第二十二話 裏の仕事、一戦目

   

 翌日。

 霜の月の第九、黄金の日。

 夕方の『幽霊教会』に、いつもの四人が――ピペタ・ピペトとゲルエイ・ドゥとモノク・ローとみやこケンが――集まっていた。

「二重の意味で『ふたつの終わり』だな」

 ゲルエイとモノクから昨夜の顛末を聞かされたピペタは、まず、そう呟いた。

「どういう意味だい?」

 ゲルエイの問いかけに対して、ピペタは、少しきまりが悪そうに答える。

「いや、ほら……。レグとディウルナのが死んだという意味では『ふたつの終わり』だろう? それに、ファバに続いて、今回の事件におけるの死亡事件という意味でも『ふたつの終わり』じゃないか」

 説明するピペタを見て、ケンは「まるで滑ったオチを自ら解説するお笑い芸人のようだ」と感じていた。それに、前半はともかくとして、後半の『二度目の死亡事件』は『ふたつの終わり』ではなく『ふたつ目の終わり』ということになるじゃないか……。ケンはそう思ったが、わざわざ指摘しなかった。

 だが、ピペタ自身、微妙な空気を感じ取ったらしい。まるで早く話題を変えたいと言わんばかりに、急いでゲルエイに尋ねる。

「それで、二人の死体は、どう処理したんだ?」


 ここまでゲルエイは、自分が目撃したことに加えて、ディウルナの手帳に書かれていた内容も読み聞かせている。

 彼女の残した『原稿』には、ディウルナが死に際に告げた通り、詳しい事情が記載されていた。

 レグとディウルナの二人が、アリカム・ラテスとタントゥム・ディーリから『魔女の遺跡』へ呼び出されたこと。そこへ行くと、アリカムとタントゥムの他に、アリカムの妻メレタと、フィリウスたち三人の少年がいたこと。二人は別々の部屋に分けられて、殺されそうになったこと。ディウルナの魔法で反撃して、二人で逃げ出したこと……。

 記事の内容は、そこで終わりだった。だが、瀕死のディウルナに出会ったモノクや、レグが殺される現場に立ち会ったゲルエイの話を合わせて考えれば、記事より先の事態も、手に取るように把握できた。

 つまり、アリカムたちが三人の子供たちを追っ手として差し向けたのだ。その結果、ディウルナの奮戦も虚しく、二人ともられてしまったのだ。


「ああ、あの二人の死体なら、荼毘だびに付したよ」

 四人とも事情は理解している前提で、ゲルエイは説明する。

 レグとディウルナの亡骸は、ゲルエイとモノクの二人で、レグの息子ファバが埋葬されている共同霊園まで運んだ。本当は、レグと一緒に埋めてやりたかったが、さすがにゲルエイとモノクだけでは、そこまで出来ない。だから土葬の代わりに、火葬することにしたのだった。

「何よりも、死体を残さないことが先決だと思ったからねえ。アリカムたちの一派に、二人が死んだことは知られたくない」

「まあ、それが正しい選択だろうな」

 ゲルエイの意図を理解して、ピペタが頷く。

 レグとディウルナの二人が死んだと知れば、アリカムたちは「無事に始末した」ということで、枕を高くして寝られるだろう。逆に、死体が出なければ「もしかすると、まだ生きているかもしれない」と心配になるはずだ。ならば、少しでも彼らを苦しめる意味でも、絶対に、死体は見つからないようにするべきだった。

「だから、焼死体も残らないくらいに、強力な炎で燃やしてやったよ」

「さすがにゲルエイは、本職の魔法使いだ。すさまじい超炎魔法だった。俺の弱炎魔法とは、天と地ほどの差があったぞ」

 壁にもたれたまま、横から口を挟むモノク。

 それを聞き流しつつ、ゲルエイは話を続ける。

「灰となって、土と一体化したんだ。ディウルナはともかくとして、レグの方は、かえって良かったかもしれないよ。あたしたちは、ちょうど彼の息子が埋められている場所に、二人の遺灰を撒いてやったからねえ」

