりの人間を視ようと思っていた。


 歩いていると、前方から農夫らしき若い男が牛に荷車を牽かせていた。ヴァイスは早速、魔眼を装着した。


(正直、格好悪いんだよなぁコレ…… どれどれ)


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Name:ハリス・ボッシュ

Level:37

Job:Farmer農夫

最大HP:1025

最大MP:55

状態異常:無

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(ほう。見たところ二十歳くらいだが、レベル37で最大HPが1025ねぇ。DODに農夫という職はあったかな?まぁザコだな。緑プラテットを倒せるかどうか、といったところか)


 ブツブツと呟き、一人頷く顔に奇妙な装備をつけた鎧姿の男に、ハリスは身震いをした。目を合わせないように顔を伏せ、急ぐように横を通り過ぎた。その後もヴァイスは何度か魔眼をつけては過ぎゆく人を確認した。夕暮れ時にはヴァイスは大体のレベル観を把握した。つまりこの世界は「ザコばかり」ということである。


「まぁ冒険者を見ていないから暫定的な結論だが、恐らく俺は世界最強だろう。同じプレイヤーが出ない限りはな。宿に設置したリブート人形が無駄になってしまったな。まぁいいか」


 DODでは、死亡した場合にプレイヤーの累積経験値が一割下がる。それを防ぐための課金アイテムがリブート人形だ。使い捨てで一箇所にしか設置できないが、たとえ死んでもペナルティ無く設置場所から復活することができる。PvPに明け暮れるプレイヤーとして、必須のアイテムであった。


「山賊か…… DODにも似たような奴らがいたな。久々に「Grand Brave」の力を見せてやる。俺は…PPlayerKKillingは許さない」


 日が沈み、あたりが闇に包まれた後、ヴァイスは飛翔フライを使った。





「いやぁぁぁぁっ!」


 女性の泣き叫ぶ声が洞窟内に響く、男たちの卑下た嗤い声が続いた。先日襲った行商隊にいた娘を山賊全員で姦しているのである。女はグシャグシャな顔をして叫ぶが、もう声も枯れていた。


「一通り全員で回したら二回戦行くぞ? 飽きたら殺すからな。せいぜい死なないように愉しませろや!」


 女の髪を掴んで男が嗤う。顔を背けたくなるような悲劇は夜遅くまで続いた。遠くからの悲鳴を聞きながら、洞窟の周囲を見回っている二人組の男が舌打ちした。


「全く。俺達の番まで回ってくる前に、壊れちまうんじゃねぇか? たまには最初の一発目を頂きたいぜぇ。お前ぇも、そう思うだろ?」


「い、いやその僕は……」


 まだ若い男が首を振った。もう一人が舌打ちをして、その背中を蹴った。


「一発ヤッちまえば、肚も据わるんだよっ! お前ぇいつまで山賊ゴッコの気分でいるんだ? そんなんだから、カシラもお前のこと信じねぇんだよ!」


 若い男はレオン・サムディズという名であった。農家の三男坊の生まれで、いずれは家を継いだ長男にこき使われながら、一生農夫で過ごすことが見えていた。それが嫌で家を出たが、運悪く山賊に捕まり、生きるためにその仲間となったのである。レオンは苦しんでいた。本当なら山賊などしたくない。だが抜けようとしたら殺されるに決まっていた。逃げ出そうとしても、四六時中誰かが一緒である。この場で逃げようとしても、背中から斬られて死ぬだけだろう。自分は剣すら与えられていないのだ。


パキッ


 木枝が折れる音がして、二人は静かになった。やがて草むらから鎧を身に着けた男が出てきた。背丈は180センチ以上で茶色の髪と鳶色の瞳をしている。そして腰には立派な剣を刺していた。月明かりに照らされた男の姿は、冒険者というよりはどこかの騎士の様に見えた。男は奇妙な装備を顔につけると、二人を見た。


