「バーカ」

「やめて!」


 突き飛ばす。何か嫌になって、10歩くらい後ずさった。手が交差する。


 どうして、どうして和馬がここに? 麻希の近くにいたんじゃなかったの?


「なんで……。なんでここに!」

「ごめん、福山から携帯借りてさ。それで探しながら麻希に中継してもらってたんだ」


 そんな、和馬だけにはここに来てほしくなかったのに!


「で……」

「来ないで!」


 叫ぶ。


 ポタっと、コンクリートが濡れた。


「来ないでって言ってるの!」


 だって。だって和馬に近寄られたら。少し期待してしまうかもしれないから。


「全部聞いてた。麻希に話してたことも」

「だったら!」


 じゃあなんで和馬は!


「だったらなんで! 和馬はなんで!」

「そんなの、咲が好きだからに決まってるだろ!」


 やめてよ。そんなことを私に向けないでよ。


 そんな優しい言葉を卑怯な私に向けないで。


「だから、咲が好きなんだ! 咲と付き合いたいって思ったんだ!」

「そんなの無理だよ! 聞いてたんでしょ! だったらわかってよ!」


 無理だ。そんなの嫌だよ。


 だって、和馬は私の特別だから。オンリーワンなのに。


「咲だって、話してくれたじゃないか。俺のことが好きだって言ってくれたじゃないか」

「それが何になるの! それがあったところで何ができるっていうの! 何にもならないよ!」


 和馬との好きが双方向であったところで、いつかは壊れるんだよ。なら、そんなものいらないじゃない。

 何も作れないそんなものなんて要らない。


「そんなことない! 俺は咲が好きだ。なら、それだけで十分じゃないか!」

「何も知らないくせに! 和馬のくせに知ったような口ぶりしないでよ!」


 和馬のくせになんて言いたくなかったのに。そんなこと言っちゃいけないのに。


 フェンスギリギリまで追い詰められていた。襟元えりもとが濡れて気持ち悪い。


「誰かと付き合ったことないでしょ! 和馬にそんな経験ない! ならそんなこと言わないでよ!」


 だけど本当にそうだ。そういう思いが日増しに強くなっていく。


 和馬は何も知らないのに。私の苦痛も、悲しみも、何も。誰かを好きになって付き合って別れたことは和馬にはないし、そんな気持ちがわかるわけないじゃないか。

 結構仲良かったのに、分かれると同時に音信不通だ。もう戻れないそんな関係を懐かしんだことがあるか。そんなものあるわけない。わかるわけない。


 熱い。体が熱いよ。目も口もぐちゃぐちゃだよ。どうしようもなく嫌悪感が浮き上がる。


「誰かと別れた経験なんてないくせに、そんな簡単に人を好きとか、付き合いたいとかそんなこと言わないでよ!」

「俺とあいつは違う!」

「うるさい!」


 どうせ、和馬は何も失ったことがないくせに。恋人がいたこともなければ、その恋人を失ったことだってないのに。なのに、そんな簡単に好きだなんて言わないでよ。


「私はサイテーな人間だから! 和馬と付き合ったら嫌われちゃう! 和馬はそれでもいいの!? 私を嫌っても!? そんなわけない!」

「そんなことない!」

「そんなの知ったことじゃないよ!」


 どうせ、そうなる。だって、私の自分の性格の悪さくらい分かってるもん。ツンデレなんてかわいく行ったところでどうせとりつくろえない。


「俺は絶対に咲のことを嫌いにならない!」

「そんなことない、私が和馬に何をしたか全部知ってるくせに! そうだよ、本当は記憶あるもん! 告白しようとしてたのわかってて気づかないふりをしてたから! ほらやっぱり私ってサイテーじゃん!」