 ゲルエイの言葉を聞いて、ケンは「火葬は火葬でも、遺骨を残すような日本式の火葬とは、やはり違うのだな」と感じていた。

 以前にゲルエイから、教会での葬儀や墓地での埋葬の話を聞いた時に、ケンは「この世界における葬式は、キリスト教のそれと似ているのだろうか」という感想をいだいたことがある。ただし、ケン自身はキリスト教徒でも何でもなく、そうした葬儀に参加したこともない。だから、後でネットで検索して軽く調べてみた。

 すると、どうやらキリスト教の方式でも、土葬ではなく火葬を選択することはあるらしい。その際「欧米では灰になるまで徹底的に焼く」という記述も、ケンは見つけていた。

 そんなケンの急ごしらえの知識と、今のゲルエイの話は、ある意味、合致するものだったのだ。


「二人は灰になって、大地に還った……」

 ゲルエイの言葉を繰り返すように、しみじみと呟くケン。

 彼の言葉を耳にして、

「そうだよ。だから後に残ったのは、二人の想いと、この依頼金だけだ」

 そう言いながらゲルエイは、レグから預かった金をジャラジャラと、仲間の前に広げてみせた。

 金貨と銀貨が入り混じっており、正確な金額は、ゲルエイも把握していない。前回ここに集まった時にも同じように広げたが、あの時は「まだ仕事として引き受けない」ということで、革袋に戻していた。

 しかし、今回は事情が違う。今さら「引き受けない」という者は、いないはずだ。

「おい、ゲルエイ。正確には『二人の想い』という言葉は、相応しくないだろう? 恨みを持って依頼してきたのは、レグだけだ」

 モノクが冷静に指摘すると、ゲルエイも、それを認める。

「ああ、そうだね。あたしとしたことが、言い誤ったよ」

「とはいえ、俺たちには、もうディウルナの本心もわからないわけだが……」

 モノクは、微妙な口調で言葉を続けた。

「……今回の標的たちの手によって、あの女も一緒に始末されたのは確かだ」

 あんなことを言っておきながら、どうやらモノクは「ディウルナだって恨んでいたはず」と考えているようだった。

「それに俺は、貴様たち以上に、あの女とは関わりがある。だから……。前の仕事の時『これっきりだ』と言ったが、今回の仕事、俺も加わらせてもらうぞ」

「もちろん、私は歓迎だ」

 ピペタは、けして「仲間にしてくれ」とは言わないモノクに対して、苦笑しながらも、真っ先に肯定の言葉を返した。

「一時的だとしても、殺し屋が加わることで、これで『四人の復讐屋』になるからな」

 

