もう嫌だから

 ……は?



 ちょっと、意味が分からない。君何を言ってるのさ。そんなバカなことを。あはは。だけど、それはしっかり私の耳に届いていて。


 世界から音が消えたような気がした。観客の動きが大きくなったせいで熱狂してるのはわかって。


 世界がゆっくりになって。


「ずっと前から好きだった! 俺と恋人になって欲しい!」


 だけど和馬の声だけはなぜか聞こえた。


 嫌だ。


 そんなの嫌だ。


 そんなことをしてしまえば、絶対いつか和馬に嫌われる。


 だからこれまで逃げて来たのに。何もかも装って、いろんなものを捨てて逃げ続けてきたのに。


 嫌だ、嫌われたくない。和馬に嫌われたくない。


 だからといって、断るなんて、出来なくて。そんなことしたら、間違いなく2人の関係に亀裂が入ってしまうから。


 近くに住んで一緒に通学して部活も同じなのに口のきけない関係なんて絶対嫌だから。


 でも、だからといって和馬と恋人になって、そして捨てられるのも耐えきれないから。


 もう嫌だから。



 ゴトン



 バイオリンが床に落ちる音がした。弓がカランと近くに転がって。


 ダッとさらに大きな音が舞台の床を叩いた。私の足が踵を返して逃げ出した音だった。


「咲、待ってくれ!」


 和馬の声が耳を通り抜けたけれど、誰にも、私にも舞坂咲の体は止められなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る