第2話 VRか? それともリアルか?

【小解説】アヴァロンAvalonシステムSystem


 米国マサチューセッツ工科大学の研究チームの一員であったチャールズ・アヴァロンは、脳細胞が発する微弱な電気信号を読み取ることで、被験者の意志を検知する装置を研究していた。当初は、AIを組み込んだ人工的な眼球、義足などを開発することを目指していたが、やがてヴァーチャル・リアリティ技術の確立そのものが目標となる。それまでにも「自分の意志で義手を動かす」など、意思を読み取って機械を操作する技術は存在していたが、チャールズ・アヴァロンたちの目指していたのは、意識と機械との「完全な結合」であった。2020年代後半には、猿などを利用して「脳と機械との直結」などの実験が行われ一部では成功もしていたが、頭蓋を開ける必要があるため、とても実用性が無かった。

 2037年、チャールズ・アヴァロンはナノロボットを体内に注入することで、外科的措置の必要なく人間の意識と機械とのリンクに成功した。被験者の見ている光景がリアルタイムでモニターに映し出された時、彼はこう叫んだという。


「我々は、新たなフロンティアを手に入れた!」


 その後、チャールズ・アヴァロンは自身の研究成果に基づいて、ヴァーチャル・リアリティ技術の専門企業「アヴァロン」を立ち上げる。幾度かの失敗と成功を繰り返し、完全なヴァーチャル・リアリティ技術を確立したアヴァロンは、たちまち世界最大のVRT(Virtual Reality Technology)企業となった。


 現在、アヴァロン・システムは全世界で導入されている。当初の目標であった障害者向けの眼球や義足は無論だが、企業によってはオフィスそのものを必要としなくなった。旅行はVRで擬似的な体験ができるし、ネットショップで試食や試着もできる。アヴァロン・システムの登場により、人類は急速に「怠け者」になったと言われている。





「お、おい見ろよ、あの冒険者…… 凄ぇ装備してるぞ」


「あぁ、あんな豪華な鎧は見たこと無いぜ。余程の冒険者なんだろうな」


 ヴァイスは夕暮れ前に、なんとか街に入ることができた。城門には全く読めない文字が書かれていたが、門の守備兵と思われる武装した男が二人立っていたので、街の名前を聞く。するとあからさまに訝しげな表情を浮かべ、ヴァイスをジロジロと眺めた。遠くから来たので名前を忘れたと言うと、どこか納得したように


「ここはリーデンシュタイン公国の都リューンベルクだ。見たところ冒険者のようだが、どこから来た? 公国に来た目的は?」


「あぁ、えーと…自分はヴァイスハイト・シュヴァイツァーと言います。冒険の旅をしているのですが、途中で地図を落としまして、どっちに行ったら良いのか方向が解らなくなったので、取りあえずは道なりに……」


(ふむ、文字は読めないが日本語は通じるのか。となると、あの文字は何かしらのイベントかアイテムによって、いずれ読めるようになるのかな? ここはチュートリアルの流れに任せよう)


「怪しいやつだな。だが見たところ、冒険者としての腕はそれなりなのだろう。氏名を登録して入れ。だがもし騒ぎを起こしたら、すぐに叩き出すぞ」


 ヴァイスは城門を抜け、守衛室と思われる場所で氏名を登録した。だが文字が全く違うため、日本語で書いても読めないようである。仕方なく、口頭で名前を名乗り、書いてもらった。ついでに紙切れを貰い、そこに自分の名を書いてもらう。


「……おいおい、これ本当にゲームかよ。リアル過ぎだろ」


 普通、ああした守衛や警備兵は、全てNPCである。娼館のような場所は最初から課金のためにAIがプログラムされているが、守衛に話しかけたところで反応しないか定形の返事が帰ってくるだけである。だが先ほどのNPCとは自然なコミュニケーションが取れた。表情も自然で、まるで生きているかのようであった。ヴァイスはだんだん、不安になってきた。