 ゲルエイが聞いた、レグの死に際の言葉。

 そして、ディウルナが手帳に残した記述。

 合わせて考えれば、今回の『復讐』の対象は明白だった。

「標的は、全部で六人。フィリウス、ブラン、グラーチ、アリカム、メレタ、タントゥムだな」

 確認の意味で、モノクが標的ターゲットの名前を列挙した。

 それを聞きながら、ゲルエイは思う。

 もともとレグは「三人の息子たちを呪いたい」と言っていた。亡くなる直前に「親たちも」と口にしていたが、やはり恨みの矛先のメインは、フィリウスたち三人なのだろう。

 三人は、レグやディウルナを殺したから報復されるのではなく、レグに恨まれたからこそ始末されるのだ。それも、レグの想いに沿った形で。

 つまり、フィリウスたち三人は、呪い殺されるという形で始末されるべきなのだ。

 それがゲルエイの考えであり、わざわざ口に出さずとも、ピペタやケンも復讐屋として同じ気持ちのはず、とも思っていた。

 モノクの考えはわからないが、今ここでクドクドと説く必要もないだろう。

 だから一言だけ、ゲルエイは言葉を発する。

「決まりだね、では……」

 同時に彼女は、目の前の依頼料から大雑把に四分の一くらいをかき集めて、自分の懐へ入れた。

 同じように金を取りながら、ピペタが宣言する。

「ここから先は、裏の仕事だ」

「はい、ピペタおじさん! 僕たち復讐屋の仕事ですね!」

 ケンが、いつもの言葉を返した。


――――――――――――


 その夜。

「今夜は飲むぞ! トコトン飲むぞ!」

 フィリウス・ラテスは、ブラン・ディーリとグラーチ・シーンを連れて、いつものように夜の街を歩いていた。

「『今夜は』じゃなくて『今夜も』だろう?」

 そんな茶々を入れるグラーチに対して、

「それは違うぞ、グラーチ。『今夜は、いつも以上に』という意味でしょう、フィリウス様? 俺も同じ気分だから、よくわかります」

 ブランが、フィリウスを支持する態度を見せた。

「おお、そうだ。なにしろ、昨日の今日だからな」

「まあ、それもそうか。飲んで騒いで、昨日のことなど忘れてしまおう」

 今度はグラーチも、フィリウスに同意を示すのだった。

 そして少しの間、三人とも黙ってしまう。「忘れたい」という気持ちとは裏腹に、フィリウスとグラーチが『昨日』という言葉を口にしたせいで、自然と、昨晩の出来事が三人の頭に浮かんだのだろう。


 昨晩。

 レグとディウルナを仕留めた――仕留めたつもりになった――直後、三人は眠くなって、その場に倒れてしまった。少しの後に目を覚ましたが、彼らが意識を取り戻した時には、なぜか二人の死体は忽然と消えていた。

「いったい何が起こったのか……」

 正直、不気味だった。

 もしかしたら、まだ息があったのか。いや、確かに手応えがあった。万一、あれで絶命していなかったとしても、少なくとも瀕死だったのは間違いない。元気に逃げ回れる状態ではなかった。

 三人はレグとディウルナの『死体』を探し回ったが、見つからない。諦めて『魔女の遺跡』に戻り、待っていたアリカムたちに、正直に全てを報告した。

「死体が勝手に消えるはずもなかろう」

 アリカムは、あからさまな不満の色を顔に浮かべていた。

 普通に考えれば、二人は誰かに救助されたのか、あるいは、死体を持ち去られたのか……。どちらにせよ、それならば、街の警吏である都市警備騎士団に報告があるはずだ。その時は、騎士団に勤めるアリカムやタントゥムの出番だろう。裏から手を回して、話をもみ消さねばなるまい。

「よろしい。後のことは、私たちに任せろ。お前たちは、もう帰って眠れ」

 フィリウスは、父親の言葉から「傷ついた庶民二人を仕留めることすら出来ないのか」という失望のニュアンスを感じ取っていた。直接的に叱責される以上に、辛く感じたのだが……。

 結局、騎士団には何の報告も来なかったらしい。では、二人の死体は、やはり『勝手に消えた』ということなのだろうか……?


 ちなみに。

 死体の行く末を心配するフィリウスは、それだけで頭がいっぱいだった。父に命じられたことを実行できなかった、というのを気に病むだけで、人をあやめたという罪悪感の方は、あまり存在していなかったのだ。初めての人殺しならば、そんな罪悪感は、なおさら強くなりそうなものだが……。

 それを感じていない時点で、アリカムの教育が――「庶民なんて人間ではない」という主義主張の刷り込みが――成功していた、ということなのかもしれない。


「もしかすると……。不可思議な消失こそ、呪いなのかもしれないな」

 昨晩の出来事を回想していたフィリウスは、思い浮かべた考えを、ストレートに言葉に出してしまった。

 グラーチが、少し青ざめた顔で反応する。

「呪い……? これも『魔女』の呪いってことか……?」

「ああ、いや別に、深い意味があるわけじゃないが……」

 曖昧な言葉しか返せないフィリウス。

 三人は、夜の店の多い繁華街へ向かっている途中だが、ちょうど今いる場所は、人気ひとけのない路地だ。暗い夜の街で、誰もいないところを歩いている時に『呪い』なんて話をするのは、確かにゾッとするものがあった。

