第十三話 教会にて

   

 翌日。

 霜の月の第六、火炎の日。

 レグ・ミナの息子ファバが亡くなったことを、ピペタ・ピペトやゲルエイ・ドゥが聞いてから、二日後。

 午後の南中央広場は、いつもより閑散としていた。通りを歩く人の数自体は、いつも通りなのだが、それでも『閑散としている』という印象を与えてしまうのは、おそらく、営業していない露店が多いからなのだろう。

 露天商仲間の一人、野菜売りのレグのところで先日不幸があり、本日その葬儀が行われるのだ。亡くなったファバ自身と面識ある者なんてほとんどいないのだが、それでも、知り合いの息子が死んだとなれば、葬儀に出席するのは当然だった。

「そろそろ、あたしも行くとするか……」

 いつもの場所で占い屋を開いていたゲルエイも、もう今日は店仕舞いということで、道具を片付け始めた。

 ゲルエイは、占い師として、いつも魔法使いっぽい格好をしている。つばの広いとんがり帽子も、ゆったりとしたローブも黒一色で、勇者伝説に出てくる攻撃魔法の使い手を思わせる服装だ。実のところ、ゲルエイは本当に魔法を発動できるのだが、魔法使いなど少ない現代、人々からは「占い師としてのハッタリ」と思われている衣装だった。

 黒で統一されているので、一応、喪服としても使えるだろう。だから着替える必要もなく、ここから葬儀の場へ直行できる。その分ゲルエイは、いったん家に帰ってから行く他の露天商たちより、少し遅くまで広場に残っていたわけだが……。

「この帽子は、さすがに場違いかねえ?」

 つば広のとんがり帽子だけは、葬式には相応しくないような気がする。まだ急げば間に合うだろうから、家に立ち寄って、帽子だけは変更しよう。もっと地味な、いかにも喪服用といった感じの、黒ベール付き帽子があったはず……。

 そう考えて。

 ゲルエイは、自分の長屋へ向かうのだった。


 ファバの葬儀が行われるのは、街の南側ではなく、どちらかといえば北側に位置する教会だった。いかにも庶民向けという雰囲気の、こじんまりとした教会だ。

「まあ、野菜売りの息子と思えば、こんなもんだろうけど……」

 教会に到着したゲルエイが最初に感じたのは「思った以上に小さい教会だな」ということだった。その思いは、建物に足を踏み入れたところで、さらに強くなる。

 教会の規模に相応しくないくらい、多くの参列者が来ており、礼拝堂からあふれ出しているのだ。礼拝堂だけでなく、廊下やホールにも長椅子がいくつも並べられて、結構な数の人々が座っていた。

 礼拝堂と廊下の間にある扉は、ずっと開きっぱなしにしておくらしい。これならば、室外からでも中の神父の言葉は聞こえるので、一応、そこで葬儀に『参列』できるということなのだろう。ゲルエイは一人で来ているのだから、まだ探せば室内に座れる場所は見つかるだろうが……。

 パッと見た感じ、礼拝堂には、若い者たちが多い。庶民の息子とはいえ、ファバは騎士学院に通っていたのだから、その葬儀には、学院の生徒たちが大量に来ているのだろう。学院の教師も参列しているだろうし、生徒の親たちも来ているかもしれない。

「ふん。だったら、あたしは外で十分だねえ」

 ゲルエイは、父親のレグとは顔見知りだが、息子のファバとは会ったこともなかったのだ。自分は故人と親しい存在ではない、という認識から、廊下の長椅子の方に座ることにした。

 ポツポツと空席があるので、そのうちの一つに適当に……。そう思ってゲルエイが、軽く周りを見回していたら、知り合いの男と目があった。南中央広場の露天商の一人だ。

「やあ、ゲルエイさん。ここ、空いてますよ」

「ああ、ありがとう」

 声をかけられたので、ゲルエイは素直に、彼の隣に座った。


「入り口にありましたが、これ、受け取りましたか? 私、少し多めにもらっておいたので、よかったらどうぞ」

 彼が渡してきたのは、一枚の紙。賛美歌か何かの楽譜だった。式の途中で、皆で斉唱するためのものらしい。

「おやおや。あたしゃ気づかなかったよ。ありがとうね」

 口では、そう言っておくが……。

 教会の入り口に、楽譜なんて置いてあっただろうか?

