第二十一話 ふたつの終わり

   

 ディウルナ・ルモラの魔法を受けて一斉に倒れた四人のうち、最初に立ち上がったのは、アリカム・ラテスだった。

「お前たち! しっかりしろ! あの程度の攻撃で、いつまでも寝ているのは情けないぞ!」

 アリカムの叱咤しったを受けて、まずは彼の妻メレタが、続いてフィリウス・ラテスとグラーチ・シーンが、よろよろと起き上がる。

「まさか、ニュース屋ごときが魔法で歯向かってくるなんて……」

 メレタが、雷魔法による痺れを物理的に拭い去るかのように、手足をブラブラさせながら呟いている。

 一方、アリカムは、

「いわゆる『窮鼠猫を嚙む』というやつだな。私たちは猫ではないが、しょせん、あやつらはネズミだったということだ」

 そう言って、軽く苦笑してみせた。続いて、真面目な顔に戻り、

「ともかく、このまま逃すわけにはいかん。追うぞ!」

 三人を引き連れて、部屋を飛び出すのだった。


「待て」

 廊下に出たところで、アリカムは、ついてきた三人を制止する。

「あなた、どうしたのです? 早く追わないと……」

 メレタの言葉を受けて、

「あれを見ろ」

 アリカムが指し示したのは、廊下に倒れているブラン・ディーリだった。

「うぅ……」

 呻き声を上げるブランのところに、

「おい、ブラン!」

「大丈夫か?」

 フィリウスとグラーチが駆け寄った。

 そんな若者たちを眺めながら、アリカムは説明する。

「彼の剣は、血で濡れている。ここで、あのニュース屋の女に一太刀浴びせたのだろう」

 さらにアリカムは、廊下に点々と続く血痕を指差した。

 そして都市警備騎士団の警吏らしく、冷静に状況を説明する。

 彼は先ほど、ディウルナによりレグが止血されるのを目撃していた。倒れていても意識は失っていなかったので、あの場でのディウルナの行動は、ちゃんと視界に入っていたのだ。

 レグが血を流していないならば、目の前の血痕がディウルナのものであることは明白だ。もちろん、かろうじて血を止めただけで、まだレグの体がボロボロなことも、正しく理解していた。

 つまり、二人とも手傷を負った状態だ。

「手負いの獣を二匹仕留めるだけならば、私が行くまでもない。息子たちだけで十分だ」

 先ほどフィリウスたちに「とどめを刺せ」と命じたように、あの二人の始末は息子たちが行うべきというのが、アリカムの考えであり、本来の予定だった。

 ただし、攻撃魔法まで使えるディウルナが元気であるならば、それなりに脅威になるから話は別。アリカム自身も追っ手に加わるつもりだったのだが……。

 彼女も酷く傷ついているなら、その必要はなくなった。最初の計画に従うべきだ。アリカムは、追撃は息子たちだけに任せようと考えたのだった。


「でも……。『手負いの獣』という言葉は、どちらかといえば『傷を負った獣こそ必死に反撃するから危険』という意味ではありませんか?」

「心配するな、メレタ。それでも、獣は獣だ。こちらが注意を怠らなければ、人間の敵ではない。それと同じで、傷ついた庶民など、騎士の敵ではないのだ。ちゃんと『注意を怠らなければ』な」

 そもそも、二人を息子たちに始末させたいとアリカムが考えたのは、彼らに「自分たちのせいで始まった騒動の責任は、自分たちで取らないといけない」と学ばせたいからであり、これも騎士教育の一環だった。

 騎士教育なのだから、全く反撃できない敵を相手にするより、それなりに反撃の意思を持つ標的の方が、ちょうどいいくらいだ。それでも油断さえしなければ、騎士が庶民に負けるはずなどないのだから。

