第十二話 騎士にあらずんば人にあらず

   

「それは良かったですね。では、今夜は二人で、ささやかな祝宴をあげましょうか? 少しお待たせしますが、今から料理を二、三品、追加することにして……」

 メレタは、夫アリカム・ラテスの態度に合わせて、彼が持ち込んだニュースを朗報として受け取った。

「いや、それには及ぶまい。メニューは増やさず、酒をつけてくれるだけで構わない。それより……」

 アリカムから、ねっとりとした好色な視線を感じる。まるで目が舌の代わりになって舐め回すような視線だが、何度も経験した今では、彼女はこれを「心地いい」とさえ感じるようになっていた。

 そして、夫がこのような目つきになる時、彼が何を考えているのか、それも妻として理解できている。アリカムが続けた言葉は、メレタの予想通りのものだった。

「……祝宴ならば、夕食のテーブルではなく、夜のベッドの中で行うとしようではないか。メインディッシュは、メレタ、お前の熟れた体だ」

「あら、まあ。では、今夜は久しぶりに……」

 一瞬、舌で唇を湿らせてから。

 メレタは、あえて夫が気に入りそうな言い回しで返した。

「……お情けをいただきますわ」


 今では騎士アリカムの妻という立場に収まっているメレタだが、もともと彼女は、騎士階級の人間ではない。メレタが生まれたのは、貧乏な庶民が集まるというサウザ北側の区域。貧民街のような地域であり、その中でも最底辺に位置する場所だった。

 周りに住む女たちは「手っ取り早く生活費を稼ぐには、体を売るのが一番」という価値観を持った者ばかりであり、当然メレタも、それが常識だと思って生きてきた。しかし、その過程で危ない目にあったり、体を壊したりする女たちを見るうちに、そうした考え方に疑問をいだき始める。いつのまにかメレタは、安易に自分を安売りせずに、若い自分の体の『売り時』を見極めながら暮らすようになった。

 そんな娼婦のような生活をしてきたメレタだっただけに、食堂の女給として雇ってもらえた時には、

「生活のランクが上がった。私は、人間としてのランクが上がったのだ!」

 とまで感じるほどだった。

 メレタの勤め先は、サウザの北側にある庶民向けの店なので、客の大半は当然、その近くに住む貧乏人たちだった。しかし、そこでしか食べられない料理を好んだのだろうか、あるいは、単なる気まぐれか。庶民でも裕福な者や、騎士や下級貴族なども、店を訪れることがあった。

 そうした人々を目にするうちに、メレタは現状を思い知る。

「まだまだ私は、最下層の庶民でしかない……」

 同時に、一種の『玉の輿』を夢見るようになった。

「こうした人々の嫁に収まることが出来れば、私だって……」

 だが安食堂の女給では、なかなか客との個人的な接触は生まれない。だからメレタは、ささやかな『玉の輿』を実現させるために、出会いを求めて、夜の酒場に出入りするようになった。女給として稼いだ金の一部を、夢への投資だと思って、酒に費やすようになったのだ。

 そして、そこで騎士アリカム・ラテスと知り合ったのだった。


 当時のアリカムは、すでに若くはなかったが、それでも若者のように夜の街を遊び歩いており、いつも周囲にたくさんの女をはべらせていた。

「年齢的には妻帯者だろうけど……。家庭にいると息がつまるから、こうして外で遊んでいるのかな?」

 メレタは最初、そんな誤解をしていたくらいだ。だから『玉の輿』なんて打算ではなく、一人の女として、アリカムという男に心惹かれる気持ちがあって、近づいたのだった。

「この人が相手なら、騎士の妻ではなく、めかけになるのも、悪くないかもしれない。めかけでは安定した立場じゃないけど、それでも……」

 それが、アリカムと出会った頃の、メレタの心境だった。


 しかし、アリカムの方では、最初はメレタの相手などしてくれなかった。メレタは取り巻きの女たちの一人として、そばには置いてもらえるものの、まるで路傍の石ころのように、まともに見てもらえない様子だった。

「もしかしたら、すっかり見抜かれているのかもしれない。娼婦上がりの穢らわしい女だと思われているのかもしれない。だから、まともに人間扱いしてもらえないのかもしれない」

