第三話 季節はずれの肝試し

   

「おう、ファバ。遅かったな」

 ファバ・ミナが約束の場所に着くと、すでにフィリウス・ラテスもグラーチ・シーンもブラン・ディーリも来ており、玄関前の石段に並んで座っていた。

 最初に声をかけたフィリウスに続いて、グラーチとブランも、ファバに話しかける。

「あんまり遅いから、来ないのかと心配したぞ」

「そんなわけないだろう。フィリウス様の誘いを断るなんて、そんなことファバがするはずないよな?」

 正直、ファバは気が進まなかった。それを正直に口に出せるファバではないが、

「ああ、うん……」

 適当に頷く態度から、彼が乗り気でないことは一目瞭然だ。

 ブランが、顔をしかめてファバに詰め寄った。

「なんだよ、ファバ。お前、せっかくフィリウス様が呼んでくれたのに、不満があるのか?」

 ファバの胸ぐらを掴んで、拳を振り上げるブランだったが……。

「やめておけ、ブラン。こうして来てくれたんだから、それでいいじゃないか」

 フィリウスの言葉で、ブランは動きを止めて、ファバから手を離した。

 続いてフィリウスは、ファバの背中をポンと叩く。

「さあ、ファバ。お前からだぞ」

「……え?」

 何のことか、わからない。

 きょとんとした顔をファバが見せると、グラーチが、フィリウスの言葉を補足する。

「ファバが来る前に、くじで順番を決めておいたのさ。それで、ファバが一番手に決まった」

 くじなんて本当にあったのか、怪しいものだ。

 ファバが心の中で疑っている間にも、グラーチの説明は続く。

「肝試しだからな。一人ずつ、この『魔女の遺跡』に入り、儀式の部屋まで行き、その証拠となるものを持ち出してくる。とりあえず一番手のファバは、呪いの人形を取ってくること」

「そこまでが、事前に決めた打ち合わせだ」

 最後に、フィリウスが話を締めくくった。

「呪いの人形って、まさか……」

 恐る恐る聞き返すファバ。

 三人はニヤニヤしながら、黙って頷いた。

 つまり。

 話にあった『魔女』が、焼身自殺した際に呪いを込めたという、いわくつきの人形だ。

「そんなもの、まだ中に残っているの?」

「安心しろ。肝試しだから、一応、俺が下見しておいた。ああ、ちゃんと『人形』は、問題の部屋に現存していたぞ」

 胸を張って保証するフィリウス。

 そんなものが残っているならば、むしろ『安心』なんて出来ないのに。

 ため息を大きくつきながら、あらためてファバは、目の前の建物――『魔女の遺跡』と呼ばれる屋敷――を見上げた。


 半壊した屋敷とか、その跡地とか言われる『魔女の遺跡』だが、こうして見ると、かなり建物は原形をとどめている。

 儀式が行われた部屋で『魔女』が焼身自殺をした際に、建物にも火が燃え移ったはずだが、それで屋敷が全焼したわけではない。二階や三階の一部が焼け落ちただけであり、下見をしたフィリウスの話では、目的の部屋までの経路は、問題なく残されているのだという。

「階段を上って左側、その突き当りの部屋だからな!」

「三階だぞ! 最上階だぞ! 間違えるなよ!」

「しっかり頑張ってこい」

 三人の言葉を背中に受けて、ファバは嫌々、中へと入っていく。


 玄関に入ってすぐのところに、室内灯のスイッチがあった。

 この世界の照明装置は、電灯ではなく魔法灯なので、こんな放棄された屋敷でも、そのシステム自体は生きていたらしい。ファバが魔力を――この世界の人間ならば誰でも潜在的に持っている魔力を――込めると、淡い黄色の光が、ぼうっと点灯する。

 その魔法の光に照らされて、玄関ホールの様子が、少しは見やすくなった。ゆかには汚れた絨毯が敷き詰められ、壁には誰なのかわからぬ男の肖像画が飾られている。かつては立派な屋敷だったのだろう、とファバは思った。