「な、なんだテメェはっ!」


「フム…… 片方は盗賊だな。もう片方は……農夫だと? まだ盗賊になっていないというわけか」


 男が大声で何かを叫んだ。だが次の瞬間には頭が完全に潰れていた。茶髪の男が手にしていた太い木の棒には、血糊と頭皮がこびりついていた。レオンは腰を抜かし、その場で尻餅をついた。


「お前、盗賊をやりたいのか? 他人から盗み、婦女を犯し、殺したいのか?」


 男が何を言っているのか、理解できなかった。レオンはただ泣きながら首を振り、許しを乞うように地ベダに伏した。


「お前はまだ、堕ちてはいない。山賊などやめて、真っ当に生きろ」


 目をつぶって地面に伏すレオンには、男の声しか聞こえていない。やがて、男が歩いて行く足音が聞こえた。レオンはホッとし、そして急いでその場から逃げ出した。





 ヴァイスは、木刀の血糊を見た。DODの中では「PPlayerKKiller'sKKilling」は数多くやってきた。子供の頃に勇者や英雄という言葉に憧れていたため、DODでも迷うこと無く勇者を選択した。だが名ばかりの勇者は嫌であった。やはり行動で示したかった。それが積極的なPKKである。仕返しとして五人掛かりで襲われたこともあったが、そうした仕返しはすべて返り討ちにした。

VR-MMOの最大の特徴は、ステータスが絶対では無いことである。見た目の戦闘力よりも、プレイヤー自身の操作能力がモノを言う。簡単に言えば、リアル世界の喧嘩の強さが、VRでも反映されるのである。そのためDODのヘビープレイヤーは、リアルにおいて格闘技術マーシャルアーツ剣術フェンシングを学ぶ者が多かった。こと対人戦闘においては、Lv999の素人よりLv800の玄人の方が強いのがDODである。


 大声を聞きつけ、何人かが洞窟から出てきた。木の棒を持ち、奇妙な装備を顔し手に入るヴァイスの姿を見て凄む。


「なんだテメェ!」


「俺の名はヴァイスハイト・シュヴァイツァー。確認するがお前たちは北から流れてきた山賊で間違いないな?」


「おいっ! カシラ、呼んでこいっ!」


 一人が中に駆け込んでいく。ヴァイスは木刀を捨てると、剣を抜いた。四人の山賊が洞窟から出てきて、ヴァイスを取り囲む。


「全員が山賊か。だがレベルが低いな。せいぜいがレベル60~70…… 弱すぎる」


「やっちまえっ!」


 短剣や長剣などそれぞれの武器が、四方から一斉に斬りかかる。だが武器はいずれも、ヴァイスに届かなかった。その前にヴァイスが剣を一閃させたからだ。「Grand Brave」になる前から使っている、ゲーム中最強クラスの装備である。


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装備名:伝説勇者の剣

種類:片手剣

装備Lv:999

装備ランク:赤

攻撃力:+555

効果:力上昇(極大)

   速度上昇(大)

   状態異常耐性(大)

   MP自動回復(中)

製作者:Conrad Solingen

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 両手剣ならばより攻撃力が高まるが、PvPが多いヴァイスは、片手剣のほうが使い勝手が良かった。DODでは魔法は掌からしか発動しない。両手が塞がれば、魔法が使えなくなるからである。殆ど同時に、四人の首は刎ねられた。スキルは使用していない。単純な攻撃だけである。


「やれやれ、これでは弱い者イジメをしていたDODのキラーたちと同じになってしまうな。いや、コイツらは山賊だ。そこまで気にすることもないか……」


 洞窟からガヤガヤと人が出てきた。どうやら山賊たち全員が集まってきたようである。ヴァイスは確認するように、手配書の名を呼んだ。


「この中に、ガルドという男はいるか?」


「あぁ? 俺だ。テメェ、賞金稼ぎか? よくも手下をヤッてくれたなぁ…… 細切れにして豚の餌にしてやるぜ!」


 ガルドらしき男を見ると、ステータスが表示される。


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Name:ガルド

Level:138

Job:Bandit

最大HP:7910

最大MP:271

状態異常:無

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「ほう。見たことがないJobだな。『Bandit』か……」


