私、今もここにいるのに。
私、ここにいるのに。
つまらない人生の延長線上、歪みも傾きもなく真っ直ぐ伸びている。
何の変哲もないこの道にいつか変化が起こってほしい、何でもいいから。
そう願いながら今日も何もせず普段を過ごしている。
16の春は驚くほどすんなりとはじまった。新生活のワクワクもドキドキもないまま歩いている。みんなの瞳は光が反射した淡い色のビー玉のように輝いている。
私はその光を感じられない、きっと瞳の中に煙を閉じ込めてるせいで汚れて視界が悪いんだ。寂しいわけでも嬉しいわけでもなく、日常を貪っている。
何がきっかけって訳でもない、ある日発見や気づきに感動を覚えなくなった。
そしたら次第に全てが億劫になって、頑張ることをやめた。一生懸命を嘲笑った。
最終的にこれにも飽きて新しい変化を受け入れられるような自分を待っている現状だ。
あぁもし感情に色をつけるなら私のは無色透明。透き通っているかは怪しい。
いつか感情なんてわがままなことは言わないから目前だけでもが彩られたらいいのに。
春の夕日に照らされた通学路、目の前では淡い薄紅の花が風に揺れてはらはらと舞い落ちる。きっとこれは『綺麗』なんだろうけど、目が曇ってるせいで何も感じない。
これは私のせいじゃない。今の日常のせいだ。
私は悪くない。神様に手渡された条件が悪いんだ。
珍しく一筋の熱く暗いものが心に灯り、いつもとは違うことがしたくなった。
普段だったらこんなこと絶対しない。でも理不尽な、それでいて無意味な怒りがそうさせた。
次の瞬間、風が強く吹く。その音に隠して吐き捨てるように
「私をここに置いて、どこかに行きたい」
自分で言ってて意味はわからないし、そんなことはできないと鼻で笑った。
気が済んで、また歩きだす。少し進んだところで後ろから声がして振り向く。
花びらが綺麗に散るさなかに一人誰かが佇んでいる。また声がして
「承知しました。では明日からいってらっしゃいませ」
何かのいたずらだろうと思い、歩きだす。
影が長く遠くに伸びていく。
翌朝、違和感と共に目が覚めた。
朝の9時を過ぎてるのに母さんが起こしにこない。ぬくぬくした布団をでて、とりあえず制服を着るか。
制服に手をかけようとすると、いつもかけている場所に制服がない。落ちてるのかと思って辺りを探すがどこにもない。これはさすがにおかしい、誰がか着ていくことなんてないし。
慌てて下に降りると母さんが台所で洗い物をしていた。変わった様子がなくて安心する。
「ねぇ母さん私の制服どこだか知らない?」
そう尋ねても返事がない。勢いよく流れるみ水の音にかき消されてしまったのかと思ってもう一度次は少し大きな声で聞いてみる。けど何も返ってこない。急に寒気がしてきた。
もしかしてこれは声が「聞こえてない」のではなく「届いてない」のではないか…
怖くなり大きな声で必死に
「ちょっとお母さん、聞こえてないの、ねぇ、返事してよ!」
と叫んでも振り向く気配がない。
これは何かの冗談だ、きっと肩を叩けばこっちを向いてくれるはず。
後ろまで近づいて肩に手を置こうとしたとき
私の手は母の体の中に音もなく沈んでいった。
「い、いやぁぁぁぁぁぁ」
劈くような悲鳴が部屋中に響き渡る。急いで手を引き抜くと手は元の形に戻っていた。
けれど指先は少し透けていて、触ろうとすると指同士が混ざり合ってしまう。
待って、何が起こっているのかわからない。焦って呼吸が早くなり、汗は身体から吹き出してくる。
しかしこんなにも生きているのに心臓が身体に打ち付ける音だけ一向に聞こえてこない。
私もしかしたら、まさか、でも、もしそうなら、
そうだ、制服がないってことは、こうなった原因はそれを着て学校に行ったに違いない。
私はなりふり構わず家を飛び出した。
急いで教室に向かうと、そこにはいつもの光景が広がっていた。ただ一つを除いては。
「××ちゃんウケる」「えーなにそれ」 「ほんとだよ〜面白いでしょ」
クラスの中心では明るい笑い声が聞こえた。いつもはこの時間もっと静かなのに。
少しずつ近づくと聞き覚えのある声が談笑を誘っている。
人と人の合間から見えたのは、私自身だった。
「××こんなに明るかったけ」「××ちゃん面白い」
名前のところに雑音が入って聞こえない。
そこにいるのは私じゃない、私はここにいる
そう私が、わたしが…。あれ私って誰?あの子は誰?
