クローゼットよりハロー、ハロー! ①
鉄格子を抜けても、玄関に辿り着くまでには少し時間が掛かってしまった。外から見た以上に屋敷は大きくて、そして何より手入れが全然されていなかったからだ。元々は舗装された石の小道の脇を彩っていたのであろう草やら木やら花やらがてんで好き勝手にその手を伸ばし、その道はちょっとしたジャングルと化していたのだった。
雨の所為か普段以上にベタベタと服や肌に貼り付いて来る草花に舌打ちしつつ、邪魔してくる草花を掻き分け、掻き分け、漸く玄関に辿り着いた時には、ニナはすっかり濡れ鼠になってしまっていた。鉄格子の門の所で感じていた「嫌な予感」よりも、肌に貼り付く服や草花の「不快感」の方が強くなっていて、ニナはあまり躊躇無しに玄関の扉に手を掛ける。ベースの分厚い木の板に、金属製の取っ手や装飾、ライオンの頭を象ったドアノッカー。如何にも金持ちの家の扉っぽい、無駄に大きなそれを身体全体で押し開けてやると、途端にカビ臭い空気がドッと流れ出て来て、ニナは想わず顔を顰めてしまった。
「……」
身体全体で押し開けたものだから、扉を開くと同時に中に踏み込む形となってしまった。その時点でちょっと用心が足りないような気もしたが、取り敢えずニナは半ば扉の陰に姿を隠すような形で、屋敷の中の様子を窺ってみる。
雨天とは言え屋敷の中と外では外の方が明るいらしく、ニナが立っている所からではあまり詳しい様子は分からない。
が、それでも暫く頑張って目を細めて闇を凝視していると、その内
(大丈夫……そう?)
此処にいるだけでも、雨宿りする分には十分そうだ。一応扉は開けたままにしておいて、異変を感じたら直ぐに飛び出して屋敷から逃げる。
さっきも決めた事だが、改めて方針を確認し直して、ニナは扉の陰から一歩足を踏み出す。絨毯が敷き詰められている床は踏んでも軋み声を上げたりはせず、代わりに、もふっとニナの一歩を歓迎してくれた。
「おお……」
扉を限界まで開け、勝手に戻る事が無いのを確認してから手を離す。それでも若干不安だったので、手近な調度品を持っていって
「……あー……」
呻き声を上げつつも最後の気力を振り絞り、座る際に脇に下ろしたリュックサックに手を掛ける。中の状態を確認すると、案の定雨水が漏れて予備の服が酷い事になっていた。乱雑に次から次へと取り出して、適当に絨毯の上に広げる。
「……つっかれたぁ……」
座ったまま、頭を後ろに仰け反らせる。ゴン、と結構派手な音がしたが、そんなの気にならないくらいに今は疲れていた。
何しろ今日はまだ暗い内から施設を抜け出して、今の今までずっと移動を続けていたのだ。ただ歩いていただけではない。徒歩だけでは追い付かれるかも知れないと思ったから、こっそり溜めていたお金を使って汽車に飛び乗り、名前も聞いた事が無いような駅で降りた。不躾な視線に晒されながらも人混みに紛れ、これまで見た事もなかったような大きな街を抜け出したところで、雨に降られた。
まったく、サイコーだ。馬鹿みたいに高い電車賃を設定した奴も、旅立ちの日に粋な天気をプレゼントしてくれたカミサマも、皆仲良く地獄に墜ちればいいのに。
ゴロゴロと、空から不機嫌そうな唸り声が聞こえたのはその時だ。さっき外で聞いた時は大分遠かったが、今のは少し近かった気がする。
「……うっせーよ。たかが小娘の
視線だけを巡らせて空を睨み、牙を剥くようにニナは呟く。こんな言葉遣いをしようものなら、よくてお説教、悪くて頭に一発だ。特にアイツの一発は本当に容赦無くて、我慢しても涙が漏れてくる程度には痛かった。若くて美人であるにも関わらず、口より先に手が出るから、アイツは他の子供からも怖がられているし、大人からも敬遠されている。ニナのこの口調だって元は言えばアイツのそれから覚えたものなのに。どうしてアイツは良いのにニナはダメなのか。意味が分からない。
幸い、カミサマはアイツとは違って寛容なようだった。雷の唸り声はそれきり聞こえては来ず、誤魔化すような雨の音だけが聞こえてくるばかりだ。
……ふん、勝った。
口の端を吊り上げてニヤリと笑い、ニナは視線を空から外す。ヤバい気配は特に感じなかったし、何か特別な理由があった訳でもない。本当に何の気無しに、ニナは不機嫌そうな空から暗い室内へと視線を移した。
だから、驚いた。
真っ暗だった筈の室内に、不自然な程に真っ白な“何か”が、何時の間にか現われていたからだ。
「……!!?」
“それ”が何であるかを確認するよりも早く、先ずは身体が動いた。その場から中途半端に立ち上がり掛け、いつでも逃げられるよう全身を緊張させながら、ニナはいきなり現われた“白いモノ”の正体を見極めようと目を凝らす。
それはニナから見てより遠くの方にある階段の陰に半分隠れていて、物陰から覗いてくる子供のようにニナの様子を窺っていた。
とにかく真っ白な、正当に女の子っぽいロングスカートのドレス。くりっとしていて可愛らしい、興味津々といった様子でニナを見つめる目は白っぽい銀色で、ショートボブな髪は目と同じ色をしている。年の頃はニナよりも少し年下くらいで、恐らくは十歳前後だろうか。
物陰から覗いてくる子供のようにと言うか、アレはまさに物陰から覗いてくる子供そのものだ。こんな
「……驚かさないでよ……」
きょとん、とした様子で、白い少女が僅かに首を傾ける。人形のように整った目鼻立ちを持つ女の子だから、そんな何気ない仕草でも、何だか必要以上に可愛く見える。
「勝手に上がっちゃってごめん。ここ、アンタの家?」
『!』
中途半端に浮かせていた腰を再び絨毯の上に落ち着けつつ声を掛けると、白い少女はビックリしたようだった。ちょっとだけ跳び上がって背筋をピンと伸ばし、口元を片腕の袖で隠しながら、オロオロと周囲を見回す。どうやら、自分が話し掛けられているとは露程も思っていないらしい。
「アンタだよ、アンタ」
『……?』
自分以外に誰も居ない事を確信したらしい。やがて少女はニナに視線を戻し、恐る恐るといった様子で自らを指差す。彼女の袖は萌え袖になっているので実際には彼女の指は見えなかったのだが、まぁ仕草的には間違いないだろう。
「そ。アタシ視える人だから。雨が降ってきちゃってさ。止むまで、此処に居させてくれたら有り難いかな。晴れたら直ぐに出てく――」
ふぃ、と白い少女が身を翻したのはその時だ。
突発的な行動にビックリしてニナが言葉を呑み込んでしまったのを余所に、白い少女は階段の陰に入って行ってしまい、完全に姿が見えなくなってしまった。
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