「実は転生しているってことは……」





 自分が転生しているという確信は、すぐにやって来た。アヴァロン・システムは頭蓋骨から頚椎を通る神経系統の電気信号を読み取ることで、副腎皮質ホルモンの分泌等の生命維持は機能させつつも、実際の手足は動かないようにしている。だがそれでも現実の感覚というものがある。それが「尿意と便意」である。これはアヴァロン・システムによって感じなくすることが可能であり、その機能を搭載させたVRMMOも存在した。だがその結果は悲惨なものであった。画面に表示された「トイレマーク」を無視するプレイヤーが続出した結果、ベッドが大変なことになるのである。中にはオムツをしてプレイを続けるというツワモノも存在したが、現在のVRMMOの殆どが、尿意、便意を感じた場合は警告ウィンドウが表示され、無視すれば強制ログアウトされる。DODにおいてもそれは例外ではなく、ゲーム中は尿意、便意は感じないが警告が表示され次第、安全エリアに戻ってログアウトをするのが普通だ。


「なぜ、小便をしたくなる? どういうことだ?」


 ヴァイスは若干の焦りの中にいた。尿意に襲われているからだ。これが現実世界であれば、コンビニなどに駆け込むのだが、この街にはそのようなものは無い。仕方なく飲食店らしき店に駆け込み、厠を借りる。汲み取り式の厠から発する強いアンモニア臭に顔を顰めながらも、ようやくの開放感に浸る。そして確信した。


「……これは、現実だ」


 厠から出たヴァイスは、給仕の女性に丁寧に礼を述べる。本来なら何か食べていった方が良いが、この世界のカネを持っていない。いずれ食べに来ると詫び、ついでに貴金属を買い取る場所を聞く。


「それでしたら、冒険者ギルドはどうでしょう? 見たところ冒険者のようですし、商店よりもギルドのほうが良いと思いますよ?」


「ギルドですか。解りました。教えて頂き、感謝します」


 教えられた場所に向かいながら、頭では別のことを考える。これが現実世界、つまり自分が転生したと仮定した場合はどうなるだろうか。まず考えるべきは、この世界における自分の強さだ。ステータスウィンドウが表示されない以上、自分の強さに不安が残る。次に他のプレイヤーの存在だ。直前まで一緒だった「水無月綾瀬」はこの世界に来ていないのだろうか? そして、もしこの世界に自分以外のプレイヤーがいなかったとして、どうやって元の世界に戻れば良いのか。そして戻るべきなのだろうか。両親は健在だが、最近はあまり電話もしていない。知り合いも会社の同僚ばかりだ。恋人もなく、携帯電話の着信メールは迷惑メールばかり…… そんな現実に、どんな価値があるというのだろうか?


「戻る方法だけは探してみるか。戻る戻らないは、その時に決めればいい」


 気がついたらギルドらしき建物が見えてきた。看板が掲げられているが、相変わらず読めない。文字を学ぶ必要性を感じながら、ヴァイスは建物の中に入った。





 冒険者ギルドの建物に入ると、ちょうど四人組の冒険者パーティーが出てくるところであった。ガタイの良い男たちであった。全員が戦士職か格闘家職のようである。


「おっと、失礼……」


 ヴァイスが道を開けると男たちは値踏みするようにヴァイスを一瞥し、何も言わずに出ていった。そのまま建物に入る。受付と思われるカウンターが三つ並び、左手の壁にはクエストと思われる紙が幾つか貼られている。


(DODのギルドとは違うな。正直言って、貧相だ……)


そう思いながら、ヴァイスはカウンターの前に立った。紺色の髪をした可愛らしい女性が座っている。


「失礼、買い取りをお願いしたのだが?」


「お買い取りですね? 何を買い取りましょうか?」


 ヴァイスは低レベルの剣を机に置いた。普段自分が使っている剣から比べればゴミ装備である。ゲームスタート時に配布される剣だから、記念に取っておいたようなものである。


=============

装備名:祝福の剣

種類:片手剣

装備Lv:なし

装備ランク:青

攻撃力:+7

効果:力上昇(小)

=============


(まぁ飯代くらいにはなるかな?)


 その程度の期待でヴァイスは剣を置いた。だが受付嬢は手に取るなり顔色が変わった。


「し、少々お待ち下さい」


 立ち上がって奥の上司らしき人物に歩み寄る。なにかヒソヒソと話をしている。ヴァイスは不安になった。変なものを出したつもりはないが、冷やかしかあるいは犯罪者と思われたのかもしれない。やがて丸眼鏡を掛けて頭が禿げた中年男がやってきた。


「申し訳ありません。私が代わりに、鑑定させていただきます」


 男はそう言うと剣を置いて手を翳した。淡い光が手から出る。どうやら鑑定スキルのようだ。基本職である商人のスキルである。男は手に取り、しげしげと眺め、ヴァイスに質問をしてきた。