 メレタは最初、そう考えていたが……。

 アリカムと接して、彼の態度をよくよく観察しているうちに、彼女は理解する。

 酒場にいる大部分は庶民なのだが、そもそもアリカムは、それらの人々を人間扱いしていないのだ、ということを。

 どうやらアリカムにとって『人間』というのは騎士や貴族だけであり、身分の低い庶民は『人間』とは思えないらしかった。

 そうした庶民は、アリカムの目には、まるで言葉の話せる動物としか見えていない。つまり、ペット屋で売られている犬や猫、あるいは飼いならされたゴブリンのような存在だ。

 夜の街でアリカムが女たちをでるのも、犬や猫の飼い主がペットを可愛がって頬ずりしたり、ペットに一方的な愛情を注いで服を着せたりするのと同じこと。もちろん、そうした飼い主がペットを獣姦することはないだろうから、全てを「飼い主とペットの関係」で例えるのは無理がある。だが、アリカムが庶民の女を抱くのも、ペットに対する過度なスキンシップの延長のような行為だと考えれば、それで説明できた。


 アリカムの本質を理解した時点で、メレタは、一人の人間の女ではなく『ペット』に徹することにした。飼い主から餌をもらうために犬や猫が芸を見せるように、彼女も『ペット』としてアリカムの気を引くように行動し始めたのだ。

 具体的に『ペット』そっくりに振る舞ったわけではない。ただ「可愛がられるペットは、飼い主の言うことには決して逆らわず、なんでも素直に受け入れる」という基本を念頭に置いた上で、アリカムと接する時の『意識』を変えただけだ。

 だが、それが細かい仕草や態度に表れたらしく、それだけでも、ちゃんと効果はあった。アリカムの方でも、少しずつメレタを気に入り始めたようで、やがてメレタは、取り巻きの女たちの中で、最も目をかけてもらえる存在となった。

 いったん『ペット』というポジションに落ち着いた以上、その状態でアリカムとの距離を保ちながら、そこから『人間』として扱ってもらえるようになるまでは、また一苦労だったが……。

 最終的には、娼婦時代に覚えた『女』のテクニックよりも、むしろ、安食堂の女給として――厨房の男どもをたらし込んで――覚えた料理の腕前の方が、決め手になったのかもしれない。

 少し時間はかかったものの、とうとうメレタは、騎士アリカム・ラテスの妻という立場にまで登り詰めたのだった。


 しかし、そこがゴールではなかった。

 ある意味、若き日に夢見た『玉の輿』に、めでたく乗れたわけだが、今度は『騎士の妻』として暮らしていかねばならないのだ。

 アリカムのラテス家は、サウザの騎士の中では名門の家柄として名が通っている。そこの妻になった以上、メレタにも、それ相応の立ち振る舞いが要求された。また、アリカムが都市警備騎士団で働いている以上、他の騎士の妻たちと顔をあわせる機会も多いが、生まれも育ちも違うメレタが、そうした細君連中と話や趣味が合うはずもない。

 それでもメレタは、懸命に努力した。一人で学べることは学び、他人から吸収できることは吸収して……。

 現在では、メレタも「私だって、立派な『騎士階級の妻』になった。一人前の『騎士階級の人間』になった」と自負しているくらいだった。

 すっかりアリカムの価値観にも染まって、彼と同じく「身分の低い庶民は人間ではない」とまで考えるようになっていた。

 だから……。

 この日の夜、メレタは、

「さあ、あなた。フィリウスを悩ます虫ケラが一匹、消えてくれたお祝いです。今夜は存分に、私の体をご賞味ください」

 亡くなった少年を『虫ケラ』扱いしながら、夫アリカムをベッドにいざなうのだった。


――――――――――――


 一夜明けて。

 霜の月の第五、月陰の日。

 つまり、月日としては十一番目の月の五番目の日、一週間の中では最初の曜日。

 朝、ピペタ・ピペトは、いつものように都市警備騎士団の詰所へ出向いた。

 都市警備騎士団では、四人一組で行動するのが基本なので、まずは詰所で集まってから、一日の仕事が始まる。そのため、朝も早い時間帯から、詰所には結構な数の騎士たちが来始めていた。

