第十一話 残された人々
霜の月の第四、太陽の日。
ピペタ・ピペトが同僚アリカム・ラテスの屋敷に招かれたり、ゲルエイ・ドゥが露天商仲間のレグ・ミナから息子の件を相談されたり、モノク・ローがニュース屋ディウルナ・ルモラにつきまとわれたり……。そんな感じで色々あった大地の日の、その翌日だ。
いつものようにゲルエイは、南中央広場で占い屋を開いていた。
今日は太陽の日――一週間のうちで七番目の曜日――なので、世間一般としては休日だ。街で遊び歩く者も多くなる。待ち合わせスポットとして有名な噴水のある、この南中央広場も、いつも以上の賑わいを見せていた。
見上げれば、雲一つない青空が広がっており、休日を楽しむ人々を祝福するかのように、明るく太陽が輝いている。
「こんな日は、人々の財布の紐も緩む……。あたしの店も、繁盛するといいねえ」
笑顔で客を待つゲルエイだったが、頭の中では、少し別のことも考えていた。
昨日レグから聞かされた話――レグの息子ファバが『魔女』に呪われたという話――が、少し気になっていたのだ。
発端となった『魔女の遺跡』での肝試しが、一週間以上前の出来事。そこで呪われた影響かもしれない転落事故も、もう数日前の出来事だ。それ以来、特に何も起こっていないのだから、たとえ『魔女』の呪いがあったとしても、もう終わったということではないのか。レグもファバも、あまり心配し過ぎないほうがいいのではないか。
むしろ、いつまでも気にしていると、ノイローゼになったり、何でもないものが幽霊に見えたりするかもしれないのだから……。
「もう『魔女』の話なんて忘れて、穏やかな心づもりで暮らしなさい……。そう言ってやるべきだったね、占い師としては」
今さらになって、ゲルエイは、そう思う。一日遅れてしまったが、今日、顔をあわせる機会があったら、レグに伝えておこう。
そんなことを考えながら、レグの店がある方向に視線を向ける。残念ながら、彼は少し離れたところに露店を構えているため、ここからでは、広場の人混みに遮られて、全くレグの様子は見えないのだった。
昼下がり。
ゲルエイの店にも何人かの客が訪れた後、そうした客足が途絶えたタイミングで。
ふらりと、顔見知りの露天商の一人が、ゲルエイの店に立ち寄った。
何か悩み事でもあるのだろうか、少し表情が暗い。太陽の日の、明るい広場の雰囲気には、そぐわない感じだった。
「あれ、どうしたんだい? 何か占って欲しいのかい?」
あえてゲルエイは、軽い感じで声をかける。昨日のレグのように、占いというより相談事なのかもしれないが……。
「やあ、ゲルエイさん。レグさんのところの話、聞きましたか?」
そういえば、この商人の露店は、レグの店のすぐ近くだったはず。商売の合間に、レグは彼にも相談したのだろうか。
「ああ、息子さんの話だろう? 大変だったねえ。『魔女』の呪いを受けた、とかレグは言っていたが……」
「『魔女』の呪い……?」
相手は一瞬、きょとんとした表情を見せてから、
「言われてみれば、そんな噂も、チラッと耳にしたような気が……。でも、いけませんよ、ゲルエイさん。息子さんの不幸に対して、そんな茶化すような言い方するのは……。レグさんだって、悲しむに決まっています」
大げさな言い方だ、とゲルエイは思う。たかが骨折程度の転落事故を『息子さんの不幸』だなんて、それこそ、レグは気分を害するだろう。
「まあ、そうかもしれないねえ。でも、あの程度で済んだのは、不幸中の幸いだろう? 大怪我必至の崖から落ちて、腕が折れただけなのだから……」
「不幸中の幸い……? 何てこと言うんです!」
相手は、少しムッとしたようだが、ゲルエイの言葉の意味に気づいて、その怒りもすぐに顔から消えた。
「……いや、ちょっと待ってください。崖から落ちたとか、腕が折れたとか、いったいゲルエイさんは何の話をしているのです? もしかして、まだ聞いていないのですか?」
「あんたの言ってるのは、騎士学院の秋キャンプの話じゃないのかい? レグの息子ファバが怪我をしたという……」
そろそろ二人とも、互いに誤解があったことを理解し始めていた。
「違いますよ、ゲルエイさん。私が持ち出したのは、確かにレグさんの息子ファバさんの話ですが……」
露天商は、首を横に振りながら、悲しそうな声で告げる。
「……怪我どころか、彼は亡くなったのです。昨晩、カモン川に飛び込んで」
「何だって!」
