第十八話 呪いという形で

   

 はたして本当に『呪い』は実在するのか……?

 みやこケンが持ち出した疑問に対して、ゲルエイ・ドゥは「簡単には答えられない難しい問題だ」と思った。

 そもそもゲルエイは、最初にレグ・ミナから今回の一件について聞かされた時にも、同じような質問をされている。その時は「曖昧な態度を示すのは良くない」と考えて、一応、呪い肯定派の立場を示したのだが……。今回は、余計なことは考慮せずに、正直に答えたいと思う。そして、だからこそ『簡単には答えられない』ということになるのだった。

 しかし。

 最初の質問は難しいとしても、後半に関しては、話が別だろう。

 誰もが真剣に対処するほど、この世界で『呪い』は一般常識になってなどいない。知り合いから「呪われた」なんて相談をされたら、笑い飛ばす人も出てくるに違いない。いや、むしろ「呪いなんて存在しない」という考えの人の方が多いはずだ。

 そのようにゲルエイは答えようとしたが、彼女よりも早く、殺し屋モノク・ローが口を開いた。

「『呪い』と呼ばれる魔法なら、確かに存在しているぞ」


「ああ、魔法の一種なのですか。そう言われれば……。魔法が当たり前に存在する世界である以上、呪いだって、あって当然なのですね」

 ケンは、素直にモノクの言葉を信じてしまった。別の世界から来ているケンは、今ここにいながらも、この世界を外から眺めているような感覚も持っている。彼の世界では『魔法』だって実在しない以上、誰よりも「『魔法』も『呪い』も同じようなもの」という意識が強いのかもしれない。

「今回の話に出てきた『魔女』さんも、死にぎわに披露した呪術を『魔術を応用したもの』と言っていたのですよね? それならば……」

「ちょっと待ちなよ、ケン坊」

 勝手に納得しているケンに対して、ゲルエイがストップをかける。

「あたしゃ魔法使いだから言わせてもらうが……。呪術に相当する魔法なんて、ないはずだよ」

「それは、貴様が知らないだけだろう?」

 ニヤリと笑うモノクを見ると、ゲルエイは、馬鹿にされたようにも感じてしまう。

「おや、言うねえ。まあ、あたしだって、全ての魔法を網羅していると豪語するつもりはないが……」

 モノクは、ケンに「『呪い』と呼ばれる魔法が存在している」と言い切ったのだ。何か、具体的な魔法を知っているはずだった。

「ならば、殺し屋。その『呪い』魔法を、是非ご教授願おうか」

「いや、俺自身は使えるわけじゃない。そもそも、俺は魔法使いじゃないからな」

 モノクはそう言うが……。

 魔法を発動できる者なんて少なくなった現代でも、ゲルエイのように、市井に隠れ住んでいる魔法使いは確かに存在している。そして殺し屋モノク・ローも、魔法使いと呼ばれるほどではないが、初歩的な炎魔法カリディラを使えるのだった。モノク本人は「かろうじて点火に使える程度」と謙遜していたが、それでも上手く応用して裏仕事に活かすのを、以前にゲルエイは目撃していた。

「だが、俺の地元では有名な話だったぞ。かつて『呪い』と呼ばれる魔法攻撃があり、それを駆使して、風の魔王が人々を苦しめた、というエピソードがあるからな」


 モノクは、北の大陸ではなく東の大陸の出身だ。だから、彼女の『地元』というのも、東の大陸の話だろう。

 勇者伝説の時代に東の大陸で猛威を振るったという風の魔王の話ならば、ゲルエイも『風の大陸の伝説』という本で読んでいる。それこそ、ゲルエイがレグに対して、呪い肯定派の立場を示した時に、根拠にした逸話ではないか。