 ガルドの指示で、五十人以上の山賊がヴァイスを取り囲んだ。取り囲んでいる男たちを一様に見るが、どうやら農夫や商人といったJobの者はいないようだ。つまり全員がPKKの対象である。数に安心しているのか、山賊たちは笑みを浮かべていた。


「ガルド、お前に聞いておきたい。素直に投降して、法の裁きを受けるつもりはないか?」


「投降だぁ? ハーハッハッハッ! コイツは面白ぇ冗談だ!」


 その場の全員が爆笑していた。ヴァイスは魔眼を外すと懐にしまった。


「真面目に働く者たちを襲い、婦女を拉致して暴行し、あまつさえ罪のない者を殺す。自分の行いを悪だと感じないか?」


「悪? 感じねぇなぁ? 俺達は好きなように生きてんだ! 野郎ども、コイツを殺しちまえっ!」


 山賊たち全員が、一斉に斬りかかってきた。ヴァイスは落ち着いたまま、小さくつぶやいた。


「そうか。悪と感じないか。ならば覚悟はできているな?」


 剣や斧が振り下ろされる。だがヴァイスには届かなかった。皮膚の直前で、まるで壁にぶつかるかのように、剣が止まってしまったのだ。


「な、なんだコイツ…… 斬れねぇ!」


 男たちは突き刺そうとしたり殴ろうとしたりするが、これも同じ様に届かなかい。ヴァイスは溜息をついて、剣を一閃した。周囲の山賊が血を拭き上げて倒れた。


「上位物理攻撃無効化…… スキル枠にこれを入れたのは久々だ。低レベルの魔獣やプレイヤーからの物理攻撃を完全に無効化する常時発動パッシブスキルだよ。俺にダメージを与えたければ、最低でもレベル500は必要だぞ?』


(まさか対人戦でコレを使うとはねぇ。DOD広しと言えど、Lv999プレイヤーに500未満でPKを仕掛けてくる奴は、流石にいなかったからな)


 そこからは一方的な殺戮が始まった。ヴァイスは誰一人逃すつもりは無かった。剣の一閃で身体が真っ二つに割れて死ぬ者。上半身と下半身が分かれ、腸を撒き散らしながらもなんとか逃げようと、手で這う者、逃げ出した者の背中には左手から魔法を打ち込んだ。


「純粋魔術『追尾弾トマホーク』!」


 魔力の塊が逃げ惑う山賊の背中に命中し、爆裂する。真っ白な背骨を剥き出しにして倒れる。あまりの恐怖に、ガルドは腰を抜かしてしまった。山賊となってから二十年、色々な修羅場を潜ってきた。魔物に襲われたこともあれば、護衛するプラチナランクの冒険者と戦ったこともある。だがこれほど圧倒的で残酷な破壊者には出会ったことがなかった。手下が全員鏖殺され、ただ一人残ったガルドに、ヴァイスは悠然と近づいた。ありえないことに、あれほどの殺戮をしてもヴァイスには一滴の血糊もついていなかった。手に嵌めている課金アイテム「清浄の指輪」の効果である。泥や血糊などの汚れは、付着した途端に消滅してしまう。だがそんなことは、ガルドの知るところではない。