ゲルエイの反応は、近くの通行人が驚いて足を止めるほどの、大きな叫び声だった。
対照的に、おとなしい声で、商人は話を補足した。
「ファバさんの水死体は、今日の未明、少し下流で発見されたそうです。ノイローゼによる入水自殺ってことらしいですよ」
――――――――――――
同じく、太陽の日の昼下がり。
「まあ、そう落ち込むな。タイガがそんな顔では、街の人々も不安がるだろう」
いつものように部下を連れて街の見回りをしながら、ピペタは、部下の一人に向かって、いつもは言わないような慰めの言葉をかけていた。
「そうよ、タイガ。明るく元気なところが、あなたの取り柄だったでしょう?」
「ピペタ隊長やラヴィの言う通りです。タイガが沈んだ様子を見せていたら、あなたを知っている人は、驚いてしまいます。今まですれ違った人々も、おそらく心の中では『あのお調子者の騎士様が、あんな顔をするなんて、天変地異の前触れだろうか』くらいに思っていたことでしょう」
ウイングから『お調子者』扱いされても、今日のタイガには、反論する元気もない。
似たようなやり取りを今日何度も繰り返したな、と思いながら、ピペタは少し回想する。
そもそもの発端は、朝の詰所で聞いた「街の南で水死体が一つ上がった」という話だった。
もちろん、警吏の仕事をしていれば、死体に触れる機会なんて、いくらでもある。だから最初は、ありふれた話にしか思えなかったし、自分の担当区域でなければ、ピペタとしては完全に他人事だったのだが……。
問題は、その事件にタイガが関わっていることだった。
どうやら、タイガは昨晩、一人の少年――その水死体の主――が川に飛び込む場面を目撃してしまったらしい。
タイガの話によると、まず夜の散歩中に、橋の上から意味ありげな様子で川を覗き込む少年に出くわした。飛び込むつもりかもしれない、あるいは、その意図がなくても落ちるかもしれないと心配して、タイガは声をかけた。ところが少年は、驚いた様子で橋の欄干を乗り越えて、川に身を投げてしまった……。
「もしかすると、僕が急に声をかけたせいで……」
悔やむように言うタイガに対して、ラヴィもウイングも、励まそうとしていた。
「でも、話を聞く限り『びっくりして落ちた』という感じではなさそうね。タイガの責任ではないわ」
「わざわざ欄干を乗り越えて、川に飛び込んだのでしょう? ならば、その少年の自発的な行動です」
カモン川の『五号大橋』は、その名の通り『大橋』だ。手すりは頑丈で、高さも大人の胸の辺りまである。よほど身を乗り出して下を覗き込まない限り、誤って転落することなどないはずだった。
それに、タイガの他にも、近くに目撃者がいた。そちらの証言もタイガの話と合致しており、両者の話を合わせて状況を考えると、問題の少年は自殺したとしか思えない。
結局のところ、その場にタイガがいてもいなくても、少年は川に身を投げたはずだった。
「だとしても……。命を絶とうとする者と遭遇したならば、その者を救うのが、都市警備騎士の義務だと思います……」
確かに、もしも昼間の見回りの中で、自殺の現場に出くわしたならば、警吏としては、その自殺を止めるべきだろう。それも「街の治安を守る」という仕事のうちだとピペタは思う。だから、プライベートでも――仕事の時間以外でも――同じ行動を取ろうとしたタイガは、ある意味、当然のことをしただけとも言える。
だが、そもそも、死のうとする人間を止めることなど、不可能な場合も多いのだ。若者の最期に偶然、立ち合う形となった結果、そのことでタイガが責任を感じるのであれば、むしろ今回はタイガこそ被害者なのではないか……。ピペタは、そうも思うのだった。
タイガだって街の警吏なのだから、今まで何度も、人が死ぬ瞬間に立ち合ったり、死んだ直後を目にしたりしてきたはず。
例えば、つい先月にも、ピペタ小隊の四人は「貴族の屋敷を警護する」という仕事の中で、失敗して屋敷の住人を死なせてしまっている。その時は、タイガは「失敗した!」という強い後悔や反省の色など、特に見せたりしなかった。むしろ四人の中でラヴィが一番、事態を重く受け止めていたように、ピペタには見えた。
それなのに、今回、仕事とは無関係なところで、少年の身投げに出くわしただけで……。タイガは、その一件を、いつまでも引き摺っているような雰囲気だ。
タイガという人間は、これほど「くよくよと気にかける」性格だったのだろうか?