「おい、殺し屋。それって、風の魔王のような、高レベルなモンスター専用の魔法だろう?」

 口を挟んだゲルエイに対して、モノクは、少し不満そうな顔を見せる。

「勘違いするなよ、ゲルエイ。『呪い』は実在するのか、と聞かれたから、例示しただけだ。俺は『人が人を呪える』とは言っていない」

「魔法に詳しいはずの二人が『人間には無理だ』と言うなら……。結局『魔女』の呪いなんて話は、まやかしとか迷信とか、そんな感じですかね」

 ケンが知りたかったのは、今回の事件で出てくる『魔女』の呪いが本物なのかどうか、その点だったのだろう。

 だから、モノクとゲルエイの会話から、ケンは、一つの結論に至ったらしい。

 しかし、

「そうとも限らないぞ、ケン坊」

 魔法なんて全く使えないピペタが、この会話に参加してきた。

「『魔女』の呪いの根拠となった話は、直接『魔女』が呪った相手の不審死だけじゃない。その後『魔女の遺跡』に足を踏み入れた者が事故や怪我に見舞われた、という噂もあるだろう? あれは単なる噂話ではなく、れっきとした事実だからな」


 三日前の南中央広場で「カモン川に身を投げて死んだのは、レグの息子ファバだった」と知って以来、ピペタは毎晩、部下のタイガと共に、都市警備騎士団の記録庫で調べものをしていた。『魔女の遺跡』に関連した事件の記録はないか、それを探していたのだ。

 復讐屋の集まりがあるので、今日は「用事がある」と言って中止にしたが、もしかしたら、タイガは今も、一人で記録を漁っているかもしれない。

「とりあえず三日間だけだから、膨大な記録の一部しか調べられなかったが……。あの『魔女の遺跡』に関わって大怪我をしたという話は、いくつも出てきた」

「わざわざ調べたのかい。ご苦労なことだねえ」

 ゲルエイは、冗談口調でピペタを労ってから、真面目な口調で指摘する。

「ちょっとした事故や、たいしたことない怪我ならば、誰も都市警備騎士団に報告なんてしないし、当然、記録にも残らないのだろう? ということは、ピペタが見つけた記録にあったのは、よほどの『大怪我』ということだねえ」

「そうだ。あるいは、今回のファバのようなケースもある。転落事故それ自体は記録するに値しない事件であっても、身投げ事件の方に関連する形で、記録に残った。死亡事故の記録の中に『ちょっとした事故や、たいしたことない怪我』の記載が見つかることも、結構あるのだ」

「どちらにせよ、氷山の一角だね。騎士団の書類に記されていない事故や怪我の話も、まだまだたくさん、あるだろうね」

「まあ、ゲルエイの言う通りだな。しかも、怪我では済まずに、最終的には亡くなった……。そんな話も、数件程度だが出てきたぞ」

 ピペタとゲルエイの会話を聞いて、ケンが、先ほどの結論を撤回する。

「では……。やはり『魔女』の呪いは存在する? そんな『呪い』と思われるような魔法があって、その効果が今でも『魔女の遺跡』に残っているということですか?」

 少し前まで「『呪い』と呼ばれる魔法は存在するが、ただし、人間には扱えないもの」という論調だったはずだが……。

 ここで、またピペタが、一つの解釈を提示した。

「ゲルエイと殺し屋が言っていたのは、はるか昔の勇者時代の話だろう? ならば、長い年月の間に、そんな魔法を使いこなせるようになった人間が出てきたとしても、不思議ではないと思わないか?」


 言われてみれば。

 ゲルエイの扱う魔法の中にも、勇者伝説の頃には存在していなかった魔法がある。いや『存在していなかった』と断言するのは困難だが、少なくとも、ゲルエイが色々な書物を見る限り、当時に関する記述の中には一切出てこない魔法もあるのだ。

 例えば、ゲルエイがケンを呼び出す際に用いる、召喚魔法アドヴォカビト。あれは、勇者伝説の中では一言も記されていない。もちろん「神様が勇者を召喚した」という記述は至る所で見られるのだが、当時『異世界からの召喚』は神様の専売特許であり、まさしく神の奇跡だった。人間の魔法使いに出来る所業ではなかったのだ。