「でも……。もしも、あの二人に逃げられたら……」

 不安そうなメレタに対して、

「心配することはありませんよ、奥さん」

 ちょうど廊下に出てきたタントゥム・ディーリが、そんな言葉を口にする。ようやく彼も回復して、アリカムたちと合流しようとしたらしい。

「あいつらが今夜の出来事を訴え出たところで、アリカム隊長や俺が、訴えを握り潰しますから」

 タントゥムは胸を張って保証するが、メレタとしては、夫アリカムが小隊長に過ぎないことをよく理解している。『訴えを握り潰す』なんてことが出来るのは、もっと上の立場の人間だろうと思っている。ましてや一介の騎士でしかないタントゥムに、何が出来ようか……。

 しかしメレタは、その点には敢えて触れずに、ほかを指摘するにとどめた。

「そちらは良いとしても……。でもニュース屋には、大衆紙という手段があるのでしょう? もしも今夜の事件を書き立てられたら……」

 そもそも二人を始末しようという話になったのは、彼らが大衆紙を使って、ラテス家が関わった事件を大きな醜聞にしようとしたからだ。今夜の話も、その絶好のネタにされるだろう。

「ふむ。確かに、それは困るが……」

 これに関しては、アリカムも妻の言い分を認めるしかなかったが、

「そちらも、俺に任せてください」

 ポンと胸を叩きながら、タントゥムが安請け合いする。

「もしも二人が逃げのびても、しばらく大衆紙なんて発行できないように……。俺がニュース屋の家に先回りして、あいつが不在の今のうちに、魔法式印刷機を壊してしまいましょう。今なら、その絶好の機会ですよ」


 アリカムやタントゥムたちは、ディウルナが書写魔法スクリバムを使えることは知らない。彼女から弱雷魔法トニトゥラを食らった今でも――いやむしろ彼女の魔法が微弱だったからこそ――、ディウルナが扱えるのは初歩的な魔法のみだと誤解していた。彼女の家にあるであろう魔法式印刷機さえ破壊してしまえば、もうディウルナは大衆紙なんて作れないと、彼らは思っていたのだ。

「では、俺は一足先に、ニュース屋の家に向かいます。アリカム隊長、俺の息子のことは、よろしくお願いします!」

 そう言って、急いで走っていくタントゥム。

 去り際に彼が、息子ブランの肩を軽くポンと叩くのを見て、メレタは「あんなゲスな男でも、息子に対しては父親なのだな」などと思ったりしていた。

「さあ、タントゥムは、自分のやるべきことをするために出かけたぞ。お前は、いつまで寝てるつもりだ?」

 残されたブランに対して、アリカムが厳しい言葉を投げかける。

 それに呼応するかのように、フィリウスとグラーチの二人が、肩を貸しながら、無理矢理にブランを立ち上がらせた。

「よし、タントゥムの息子も回復したようだな。ならば、もう話は十分だろう」

 夫アリカムの言葉を耳にして、メレタは「本当に『もう話は十分』だ」と内心で嘆いていた。彼女にしてみれば、ここで悠長に話し合っている場合ではないと思うからだ。

 しかし、アリカムとしては、事情もわきまえずに単にのんびりとしていたわけではなかった。彼は『手負いの獣』に、ある程度の時間を――少しだけ逃げる猶予を――与えたつもりだったのだ。

 そうでなければ、狩にならない。息子たちの獲物として相応しくない。

「どこまで逃げたのか、私にはわからないが……」

 最初の予定通りに、ここで息子たちに始末されるのであれば、二人は無抵抗な状態で殺されることになったかもしれない。それと比べれば、今現在の状況の方が、騎士教育の教材として、いっそう適しているではないか。