 ゲルエイは特に気にしていなかったが、何かあれば、見落としたりはしないはずだ。思った以上に参列者が多いために、用意しておいた配布物が全てけてしまったのだろうか。それこそ、この男のように一人で複数持っていく者がいて、余計に足りなくなったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、渡された楽譜に目を落とすゲルエイ。特に賛美歌に興味などないが、葬儀が始まるまでの時間つぶしには、ちょうどいいだろう。

 歌詞を見た感じ、簡単な鎮魂歌レクイエムのようだ。レクイエムは死者のために捧げる歌だと言われているが、中には、死者のためではなく、のこされた人々の悲しみを和らげるために作られた曲もあるという。

 ゲルエイは、昔どこかで聞いた知識を思い出しながら、楽譜を見ていたのだが……。

「ああ、あの騎士様も、いらっしゃったのですね」

 隣の男が呟くのを耳にして、ふと顔を上げる。

 ゲルエイ同様、隣の彼も、南中央広場の人間だ。だから、彼が一番よく知る『騎士様』は、ピペタということになるだろう。一応、ピペタも野菜売りのレグとは顔見知りだから、わざわざ葬儀に来てくれたのか……。

 そう思ってゲルエイは、隣の男が見ている方向に、自分も視線を合わせた。

 しかし。

「おや? あれは……」

 言われていた『騎士様』は、ピペタのことではなかった。


 確かに、ピペタと似たような騎士鎧を着ている。騎士鎧は喪服ではないが、騎士の正装ということで、冠婚葬祭の場で着用していてもおかしくない。死者をリスペクトする気持ちを示す格好だ。

 それに、なんとなく見覚えがある。だが、役人嫌いのがあるゲルエイに、ピペタ以外の騎士の知り合いなど、いるはずがない。では、どこで見かけた男だったのだろう? もしかしたら、昔々に、似たような人物を目にしただけなのか……。

 長生きのゲルエイだけに、そんな想像もしてしまったが、

「一昨日、少し広場でお話ししたのですが……。あの騎士様は、レグの息子さんが亡くなる現場を、たまたま見ていたそうです」

 隣の男の言葉で、思い出した。露天商が『広場でお話し』するような相手、つまり見回りに来る騎士の一人だ。ピペタの部下の一人だった。

 ピペタには三人の部下がいるが、ゲルエイの印象に残っているのは、客として占ったことのある女性騎士――ラヴィ――だけ。残りの二人は、今の今まで、有象無象でしかなかった。だが、レグの息子ファバが死ぬところに立ち会ったというのであれば、もう『有象無象』ではなくなる。

「それはそれは……。思いがけない偶然だねえ。確か、ファバが亡くなったのは夜という話だろう? ならば役人としての見回りではなく、プライベートで散歩でもしていて、出くわしたのかい」

「ええ、そうらしいですよ。勤務時間外であっても、一人の騎士としては、死のうとする若者を止める義務があった。でも止めることは出来なかった……。ずいぶんと悔やんで、責任も感じていたみたいです。まだ若いのに、立派な騎士様ですね」

「へえ、そうなのかい」

 露天商の説明を聞いて、ゲルエイは、あらためて若い騎士に視線を向けた。

 別に彼が悪いことをしたわけではないのに、それでも『責任を感じている』というのであれば……。ファバの葬儀に出席するだけでも、少しは気持ちが軽くなるのかもしれない。それこそ、死者のためではなく、のこされた人々のためという要素も鎮魂歌レクイエムにあるように、葬儀にも、参列者の心を癒す意味があるのだろう……。

 ゲルエイは、そう考えるのだった。


――――――――――――


 礼拝堂の中を覗いた時にゲルエイが思ったように、ファバの葬儀には、騎士学院に通う生徒の親たちも、かなり参列していた。ただし、男親の方は昼間なので働いており、来ているのは、ほとんどが母親の方だ。

 アリカム・ラテスの妻メレタも、その一人だった。彼女は、ファバを『虫ケラ』呼ばわりしていたくらいであり、本当は、野菜売りの息子の葬儀になんて参加したくはなかった。だが、息子フィリウスがファバとは仲良しグループだったという扱いのため、来ないわけにはいかなかったのだ。

「まあメレタ様、わざわざ……」

「いえいえ、そちらこそ……」

 他の生徒の母親たちとすれ違えば、それなりに言葉も交わすが、しょせん挨拶程度だ。彼女たちは生粋の騎士の家柄の女たちであり、メレタは、どうも彼女たちとはウマが合わない。今では自分を『騎士階級の人間』と思っているメレタだが、やはり育った環境が異なれば、趣味や嗜好が合わないのは当然だった。

 それでも、挨拶しておくべき人間には、きちんと挨拶しておかないといけない。例えば、彼女の息子フィリウスは、騎士学院では、亡くなったファバの他に、グラーチ・シーン及びブラン・ディーリという二人の生徒とつるんでいたはず。その二人の親も来ているだろうし、彼らと少しくらいは話を……。