 そして正面には、これから進むべき階段があった。一般的な庶民の家にありそうな階段であり、ファバは「屋敷の大きさの割には狭い」と感じてしまった。見るからに『お屋敷』といった様子の建物だから、もっと横幅のある大階段をイメージしていたのだ。

「でも、こういう階段の方が、慣れているから僕には使いやすいかも……」

 独り言を呟くファバ。孤独や恐怖を紛らわせるために、自然と言葉が口からこぼれたのかもしれない。

 何しろ、ここは『魔女の遺跡』。呪われた屋敷なのだ。

 しかも。

「大丈夫なのかなあ……」

 一段一段、階段を上がる度に、ミシッミシッと音がする。今にも階段が崩れるのではないか、とファバは心配になってしまう。実際、踏み板に穴が空いている部分もあるので、足元に注意しなければならなかった。

 階段には一応、手すりも設置されていたが、むしろ強く掴んだら外れそうな気がして、手すりに体を預ける気にもなれない。ファバは、側面の壁に手を沿わせながら、階段を進んでいく。

「もしかすると……。ここが立ち入り禁止なのは、呪い云々よりも、事故の危険があるからかもしれない」

 外から見た時には「思ったよりも原形をとどめている」と感じた屋敷も、こうして中を進めば、また印象は変わってくる。

 いたるところに焼け焦げた跡や煤けた部分が見られるし、火事の件は抜きにしても、長い時間放置されていたために、朽ちかけた箇所も多いようだ。

「こんな時期に、こんな危険な場所で肝試しなんて……。怪我でもしたら、どうするつもりだよ、まったく……」

 気を紛らわせる意味でファバは、自分の口から出た『こんな時期』という言葉に、思いを巡らせることにした。


 まず第一に、肝試しのシーズンではないだろう。

 今回その舞台として『魔女の遺跡』が選ばれたように、肝試しは、心霊とかオカルトとかに関連した場所で行われるのが一般的。だからお化けのイメージが強い夏こそが、肝試しに向いている季節のはずだった。宴の月も終わるという今頃――すでに秋の後半――には、相応しくないイベントだ。

 第二に、騎士学院の行事を考えても、今は「怪我でもしたら大変」というタイミングだった。二日後には、毎年恒例の秋キャンプが始まるからだ。

 サウザの街を出て少し歩いたところ――街の南方――に、小高い丘のような山がある。街の人々から『キャンプ場』と呼ばれる場所だ。そこで二泊三日のキャンプを行うのが、騎士学院の『秋キャンプ』だった。

 ただしキャンプといっても、単なるレクリエーションではない。騎士を養成する学院としては、野営訓練の意味を込めた行事だった。

 騎士団は、正式には軍隊ではない。しかし、もしも野生化したモンスターや他国の軍勢が街に攻めてきた場合、街を守って戦う必要がある。

 もちろん、勇者伝説の時代ではあるまいし、現代ではモンスターが人間を襲うなんて、滅多にないことだ。また、大陸全土が一つの王国として統一されている北の大陸では、仮想敵国も、東か西の大陸から海を渡ってくることになる。だから大陸南部にあるサウザの街まで攻め込まれることは、まず起こり得ない。

 それでも、そうした「もしもの場合」に備えるのが騎士ということで、騎士学院でも野営訓練の教程があるのだった。

 四人の勇者が魔王を滅ぼしたという伝説にちなんで、この世界には「何事も四人一組が基本」という慣例がある。それにのっとり、騎士学院の秋キャンプも、四人で一つの班を構成することになっていた。当然のようにファバは、フィリウスとグラーチとブランの三人と一緒だ。