 しかし、

「まだ誰も来ていないな」

 軽く周りを見回した感じでは、ピペタの部下たちの姿は見当たらない。そうやって周囲に視線を向けるうちに、いつもの席に座るアリカムの姿が、ピペタの視界に入った。

 アリカムの隊も、まだ隊長しか来ていないらしい。

「そういえば……」

 昨日の朝は、タイガも関わる水死体の一件があったので、アリカムのことなど気にしている暇はなかった。だからピペタは、昨日のアリカムの様子など覚えていない。昨日から既にいつも通りのアリカムに戻っていたのか、あるいは、今朝からなのか。

 どちらにせよ、今のアリカムは、一昨日に遅れてきた時のバタバタした感じが嘘のような、それ以前の『いつも通りのアリカム』だった。「誰よりも早く詰所に来る」とか「『アリカム席』をキープしている」とか言われているアリカムだった。


「いや『いつも通り』とは、少し違うかな……?」

 よく観察してみると、今朝のアリカムは、妙にスッキリした顔に見える。

 騎士団内での評判しか知らなかった頃ならば、ピペタも、それ以上は気にしなかったかもしれない。だが、一昨日アリカムの屋敷に招かれて、彼の息子のトラブルについて聞いてしまった以上、事情は少し違ってくる。

「まるで『問題が解決した』という顔にも見えるな……」

 そう口にしたところで、ピペタの頭の中で、昨日の話――レグの息子の訃報――とアリカムの態度が繋がる。

 まず前提として、レグの息子ファバは、アリカムの息子フィリウスと一緒に立ち入り禁止の場所で遊んで、その結果「呪われた」という話になっていた。さらにファバは怪我をして、騎士学院では「フィリウスが加害者」ということにされていたのだ。

 そんなふうにアリカムの息子のトラブルと関わっていたファバが亡くなって、アリカムが『問題が解決した』という顔をしている……。

「まさか……。レグの息子が死んだのを喜んでいる、とは思いたくないが……」

 誰であれ、人が死ぬのは「喜ばしいこと」ではない。それを喜ぶなんて、褒められた話ではない。

 この瞬間のピペタは、自分が裏稼業の人間として――他人の復讐のために――数多くの人々をあやめてきたことなど棚にあげて、そんな常識的な考え方をしていた。

 同時に、ピペタは思い出す。アリカムが屋敷で「庶民など人ではない」という態度も示していたことを。

「……そんなアリカム隊長なら、レグの息子の死を、肯定的に受け取るかもしれないな」

 とりあえずピペタは、挨拶だけはしておこうと、アリカムの方へ向かう。


「おはようございます、アリカム隊長。先日は、晩餐会に招いていただき、ありがとうございました。本来ならば昨日のうちに礼を言うべきだったのに、遅くなって申し訳ない」

「ああ、ピペタ隊長。おはようございます。晩餐会だなんて、大げさな……。礼には及びませんよ。それより……」

 アリカムは、騎士団内での「真面目で勤勉なアリカム」という評判通りの顔で、同僚であるピペタに対して気遣いを見せる。

「……ピペタ隊長は、少しお疲れのようですな。昨日も遅くまで働いていたのでしょう? 無理は禁物ですぞ」

 ピペタがアリカムを『妙にスッキリ』と思ったのとは逆に、アリカムの方ではピペタが『少しお疲れ』という様子に見えているようだ。

 ある意味、鋭い指摘なのかもしれない。自分は昨日、半ば勝手に残業していたのだから。そう思いながらピペタは、少し誤魔化しつつ、ある程度は正直に説明することにした。

「ははは……。昨日は、見回りの仕事の後で、少し調べ物がありましてな。実は、担当区域の南中央広場で、ちょっとした揉め事がありまして……。それに関係した調べ物です」


 ピペタの言い方では、その『揉め事』は、まるで昨日発生した話のように聞こえるだろう。だが、実際には一昨日の出来事だった。ゲルエイ・ドゥの占い屋の前で、彼女とニュース屋ディウルナ・ルモラがレグを挟んで言い争っていた、あの一件だ。

 そこで聞き出した『魔女』の呪いについて、一昨日ではなく昨日、ピペタは「少し調べてみよう」と思い立ったのだった。もちろん、そのきっかけは、レグの息子の死を知ったことだ。

