心地いい関係を壊したくないんだ

「よし、じゃあ今日はこんなところで終了!」


 ボーカルの水野麻希みずのまきの声で、私はベースを弾く手を止めた。ボリュームを下げてアンプの電源を切ってシールドケーブルを外す。いつの間にか午後7時前だ。6月は陽の落ちるのが遅いからついつい時間を忘れてしまう。


「おーい、咲。一緒に帰ろーぜ」

「ちょっと待って、ドラム片づけてから!」


 和馬の声を軽くすかす。ドラムは使っていた地学室に置きっぱなしにするわけにはいかない。ギターやベースならともかく、キーボードとドラムは学校の備品だし。あとアンプも。


「彼氏と一緒に帰るとか、羨ましいですなぁ」

深雪みゆきも彼氏いるじゃん」


 ドラムの新城深雪しんじょうみゆきがちょっかいをかけてくる。名前に反して恰幅がいい女子で、そして唯一の彼氏持ちなのだ。ドラム歴8年で、私たちのバンドの中じゃ一番うまい。


「というか、和馬は彼氏じゃないし。あのヘタレ和馬だよ? ないって」

「おいおい、それはひでーだろ」

「それじゃあ、和馬も手伝ってね。はいこれ」


 麻希がフロアタムを和馬に押し付ける。一番重いやつだ。ちゃっかりしてる。バスドラムは台車に乗せるしね。


 水野麻希は、明るい二つ結びのブラウン髪が特徴のかわいらしい女子だ。私たちのバンド、風花雪月の顔で、中学時代からの親友。私を軽音部に誘ったのも麻希だ。ギター、ベース、ボーカルなんでもござれだ。作詞はたいてい麻希が手掛けている。

 それと、バンドにはもう1人。キーボード兼たまにギターの篠原柚樹しのはらゆずきがいる。ギターは麻希が担当することもあるからね。長い黒髪を三つ編みハーフアップにしていて、清楚な雰囲気だ。青い淵が下半分だけの眼鏡をトレードマークにしてる。面倒な時はポニーテールにしてるけど。私もセットするの大変だし。

 ついでに和馬の紹介をしておくと、私の幼馴染で、軽音部の男子バンド、緑一色のギターボーカル。たまに助っ人として駆り出される。軽音部にはもう一つ、男女混合のバンドがあるけどあそこはあんまり仲が良くないかな。


「で、深雪はこれからデート?」

「そそ。つっても塾が同じだだけなんだけどね」

「いいなあ、私も彼氏欲しい」


 麻希が言う。そりゃ、軽音部に誘った動機がモテたいだもんね。高校でくらいは彼氏の1人や2人欲しいと。でも同時に2人はダメだぞ。


「ほら、せっせと働く。7時過ぎちゃうよ」

「俺関係なくない!?」

「関係ある、ほらほら」


 私もベースを片付けるとクラッシュシンバルを両手に持つ。片づけに行かないと先生に怒られるからね。

5人で片づければ一往復で済む。



 *****



「それじゃあ、また明日」

「またな」

「バイバイ」


 高校の最寄り駅から8駅。住宅街に立つ2面2線の高架駅で麻希と別れる。ちょうど家が反対方向なのだ。ちなみにこの駅まで乗ってくるのは私、和馬、麻希の3人だけだったりする。


「そう言えば、今朝、sqollスコールさんの新曲アップされてたよな」

「そう、それ!」


 sqollさんとはネットに自作の曲をアップしてる作曲家の人だ。作詞作曲演奏から、自分で歌うし、動画も作る、何でもできる人で、私の推しの1人だったりする。テンション上がるよね。しかも、女性で顔もきれいなのだ。これは全女性の憧れだよ。いや、流石に言い過ぎだけど。


「朝5時に携帯鳴ってなんだろうと思ったら新曲だったの! まさに神! おかげで今日は寝不足だよ」

「だから数学の時間寝てたのか」

「バレてた!?」


 マジか、バレてないと思ったのに。口をふさぐと和馬は顔を赤らめる。何やってんだか。


「まあ、な。でも、ちーちゃんには見つかってなかった。たぶん」

「よかったー」


 ちーちゃんは数学の先生。本名は長原千春ながはらちはるだったかな。若い女の先生で、ぶっちゃけ甘い。


「あ、そうだ。それ、持つよ。貸してみ?」

「いや、いいって」


 バイオリンケースを指さされる。バンドで使うことがあるで、ベースと共に持ち歩いているのだ。バイオリンの方が正直なところ得意だ。母親がバイオリンの先生で、小さいころから和馬と習ってたしね。