 だから、長い歴史の中で、魔術研究により新しく開発された魔法があったり、神が気まぐれで新たに与えてくれた魔法があったりしたとしても、おかしくはない。「人間を見限って、神々はお隠れになった」とも言われているが、だからこそ人々を放り出す直前に、最後のプレゼントとして、神が新魔法を授けた可能性もある。

 ゲルエイは、そんなふうに考えていた。

「それと、もう一つ。『魔女』の呪いについて思ったことだが……」

 ピペタが、さらに意見を提示する。

「人間がモンスター専用の魔法を使えるようになったわけではなく、逆に、モンスターが人間の世界に入り込んでいる、とも考えられないか? つまり、人の悪意を利用するようなモンスターが『魔女の遺跡』に巣食っていた、という可能性だ」


 かつて、風・土・水・火を冠する四人の魔王が猛威を振るっていた時代には、その配下であるモンスターたちも、世界中で暴れまわっていたという。書物によれば、安全なのは村や街といった集落の中だけであり、一歩、外へ足を踏み出せば、モンスターが我が物顔で闊歩していたらしい。

 だが、四大魔王が勇者たちによって滅ぼされたことで、モンスターも弱体化した。今や、人間に飼い慣らされるレベルにまで落ちぶれており、小型モンスターの中には、犬や猫といった動物と一緒に、ペット屋で売られている種族までいるくらいだ。

 だが、野生のモンスターが完全に絶滅したわけではない。街の外では、ごく稀に、危険な野良モンスターが目撃されることもある。もちろん、そうしたモンスターが街に紛れ込んだとしても、すぐに都市警備騎士団によって駆除されるのが普通なのだが……。

 可能性としては、『魔女の遺跡』に隠れ住み、『魔女』の呪いを隠れ蓑として、悪さをしているモンスターがいてもおかしくないのだった。

「ふん。あんた、今日は、ずいぶんと頭が回るねえ」

 ピペタに向かって言い放つゲルエイ。

 ゲルエイから見ると、これまでピペタに「賢い」という印象はなかった。

 もちろん、ピペタが優秀な剣士であることは――彼の剣の腕前は――、ゲルエイも認めている。その意味では復讐屋の仲間として信頼しているのだが、頭に関しては別の話だ。仲間の中で頭脳労働の担当は、魔法使いである自分だとゲルエイは自負していた。

 そんなピペタが『魔女』の呪いに関して、これだけ活発に意見を述べている……。おそらくピペタは、少し前からこの件を色々と熟考してきたのではないか。わざわざ騎士団の記録庫で調べるくらいだし、個人的に関心を持っていたのだろう。

 ゲルエイは、そう思うのだった。


 そして、彼女が考えている間に、今度はモノクが、ピペタの意見に反応する。

「ピペタの考えが的中しているならば……。そいつを倒せばいい、ということだな」

 いつのまにかモノクは、腕組みを解いて、壁から少し離れるように立っていた。わずかだが物理的に近づいた分、ここでの議題に彼女が、それまで以上の興味を示しているようにも見える。

「どういう意味だい、殺し屋?」

「貴様たちは、難しく考え過ぎだ。単純な話じゃないか」

 ゲルエイの問いかけに、モノクは即答する。

「『呪い』に見せかける形で人々に悪事をなすモンスターが『魔女の遺跡』にいる、と仮定するのだろう? ならば、そいつが今回の事件の元凶だ。そいつを排除すれば、事件解決だ。依頼人が一番恨むべき相手も、そのモンスターだろう」

 いかにも、殺し屋モノクらしい考え方だ、とゲルエイは思う。モノクは以前に、暗殺を請け負う時も自身の正義に基づいて判断している、と主張していた。今回の話でも、彼女が『悪』と思えるような元凶を想定したに違いない。

