クローゼットよりハロー、ハロー! ②

「ええ……」


 何か、気に障る事をしただろうか。変な事を言ったつもりは無いし、やったつもりも無い。もしかしたら敬語を使わなかったのが拙かったかもしれないが、それにしたって急にあんな風にそっぽを向かれるものだろうか。分からない。


 暫く白い少女が消えていった階段を眺めていたニナだったが、やがて諦め、外の雨模様に視線を戻した。人間じゃない相手にそうされた経験は多分これが初めてだが、こんな接し方をされた事自体自体は別に初めてじゃない。ニナがえる世界の事を正直に話せば、大抵のヤツは変な顔をしてそのまま離れていく。一人でいるのも、「嘘吐き」呼ばわりされるのも、もう慣れっこだ。


「……」


 ニナの鼻で嗤う音は、雨の音に掻き消された。何だかドッと疲れが押し寄せてきて、ニナは膝を立てた両足を抱え、丁度良い位置に来た膝に自らの額を乗せて目を閉じた。できる限り身体を小さくし、こっそり呼吸していれば、世界の殆どはニナに気付かない。目を閉じて頭を伏せているから何も見えないし、誰かが声を掛けてくる事も無いから煩わしくなくていい。


 雨の音は聞こえるが、静かだ。雷が唸る音も今は遠く、風や外の木々の葉擦れの音さえも何処かよそよそしい。


 一人。独りだ。周りに人が居ても、居なくても、ニナの世界にはニナ一人しか居ない。他の奴等は自分達には理解出来ないモノを「普通じゃない」と決め付けるから。


 だから、もういい。もう慣れた。


 これまでも、これからも、ニナは“普通”にはなれない。なってやらない。それよりは奴等には理解出来ない世界を独りで生きて、独りで死ぬ。そう決めた。


 ――だから、


「!?」


 俯けていた頭に、唐突に何かフワフワと柔らかいものを掛けられた時、ニナはただただビックリした。


 慌てて顔を上げると、真っ先に視界に飛び込んできたのはとにかく真っ白で手触りが良さそうなドレスだった。さっき見た時は気付かなかったが、その服は全部真っ白にしたメイド服っぽい。近くで改めて見てみると、その顔は幼いながらも人形みたいに完璧に整っていて、それだけで彼女が人間じゃないことを実感してしまう。そんな彼女は、どういう訳か嬉しそうにニコニコと笑いながら、ニナの顔をジッと見下ろしていた。


 さっき、階段の後ろからこっちを覗いていた白い少女だ。さっき、いきなりそっぽを向いて何処かに行ってしまったのに、また戻って来たらしい。


 もしかして、を取りに行っていたのだろうか。


 頭に掛けられた柔らかいものを掴んで引っ張り、ニナはそれをマジマジと見詰める。それは柔らかくてフワフワで良い匂いがする、新品同然のタオルだった。こんな人が居ない場所では自然乾燥しか無いと思っていたから意識から外していたけれど、今のニナは服も髪もずぶ濡れだ。もしかして少女は、ニナにこれを使えと言っているのか。

 

「あ、アンタ……」


『?』

 

 やがて、キョトンとした様子で少女が首を傾げる。ニナがその表情の変化に戸惑っている内に、彼女は一歩ニナに向かって踏み込んで、その両手を伸ばしてくる。ビックリしたニナが硬直してしまい、特に反応出来ないでいる内に、白の少女はニナの頭に掛かっていたタオルをむんずと掴む。


 そしてそのまま、丁寧に、けれど割と遠慮無く、ニナの濡れた髪を拭き始めた。


「わ、わっ……!?」


『♪』


 やめて、とか。さわるな、とか。


 咄嗟に脳裏に浮かんだ言葉は複数あったけれど、結局はそのどれもが口に出せなかった。白の少女はニナをイジめている訳ではないし、そもそも悪意がある訳でもない。むしろその逆で、だからニナはどんな反応を返せばいいのか分からない。


 その間に、白の少女は一通りニナの髪や顔を拭き終わってしまっていた。が、彼女はそれだけでは満足しなかったようだ。声は上げないけれど楽しそうにニコニコ笑いながら、ニナの手を引っ張って立たせてくる。戸惑いから立ち直り切れていないニナが素直に立ち上がってしまうと、少女はそのままニナの手をグイグイと引っ張って、屋敷の奥に向かって歩き始めた。