「秋キャンプで班行動があるから、その前に、四人の結束を強めておく方がいいだろう?」

 フィリウスは、危険な肝試しを今わざわざ行う理由として、そんなことを言っていたが……。

 無茶苦茶な理屈だ。

 四人一緒に屋敷に突入するならばともかく、順番に一人ずつ入るのであれば、全然『四人の結束』にならないじゃないか。

 そうファバは思うのだが、弱気なファバは、自分の意見を口に出来ない。結局、こうして今、フィリウスに言われるがままに、肝試しに参加しているのだった。


 突然。

 ファバの思考を遮るかのように、上から物音が聞こえてきた。

 ガタガタッという、何かが大きく動くような音だ。

「今のって……」

 考えるのをやめて、現実に戻るファバ。

 もうファバは、かなり階段を上ってきており、三階も目の前だ。つまり、上からの物音は、一階や二階からではなく、問題の部屋があるという三階から聞こえてきたことになる。

「まさか、幽霊?」

 思わず口にしてしまってから、ファバは、まるで自分の言葉をかき消すかのような勢いで、大きく何度も首を横に振った。

 そもそも、幽霊なんて、いるわけがない。

 生き物が死後にアンデッド系モンスターとして蘇ることはあるらしいが、それは、あくまでもモンスターだ。怨霊や悪霊とは違う。モンスター退治に長けた騎士ならば適切に対処して倒せるはずの、実体のあるモンスターだ。

 人魂のような形をしたウィスプ系モンスターも実在するが、それだって、人魂でもなければ霊魂でもない。れっきとしたモンスターであり、幽霊のような「よくわからないもの」とは、存在のカテゴリーが違うのだ。

「いるわけない、いるわけない、いるわけない……」

 念仏のように唱えながら、足を進めるファバ。

 頭の中で「どうせ誰かの悪ふざけだろう」と考える。

 三人のうちの誰かが、こっそり三階に上がって、ファバを怖がらせるために、幽霊が騒いでいるような演出をしているのだ。

 もちろん、階段の途中で追い抜かれたらファバだって気づくから、その『誰か』は別ルートを使ったのだろう。おそらく裏口や別の階段があって、そちらから先回りしたのだ。下見をしていたフィリウスたちは、この屋敷の構造も熟知しているはずであり、それくらい実行可能に違いない。

「こういうのは……。グラーチが細部まで考えて、フィリウスが命令して、ブランが実行役かなあ?」

 具体的な人選まで想像するファバ。

 そう考えると、少しは恐怖心も薄まってきた。三人のイタズラならば、過度に恐れる必要もない。

 ファバは、心を落ち着けるために、大きく一つ、深呼吸するのだった。


 三階に到着したファバは、言われた通りに、左へと進む。

「これは……」

 問題の部屋に近づくにつれて、建物の損傷具合は酷くなってくる。焼け崩れた結果なのだろう。天井がなくなっている部分も多く、夜空と繋がったところからは、月明かりが差し込んでいた。壁が崩れて瓦礫が散乱しているところもあり、普通に廊下を歩くだけで、かなり気を使う。まるで、障害物レースのコースのようだ、とファバは思った。

「でも、フィリウスが下見をしたと言ってるから……。儀式の部屋まで行けることだけは、間違いないはず……」

 ここで引き返したら、馬鹿にされる材料が増えるだけだ。ファバは、自分を勇気付けながら、歩みを進めた。

 そして。

 ついに、突き当りの部屋に辿り着いた。

 入ってみたら、すぐにわかった。確かに、この部屋こそ『魔女』が焼身自殺を成し遂げた場所なのだろう。部屋中が焼け爛れたような感じになっていて、崩れ落ちた壁や天井板の破片など、今や単なる瓦礫と化した物も散らばっている。

「こんな状態で……。本当に、呪いの人形なんて、残っているのかなあ?」

 はなはだ疑問だが、せっかく来たのだ。ちゃんと探さずに帰ってしまっては、頑張って辿り着いた意味がなくなる。

 そう考えて、ファバは、問題の人形を探し始めた。

 とりあえず、パッと見てわかる範囲内には、それらしきものは見当たらない。仕方がないので、瓦礫を一つ一つ取り除きながら、丹念に探していく。

 そうやって、部屋の半分くらいまで探し尽くしたところで……。

「あった!」

 思わず、歓喜の声を上げてしまった。こんな場所には似つかわしくない、明るい声だ。

「……これだよな? うん、間違いない」

 自分を納得させる意味で、自問自答するファバ。

 瓦礫の下で眠っていたのは、薄汚れた人形だった。

 グラーチから聞いた『魔女』のエピソードでは、木彫りの人形だったはずだが、これは布製のぬいぐるみだ。それに『魔女』の焼身自殺に巻き込まれたにしては、それほど損傷しておらず、五体満足なのだが……。