「失礼ですが、これはどちらで手に入れたのですか?」


「私は遠い地からの旅人でして、この武器はとあるダンジョンで手に入れました。この地では、私が使っていた貨幣は使えないのではと思い、この剣を売ろうと思ったのです」


「遠い地、ですか。いや失礼。こうした素晴らしい武器は往々にして盗難品の可能性が高いのです」


「はぁ? 素晴らしい…… ですか?」


 ヴァイスは思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。だが目の前の男は短剣に夢中で、気にしていない様子である。


「素材は鋼鉄で造りも良い。何より、力を高める付与が施されています。使われた形跡も殆どありません。こうした武器は滅多に出ないのです」


「なるほど。これは盗難品ではありません。とあるダンジョン内で手に入れたものです。ですがもし買い取れないのであれば、諦めます」


「いやいや!失礼しました。冒険者の中には、過去をあまり語らない人も多いものです。これ以上の詮索は致しません。当ギルドで買い取らせていただきます。そうですな。鋼鉄の片手剣は、普通は金貨二枚で買い取りをしていますが、しっかりとした造りですし、効果付与もありますので、金貨四枚で如何でしょう?」


「構いません。それとお聞きしたいのですが、この金貨ならどの程度で買い取りをしていただけますか?」


 ヴァイスはDODの金貨を一枚、取り出した。男はそれを手に取り、しげしげと眺める。秤を持ってきて、金貨の重さを計測する。


「ほう…… かなり質の良い金貨ですな。金の含有量が帝国金貨よりも多い。ですが残念ですが、この金貨はこのままでは使えません。ただの金塊としての価値で鑑定をすることになります。そうですな。金の含有量から考えますと、この金塊で帝国金貨一枚と銀貨二枚、計千二百帝国マルクでいかがでしょう?」


「では、手持ちの五枚を全て替えていただけますか?六千帝国マルクになると思いますが」


「構いませんよ。では、短剣の買い取り額と合わせて金貨十枚でお返しいたしましょう。それとも、銀貨を交えたほうがよろしいですか?」


「できれば銀貨以下の貨幣も交えてほしいのですが…」


「それでは、銅貨五十枚、鉄貨五枚、銀貨九枚、金貨九枚ではいかがでしょう?」


「銅貨十枚で鉄貨一枚、鉄貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚、ということですね?結構です。助かります。銅貨の下というのは、無いのですか?」


「石貨というものがありますが、あまり使われていませんね。大抵の店では銅貨以上で取引がされています」


 銅貨一枚が一帝国マルク、銀貨一枚で百帝国マルク、金貨一枚は一千帝国マルクということになる。石貨は呼び方がついておらず「石貨何枚」と呼んで使うらしい。


(物価水準が解らないが、銅貨一枚、一帝国マルクで十円位と考えておくか。手持ちは金貨十枚、一万帝国マルクだから、十万円か。DOD金貨なら九千万枚以上ある。暫くは大丈夫だろう)


「なるほど、良く解りました。教えて頂き、感謝します」


 男は頷くと、確認するように受付の机に貨幣を置いていった。仕切りなどで隠されいないため、他の視線が集まっている。金貨十枚など、DODでは殆ど価値がないが、この世界では違うようだ。出された貨幣を確認して頷くと、革の小袋に入れてくれた。


「これは差し上げます。大金ですので、気をつけてお持ちください。それと、宜しければ当ギルドに登録されませんか? 遠方からの冒険者となれば、身分を示すものなども必要でしょう。当ギルドに加入されれば、帝国全体で仕事を受けることができます。審査の手続きも簡単ですよ?」


(まるでクレジットカードの勧誘だな。だが身分証明書を持つことができるのは助かる)


「では、ギルドへの登録をお願いします。ですが、私は読み書きができないのですが、大丈夫でしょうか?」


「そうした冒険者の方も多いですから、代筆者や仕事斡旋担当なども常駐しています。お気になさらず。では、先ほどの受付の者に交代させていただきます。本日はありがとうございました」


 男は立ち上がって一礼すると、先ほどの女性を呼んだ。ミリアという女性らしい。ミリアは受付に何か立て札を置くと、別室に案内してくれた。





「冒険者登録は初めてでいらっしゃいますか?」


 別室に通されると、そこは応接室のようであった横長の机と、対面するように椅子が何脚か置かれている。椅子に座ると、ミリアは羊皮紙のようなものと水晶珠を置いて質問をしてきた。以前登録していたが、もう消滅していると返答する。ミリアは頷いて、ギルドの仕組みについて説明してくれた。