 ああもう! 自分の中で言いたいことがわかんないじゃないか。全部全部和馬のせいだ。


 こんなこと言いたくなかったのに。そんなこと言うつもりなかったのに、涙が止まらないよ。


「ほら。和馬だって、失望したじゃん。私なんて、どうせその程度だよ。天才だなんてもてはやされていい気になってるだけの」

「そんなことない! 咲に失望なんてしない!」


 もう、いいよ。取り繕わなくてもいいよ。もう、そんなこと言わなくても私は傷つかないから。

 体から力が抜けていく。ペタってへたり込んだ。


 泣き虫みたいに涙が止まらない。泣けばなくほど悲しくなってくる。もう、全部しゃべっちゃったもん。私に何も残ってないもん。


「俺は咲のことが好きだから。そういうところもひっくるめて好きだから」

「だとしても、もうおしまいだよ。私には何も残ってない」


 テンションがガクッと落ちて。もう、怒り疲れた気がする。もう嫌だよ。涙も止まらないし、何もかも。


「咲だって、俺のこと好きだって言ってくれたじゃないか。それは嘘なのか?」

「嘘じゃない。嘘じゃない。だけど、嫌いになりたくない。和馬のこと、嫌いになんてなりたくない!」

「だったら!」


 じゃりっという足音を立てて、和馬が近づいてくる。だけど、一歩も動けない。


「それじゃあ、嫌いになんてならなきゃいいだけだろ」

「無理だよ。そんなの無理だよ。だって私サイテーだし。いつか和馬に嫌われちゃう」

「そんなことない!」

「あるよ。いい所も悪い所も全部見られちゃうもん」


 だけど、和馬はへたり込んでいる私に近づいて来て。


 圧迫感を感じる。得体のしれない何かに飲み込まれていくような感覚がする。


「それも全部ひっくるめて、咲が好きだ。言ったろ? 俺は絶対に咲のことを嫌いになったりしないって」

「そうだけど……」


 確かにそんなことは言われたけど。


「それに、幼馴染なんだぜ? 昔っからいい所も悪い所もたくさん見てる。それを全部ひっくるめて、俺は咲が好きなんだ」

「でも」


 でも。何なのだろう。言葉が出て来ない。

 あれ、和馬に嫌われたくないのほかに、何がしたかったんだ。


「素直になってくれ。好きだって言ってくれたのは嘘じゃないんだろ? なら、何をはばかる必要がある?」

「だって」


 だって、何を言えばいい? 今更、そんな素直になったところで。何になるっていうのさ。

 何かになるんだろうな。


 ギュッと、和馬に抱きしめられた。顔が見られなくなる。


「俺は、咲のことが好きだ。咲だって、俺のことが好きだって言ってくれた。なら、いいじゃないか。俺は絶対に咲のことを嫌いにならない。それは保証する。だからさ、俺と恋人になって欲しい。絶対に、咲のことを好きでい続けるから」


 あれ、理由が、見当たらない?


「ダメ、か?」


 そんなことを言われてしまったらさ。

 嫌いになんてならないって言われてしまったらさ。

 何を守って来たかわからなくなるじゃないか。何のために和馬をこうやって遠ざけて来たのか、分からなくなるじゃないか。好きな和馬とどうして、恋人関係になっちゃいけなかったのか、わからなくなるじゃないか。


 酷いよ。和馬は酷い。私をもう逃げられないように仕立て上げて。そうして、一つずつ逃げ場をふさいでさ。好きなんだって気持ちしか私には残らないようにしてさ。

 卑怯だよ。私が言えた義理じゃないけど、そんなの卑怯だ。そうやって、私を閉じ込めようとするなんて、まったくもって和馬はズルい。


 そんなことを言われてしまったら。そんな風に思われてるってわかってしまったら。心の支えを取り除かれたら。


 こう答えるしかないじゃないか。



「……いよ」

「え? 今なんて?」


 ……な!?


 まったく、和馬は最後まで、そうやって、人の心をもてあそんで。私がどれだけ大変な思いをしてきたと思ってるんだ。

 腹が立つ。だけど、その腹立たしささえ愛おしく思えてきた気がして。和馬のヘタレだからなんて思えてきて。


 するりと、和馬の腕から逃げ出す。後ろ向きになった隙に袖で涙を拭いて、精一杯の笑顔を作ってさ。腕を後ろに回して、瞬きする。

 そうやって、これ以上ないくらい笑って、振り返ってやった。


 許さないんだから。和馬が、私のことをもっと必要としてくれるまで許さないから。



「バーカ」



 だって、これ以上ないくらい、和馬のことを好きになってしまったんだから。

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