 そうメレタが考えたタイミングで、

「ああ、メレタさん。ここにいましたか。どうです、一緒に座りませんか?」

 ガシャガシャした少し耳障りな声で、彼女に話しかけてくる男がいた。

 男性にしては背が低い上に、姿勢も悪いので、いっそう低身長に見えてしまう。要するに、猫背の小男こおとこだ。あまり恵まれた容姿とは言えないが、それでも騎士鎧は似合っているのだから、それだけ長年、騎士として務めてきた証なのだろう。

 ブランの父親、タントゥム・ディーリだった。


 タントゥムは、メレタよりも少し年上。アリカム同様、都市警備騎士団で働いている。所属は北部大隊だが、いい歳して、いまだに隊長職ではなくヒラの騎士だ。

 メレタは、頭にインプットしてある基礎的な情報を思い返していた。

 同時に、ふと彼女は、比較対象になりそうな人物を思い出す。

 先日アリカムが屋敷に招いたピペタ・ピペトという男は、アリカム同様、都市警備騎士団では小隊長をやっている。年齢はメレタと同じくらい、つまり、目の前にいるタントゥムより年下だ。ピペタだって、王都で致命的な失敗をしたせいで地方都市サウザに左遷されてきたという噂だから、とてもじゃないが褒められた経歴ではない。だが、そんなピペタよりも年上で格下ということは、いかにタントゥムの出世が遅れていることか……。

 心の中でくだした彼への評価は顔に出さずに、メレタは笑顔で、タントゥムに挨拶する。

「これはこれは、タントゥム様。わざわざ仕事を休んで、いらっしゃったのでしょうか。やはり片親では、色々と大変なのでしょうね」

 そう話しながら、誘われるままに、タントゥムの隣へ座るメレタ。

 以前にメレタが聞いた話では、タントゥムは、いわゆる男やもめであり、息子ブランが幼い頃に、病弱の妻を失っているらしい。

 だから子育ても大変だっただろうが、こうして会ってみると「別の意味でもタントゥムは『大変』だったのではないか」とメレタは邪推してしまう。

 妻を亡くして以来、男としてのタントゥムには、決まった相手――相棒パートナーとなる女性――もいなかったように見えるからだ。

 今、少し目を細めてメレタを眺める彼の視線には、独特のいやらしさが含まれていた。かつて娼婦だったメレタから見ると、タントゥムは「いかにも女に飢えた男」と感じられる。娼婦時代ならば「いいカモを見つけた!」と思ったかもしれないが、今や騎士の妻に収まったメレタとしては、むしろ近寄りたくない人種の男だった。


「ははは……。俺だって後妻をもらいたいところですが、なかなか良い相手に出会えないものでねえ。奥さん、誰か紹介してもらえませんか?」

 タントゥムの言葉は、冗談なのか本気なのか。よくわからないまま、メレタは、適当に相手をする。

「私のような若輩者には、仲人のようなことをするのは、まだ早いですわ。第一、紹介したくても、残念ながら私は、付き合いが広くないもので……」

「いやいや、奥さんは『若輩者』ではなく、立派なラテス家の奥方おくがた様じゃないですか。それに……」

 ここでタントゥムは、声のトーンを落として、まるで内緒話をするかのように、少しメレタに体を寄せた。

「ここだけの話ですが、俺は別に、生まれや育ちにはこだわりませんから……。奥さんの昔の人脈から紹介していただければ、それで結構ですよ」

 この男は、いったい何を言い出したのだろう?

 混乱気味のメレタは、思わず少し身を引いてしまった。

 タントゥムとしては、メレタの気持ちを思いやって――あまり他人に聞かれたくない話だろうと考えて――、体を近づけた状態で話しかけたつもりだったのだろう。距離を取ろうとしたメレタに「逃さない」と言わんばかりに身を寄せていきながら、話を続ける。

「先ほど『大変でしょう』と言われましたが……。メレタさんの方こそ『ラテス家の奥方おくがた様』をやっていくのは、大変なのでは? 奥さん、北の貧民街の出身なのでしょう?」

 タントゥムは、口元に下卑た笑いを浮かべながら、いっそう好色な視線をメレタに向ける。

 例えば一昨日のように、アリカムが久しぶりにメレタの体を求める時も、似たような目つきになるのだが……。夫から向けられた場合には心地よい視線であっても、このタントゥムのような男から同じ目で見られたら、気持ち悪いだけだ。