「冒険者ギルドは各国にあります。国からの援助も受けていますので、当ギルドに登録をされた場合は、公国および帝国内でのみ仕事を受けることができます。もちろん、内容によっては他国に行く場合もあります。そうした場合は、国境を超えるための許可証をギルドが用意します。仕事の内容は様々です。行商隊の護衛や、街道に出没した魔獣の退治、山賊の掃討などもありますが、一番の仕事は『迷宮探査』です」


「ほう。迷宮とは、つまりダンジョンのことですか?」


「その通りです。迷宮は、別名『大地の胃袋』と呼ばれていて、それ自体が生き物と考えられています。広大な帝国領内では二十箇所以上に、迷宮が出現しています。迷宮は文字通り、地下に潜る洞窟のようなもので、大体が地下十層から二十層の深さです。深くなればなるほど、強力な魔獣や魔物、アンデッドなどが出現します。最下層には『ダンジョンマスター』と呼ばれる迷宮の支配者がいて、それを倒せば数日で迷宮は消滅します」


(なるほど。DODと同じだな。だが二十層だと? Lv999スリーナインがあるとは思わないが、それでも普通は五十層くらいあるはずだが……)


「迷宮が出現すると、そこから大量の魔獣、魔物が溢れ出てきます。そのため迷宮の外は封鎖され、帝国軍や冒険者のみが立ち入ることが許されます。御存知の通り、魔獣は希少素材を、魔物は魔石を落とします。また希少な鉱石類は大抵の場合、迷宮から発見されます。そのため迷宮は『資源採掘場』という色合いもあり『ダンジョンマスター』を討伐して良いのは、ギルドが許可した迷宮だけです。迷宮から採取発掘した素材類はギルドが買い取り、ギルドはそれを帝国や商会などに流しています」


「ギルド登録者であれば、誰しもが迷宮に入れるのですか?」


「いえ、最低でもシルバーランク以上が必要となります」


「ランク?」


 ミリアは頷くと、小さなプレートのようなものを出してきた。首から下げるものらしい。


「ギルドは強さや実績に応じて、冒険者をランク分けしています。これはギルドが受託する仕事の難度がバラバラだからです。高難度の仕事を低レベルの冒険者に斡旋した場合、失敗する危険があります。仕事の失敗はギルドの信用にも関わります。そのためギルドでは、冒険者をランクに分け、ランクごとに斡旋する仕事を割り振っているのです」


「具体的なランクとは?」


「『青銅ブロンズ』『純鉄アイアン』『鋼鉄スチール』『白銀シルバー』『純金ゴールド』『白金プラチナ』『真純銀ミスリル』『真純金オリハルコン』『神鋼鉄アダマンタイン』の九段階となります。ブロンズ、アイアン、スチールの方は行商隊の護衛や街道の魔獣討伐などで実績を重ね、シルバーランクへの昇格を目指すのが普通です。簡単なものでは、隣村までの護衛や、薬草採取の手伝いといった半日程度で終わるものもあります」


「なるほど。例えばそうした半日で終わる程度の仕事の場合、どの程度の報酬になるのでしょう?」


「一概には言えませんが、ブロンズの方が半日仕事をしたら、大体五十~六十帝国マルクといったところでしょうか?」


「安っ!」


 ヴァイスは思わず声を漏らした。ミリアは慌てたように言葉を添えた。


「た、確かに命がけの冒険者にとっては安く感じるかもしれませんが、それは半日の仕事だからでして、もちろん数日に渡る仕事もあります」


(いやいや、それでも四、五時間働いて五百円って安すぎないか? 時給百円かよ。あぁ、いやひょっとしたら…)


「ちょっと聞きたいのですが、飯屋などで昼を食べた場合、どの程度の価格になるのでしょう?」


「え?まぁ、大抵は七~八マルクくらいでしょうか。ちょっと高いところに行くと十マルクを超えることも……」


(訂正、俺が間違っていた。一マルク十円ではなく、一マルク百円だ。とすると時給千円か。まぁ高くはないが妥当かもな)


「いや、失礼しました。どうやら私が少し勘違いをしていたようです。先ほどは妙な声を出して、申し訳ない」


 少し頭を下げたヴァイスの様子に、ミリアもホッとしたようだ。採取した素材の売り方、仕事の受け方などを確認し、大体の必要な情報は説明を受けた。ヴァイスの前に水晶珠が置かれた。