「こんな場所を通っているから、そういう気分になったのでは?」

「そうかもしれないな、ブラン。だが、ここが一番の近道だからなあ……」

 ブランに対して、フィリウスがそう返した時。

「恨めしい……。憎い……」

 どこからともなく、声が聞こえてきた。

「おい、誰か何か言ったか?」

 フィリウスは、二人に詰問する。

 理屈の上では、グラーチやブランの発言ではないとわかっていた。聞こえてきた『声』は、ボソボソと低いトーンだったが、明らかに男のものではなく、女の声だったのだ。

「やだなあ、フィリウス様。誰も、何も言ってませんよ。幻聴なのでは?」

 口ではそう返すブランだが、その唇は、少し震えている。彼も同じ『幻聴』を聞いたのだ、とフィリウスは理解した。

 そして。

「あれ? なんだか……」

 グラーチの呟きと同時に。

 フィリウスは、スーッと意識が遠くなった。

 いや、フィリウスだけではない。グラーチもブランも、同じだった。彼ら三人は眠りに落ちて、その場に倒れこんだ。


 フィリウスたち三人が倒れたのを見届けてから、ゲルエイは――三人を睡眠魔法ソムヌムで眠らせた張本人は――、仲間を連れて三人に歩み寄った。

 彼女は、半ば命令するような口調で、仲間たちに告げる。

「さあ、モタモタするんじゃないよ。こいつらが目を覚ます前に、例の場所へ運んでしまわないとね」


――――――――――――


「ここは……?」

 目が覚めたフィリウスは、自分が全く別の場所へ移動していることに気づいた。

 裏路地で意識を失ったはずなのに、今は、建物の中にいるのだ。

 いや『建物の中』というのは正確ではないかもしれない。

 ところどころ壁が崩れ落ちていたり、天井に大きな穴が空いていたり……。とにかくボロボロに半壊しているのだ。

 夜空と繋がった天井からは月明かりが差し込んでいるので、照明など点灯していなくても、周囲の様子は見て取れる。ゆかには瓦礫が転がっているだけでなく、床板が壊れて裂け目のあるところもあった。注意して歩かないと、足を踏み外すかもしれない。

 なんとなく、見覚えのある風景だ……。

「ここって……。もしかして『魔女の遺跡』か?」

 フィリウスに続いて意識を取り戻したグラーチが、起き抜けに叫んだ。

 まるで彼の言葉に起こされたかのように、ブランも目を覚まして、声を上げる。

「えっ、『魔女の遺跡』だって!」

 二人に言われるまでもなく、フィリウスにも、理解できていた。

 昨日の部屋――『魔女』が亡くなった部屋――とは違う場所だが、ここも『魔女の遺跡』と呼ばれる屋敷の中だ、ということに。

 部屋の中というより、廊下のようだ。穴の空いた天井から考えて、ここも三階のはずだが、でも「見覚えがない」ということは、昨日の場所とは反対側の廊下なのだろう。『魔女』が自殺した部屋は、階段を上ったところから左へ進んだ突き当たりだから、ここは右へ行く場合の廊下のはずだ。

 そうフィリウスが分析していると、ブランが声を上げた。

 「見ろ!」

 ブランは一番最後に目覚めたはずなのに、真っ先に彼が、新たな異変に気づいたのだ。

 彼が指し示す方向に、フィリウスもグラーチも目を向けると……。

 何もない空間に、ぼうっと光る物体が浮かんでいた。赤く燃えているようにも見える、それは……。

「まさか、人魂?」

「馬鹿を言うな、グラーチ!」

 フィリウスが一喝する。

 確かに、夜の空中を浮遊する火の玉といえば、まさに『人魂』の定義に合致する。しかし、そんなものが存在するはずはない。いや、存在しないと信じたかった。『魔女の遺跡』で人魂が出現するなんて、あまりにも話が出来過ぎている。