 そう考えたアリカムは、思わず、顔がニヤけてしまう。

「……それでも、お前たちならば、仕留められるだろう?」

 アリカムから、不気味な笑顔を向けられて。

 フィリウス、ブラン、グラーチの三人は、ディウルナとレグを追って、走り出すのだった。


――――――――――――


「……以上のような事情により、現在、我々は必死に逃走中である。果たして二人がどのような結末を迎えるのか、それは続報で詳しく語ることになるであろう」

 夜の街を走るディウルナの口から、いつもとは全く違う口調の言葉が飛び出している。

 今、彼女は、書写魔法スクリバムを用いて、手帳に今晩の出来事を書き記していた。口から出た言葉を紙に文字として残すのが、書写魔法スクリバムの本来の使い方だ。

 もちろん、まだ彼女はレグを背負ったまま走り続けており、手は塞がっている。ポケットから手帳を取り出している状態ではない。それでも、身につけている『紙』が対象ならば、目の前にある用紙と同じように、魔法で書き残すことが可能なのだ。書写魔法スクリバムは、彼女にとって得意な魔法なのだから。

 そもそもポケットの中の手帳は、取材の際にメモするために持ってきたものだった。取材をしながらでは書写魔法スクリバムも詠唱できないので、魔法ではなく実際のペンで、色々と書き留めるためのものだった。

 しかし、今こうして『メモ』どころか、ほとんど大衆紙の草稿とも言えるレベルのものが書けている。予定していた用途とは違うが、とりあえず『紙』があって良かった……。ディウルナはニュース屋として、そう思うのだった。

「さすがはディウルナさんですね。こんな状況でも、記事を書くなんて……」

 彼女に背負われたレグが、ディウルナの耳元で賛辞を述べる。

 ディウルナが拾い上げた時と比べたら、レグは口調もしっかりしてきているし、だいぶ回復してきたらしい。


 ここまでの逃走中、ディウルナは、ほぼずっと呪文を唱え続けていた。書写魔法スクリバムだけでなく、弱回復魔法レメディラも使っていたのだ。

 腹からポタポタと血を垂らし続けていたら、それを目印に後を追われることくらい、彼女にもわかっていた。だから、まずは魔法で自分の止血をして、その後は、レグを回復させることに魔力を費やしていた。

 とりあえず、書写魔法スクリバムによる口述筆記の方は、ほぼ『草稿』レベルのものが出来上がった時点で、もう十分だろう。これで、レグの治療に専念できるわけだが……。

「ディウルナさん、もう降ろしてくれて結構です。おかげさまで、かなり回復しました。そろそろ自力で歩けそうです」

 背中のレグが、ディウルナに気丈な言葉をかけてきた。

 しょせんディウルナの回復魔法など、気休めに毛が生えた程度であり、まだまだレグの体はボロボロなはずだ。それでも、なるべく迷惑をかけたくないという気持ちから、こんな言葉が口から出ているのだろう。

 ディウルナは、レグの気持ちを察しながら、一応、彼の言う通りにする。

「そうですか? では……」

 いったん停まって、レグを降ろすディウルナ。

 地面に足が触れた瞬間、早速レグは足をよろつかせる。

「大丈夫ですか? やっぱり、まだ、あっしが……」

「いえいえ。久しぶりの大地に、少し足が驚いただけで……。ほら、もう大丈夫です!」

 元気になったと示すために、二本の足を踏みしめて、しっかりと大地に立つレグ。

 無理しているのが丸わかりだが、こういう場合は、気力こそ大切だ。彼の意思を尊重するべきだ。

 ディウルナは、そう考える。

「わかりました。じゃあ、急ぎましょう。さいわい、まだ彼らには追いつかれちゃいないようですが……」

 レグに声をかけながら、後ろを振り返った時。

「いた!」

 叫び声を発する追っ手の姿が――三人の少年たちの姿が――、彼女の視界に入った。


「レグさん! 一人で逃げてください! ここは、あっしが食い止めます!」

「でも……」

 慌てた声のディウルナに、レグは、オロオロした態度を見せる。

 だが、今は押し問答をしている場合ではない。

「あっしにとってレグさんは、事件の大事な生き証人だ。あんたがいなくちゃ、あっしの記事は成り立ちません。それに、記事と言えば……」

 ディウルナは、ポケットから手帳を取り出し、レグに押し付ける。

「これ、レグさんに託します。これこそ、大事な大事な記事の原稿だ。ニュース屋にとって、命より大切な原稿だ。これをあっしだと思って、きちんと守って、しっかり逃げのびてくださいや」