「それでは、登録に当たりましてヴァイスさんの適性を判断致します。先ほどもお話した通り、通常はブロンズから始まりますが、他地域などで実績のある方も移住されてくる場合がありますので、これはと思う登録希望者の方は、この魔導水晶珠によるランク審査を行っています。ヴァイスさんも相当な冒険者とお見受けしました。いきなりシルバーランクに入られるかもしれませんよ?」


「ご冗談を。ですが、強さが解るのいうのは嬉しいですね。お願いします」


(俺はDODでは最高レベルだったが、この世界ではどうなのだろうか。目の前のこの女性だって、Lv999という可能性もあるんだ。まずは自分の強さを知っておく必要がある。それにしても『魔導水晶珠』? DODには存在しなかったアイテムだな。一体、誰が発明したんだ?)


「では、水晶珠に軽く手を置いてください。私がこれから、プレートを一枚ずつ珠に近づけます。珠が光ったら、それがヴァイスさんの適正ランクとなります」


 ヴァイスは頷き、篭手を外して水晶珠に手を置いた。ミリアはまず、ブロンズのプレートを近づけた。


「反応しませんね。まぁ予想通りです。それ程の装備をされているヴァイスさんが、ブロンズな訳ないですもんね」


 笑いながらアイアン、スチールと近づけていく。いずれも反応しない。シルバーを超えたあたりから、ミリアは怪訝そうな表情を浮かべた。ゴールド、プラチナ、ミスリルを近づけても全く無反応である。オリハルコンでも無反応だったため、ミリアは姿勢を正した。深刻な表情でアダマンタインのプレートを手にする。


(あり得ない…… でも、ひょっとしたら……)


 歴史上、アダマンタイン級の冒険者はただ一人しか存在していない。ギルド制度すら無かった遥か八百年前、ゴールドシュタイン帝国の建国者「英雄王ルドルフ・ゴールドシュタイン」は、たった一人で迷宮に潜り、ダンジョンマスターを討伐した。その後、帝国の前身であるゴールドシュタイン王国が建国され、冒険者ギルドが誕生した時に、英雄王の強さを基準としてアダマンタイン級が置かれたのである。


 やがてギルド制度は各国に広がり、それと共に英雄王の強さと比較する魔導水晶珠も複製され、各地のギルド本部に置かれるようになった。だがいずれのギルドでもアダマンタイン級冒険者は出現せず、八百年の歴史の中でよくいえば「伝説」、有り体に言えば、「誰も信じない」というのが現実である。実際、帝国内に現在二組いるオリハルコン級冒険者パーティーも、幾つかの迷宮討伐に成功しながらもアダマンタイン級の審査は通れていない。アダマンタイン級を残しているのは、英雄王に対する敬意からに他ならず、事実上オリハルコン級が冒険者ランクの最上位であった。


 ミリアは恐る恐る、アダマンタイン級を示すプレートを水晶珠に近づけた。すると微かに光を発し、やがてそれは強くなった。水晶珠全体が眩しいほどに白く輝いたのである。


「ひぇぇぇっ!」


 ミリアは椅子から転げ落ちた。驚いたヴァイスは思わず水晶珠から手を離した。光はすぐに収まる。


「大丈夫ですか?」


「アダ‥アダ…アダマ…アダマンタインッ!」


 ミリアはヴァイスの呼びかけを無視して、部屋から飛び出していった。ヴァイスは首を傾げ、アダマンタイン級のプレートを手に取り、しげしげと眺めた。





 ギルドマスターのアウグスト・ディールは信じられない光景に言葉を失っていた。アダマンタイン級冒険者の出現と知らされた時は、質の悪い冗談だと思ったが無視をするわけにもいかず、自らの目で確認しようと応接室にやってきた。このことはミリアとその直属上司、そして自分しか知らない。他に漏れれば何が起きるか見当もつかないからだ。