「迷い込んだ赤ウィスプなんじゃねえか?」

 咄嗟にフィリウスは、そう口走った。

 この世界には、ウィスプと呼ばれる系統のモンスターが存在する。赤ウィスプ、青ウィスプ、緑ウィスプなど、いくつかの色の種族がいるらしい。フィリウスは実物を見たことがないが、人魂のような外見だという話だけは聞いていた。

「いや違うよ、フィリウス。父さんの探検旅行に同行した時、僕は一度だけ見たことあるんだけど……。ウィスプって、もっとボウッとした見え方だよ」

「フィリウス様。そもそも、いくら放棄された屋敷とはいえ、街の中に突然モンスターが紛れ込んだら、とっくに大騒ぎになっているはずです」

 グラーチに続いて、いつもフィリウスの太鼓持ちのような態度を示しているブランまでもが、フィリウスに反対する意見を述べた。

「じゃあ……。モンスターじゃないなら、魔法なんじゃないか? 俺たちがファバに肝試しを仕掛けたように、誰かが俺たちを驚かそうとして……。炎魔法で火球を出して……」

 言いながら、フィリウス自身が「それはおかしい」とわかっていた。

 騎士学院の授業では、魔法に関する座学もある。フィリウスたちは魔法なんて発動できないが、騎士が魔法使いと戦うことも想定して、魔法についての知識を一通り叩き込まれているのだ。

 弱炎魔法カリディラであれ強炎魔法カリディダであれ超炎魔法カリディガであれ、それらは、標的に対して炎を放つ魔法だ。炎球という目に見える形で『火』が発せられたとしても、それは標的に向かって一直線に進むだけ。空中にとどまってプカプカと浮かぶなど、物理的にありえない話だった。

「魔法とも考えられない……。ならば、やっぱり、あれは人魂……」

 再び、グラーチが呟いた時。

「恨めしい……。憎い……」

 再び、不気味な声が聞こえてきた。三人が路地裏で眠りに落ちる前に耳にした、あの幻聴のような声だ。

 同時に。

 人魂のような物体の後ろに、真っ黒な人影が――『魔女』のような姿が――現れた。


――――――――――――


「ゲルエイさん……。わざわざ『うらめしや』みたいに言うのは、ちょっとやりすぎじゃないかなあ?」

 屋根の上で待機していたみやこケンは、眼下で繰り広げられる光景を眺めながら、一人で苦笑する。

 ここ『魔女の遺跡』は、屋根に穴が空いている箇所がいくつもあるため、ケンの場所から、三階の様子が手に取るように見えるのだった。

 ケンは釣り竿を手にしており、穴の中に糸を垂らしているので、ケンの世界の人間が見れば「まるで氷上でワカサギ釣りをする釣り人のようだ」と思ったかもしれない。だが、今ケンのやっていることは、そんな穏やかな作業ではない。これも、立派な裏仕事の一環だった。

 ケンのルアー竿ロッドは、裏仕事におけるケンの武器であり、いつもは釣り糸の先に、ルアーが括り付けられている。小型の鉤爪のようなトリプルフックが、複数装備されているルアーだ。だが今は、ルアーの代わりに、別の物が吊るされていた。油の染み込んだ布で小さな木片をくるみ、ゲルエイの弱炎魔法カリディラで着火したもの……。つまり、フィリウスたちが人魂だと思った物体は、上からケンが糸で吊るして、操っていたのだ。

 そんな『人魂』に照らされながら、ゲルエイ・ドゥが今、フィリウスたち三人の前に姿を表した。いつもと同じ格好の彼女は、つばの広いとんがり帽子も、ゆったりとしたローブも黒一色。誰が見ても魔法使いをイメージしてしまう外見だ。特に、この『魔女の遺跡』で亡くなったと言われている女性は、最期こそ白装束だったが、いつもは黒っぽい服装を好んでいたという話だから……。