「……」

 レグは無言で、渡された手帳に目を向ける。

「さあ! モタモタしてる暇はありませんぜ。レグさん、早く!」

 確かに、もう三人の少年は、かなり近くまで迫ってきている。

 レグとしても『命より大切』とまで言われた代物シロモノを預けられたら、それ以上は何も言えなかった。

「……わかりました。この手帳は、絶対に、私が死守します。だから、レグさんも、後から必ず来てくださいね?」

「ええ、約束しますよ!」

 あえて軽く言ってから、レグは、突き飛ばすような勢いでレグの背中を押した。

 そのままレグは、おぼつかない足取りで、その場から離れ始める。

 彼が行くのを見届けてから。

 ディウルナは、三人の少年の方に向き直った。

「さあ! ここから先は、一歩も行かせませんぜ! ここを通りたきゃあ、あっしを倒してごらんなせえ!」


「庶民のくせに生意気な!」

 三人のうちで、真っ先に立ち向かって来たのは、ブランだった。少し前に『魔女の遺跡』で、ディウルナに怪我を負わせた少年だ。

 しかも、あの時と同じような台詞を吐いている。まるで、馬鹿の一つ覚えだ。

 だが、それを言うならば、自分も『馬鹿の一つ覚え』になるのだろう。

 そう思いながら、ディウルナは呪文を唱える。

「フルグル・フェリット!」

 あいも変わらずの、弱雷魔法トニトゥラ。彼女には、これしか攻撃手段がないのだから、仕方がない。

 雷は、猪突猛進のブランに直撃。彼は体をビクンと震わせてから、その場に崩れ落ちたが……。

「まずいな……」

 自分の魔法により出現した雷を見て、ディウルナは感じ取っていた。

 明らかに雷が弱くなっている、と。

「ちっ!」

 右手で腹を抑えながら、ディウルナは、小さく舌打ちをした。

 正直、腹の傷が――『魔女の遺跡』でブランに刺されたところが――、酷く痛むのだ。

 これまでは、魔法で原稿を書いたり、背負っているレグを心配したり、他に意識を向けることがあったから、自分でも痛みに気づいていなかった。だが一人になった今では――レグも手帳も手放した今では――、この傷の痛みを、強く意識してしまうのだ。

「いけませんね。今は……。目の前の敵に、集中、集中!」

 声に出して、自分に言い聞かせるディウルナ。

 たった今放った雷の弱さも、痛みで呪文に集中できなかったせいかもしれない。こんなことでは、切り抜けられるはずの場面も、切り抜けられなくなる。


 今、彼女の目の前で。

「おい、しっかりしろ」

 グラーチが、倒れ伏したブランに駆け寄り、彼を介護していた。ブランは、まだ意識があるようだ。

 そして、三人のリーダー格であるフィリウスは……。

 魔法の雷で友人が撃たれたのを見て――自分も『魔女の遺跡』で同じ攻撃を食らっているので――、少し怯えているらしい。だが、それでもディウルナに対して、しっかりと剣を構えていた。