恐怖で声もでなっかった。手足は震え、また呼吸浅くなってくる。
もう一人のわらしはわかっていたかのようにこちらに視線を向け、ゆっくりと微笑むながら近づいて来ようとしている。
だめだ、逃げなくちゃと、震える足を必死に前に前にと動かす。
なんでこんなことになったんの、私が何か悪いことでもしたっていうの。
でも頭のどこかで自分の犯したことがわかっている気がした。
ゆっくりとそれでいて余裕のある表情で彼女は追いかけてくる。
あんな顔私にもできるんだ、肩まである髪をしっかりと結っていて、背筋を伸ばし清々しいほど綺麗な笑顔をしている。
何度も振り向くたびに後悔と悲しみと怯えで顔がぐちゃぐちゃになる。
昨日見た桜の木の下で、足に力が入らなくなった。足先が透けてきたのだ。
どうしようこのまま全身が消えてしまったら、やっとの思いで支えていた体からスッと力が抜け膝から崩れ落ちる。
「何で逃げるんですか?願いを叶えてあげたのに、お礼の一つもないなんて」
正面から穏やかな自分の声が聞こえてきた。いつの間に…
「ここんなこと願った覚えはないし、“私”を奪われる理由もない」
「いいえ、あなたは昨日「私をここに置いて、どこかに行きたい」とおっしゃりましたので
私があなたになります。どうぞ何処へでもいってらっしゃませ」
「そんなのただの独り言じゃん。現に同じ顔が二つあったら変だから他の顔にしてよ」
「私の顔はもうこの世で一つですよ。ご覧になりますか?」
彼女が私の前に手鏡を差し出し、そこに写しだされたのは目以外の何一つ凹凸のない真っさらな顔だった。
「やめてよ、いやだ、返してよ返して」
彼女の足元に縋りつく。
「もうお返しすることはできません。」
「違う、そうじゃないの」
「あなたは声に出して言葉という形にしてはっきりおっしゃっていましたよ」
わたしは相変わらず穏やかな清々しい笑顔で淡々と現実をたたきかけてくる。
取り返しのつかないことをしてしまった。もっと今に目を向けて自分に正直に生きてさえすれば生きていれば。目からは透明でも白でもない濁った涙が溢れ出した。嗚咽をあげ子供のように泣きじゃくる。
「泣いていても現実は変わりませんよ。私には昨日よりも素敵に見えますよ。
まぁあなたができることはただ一つ、どこかに行くことしかできないのですから。もうやることはお分かりでしょう?」
冷えた言葉、馴れ親しんだ声が私の脳内と心臓に染みてくる。そしてその言葉に動かされるようにゆらりゆらりと歩きだす。
薄紅の淡い花びらが散り、新緑が生い茂る
夕日の色と温度がもうすぐ来る夏を感じさせる
「あぁ〜つまんないな なんか面白いことおきないかな」
女子高生の呟きが南風にさらわれた。
その風が新緑の葉と共に彼女の前に舞い落ちる。
その人の目前には四季に彩られ、淡い光にあてられたビー玉の様だった。
「承知ました。ではいってらっしゃいませ」
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