「まあ、この状況では『魔女』の幽霊だと思っちゃうよね」

 ケンが呟いた通り。

 少しの間、三人は恐怖で言葉も出ずに、硬直して立ちすくんでいた。だが、誰か一人が悲鳴を上げた途端、釣られたように三人とも再起動する。口々に何か喚きながら、炎球とゲルエイ――彼らが人魂と幽霊だと思っているもの――から、逃げる方向に走り出した。

「じゃあ、次の段階ステップだ」

 もう三人が『人魂』を見ていないのを――『人魂』に背を向けているのを――確認してから、ケンは、リールを巻き上げた。

 ここまでの行動も、今回の仕事では必要な演出だった。フィリウスたちに「呪い殺される」という恐怖を体感させることも、依頼人の要望に含まれていると考えられるからだ。

 これで、三人は「自分たちを呪うために『魔女』の幽霊が現れた!」と恐れおののいたことだろう。次は『始末』の工程だ。

 ケンは、擬似『人魂』の火を消して、手早くルアーと交換する。そして慣れた手つきで、アンダースローでキャストした。ルアーは、狙いたがわず飛んでいき……。

「ヒット!」

 ケンのルアーは、グラーチの騎士鎧の首根っこの部分に、がっちりとトリプルフックを引っ掛けていた。

「大物ゲットだぜ!」

 リールを巻き始めるケン。ケンの道具は、あらかじめゲルエイの強化魔法コンフォルタンで強度を高めてある。だから、グラーチ一人を引きずっても、糸が切れる心配など皆無だった。


――――――――――――


「うわっ!」

 走って逃げ出したはずの三人のうち、突然グラーチが、大声を出して背中から倒れ込んだ。そして、そのまま後方へ、ずるずると引きずられていく。

「おい、どうした?」

 フィリウスもブランも、思わず足を止めて、振り返ってしまったが……。

 天井の穴から差し込む月明かりしか照明がない今の状況では、グラーチを引っ張る釣り糸なんて二人には見えていないし、グラーチの騎士鎧の襟足部分に食い込んでいる小さなルアーにも、二人は気づいていない。だから二人には、まるで見えない何者かの手によって、グラーチが連れ去られていくようにしか思えなかった。

 特に、グラーチが引きずられていく先には、依然として『魔女』の幽霊とおぼしき人影が立っているのだ。あの幽霊がグラーチを引き寄せているように見えても、不思議ではなかった。

「助けてくれえ!」

 グラーチは、手足をバタバタさせながら叫んでいる。しかし、フィリウスもブランも、すぐには反応できず、ただ見守るだけだ。

 グラーチが引っ張られていく先には、床に小さな裂け目のある箇所もあった。だが、そこまで観察する余裕は二人にはなく、ましてや、床板の隙間から覗く目があることなど、知るよしもなかった。


――――――――――――


「そろそろだな……」

 下の階でスタンバイしていたのは、剣を構えた状態のピペタ・ピペトだった。

 彼はタイミングを見計らって、頭上まで引きずられてきたグラーチを、床板の隙間からブスリと剣で刺し貫く。

 復讐屋として標的を刺突する時の恒例で、ピペタは剣を押し込みながら手首を捻り、獲物の臓物を抉るのだった。


――――――――――――


「グラーチ!」

 フィリウスとブランが見届ける中。

 グラーチは『魔女』らしき人影の手前で止まると同時に、大きくビクンと全身を震わせた。そして、それまで手足をバタバタと振っていたのが嘘のように……。グラーチの体は、全く動かなくなってしまった。

 下からピペタに剣で貫かれたのだが、フィリウスやブランには、そんな事情はわからない。彼らが理解できたのは、いつのまにかグラーチの腹からやいばが突き出している、ということだけだった。