 メレタは、生理的な嫌悪感をいだいてしまった。


 そもそも。

 タントゥムの発言内容にも、メレタは腹が立つ。

 メレタは、出自はともかく、現在では立派な騎士の妻だ。そしてメレタの夫アリカムは、タントゥムと同格どころか、小隊長という目上の立場だ。直接の上司でなくとも、タントゥムはアリカムに敬意を払うべきであるし、ならば、その妻に対しても相応の態度で接するのが常識だろう。

 それなのに、メレタを侮蔑するような態度を見せるとは……。そんな人物だから、余計にタントゥムは出世が遅れているのかもしれない。

 内心でそう思うメレタだが、もちろん、口に出すことは出来ない。ここで激昂するなど、それこそ騎士の妻らしくないからだ。

 あくまでも表面上は穏やかな顔を保ちつつ、メレタは、タントゥムに応じる。

「あら? 私、自分の生まれの話なんて、したかしら? どちらからお聞きになったのか知りませんが……」

「安心してください、奥さん。あくまでも、ここだけの話です。他の騎士の奥様たちは、メレタさんの生まれなんて知りませんよ。俺が知ったのも、偶然みたいなものです」

 タントゥムはメレタの言葉を遮って、説明する。

「俺は北部大隊に所属しているのですが、担当区域の中に、貧民街もありましてねえ。いつも、人間未満の連中の相手ばかりしています。そうした連中の間に、たまたま『メレタ』という人物を知る者がいたわけです」


 つまりタントゥムは、メレタが生まれ育った環境に、見回りで足を踏み入れているわけだ。ならばメレタに「女を紹介しろ」などと言わずに、自分で娼婦を漁ればいいだろうに……。いや、すでに「便宜を図ってやるから、その代わりに」ということで貧民街の娼婦たちを何人か食い物にしているとしても、この男ならば不思議ではない。

 そもそも、メレタには「後妻の候補を紹介しろ」と言っているが、そこで『昔の人脈』などと言い出したのだから、本当に『後妻』にするつもりなどないのだろう。貧民街の女など、すべて『娼婦』として扱うに違いない。

 そう判断したメレタは、適当な言葉で、タントゥムとの会話を続ける。

「あらまあ、そうなのですか。では、私の昔の友人なども、その中にいるのかもしれませんね。私自身は、かつての知人とは、すっかり音信不通になっているのですが……」

「まあ、そうでしょうな。ああした連中と友好関係を続けるのは、大変でしょうからなあ。今やメレタさんは、ラテス家の奥方おくがた様だ。いわば、犬猫のようなケダモノや、ゴブリンのような低級モンスターから、晴れて人間に昇格したようなものだ。今さら、犬猫やゴブリンとは、話が通じないのも当然でしょう」

 先ほど「自分は生まれや育ちにはこだわらない」と言ったのが、嘘のような発言だ。だが、これこそタントゥムの本音なのだろう。そして、その『犬猫やゴブリン』を「紹介しろ」と言ってきたのも、別の意味で本心なのだろう。

 彼の心境を想像して、メレタは、少し呆れてしまう。

 人間扱いしていない相手であっても、性欲の対象にするというのは、ある意味では矛盾しているかもしれない。だが、これが『男』というものなのだ。

 かつてアリカムから人間扱いしてもらえず、でも今はアリカムの妻にしてもらえたメレタだからこそ、そうした男性の気持ちも、少しは理解できる気がするのだった。

「ほほほ……。でも、タントゥム様は、そんな彼らと毎日、仕事で接しているのでしょう? それこそ、大変でしょうね」

「そうです、そうです。でも、それが俺の仕事ですからなあ。自分を人間だと勘違いしているケダモノを上手く飼いならすのも、騎士である我々の務めですよ」


 庶民の少年の葬儀のために教会に来ておきながら、明らかに庶民を蔑視した態度を、隠そうともしなくなったタントゥム。

 例えばアリカムだって、同じような価値観を持っているが、ここまで露骨に、それをおもてに出したりはしない。あくまでも、心の中に留めておくべき主義主張なのだ。

 そんな態度の切り替えも出来ない男だから、余計にタントゥムは出世が遅れているのだろう……。再びメレタは、彼がヒラの騎士に留まっている理由を理解できた気がした。

 だが、それだけではなかった。

「わかりますわ。タントゥム様は、うちのアリカムと、同じ価値観をお持ちなのですね」

 あえてタントゥム自身に対して「タントゥムとアリカムは考え方が同じ」と、強調してみせたように……。

 彼も「庶民など人間ではない」という立場の騎士であるならば、このタントゥムという男は、何かの時には手駒として使える人間かもしれない。

 そう判断して。

 メレタは、生理的な不快感には目をつぶった上で、笑顔でタントゥムと会話を続けるのだった。

   

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