 確かに、そんなモンスターがいるならば、それを倒してしまうことで、今後『魔女の遺跡』で「呪われた」なんて話も出てこなくなるに違いない。しかし……。

「事件解決なら、それでいいが、復讐屋としては、ちょっと見当違いだな」

 ゲルエイが何か言い出す前に、彼女の言いたいことを、先にピペタが指摘した。

「元凶が何であれ、今現在、依頼人が恨んでいるのは、そんなモンスターじゃない。依頼人の恨みの矛先は、三人の悪ガキだ。大切なのは、この依頼人の感情だ」

「だからこそ『これは復讐屋の案件なのか』という問題に戻るのですね」

 ピペタに続いて、ケンが話をまとめるように述べた。

 それを聞いたモノクは、

「面倒な話だな、復讐屋というものは」

 また腕を組んで、壁にもたれかる。

「……まあ、いい。そもそもが『もしもそんなモンスターがいるとしたら』という仮定の上での話だ」

 それだけ言うと、興味をくしたかのように、口を閉ざしてしまう。


 モノクだけではなく、少しの間、誰も何も言葉を発しなかった。一つの議論が終わった、ということなのだろう。

 その沈黙を破ったのは、この集まりの主催者とも言えるゲルエイだった。

「では……。とりあえず、もう少し様子を見よう、ということで、今日は解散だねえ」

 この場に仲間を集めた者の責任として、解散宣言を口にするゲルエイ。

 言葉だけではなく「もう終わり」と行動で示す意味も込めて、彼女は、広げていた依頼料を――レグから預かった金を――革袋に戻し始めた。

 早速、殺し屋モノクが無言で帰っていく。

 続いて、ピペタも立ち去る素振りを見せたが、彼は一瞬だけ足を止めて、ゲルエイに告げる。

「なあ、ゲルエイ。復讐屋というチームとしてではなく、個人的な知り合いとしてレグを助けるのであれば、あえて私は止めたりしないが……」

 最後にピペタは、それまで以上に厳しい目つきを見せるのだった。

「……あまり深入りはするなよ。くれぐれも、無理だけはしないことだ」


――――――――――――


 同じ頃。

 復讐屋たちの話題にされていたレグ・ミナは、アリカム・ラテスの屋敷を訪問していた。

 普通ならばアリカムは、面会の約束もない庶民が急に来ても、絶対に屋敷に上げたりはしない。だが、レグがファバの父親である以上、黙って追い返すわけにもいかなかった。「せっかくファバの死で厄介事は片付いたと思ったのに、まだ続くのか」と、嫌々ながらも、レグとの面談に応じたのだった。

 一応、客間に案内して、レグを長椅子に座らせる。アリカムは、妻メレタと並んで、対面のソファーに腰を下ろした。

「それで、どういう用件だ?」

 庶民のレグに対して、高圧的に接する騎士アリカム。

 アリカムの態度に臆することなく、レグは、自分の主張を述べる。

「アリカム様、お願いがあります。一度でいいから、ちゃんと謝ってください」

「謝る……? 何のことだ?」

 とぼけるつもりではなく、アリカムは、本当にレグの発言を理解できなかった。

「ああ、これは私の言葉が足りませんでしたね。正確には、アリカム様に謝っていただきたいのではありません。フィリウスさんに、ファバの墓前で、ファバに謝って欲しいのです」


 昨日、墓地でゲルエイに告げたように、レグはフィリウスたち三人を強く恨んでいる。「三人も呪われるべき」ということで「呪術者を探してくれ」とゲルエイに頼んだほどだった。今日の昼間、ゲルエイに金を――呪術者に依頼するための金を――渡したほどだった。

 今でも、基本的には、その気持ちに変わりはない。だが、少し冷静になって考えてみると、まず最初にやってもらうべきは「三人に謝ってもらうこと」だと思うのだ。

 特に、首謀者であったフィリウスには、絶対に謝罪の言葉を口にして欲しい。彼らはファバの埋葬にも来ていなかったが、あれでは、あんまりだ。せめて、ファバの墓まで来て、墓標に向かって直接「自分が悪かった」と謝罪するべきではないだろうか。