 人の体から剣が生えるなど、ありえない話だ。冷静に考えれば「下から刺し殺された」と思いつくだろう。だが、今の二人に、そんな冷静さはなかった。

 殺害者の姿が見えないからこそ不気味であり、いっそう混乱してしまう。しかも、グラーチの死体の先には、黒い幽霊の姿も見えているのだ。

 一瞬、時間を置いてから。

「ぎゃああっ!」

 フィリウスの耳元で、隣にいたブランが、大きな悲鳴を上げる。友人の死を頭で理解するまで、少しのタイムラグがあったのだろう。

 しかしフィリウスには、ブランの大声を迷惑に感じて注意することも、ブランと一緒になって泣き喚くことも出来なかった。

 ブランの声が聞こえたのと同時に。

 フィリウスは、恐ろしい『魔女』の姿を目に焼き付けたまま、意識を失って倒れてしまったからだ。

 当然、その様子は、ブランの視界に入っていたが……。

「冗談じゃない!」

 こんな場所には、これ以上いられない! 一刻も早く、この場から立ち去らなければ!

 フィリウスを助け起こす余裕もなく、ブランは、一目散に走り出していた。


――――――――――――


「仲間を置いていくとは、薄情なものだねえ」

 オモテの仕事でも使う水晶玉をかかえながら、ゲルエイ・ドゥが呟く。

 彼女が見つめる先では今、一人は必死になって逃走しようとしており、もう一人は眠りに落ちてゆかに倒れていた。

 眠らせたのは、当然、ゲルエイだった。

 彼女の睡眠魔法ソムヌムは、同時に複数を眠らせることも可能だ。しかしここでは、フィリウス一人を確実に眠らせるために、あえて対象を一人に絞って使ったのだった。

「あんたの運勢、占ってやろうか?」

 ゲルエイは、恐怖の表情を浮かべたまま熟睡しているフィリウスに歩み寄り、水晶玉を掲げた。

 裏の仕事で使う時、この水晶玉には、あらかじめ強化魔法コンフォルタンをかけてある。だから、少しくらい手荒に扱っても壊れないような頑丈さを誇っていた。

「……いや、占うまでもないね。あんたを待っているのは『死』だ」

 彼女の決め台詞は、眠り込んでいるフィリウスには聞こえていない。逃げていくブランの耳にも、届いていなかった。

 それを承知した上で……。

 水晶玉を――凶悪な鈍器と化した水晶玉を――叩きつけて、ゲルエイは、フィリウスの頭をグシャリと潰すのだった。


――――――――――――


 何が起きているのか理解できず、ただ廊下を逃げるしかないブラン。

 幸い、階段のところまで無事に辿り着いたので、屋敷から脱出するために、急いで降り始める。

 しかし。

「ぎゃあっ! また現れた!」

 彼の行く手を遮るかのように、階段の途中に、黒衣の女が立っていたのだ。

 殺し屋モノク・ローなのだが、当然ブランには、そんなことはわからない。同じ黒ずくめではあっても、よく見れば、三階にいたゲルエイの格好とは全く別物なのだが……。

「やっぱり幽霊だ!」

 今のブランに、冷静な観察眼など期待できなかった。彼は「先ほどの『魔女』の幽霊が、いつのまにか、先回りしやがった」と考えてしまう。幽霊だからこそ――超常現象だからこそ――、不可思議な『先回り』も可能だと思ってしまったのだ。

 しかも。

「貴様も俺の標的だ」

 モノクが口にした言葉が――いつも殺し屋が標的に与える死の宣告が――、ブランの誤解を助長する。『標的』という言葉が「『魔女』による呪いの標的」という意味に聞こえたのだ。

「待ってくれ、俺は違う! 俺を呪うのは理不尽……」

 弁解の言葉を口にするブランだが、殺し屋モノクは、最後まで言わせなかった。

 一瞬で距離を詰めたモノクは、右手に装着している鉤爪で、ブランの喉を掻き切ったのだ。

「貴様は勘違いしていたようだが、呪いなんて、そもそも理不尽なものだ。だからこそ怪談のたぐいは、人々の恐怖の対象になり得るのだ」

 持論を述べるモノクだったが、すでにブランの耳には入らない。

「依頼は実行された。まずは、息子たち三人……」

 絶命して倒れているブランを見下ろしながら、モノクは小さく呟いた。

   

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