「い、行くぞ!」

 意を決するかのように叫んでから、フィリウスがディウルナに突進してきた。

 魔法を怖がっているはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない、気迫のこもった突撃だった。

 その『気迫』に負けて、勢いに押されたのか。ディウルナは、魔法で迎え撃つことも忘れて、思わず体を捻って、彼の突進を避けてしまった。

「いけない、いけない。あっしとしたことが……。避けてどうすんだ」

 自嘲気味に呟くディウルナ。

 彼女は、レグを逃がすために、ここで壁として立ち塞がるつもりだったのだ。その『壁』が動いてしまったら、一人でとどまった意味がない。

 振り返ると、さいわい、まだフィリウスは近くにいた。

 そのまま走り抜けてレグを追うのではなく、彼もまた、こちらに向き直っていた。

 ディウルナは二人に任せて彼一人でレグをりに向かうという選択肢もあるだろうに、どうやら、三人がかりで先にディウルナを始末するつもりらしい。

 あるいは、今のフィリウスには冷静な判断力などなく、とりあえず目の前に敵がいるから倒そう、というだけかもしれない。

 どちらにせよ。

「きぇあぁっ!」

 言葉にならない気合の叫びを発しながら、再びフィリウスが、剣を振りかざして向かってくる。

 今度は気迫負けせずに、ディウルナは冷静に呪文を唱えた。

「フルグル・フェリット!」


 しかし。

 魔法が発動しない。

 しかも、すうっと意識が遠くなりそうな感覚に襲われる。

 まずい!

 ディウルナは悟った。

 これは「魔力が尽きて意識を失う」という現象だ。

 先ほどの弱い雷も、集中力云々の問題ではなく、魔力切れが近いせいだったのだ。

 考えてみれば、当然かもしれない。今日のディウルナは、たくさん魔法を放ってきた。得意の書写魔法スクリバムに加えて、苦手な――無駄に魔力を食い過ぎる――弱雷魔法トニトゥラと弱回復魔法レメディラも、バンバン使ってきた。

 普通の人間ならば、ここで「書写魔法スクリバムなんて使ったせいで、肝心の攻撃魔法に回す魔力が足りなくなった!」と後悔するのかもしれない。だが、ニュース屋であるディウルナは、逆に「魔力が切れたのが、書写魔法スクリバムを使い終わった後で良かった」とさえ感じていた。

 そんなディウルナであっても、同時に、

「こんな状態で意識を失ったら、あっしは、こいつらに……」

 人並みに焦りもする。だが、それ以上、もう何も出来なかった。

 その場に踏みとどまることすら出来ずに、体がグラリと倒れそうになる。

 そして、意識が暗転する瞬間。

 ディウルナが最後に知覚したのは……。

 自分の腹に突き刺さる、フィリウスのやいばだった。


――――――――――――


「くそっ、あのニュース屋の女……」

 ブランが立ち上がったのは、ディウルナがフィリウスに刺されて崩れ落ちるのと、ほぼ同時だった。

 憎しみを込めた瞳で彼女を見つめながら、彼はフィリウスの方に近づく。

「仕留めたんですか、フィリウス様?」

 こんな時でも、フィリウスに対してだけは敬語になるブラン。

 フィリウスは頷きながら、

「ああ、見ての通りだ。確かに、手応えがあった。内臓を、致命的な臓器を、抉ってやったぜ」

 そう言って、自慢げな顔を見せる。

 実際には、まだディウルナは死んでいなかった。しかし、殺人という行為に慣れていないフィリウスたちでは、瀕死の人間と絶命した人間とを見分けることは出来なかった。それどころか、脈を確認するという発想すら頭に浮かばなかったのだ。

「こいつだけは、俺の手で始末したかったのに……」

「そう言うなよ、ブラン。まだ、もう一人、残っている。もたもたしてられないぞ。行くぞ!」

「はい、フィリウス様!」

 二人は走り出したが……。

「へっへへ……。こいつめ、こいつめ!」

 その後ろでグラーチが、今まで仲間に見せたことのないような不気味な笑みを浮かべながら、ディウルナの背中を、剣でザクッ、ザクッと突いていた。

「おい、グラーチ! 死体蹴りして遊ぶのは、後にしろ! 今は、もう一人を追うのが先決だ!」

「あ、ああ……。わかったよ」

 フィリウスに叱責されて、グラーチは渋々、二人を追って走り出した。


 人通りのない夜の街を、三人は、ひた走る。

 この辺りは、住宅街ではなく、大きな店が建ち並ぶ区域のようだった。昼間は賑わっているのかもしれないが、閉店時間を過ぎた今では、店の人間も住居に帰ってしまい、建物の中には人っ子一人いないようだ。