ピペタは、少し意外に感じると同時に、ふと「これも職場だけでは見られない一面なのかもしれない」と思った。
アリカムの屋敷へ赴いた時のラヴィのように、誰でも『職場だけでは見られない一面』があるはずだ。今回のタイガは、少年の死に『仕事とは無関係なところで出くわした』からこそ、いつもとは違う責任を感じているのかもしれない。一応、今は仕事中なのだが、それでもタイガは、一部プライベートの顔を見せているのかもしれない……。
そんなことを思いながら。
「さあ、そろそろ南中央広場だ。いつも以上に賑やかな、休日の広場だぞ」
うつむいているタイガの背中を軽く叩いて、ピペタは元気な声を出す。ピペタらしくない、少し無理した感じの『元気』な口調だ。
「そうそう。今日は人通りも多いから、街の人々に元気をわけてもらいましょう」
ピペタに話を合わせるラヴィ。もしかしたら彼女は、タイガを励ましたいというより、ピペタが努めて明るく振舞っていると感じて、それに合わせようとしたのかもしれない。
そんな感じで、ピペタ小隊の四人は、いつもの南中央広場に来たのだが……。
「おや?」
怪訝な顔をするピペタ。
確かに、太陽の日――休日――ということで、平日以上に混雑している。しかし人の数の割には「活気に満ちあふれている」という雰囲気が漂っていないのだ。
「……これも僕のせい? 僕の落ち込み具合が伝染した?」
「さすがに、それは自意識過剰です。あなたが来る前から、この雰囲気のようですから」
ウイングはタイガを諌めながらも、表情は明るかった。タイガの言葉が冗談半分に聞こえたため「ようやく少し、いつものタイガが戻ってきた」と思えたからだろう。
ならば『この雰囲気』の原因は、何なのか。ピペタたち四人は、あらためて広場の人々を観察する。ここで何か異変が起こっているのであれば、それこそ、見回りをしている警吏の出番だ。
そんなピペタたちに、顔なじみの露天商たちが声をかけてくる。
「ああ、騎士様。いつもご苦労様です」
いつも通りの挨拶だが、若干、彼らの表情が暗い気がする。
何人かと言葉を交わした後、ピペタは「露天商たちの間に少し淀んだ空気があるから、広場全体にも、どんよりとした暗い雰囲気が漂っているのではないか」と気づいて、彼の方から尋ねてみることにした。
「何かあったのか? 皆の顔色が、いつもより暗い気がするのだが……」
明るい話題ではなさそうなので、ピペタは一応、客が今は来ていない店を選んで質問した。
「いえいえ、騎士様。問題というほどのことは、何もありませんが……」
露天商は、聞いている客などいないのに、それでも声のボリュームを落として、まるで内緒話のような感じで続けた。
「……騎士様も、野菜売りのレグは、ご存知ですよね?」
言われてピペタは、レグの店の方に視線を向ける。今日は開店していないらしく、商品の野菜もなければ店主のレグも不在だった。
「もちろん。だが、今日は休みのようだな。レグは昨日、息子にトラブルがあるという話をしていたが……」
ピペタが、部下の三人と顔を見合わせながら答えると、
「さすがに騎士様は、耳が早いですね。……というより、昼間の時点で、予感とか前兆のようなものが、すでに何かあったのですね。そこまで私は知らなかったのですが……」
相手の商人は、悲しそうな顔で告げる。
「レグの息子さんが、昨夜カモン川に身投げして、亡くなったそうです」
「あっ!」
即座にタイガが、素っ頓狂なくらいの大声で叫ぶ。
レグの息子ファバとは面識がなかったため、今の今まで、タイガは理解していなかったのだ。昨夜自分が声をかけた少年こそ、昨日ここで聞いた話――『魔女』の呪いを受けたという話――に出てきたファバだった、ということを。
ようやく事情を理解したピペタたち四人を代表するかのように、ラヴィが、ぽつりと呟いた。
「では、その『自殺』も……。『魔女』の呪いの影響なのかしら」
――――――――――――
その日の夕方。
一日の仕事を終わらせた人々が――休日なのに働いていた人々が――、家へと帰る時間帯。
屋敷に戻ってきたアリカム・ラテスを見て、妻メレタは、一目で「何か良いことでもあったのかしら」と見抜いていた。
こういう時、アリカムの方からは話を持ち出さないだろう。そう思って、メレタから水を向けることにする。
「あなた、どうしましたか? なにやら良いニュースがある、という顔をしていますが……」
夫が仰々しく騎士鎧を脱ぐのを、いつものように手伝いながら、メレタは尋ねた。
「おお、わかるのか。さすがは我が妻、メレタだ」
部屋着に袖を通しながら、アリカムは笑顔でメレタに返す。
「厄介事のタネが、勝手に消えてくれたのだ」
「厄介事……ですか?」
「そうだ。ほら、うちのフィリウスが怪我をさせたとか言われていた、一般組の生徒がいただろう?」
これでメレタも、アリカムの言った『厄介事』の意味を理解できた。
彼が口にした『一般組』というのは、庶民のくせに騎士学院で学んでいる連中のことだ。その中の一人が最近、騎士学院の秋キャンプで怪我をして、それがフィリウスのせいにされている……。『厄介事』とは、その話のことだった。
「その生徒が、昨晩、川に飛び込んで死んだそうだ」
「まあ!」
「相手が消えた以上、これでもう、フィリウスが事故の件で責められることもないだろう。すぐに話が立ち消えるわけではないとしても、そのうち自然に風化する。誰も、口にすらしなくなるはずだ」
アリカムの口調は、喜びに弾んでいた。
人が一人死んだというのに、とても、そうは思っていないような態度だった。
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