「! ちょ、ちょっと待って……!」


『??』


 屋敷の奥は、流石にマズい。目の前の少女からは悪い気配は感じないが、この屋敷には嫌な気配が渦巻いている。だから玄関までしか入らないと決めたのだ。第一、この屋敷には“主”と言うのが居るらしい。目の前の少女がそうである可能性も無くは無いが、ニナにはそうは思えないのだ。服装と言い行動と言い、少女は主と言うよりは召使いっぽい。主の許可無く屋敷の奥にまで踏み込むのは、礼儀とか筋的にアリなのだろうか。


「ダメ。私行きたくない」


『!』


 言いながら、ニナは引っ張られていた手を引っ張り返して抵抗する。白の少女はビックリしたように目を丸くしながらニナを振り返って来たが、それ以上ニナを無理に引っ張っていこうとはしなかった。彼女はあっさりと手を放し、立ち止まる。その代わりにニナの直ぐ近くにまで歩いてくると、ニナの服の裾を摘まみ、軽く引っ張ってくる。ニナより小さくて幼く見える少女にそんな事されるのは慣れてなくて、なんだか変な気分だが、彼女は人間じゃない。見掛け通りの年齢でもないだろうし、この行動にはちゃんと意味があるのだろう。


「え、なに……?」


『――』


 聞き返すと、少女はさっきよりもやや強めにニナの服を引っ張ってきた。摘ままれた服の裾から雫が垂れて、床のカーペットを濡らす。それで、ニナにもピンときた。もしかしたらこの少女は、ニナの濡れてる服を何とかしようとしてくれているのかも知れない。


「いや、あの、別にいいよ。着てりゃ乾くって」


『……』


 ニナの服の裾を摘まむ力が、フッと弱まった。さっき手を引っ張るのを止めてくれた時も思ったが、この子は結構物分かりが良いらしい。


 ……と、そんな風に、ニナが油断してしまったその瞬間だった。


『――!――!!』


「は!? ちょちょちょちょ……!?」


 がッ、と今までの様子からは想像出来ない乱暴さで、少女の両手がニナの服を掴む。しかもただ掴んだだけじゃなくて、グイグイと引っ張って無理矢理脱がせに掛かってくる。華奢な見た目からは想像も付かない程の力で、ニナは即座に自分に勝ち目が無い事を悟った。


 このままじゃ間違い無く素っ裸だ。“人”は居ないのだから気にする必要は無いのかも知れないが、それとこれとは話が別だ。


「待って、待ってって! 千切れる! 千切れるから!!」


『――!!――!!!』


「ああもう、分かった、分かったから! せめて別室とかで着替えさせてよ!」


 ニナが夢中でそう叫んだ瞬間、少女はあっさり力を緩める。勢い余ったニナは何歩か後ろ向きによろめいてしまう結果になったが、少女は特に悪びれる様子は無い。ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべながら、改めてニナの手を取ってくる。


「……アンタ、結構強引なんだね……」


『♪』


 少女は、今度は足を止めなかった。ニナの言葉が聞こえなかったのか、それともとぼけているのか。何にせよ彼女はニナの手を引いたまま、ズンズン屋敷の奥に向かって歩いて行ってしまう。階段を上って奥にあった扉を開き、奥の廊下へ。相変わらず人気ひとけの無い古い屋敷の様相だったが、荒れ果てている訳では無い。もしかしたら、この少女が手入れをしているのかも知れない。


「……でも、私を勝手に奥に案内していいの? 私、この屋敷には“主”ってのが居るって聞いたんだけど」


『!』


 ニナにとっては重要な質問だったのだが、少女は殆どノータイムでコクコクと頷いて見せた。やはりこの子はこの屋敷の“主”ではないようで、ついでに言えば“主”に関しても特に心配はしていないらしい。ニナみたいな存在には興味が無いのか、或いは親切なヒトなのか。どちらにせよニナにとっては面倒臭くなくて有り難い話だが、得体の知れない“主”とやらが潜んでいるのであろう屋敷の奥に向かうのは、やっぱりちょっと落ち着かない。


「あの、その辺の適当な部屋でいいからね?」


『♪』

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