 昨日は「彼らの顔なんて、まともに見られない」と言っていたレグも、一日経った今ならば、少しは落ち着いており、フィリウスと会っても大丈夫だと考えていた。

 だからフィリウスと話をしようと家まで来たのだが、彼は不在らしい。ならば、親であるアリカムから言い含めてもらおう。レグは、そう思ったのだが……。

「フィリウスが謝る……? いったい、私の息子が、何を謝るというのだ? 転落事故の話ならば、単なる言いがかりだぞ」

 話が通じていない。ファバの死の責任なんて、全く感じていない口ぶりだ。レグは失望しながら、持参してきたものをアリカムに渡した。

「わからないというのであれば……。まず、これを読んでください」

 ニュース屋ディウルナ・ルモラが発行した大衆紙だ。

「そこに書かれている通り……。ファバの死は、ただの自殺ではありません。フィリウスさんたちに殺されたようなものです」

 読み始めたアリカムは、露骨に顔をしかめていた。隣に控えていたメレタが、夫の様子が気になって、横から大衆紙を覗き込むほどだった。

 そして。

「くだらん話だ」

 最後まで目を通したアリカムは、そう吐き捨てた。

「これこそ、酷い言いがかりではないか。これを書いたニュース屋が、偏見で、勝手に言っているだけだ。フィリウスを犯人扱いするとは……。許せん!」

 話しながらアリカムは、右手で持った大衆紙を、左手でパン、パンと叩いていた。その手つきは、まるでけがらわしい物をはねのけるかのような動きだった。

「違いますよ、アリカム様。ディウルナさんの偏見なんかじゃありません。私の代弁でもありますし、記事を読んだ人々も、賛同してくれています」


 厳密には、どれほど『賛同』が得られているのか、レグは正確には把握していない。そもそも、今朝発行されたばかりの大衆紙なのだ。一応、レグの耳に入ってくるのは「そうだ、そうだ」という肯定的な声ばかりだったが……。

「賛同してくれている、だと? お前は、民衆の意見を全て聞いたとでも言うつもりか? それこそ、無知な庶民の驕りだぞ」

 確かに、アリカムの言う通り『レグの耳に入ってくる』時点で、レグに好意的な意見に偏るのは自然だろう。

「それはそうかもしれませんが……」

 その点は認めつつも、レグは、一歩も引かなかった。

「おそらくディウルナさんは、この話をさらに記事にして、もっと広く大衆に問いかけるはずです。だから今後、本当に大衆が私を支持してくれた時には……。ちゃんとフィリウスさんをファバの墓まで、謝罪に寄越してもらえますか?」

 すると。

「今後、か……」

 一言だけ呟いてから、アリカムは、黙り込んでしまった。

 不満の色を顔に浮かべたまま、目を細めて、あらためてレグを眺める。

 そして。

「ちょっと待っておれ」

 言い捨てて、席を立つ。


 そのまま部屋から出て行くアリカムを目で追ってから、レグは、残ったメレタに問いかけた。

「奥様。アリカム様は、いったい何を……?」

「私にも、わかりませんわ。でも、ちょっと待つように、と言ったのですから、待っていればわかるのでは?」

 メレタの言葉通り、アリカムは、すぐに戻ってきた。

 片手で持てる程度の小箱を持ってきており、それを、レグの前に差し出す。

「これをやるから、それで納得しろ」

 アリカムがそう言うので、一応、中身を確認するレグ。

 蓋を開けると……。

 何枚かの大判金貨が入っていた。大判金貨一枚が普通の金貨の百枚に相当するので、これは、かなりの大金だ。

 驚愕しながらも、レグが、その意味することを確認する。

「お金で詫びる、ということですか?」

 商人としては、大金を入手する機会があれば喜ぶべきだが、今は、そんな場合ではなかった。野菜売りという商人としてではなく、息子を失った父親として、ここにレグは来ているのだから。