 そんな建物の壁の一つに、彼らの獲物であるレグ・ミナが、もたれかかっていた。

 おぼつかない足を引きずりながら、ここまで逃げてきたレグは、ついに足が止まってしまって、小休止という状態だったのだが……。

「いたぞ!」

「あれで隠れたつもりか?」

「フィリウス様! 今度は三人で取り囲んで、一斉にやりましょう!」

 反撃手段のないレグは、あっという間に囲まれてしまった。

 ちょうど壁にもたれて休んでいたのが災いして、背中には大きな壁が、前にはフィリウスが、右側にはブランが、左側にはグラーチが……。

 レグは、前後左右、逃げ場がない状態に追い込まれていた。

「……」

 もう言葉を発することも出来ず、なすすべもない。

 なんとか隙を見て逃げ出すしかないのだが……。

「さあ、もう逃がさないぞ!」

「ここまでだ! 観念しろ!」

 三人の少年たちは、じわりじわりと、距離を詰めてくる。

 そして。

「みんな、タイミングを合わせて行くぞ! いいな?」

 彼らは、呼吸を合わせて。

 三人同時に、三方からレグへと突進して、その体に剣を突き立てた。


「終わったな……」

 血まみれで地に伏したレグを見下ろしながら、フィリウスが呟くと、

「こいつの死体も、さっきの女の死体も、放置するわけにはいきませんね」

 ブランは、人を殺したばかりとは思えぬ冷静さで、フィリウスに具申する。

「ああ、そうだな……」

 フィリウスは、少し興奮状態にあり、そこまで考えが回っていなかった。

 確かにブランの言う通り、二人の死体は、アリカムたちの待つ『魔女の遺跡』まで運ぶべきなのだろう。そもそもアリカムの計画では、あの『魔女の遺跡』で二人が死ぬことに意味があるらしい。だからこそ、あそこにレグもディウルナも集められた……。それくらいは、フィリウスも事前に計画を聞かされて、心得ていた。

「でも、なんだか疲れたなあ」

 グラーチの呟きを聞いて、フィリウスも「同感だ」と思う。

 慣れないことをした直後の、疲労のせいなのだろうか、少し眠くなってきたような気が……。

 フィリウスの考えは、そこまでだった。

 彼ら三人は眠りに落ちて、その場に倒れこんだ。


――――――――――――


 その夜。

 ゲルエイ・ドゥは、一人で『魔女の遺跡』へ向かっていた。

 昨晩の『幽霊教会』での会合において「呪いを操るモンスターが――事件の元凶となるモンスターが――『魔女の遺跡』に巣食っているのではないか」という可能性が提唱されている。だから、その件について、彼女自身で少し調べてみようと思ったのだった。

 昨日の集まりの最後には、ピペタ・ピペトから「あまり深入りはするな」と釘を刺されていた。だが、そのピペタだって、今回の事件には個人的に関心を持っている。彼自身が、都市警備騎士団の記録庫で調べものをしているくらいだ。

 だからゲルエイが『魔女の遺跡』を調査するくらい、別に構わないだろう。『深入り』には相当しないだろう。

 ピペタが都市警備騎士という立場を利用して記録庫に出入りしているように、ゲルエイはゲルエイで、彼女らしいアプローチをするだけだ。呪いを操るモンスターの存在を仮定した時点で、呪いも魔法の一種ということになっている。ならば、魔法使いである自分こそが、それについて調べる最適任者のはず……。