 昨日。

 南中央広場で「タイガが目撃した身投げ事件の当事者こそ、レグの息子ファバだった」と、ピペタたち四人が知った時。

 当然のように、タイガの落ち込み具合は酷くなった。それまでは「見も知らぬ他人の死に、少し責任を感じている」という状況だったのに、それが『見も知らぬ他人』ではなく、本人とは面識こそないものの『顔見知りの息子』だったと判明したのだ。

 どう慰めたり励ましたりするべきか、かける言葉が思いつかないといった感じのラヴィやウイングより早く、ピペタはタイガに方針を与えた。

「なあ、タイガ。レグの息子の死に、お前が少しでも責任を感じてしまうというなら……。この件について、少し個人的に調べてみないか?」

 ファバが死んだのは、ピペタ小隊の受け持ち区域ではない。だから、これは公式の捜査とは違う。あくまでも、個人的な調査だ。

 それでも、上司から言われたのだから、タイガとしては、半ば命令されたようなものかもしれない。そして、気持ちが沈み込んでいる時には、むしろ『命令』のような形で、やるべきことを与えられるのは、ありがたい話だった。

「はい、ピペタ隊長!」

 今回のファバの死は、街で起こった死亡事件だから、当然、都市警備騎士団の記録に残される。ノイローゼによる入水自殺ということで処理されるようだから、その『ノイローゼ』の原因らしき出来事も記載されるだろう。

 少し前に転落事故で怪我をしたという話も、付記されるかもしれない。それよりも、最近『魔女の遺跡』に足を踏み入れたこと――本人が「そこで呪われた」と思っていたこと――は、ノイローゼの理由として、確実に記録されるだろう。

 同様に、騎士団の記録庫の中には、似たような不審死の話が――『魔女の遺跡』に関わった者の死の記録が――いくつも残っているはずだ。

「本当に『魔女』の呪いなんてものがあるならば……。『魔女の遺跡』に行くと災難に見舞われるという噂が本当ならば、そうした『災難』の記録が見つかるだろう。それを一緒に調べてみようじゃないか」

 実際に関係者に話を聞きに行くかどうかは別として。

 とりあえず、どれくらい『魔女』の呪いらしき話が記録に残されているのか、調べてみよう……。

 そんなわけで、昨晩ピペタは遅くまで、タイガと二人で、都市警備騎士団の記録庫にこもっていたのだった。


「南中央広場で揉め事……?」

「そうです。広場の露天商たちが、少し揉めていましてね。私たちが、その仲裁を……。まあ、そんな感じです」

 ピペタは、わざと曖昧な言い方で返した。

 相手も同じ小隊長なので、ピペタの目論見もくろみ通り「あとは捜査上の秘密だから詳しくは言えない」という雰囲気に受け取ってくれたらしい。アリカムは、それ以上、細かい内容を詮索しようとはしなかった。

「ああ、なるほど。南中央広場は、人が多いから色々と問題も起こりやすくて、大変でしょう。特に昨日は、太陽の日でしたからな。いつも以上に混雑して……」

 アリカムは微妙に誤解しているが、あえてピペタは訂正しない。昨日の揉め事だと思って、それでアリカムが納得しているのならば、そう思わせておく。むしろ『昨日』は、揉め事ではなく、ファバの死を知った日なのだが……。

 それこそファバが死んだ話は、アリカムにも関わりそうなので、アリカムの前で話題に出したくなかった。

 そろそろ、この話は終わりかな……。ピペタがそう思ったタイミングで、

「ピペタ隊長! アリカム隊長! おはようございます!」

 ラヴィが、二人のところにやってきた。

 さわやかな朝に相応しい、明るく元気な態度だ。

 一日の始まりである朝に、若くて魅力的な女性の、こんな姿を見ると、それだけでピペタは気持ちが軽くなる。個人的に特別な感情などなくても、それが男の本能というものだろう。

「アリカム隊長、一昨日は、ご招待ありがとうございました。本当に素晴らしい料理で……」

 ピペタ同様、ラヴィも、昨日しそびれた挨拶をしている。

 ラヴィが来たということは、もうまもなく、ウイングとタイガも来るだろう。アリカムの部下たちも、そろそろ詰所に来るはずだ。そして部下が揃えば、街の見回りに出かけるのだ。

 また、新しい一日のスタートだ。

 ピペタは、そう思うのだった。

   

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