 レグは残念に思う。誠意を見せて欲しかったのに、気持ちではなく、お金とは……。

 しかし、そんなレグをさらに驚かせる言葉が、アリカムの口から飛び出すのだった。

「ふん。こちらには非がない以上、本当は、詫びる必要もない話だぞ。だが、仕方がない。ニュース屋と組んでまで、この話を広めようというのだろう? たとえ事実無根だとしても、大きく噂になるだけで、ラテス家としては不名誉になるからな」


 レグは絶句した。

 まだアリカムは『こちらには非がない』という態度なのだ。

 しかも。

 アリカムは、レグのことを、ゆすりたかりだと思っているらしい。「さらに話を広めて欲しくなければ、金を出せ」ということで、大衆紙を持参してきた……。そう考えているらしい。

「冗談ではありません!」

 言葉を取り戻したレグは、顔を真っ赤にして立ち上がった。

 同時に、大判金貨の小箱を、その場に叩きつける。箱から溢れた大判金貨が硬質な音を立てるが、それをかき消すかのような勢いで、レグは叫んだ。

「人の心が、金で解決できるものですか! 騎士として、恥ずかしくないのですか!」

「人……?」

 アリカムが小さく呟いたが、激昂するレグの耳には入っていない。レグの耳に届いたのは、冷静なメレタの言葉だけだった。

「とりあえず、今日のところは、お帰りください」

 確かに、これでは、いくら話しても無駄だ。

 レグは、言われた通り、帰ることにした。しかし、最後に一言だけ、メレタに言葉をかける。

「奥様は、確か庶民の生まれでしたね。奥様ならば、騎士と庶民の両方の立場や感情が理解できるから、両者の架け橋にもなれるでしょう。期待しています。そんな奥様のことを大きく取り上げてもらえるよう、私からディウルナさんにも言っておきますよ」

 そう言い残して、去っていくレグ。

 彼は言葉通り、メレタに期待しているからこそ、そんなことを言ってしまったのだが……。


――――――――――――


 レグが帰っていった後。

 夫アリカムの心境を察して、彼の気持ちを和らげるために、メレタは急いで、晩酌の用意を整えた。

「自分を人扱いするとは……。愚かな庶民だ」

 呟くアリカムのグラスにワインを注ぎながら、メレタは、大きく頷いてみせた。

「まったくですわ。虫ケラに過ぎない庶民のくせに、自分を人間だと勘違いするなんて……」

 さらにメレタは、どこかで聞いた話を口にする。

「そういえば……。人間と一緒にペットとして暮らしていると、犬や猫でも、自分を人間だと思い込むらしいですね。あの庶民も、息子を騎士学院に通わせていたから、それで誤解してしまったのかもしれません」

「自分を人間だと思い込むペットか……」

 アリカムはアリカムで、この話に、何か思うところがあるらしい。

「だが、そんな『ペット』が本当に『人間』に変わるのが、どれほど大変なことか……。お前が、一番よくわかっているだろうな」

 彼は、メレタに対して、悪意のない笑顔を向ける。

 暗にメレタを「かつては人ではなく『ペット』に過ぎなかった」と言っているのだから、一種の悪口なのだが……。そんなつもりではないことを、すでに長く連れ添ったメレタは、きちんと理解していた。

「そうですね……」

 メレタにもわかっている。今アリカムがメレタの出自に言及したのは、レグの帰り際の台詞が頭に残っていたからだ、ということを。

 かつてはレグよりも下層階級だったメレタも、今では名門騎士ラテス家の奥方として、すっかりアリカムの思想に染まっている。庶民なんて虫ケラ同然と思っている。

 しかし、それを当然レグは知らなかった。レグは、アリカムやメレタの本性を見抜けるような人間ではなかったのだ。

 だからレグは、庶民感情も理解できる騎士階級ということで、メレタをキーになり得る善良な人物だと誤解して「大きく取り上げてもらえるよう、ディウルナに言っておく」と言い残したのだが……。