 ゲルエイは、そう考えていた。


「……ん?」

 誰もいない夜の大通りを進むゲルエイの耳が、騒ぎの物音を捉えた。

 ひとつ隣の通りだ。何やら人が争っているような気配もある。

 今はレグの息子の事件に関わっているところだ。これ以上、他の厄介事やっかいごとに巻き込まれたくはないのだが、

「助けられるはずの者を見殺しにでもしたら、寝覚めが悪いからねえ」

 そう思うと、放ってはおけない。一応、様子だけでも見ることにして、ゲルエイは騒ぎの方へと足を向けた。

 その結果。

「……!」

 彼女は見た。

 三人の少年に、レグが刺し貫かれる瞬間を。

 普通ならば「何やってんだい!」とでも叫んでしまうところだろう。

 しかしゲルエイは『普通』の人間ではない。それ以上の凶行を止めたいのであれば、もっと別の手段があった。

 叫び出したい気持ちを抑えつつ、ゲルエイは自身の接近を気づかれないように、そっと三人に近づき……。

「ソムヌス・ヌビブス!」

 睡眠魔法ソムヌムで、三人の少年を眠らせた。


 レグに駆け寄ったゲルエイは、まだ彼に息があるのを確認すると、

「しっかりしろ、レグ!」

 彼の意識だけでもはっきりさせようと、大きな声で呼びかける。

「ああ、ゲルエイさん……」

 さいわい、彼はゲルエイに応えてくれた。

「そうだよ、あたしだよ。あんたを助けに来た、ってわけじゃないけどね」

 もしも回復魔法が使えるならば、彼を助けることも出来るかもしれないが……。残念ながら、ゲルエイが発動できる魔法のストックの中に、傷や体力を癒すような魔法はなかった。

「レグ、何か言い残すことはあるかい?」

 ゲルエイは「傷は浅い」などと気休めを言うつもりはなかった。もう助からないのは、わかっていた。せめて遺言だけでも聞き取ろうと思って、レグの意識を回復させただけだった。

「ゲルエイさん……。私は……」

 絞り出すような声で、レグが最期のメッセージを告げようとしていた。

 ゲルエイは、彼の口に耳を近づけて、一語一句、聞き漏らすまいとする。

「……三人の少年だけでなく……彼らをあのように育て上げた親たちも……恨むべきだったのでしょうね……」

「三人の親たち? 三人の両親なら六人ってことになるが、その六人全員かい?」

 ブランの母が既に死去していることなど知らないため、ゲルエイは、そう聞き返してしまう。

「いいえ、違います……。私が憎いのは、そのうち三人……」

「おい、レグ! 六人のうちの三人というのは、誰のことだい?」

 答える代わりに、レグは自分の懐に手を入れた。


 そこに、何か大事なものがあるのだろう、とゲルエイは思う。

 だが、もはやレグには、その『大事なもの』を取り出す力すら残っていなかった。それでも、まるで、その『大事なもの』を取り出してゲルエイに渡したかのようなつもりで、レグは話し続ける。

「この手帳に……詳しいことが書いてあります……。だから……。子供たち三人と、親たち三人を……必ず……」

「ああ、わかったよ。合わせて六人、きっちり呪い殺してやるよ」

 そのゲルエイの言葉が、レグの耳に入ったのかどうか。

 もう彼は、それ以上は何も言えない、ただの屍と化していた。

「レグ……」

 命を失った彼の懐に手を伸ばし、ゲルエイは、一冊の手帳を取り出した。死に際のレグから託された、大事な手帳だ。彼が『詳しいことが書いてある』と言い残した、手帳だ。

 さいわい、刺された部位からは離れたところにしまってあったらしい。手帳には穴も見当たらず、血で汚れている様子もなかった。

「あんたの頼み……。確かに聞き届けたよ」

 大事な手帳を握りしめたまま、ゲルエイは、レグの亡骸から、傍らで眠り続ける三人の少年へと視線を移す。

 手帳に何が書かれているにせよ、レグの命を奪った実行犯は、この三人だ。ゲルエイ自身がその目で見ているのだから、これだけは間違えようのない事実だ。

「あんたたち三人……。本当は、今ここで殺してやりたいくらいだが……」

 唇を噛み締めるゲルエイ。

 この場で三人を始末してしまったら、それはゲルエイ自身の私怨になってしまう。だが、復讐屋としては、そんなことは許されない。きっちり復讐屋の仕事にするのであれば、レグの依頼通りに『呪い』という形で処理する必要があった。

