私、ここにいるよ。
小河
私、ずっとここにいるよ。
8月11日 彼女が行方不明になって1年になる。
あまりにも呆気なくいなくなってしまった。
警察に届けをだして、思い当たる場所も行きそうな人の所も全部探したがみつからない。
何も言わず、きっかけもわからず、そのまま1年が経ってしまった。
行方不明になる前日に彼女に会っている。とりわけ変わった様子もないまま時間は過ぎて、家まで見送ったときに夕日に照らされながら一言。
「わたし明日も今日を生きたいの。いいと思う?」
普段から少し変なことを言う子だからそれの類のことだろうと思い、特に気にもせず
「いいよ、そのときは俺も一緒ね」と言った。
「もちろん」と答えて、彼女は空に溶けていくとろりとした光の中で微笑んでいた。
次の日に彼女の母親から連絡がきて
「あの子がいないのよ、持ち物も何も持たずに、朝から誰も見てないって」
支離滅裂な言葉で事の重大さを理解した。
あとはさっき言った通り。最初はみんな誘拐や殺人を疑ったが、それらしき形跡もなければ死体も発見されていない。
そもそも彼女は色んな人に愛されて、また大きな愛で包むような子だ。
不思議なことを言うけれど意外としっかりしている。
だからほんとにどこかであの日の今日を生きているのではないか。
そんな気がして、すごくひどい悲しみが襲うことはなかった。
強いて言うなら俺も一緒に連れてってくれればよかったのにと思う。
今きみはどこに居るんだろう
考えを巡らせながらふと最後に会話した場所に行ってみたくなった。
どこにいるかもわからないかからこそあそこに向かう。
夏の暑さのせいで道が揺らぎ、また夕日がどろどろと溶けだしていた。
彼女と話した急な坂道の頂上へと歩み始める。
あの日は夏休みも半分が過ぎた頃。宿題を終わらせて、
その年初めて『夏』を満喫した日だった。
アルバムをゆっくりとめくるように思い出に浸る。
「ふふ、おじさんみたい」
何が起きたのかわからなかった。どこからともなく声が聞こえる。
それは聞き慣れた、またこの1年喉から手が出るほど欲していたあの子の声だった。
しかし彼女の姿はどこにもない。空耳だったんだろうか。
いやでも空耳にしては、くっきりと澄んだ声があの距離で聞こえた。急いで
「きみなの?」と問いかけたが返事はない。
「どうして、返事してくれないんだ?」
何度話しかけても彼女の声は聞こえない。
ただ俺の声が騒がしい蝉に掻き消されていく。
今日これ以上聞くことができないのなら同じ時間に来てみよう。
それから決まった時間に坂道の頂上に行くようにした。
「宿題は終わった?」
あぁ、終わったよ
「今年はとっても暑いね」
最高気温をまた更新したみたいだね
「また背伸びた?」
2cm伸びたよ
「やっぱり夏の夕日はマーマレードとレモンソルベの味がするよね」
またそんなこと言って、だからいつもきみは不思議ちゃんって呼ばれるんだ
放たれる言葉に返事をする。次の言葉が続く訳では無いのに。
手繰り寄せようとしてもするりと手から抜けていく、すぐそばにいるのにとても遠い。
そうして5日間通った。この状況を解決する術もみつからないまま。
毎回彼女と何気ない会話をするために、いつもしていたような会話を…。
けれどダラダラといつまでも続ける訳にはいかない。
みんなだって話したいだろうし、おばさんおじさんもずっと会いたがっている。
今日こそは彼女に俺から話しかけてみよう。緊張が走る、もし拒絶されたらどうしよう、
話しかけて消えてしまったらどうしよう。
不安に背中を押されながらあの場所に向かった。
夕日が溶け始める。
マーマレードとレモンソルベなんてどっちも甘くて口の中でケンカするに決まってるだろ。
どろどろ溶け合って甘ったるくて酸っぱい不思議な時間
いつもなら出会わないものが時を共にする時間
そこにきみは現れる。
生きていてくれ、もう一度きみと手を繋いでこの坂道の上で暑苦しい時間を過ごしたい。
希薄な望みと悲しい現実の狭間をさまよいながら頂上に着く。
全ての感情を絞り出して声にする。
「なぁ戻ろうよ、また同じ時間を一緒に生きよ。
どこにいるの?でてきて」
辺りに俺の言葉が響き渡る。
「ありがとう、嬉しい」
ずっと待っていた彼女の後ろ姿が陽の光の中から現れた。
けれどこちらを向いてはくれない。腕を掴もうとするとさっと避けられてしまう。
そのまま坂にあるわき道を駆けていく。こんな道あっただろうか
「こっちこっち早く来て」と言いながら徐々に速度をあげていく。
見たことのない道や人気のないアパートの前、廃れた路地裏を迷いなく駆けていく。
「待って」と言っても止まる素振りさえない。
必死に追いかけていたら、見晴らしのいい高台に着いていた。こんな所あったんだ
学校や自分達の家、二人でよく行っていたカフェや公園も見える。
彼女はまだこちらを向いてくれない
それでもいい、とにかくきみと一緒に居たい
「どうして逃げるんだ、今までどこにいたんだよ
みんな必死で探してたんだぞ」
「え?どうしてそんなことするの?」
「そんなのみんなきみが好きだからに」
次の言葉を続ける途中で彼女に強く抱きしめられた。
君の声、香り、腕のなか。頬をくすぐる髪の毛はあの頃と変わらない
けど抱きしめられる腕は冷たく、二人の足は地をついていない。
そしてきみは俺の耳元でそっと優しく囁いた。
「私、ここにいるよ」
そうか、今日は送り火だったな。
これでずっと一緒だ
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