「た、た、助けてくれぇっ!」


 ガルドは腰を抜かし、地面に尻餅をついていた。右手を差し出して、必死の形相で止めようとした。だがその右手は、一閃によって肘から先が切り落とされた。


「アガァァァァッ!」


「お前は、そうやって助けを乞う者を何人殺した?」


 ヴァイスの声は静かで、淡々としていた。悲鳴を上げて転げまわるガルドの背中を踏みつけると、両足を太ももから切断した。


「あひゃ、あぎげあぁぁっ! やめ……」


「そうやって泣き叫ぶ女を何人犯した?」


 ヴァイスは目を細め、「最後の言葉決め台詞」を残す。


「奪い、殺すのであれば、奪われ、殺される覚悟もしておけ。生まれ変わったらリログしたら思い出すが良い」


 そして首を刎ねた。





 洞窟内で倒れていた女性を布で包んで抱える。暴れたため、やむを得ず気絶させた。ガルドの首は革袋に入れ、アイテムボックスに入れてみた。イベントアイテムの枠に収まる。ギルドクエスト達成に必要なアイテムはイベントアイテムとなる。ガルドの首も、どうやらそうした扱いらしい。


「こういうところはゲームっぽいんだがな……」


 ヴァイスは苦笑いをした。殺戮を終えた後、ヴァイスは吐き気が込み上げた。目から涙を流し、恐怖の形相をしたまま口から舌を出しているガルドの首、血の海と化した辺り一面に立ち込める猛烈な鉄臭さ、括約筋の活動が終わった死体から巻き散らかされた糞尿の臭いは、これがゲームではなく現実であることを証明していた。一刻も早く、この場から立ち去りたかった。





 山道を降りるころには、東から日が昇り始めていた。女には精神系魔法の「鎮静カーム」や回復魔法を掛けている。本来ならば記憶を消してやりたいが、そうした魔法はDODには無い。街道を歩き続けていると、前方から馬を走らせた一行が近づいていた。どうやら冒険者らしかった。


「お、いたいた。アンタ、ヴァイスハイトって奴だろ? シルバーランクの?」


「そうだが、貴方達は?」


「俺達は冒険者パーティー『夜明けの団』だ。この先に山賊の根城があるはずだが……」


「あぁ、それは俺が討伐した。誰も生きてはいないよ。頭目のガルドって奴の首もある。彼女は山賊に囚われていた。馬で運んでくれるのであれば、助かる」


「討伐した? おいおい、冗談はよせよ。五十人以上はいたはずだぞ」


「本当だ。死体も残っているので、見てくると良い。もっとも、吐いても知らんがな」


 夜明けの団のリーダー、トマス・オールディンの指示で、仲間が馬を飛ばした。トマスは馬から降りると、女性を抱え上げて馬の背に載せた。信じられないといった表情を浮かべ、ヴァイスに尋ねる。


「本当に、討伐したのか? その割には返り血一つ、浴びていないようだが?」


「そうした戦い方をしたからな。首はギルドで見せる。間違いなく、頭目のガルドだ。では、後は頼んだぞ。俺は街に戻る」


 ヴァイスはそのまま、街道を南へと歩き始めた。トマスは迷った。もし失敗して生きていたら、捕らえるという契約だった。だが成功した場合については何も決められていない。事情は解らないが、ギルドマスターはヴァイスこの男のことを嫌っている。自分たちへの期待は言われなくとも理解はできた。


(ここで、捕らえるか?)


 だがトマスは動けなかった。ヴァイスの背中を見た瞬間、冒険者としての勘が、最大限の警報を発したからだ。これまで幾度も、危険な魔物と戦ってきた。行商隊の護衛で、東方から流れてきた異民族とも戦ったことだってある。だが、これほど絶望的な感覚は初めてであった。とても勝てる気がしない。相手の強さの底が、まるで見えなかった。もし襲いかかったら、自分は簡単に殺される。それは推測ではなく確信であった。トマスは一瞬の躊躇の後、溜息を吐いた。


「お、おいアンタ、俺も一緒に行くぜ。もう少し歩くと集落がある。そこで馬を借りよう」


「そうか。助かる」


 ヴァイスと並んで歩いた時、トマスは言い様のない程の安心感に包まれた。絶対強者の庇護下、という安心感である。


(アウグストの旦那、アンタ間違ってるぜ? この人はマジで強ぇよ)


 リューンベルクに戻ったら、アウグストにそう告げよう。その後は、この男と酒を飲もう。トマスはそう思った。


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