「あんたたちを殺すのは、今じゃない。レグの恨みを晴らす意味で……。あんたたちにも、呪い殺される恐怖を味わってもらうよ」

 そう呟いた時。

 ゲルエイは、背後に人の気配を感じた。


「誰だい!」

 慌てて振り向いたゲルエイの視界に入ったのは、黒装束の殺し屋モノク・ロー。

 モノクは、ぐったりとしたディウルナを背負っていた。

「なんだ、あんたかい」

「それは、俺の台詞だ。こんな時間に、こんな現場に出くわすとは……。どうやら貴様も、俺と似たようなことを考えていたらしいな?」

 昨日の『幽霊教会』における集まりの中、『魔女の遺跡』にいるかもしれないモンスターの話題になった時、モノクは真っ先に「そいつが事件の元凶だから、排除してしまおう」と言い出していた。「それは復讐屋の態度ではない」とピペタに止められていたのだが……。

 慌ててモンスターを倒すかどうかは別にして、とりあえずモノクが『魔女の遺跡』を調べようと考えるのは、当然だったかもしれない。そして、向かう途中で、傷ついたディウルナを拾ったのだろう。

 ゲルエイにも、事情が理解できた。

「なるほど、あんたの言う通りだ。あたしとおんなじだね。……それで、ディウルナの様子は?」

 モノクは、首を横に振りながら、ゲルエイに説明する。

「レグという男が先に逃げているはずだから追ってくれと言われて、ここまでは連れてきたのだが……」

 それ以上モノクは言わなかった。その態度だけで、ディウルナもレグと同じく助からないことは、ゲルエイにもよくわかった。


「ああ、その声は……。ゲルエイさんですね?」

 突然。

 話題の主だったディウルナが口を開いた。

 視力は失われて、もう周りは見えないようだが、かろうじて耳だけは聞こえるらしい。

「ディウルナ! あんた、まだ意識があったのかい!」

「当然ですよ。あっしが今くたばったら、レグさんがどうなったのか、わかりませんからね。彼のことが心配で、死んでも死に切れません……」

「レグなら、無事に逃げのびたよ。少し先で、あんたを待ってるはずだ」

 ゲルエイは、嘘をついた。

 ディウルナの方が手前に倒れていたということは、彼女はレグを逃がすために奮戦したのだろう。その程度の事情はゲルエイにも推測できたので、今のディウルナに「その努力も無駄になった」と真実を告げるのは、さすがに忍びないと思ったのだ。

 ただし、最後の部分を「天国で待っている」という意味に受け取るのであれば、嘘ではないかもしれないが……。

「ああ、それは良かった。レグさんには、あっしの書いた原稿を……。今夜の詳細を記事にしたものを、託してあるので……」

「原稿というのは、レグの持っていた手帳だろう? それなら、今は、あたしが預かってるよ」

 ゲルエイは、ディウルナを安心させたくて、そう言った。今度は嘘ではなく、完全に本当だった。

「そうですか……。ゲルエイさん、あっしの記事、読んでくれました?」

「ああ、読んだよ」

 再び嘘をつくゲルエイ。

 だが、後で必ず読むつもりだから、あながち嘘とも言えないはずだ。

「それは良かった。ホッとしましたぜ……」

 心の底から安心したような声で呟いてから、ディウルナは、今度はモノクに声をかける。

「モノクさんも読んでください。これが、あっしの最後の仕事だ……」

「わかった、約束しよう。俺も、必ず読ませてもらう」

「ありがとう、モノクさん。今にして思えば……。お二人とは、あんまり良い知り合い方とは言えませんでしたが……」

 しみじみと呟いてから彼女が続けた言葉は、モノクとゲルエイの二人に向けたものだった。

「今回のあっしの仕事……。もっと大勢おおぜいに読んで欲しかったのですが……。でも、たった二人の読者のための大衆紙というのも、悪くないかもしれませんぜ……」

 その言葉を最後に。

 ディウルナは、モノクの背中で、静かに息を引き取るのだった。

   

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