「間違いない。アダマンタイン・プレートが確かに反応している。こんなことが起きるとは……」


 二度、三度と確認し、魔術的仕掛けがないかなどを自らも確認する。通常、一人の人間の強さの限界はプラチナからミスリルまでだと考えられていた。ギルドマスターである自分でさえ、プラチナ級なのである。帝国最強のオリハルコン級冒険者パーティー「六色聖剣」のリーダー、レイナ・ブレーヘンと副リーダーのグラディス・ワーゲンハイムの二人は、単独でもミスリル級の冒険者である。六色聖剣は二人のミスリル、四人のプラチナから成る女性だけのパーティーで、五つの山賊掃討、四箇所の迷宮を討伐した実績からオリハルコン級を認められた。だが目の前の男は単独でアダマンタイン級と表示されている。つまり一人で、六色聖剣全員よりも強いことになる。


「信じられん…… 有り得ない。だが、確かにアダマンタイン級と出ている」


「アウグストさん。これは、どうしましょう?」


 ミリアの上司も信じられない表情を浮かべ、アウグストに声を掛けた。アウグストは咳払いをして、ヴァイスの目の前に座ると、唐突に切り出した。


「シュヴァイツァーさん。申し訳ないが、貴方をアダマンタイン級と認める訳にはいかない」


 ヴァイスは無表情のままだった。





「貴方の強さを信じないわけではない。だがアダマンタイン級は、帝国の建国者である英雄王ルドルフ陛下だけが持つ称号だ。英雄王の名は帝国のみならず諸国にも広まっていて、子供に話すお伽噺、吟遊詩人の詩歌、様々な冒険物語、そして演劇などになっている。帝国臣民にとって、英雄王とはそれ程に偉大な存在であり、不可侵なのです。水晶珠だけの反応で、何の実績もない無名の貴方を英雄王と同じアダマンタイン級にするわけにはいかないのです」


「なるほど。政治的に問題があるわけですね。それは理解しました。私は別にアダマンタイン級にこだわりはありません。とすると、その下のオリハルコン級になるのでしょうか?」


「いや、それも拙い。単独ソロでオリハルコン級冒険者となった者はいないのです。帝国内でオリハルコン・プレートを持つ者は、全員がパーティーなのです。北の都に拠点を構える『六色聖剣』と帝都を中心に活動している『紅の騎士団』だけです。この公国ではミスリル級の冒険者パーティー『夜明けの団』が最高位です。できればそれ以下であってくれると助かるのですが……」


「ではゴールド、いやシルバー級から始めましょう」


「よろしいのですか?」


 ギルドマスターのアウグストは救われたような表情を浮かべた。単独でミスリル級を持てば、必ず噂になる。プラチナ級でさえ、冒険者内では相当な話題になるだろう。シルバー級であれば目立つことはない。それなりの修練をすれば、殆どの者が単独でもシルバー級に至る。単独冒険者の多くがシルバー級、ゴールド級なのだ。ヴァイスは頷いた。


「ただし、条件があります。お聞きしたところによるとランクによって受けられる仕事が違うそうですが、私に関してはどんな仕事も自由に受けられるようにしていただきたいのです。薬草採取の手伝いをバカにするわけではありませんが、私には魅力を感じません」


「構いません。ギルドマスターとして許可しましょう。冒険者ヴァイスハイト・シュヴァイツァーはシルバー級ながらも、特例としてあらゆる仕事を受けられることとする、こう記した公式文書を作成しましょう。あと、これはお願いなのですが……」


「アダマンタインが反応したことは黙っています。といっても、喋っても誰も信じないでしょう。公式文書をいただければ、それで十分です」


「感謝します」


 握手を交わし、シルバーのプレートとギルド会員証が渡される。会員証の裏にギルドマスターの署名が入り、全ての任務を受けられることとする、と書かれていた。また羊皮紙で、それを証明する書類が二枚作成され、ギルドとヴァイスが一枚ずつを持つこととなった。覚書程度ではあるが、何もないよりかはトラブルは避けられるだろう。すべての手続が終わると、ヴァイスはギルドを後にした。ギルドマスターが見送れば目立つため、受付のミリアが手を振る程度で留める。三階の窓からヴァイスの背を見送りながら、アウグストは小さく呟いた。


「ペテン師が…… いずれ、化けの皮を剥がしてやる」


 アダマンタインが反応するなど有り得ない。有ってはならないのである。アウグストはギルドマスター権限によって、ヴァイスへの仕事を決めた。最近、公国に出没した山賊の討伐である。かなりの規模であり本来なら軍隊が出動する必要がある。六色聖剣なら討伐できるだろうが、ミスリル級なら複数のパーティーが合同で当たらなければ、まず生命はない。書類にサインし決済済の箱に入れると、アウグストは低く笑った。



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