「いやいや、考えるのは後にしよう」

 呪いの屋敷と言われる『魔女の遺跡』に――しかも『呪い』の中心であるはずの部屋に――長居するのは、考えるまでもなく良くないことだ。少しくらい不自然なことがあっても、それについては、屋敷を出た後で考えればいい……。

 ファバは思考を放棄して、この人形を持ち帰ることに決めた。

「ごめんなさい。失礼します……」

 一応、いけないことをしているという意識はあったのだろう。誰に対して謝っているのか自分でもわからぬまま、ファバは謝罪の言葉を口にして、人形に手を伸ばす。

 その瞬間。

 カッと大きく、人形が目を見開いた。


――――――――――――


 同じ頃。

 玄関前で待っていた三人は、庭に生えた雑草をむしったり、意味もなく夜空を見上げたり、転がっている小石を投げてみたりして、手持ち無沙汰な時間を過ごしていた。

「ファバのやつ、そろそろ問題の部屋に辿り着いた頃かな?」

 ポツリとフィリウスが呟くと、真っ先にブランが反応を示す。

「さあ、どうでしょう? あいつ、モタモタしてるから、まだ階段の半分くらいかもしれませんね」

 ブランは、フィリウスやグラーチと同じく騎士の家柄だが、庶民のファバからも「フィリウスの腰巾着」と思われているくらいで、それが四人の中での立ち位置だった。いつもフィリウスのことを「フィリウス様」と呼ぶし、彼に対してだけはタメ口ではなく、丁寧な言葉遣いで接している。

 フィリウスの父アリカムが、都市警備騎士団で小隊長として働いているのに対して、ブランの父親タントゥムは、ヒラの騎士だ。同じ小隊ではないから、アリカムの直接の部下ではないが、それでも「親の格が違う」ということから、ブランは今のような態度になっているらしい。

「さすがに、それはないだろう。いくらファバだって、もう三階に着いたんじゃないかな?」

 グラーチが意見を述べると、それに対しては肯定も否定もせずに、フィリウスが口元をニヤリと歪ませる。

「どちらにせよ……。あいつ、部屋に入ったら驚くだろうな。そもそも人形なんて存在しないのだから」

 そう。

 彼らはファバに「呪いの人形を取ってこい」と言いつけていたが、そんなものが残っているはずもないのだ。『魔女』が焼身自殺した際に手にしていたという話だから、人形も一緒に燃えてしまったに違いない。

 もしも、その一部が残っていたとしても、当時の品々は、調べるために押収されているはずだ。特に、呪いの人形なんて、最重要の証拠物件だろう。自殺や火事の件について捜査する上でも、彼女が研究していたという呪いについて調査する上でも。

 実際、昨日フィリウスたちが下見をした時にも、それらしき物は、問題の部屋には見当たらなかったのだ。

「ファバのやつ、何時間くらい探し回ると思う?」

 リーダー格のフィリウスが、グラーチとブランに問いかける。

 ありもしない人形をファバに探させて、困惑と疲労で参ってしまったファバが出てきたところを、三人で笑ってやろう……。それが、今回の企画の主旨だったからだ。

「どうでしょうねえ? あいつ、そんなに根性があるとは思えないから……。俺が思うに、案外あっさりと……」

 ブランがフィリウスに答えようとした時。

「おーい!」

 話題にされていたファバが、大きく手を振りながら、屋敷から出てきた。

 彼の手には、ありもしないはずの人形が握り締められていたのだが……。

 屋敷から漏れる光と月明かりしかない、薄暗い夜の中。

 フィリウスたち三人は、まだ誰も、その人形の存在に気づいていなかった。

   

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