 そもそも「騎士と庶民の架け橋」なんて考えてもいないアリカムとメレタにしてみれば、レグの言葉は捨て台詞のようなものであり、脅迫の一種に聞こえていた。「メレタの出自も大衆紙で大々的に扱って醜聞にするぞ」というように。


 ニュース屋のディウルナは一度、取材のために、アリカムの屋敷を訪れている。だが、ちょうどアリカムもフィリウスも不在であり、対応に出たのはメレタだった。

 その時メレタは、ディウルナを、ほとんど門前払いの形で追い返している。

 口では文句を言いながらも、顔には不満の色を出さずに「また来ますよ」と言い残して帰っていったニュース屋の女……。そんなディウルナの姿を思い出しながら、

「困った話ですね。大衆紙で騒がれるなんて……」

 ため息を吐くメレタ。

 メレタが庶民の出身であることは秘密ではないし、都市警備騎士団の中でも知る者は多いだろう。しかしメレタは、かつて自分が体を売って暮らしていたことを、夫アリカムにも告げていないくらいだった。こちらは、極秘事項だったのだ。

 メレタとしては、薄々アリカムは察しているだろうと思っている。だが、それを互いに口にしないのが夫婦という関係だ……。そう理解していた。

 だから。

 もしも、そこまでニュース屋に突き止められて、もともと娼婦であったことまで大衆紙で書かれたら……。名門ラテス家の名前に傷がつくのは当然として、さらに、アリカムとメレタの関係にも悪影響が及ぶかもしれない。

 それだけは、なんとしても避けるべき事態だった。


「あの身投げで……。一般組の虫ケラが一匹、騎士学院から消えて、かえって良かったというのに。まさか、こんなことになるなんて……」

 厄介そうに呟くメレタの言葉を耳にして、夫アリカムが、彼女の体に手を伸ばしながら囁く。

「そう悲観することはない。しょせん庶民は庶民。せっかく金をくれてやろうというのに、それを断った時点で、奴らの運命は決まったのだ。『この程度では足りない』と欲をかいた者の末路は、いつも一つだ」

「どういう意味ですか?」

 メレタは、彼女の腰に回されたアリカムの手を握りながら、彼に尋ねた。

「金で解決できないならば、始末するしかないだろう。さらに二人くらい庶民が消えても、誰も困るまい?」

「まあ!」

 弾かれたように声を上げてから、メレタは、ホホホと笑った。

「そうですわ。私ったら、何を大げさに考えていたのでしょう。邪魔な虫ケラは、踏み潰せばいいだけでしたね」

「そうだぞ、メレタ。しかも、今ならば、ちょうど良いタイミングではないか。『魔女』の呪いなんてものを信じる愚民どもは、これも呪いの一部だと考えるだろう」

 つまり。

 息子のファバから父親のレグに『魔女』の呪いが伝播した、と思われるわけだ。

 さらに、迂闊に話を広めたニュース屋にも呪いが感染うつったということになれば、これ以上、噂話を広める者も出なくなるだろう。

「『この話に関わると、自分も呪われる』という考えは、一種の抑止力になるわけだ」

「邪魔者を排除できるだけでなく、醜聞の拡散も止められる……。まさに一石二鳥ですわ!」

 そんな『魔女』の呪いなんてものがあるならば、本来、ファバの次に呪われるのは、一緒に肝試しをおこなったフィリウスたち三人のはず。しかし「騎士は特別」と考えるアリカムやメレタの頭の中では「フィリウスたちは騎士階級の人間だから、持ち前の強靭さで呪いをはねのけた」というストーリーが――都合の良い解釈が――出来上がっていた。「人々も同様に解釈してくれるのが当然」とまで思っていた。

「でしたら……。そう思わせるためにも、それなりの最期を用意してあげましょう。呪いという形に見える死に方を……」

 そう言ってメレタは、どぎついほどに真っ赤な唇を歪めて、妖艶な笑みを浮かべるのだった。

   

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