 リュックに教科書を入れて、ベースを左肩に背負い、バイオリンは右手に持つ。かなり重いけど6月にでもなればだいぶ慣れた。雨の日は辛いけど。そろそろ梅雨だから大変だな。


「こんなの、鍵盤ハーモニカと重さ大して変わらないって」

「いや、それでも、持つって。ほら、貸してみ」

「あ、ありがと」


 強引に奪われるようにバイオリンを手渡す。和馬もギター背負ってて重いはずなのに。ダメだ、私まで顔が赤くなってきちゃう。

 無理やり気分を入れ替えようと、両手で顔をペチンと叩いた。ベースが揺れた。


「さて、家に帰ったら採譜しなきゃね」

「新曲やるのか?」

「みんなと相談して決めるけど、やらないかもしれない」


 私たちはオリジナル曲もやるけど、既存曲も結構演奏する。大体4:6くらいかな。作曲と採譜は私が担当することが多い。


「『僕の知らないうちに町は廃墟になり果ててしまっていた』ってとこがすごく素敵なんだよね。やっぱsqollさんは神だわ」

「あとは、『爆弾を作り上げたのはこの僕なんだ』とか」

「そこも痺れた。『走った涙はきっと虹に変わるから』!」


 思わず叫んでしまう。ごめん、そこの小学生っぽい僕、不審な顔しないで。


「かっこいいから、弾きたいんだけど、採譜って集中できないからさ」

「気づいたらゲーム動画見てたりとか」

「それある!」


 そうなのだ。気がつけばsqollさん達のゲーム実況の動画を見ている。なんでだろうね。たぶん、こんなことしてるから成績悪いんだろうけど。


「それじゃあ、またね」

「また明日。採譜頑張れよ!」


 家のすぐ近くの四つ角で別れる。和馬の顔が少し赤かったのは、夕陽のせいだけではないはずだ。それは知ってはいるけれど、気づかないふりをした。



 *****



 本当のことを言うのなら、絶対誰にも言えないけど、和馬が私に、幼馴染以上の感情を抱いていることには気づいている。時々妙に艶っぽい表情を見せるし。その、異性として、好感を持たれている、つまり惚れているということには。というか、男子が小学生の修学旅行の時から噂してたし。

 和馬の学力なら、もう一つ上の高校も受験できたはず。でも、わざわざ専願で受験してるし、部活も同じところに食い込んできたし。流石にガールズバンドに入れはしなかったみたいだけど。片思い歴どれだけなんだろう。まさか、10年は越えてない……、よね?


 別に、和馬のことが嫌いなわけじゃない。そりゃ、喧嘩したことだってあるけど、そんなことで嫌いになんてならない。むしろ、どちらかと言えば、好きなくらい。

 だけど、付き合うとか、そういうのは無理だ。好きとかどうのこうのじゃなくて、出来ない。したくない。他に好きな人がいるとかじゃない。


 だから、和馬のことを意識してない風に振る舞う。ヘタレって言って、意識してませんよなんていう風に過ごしちゃう。本当は意識してるのに。眼中にないって思ったら、引いてくれないかなって思って。


 正直なところ、私だって和馬が好きだ。男らしいし、優しいし、イケメンだし。かっこいい。異性として、すごく、魅力的だ。ちょっと、取られたくないって思ってしまう。だけど、でも、結局のところ私は怖いのだ。この気持ちを認めてしまえば、ドロドロに溶けてしまうんじゃないかって。だから、嘘にしてしまえば。


 怖い。和馬と付き合うことになったら、私の中の大切なものが壊れてしまうんじゃないかって。幼馴染の和馬じゃなく、恋人の和馬になってしまったら、距離が変わってしまう。きっといらないことまで知って、知られてしまう。それは、とても怖い。なんだ、ヘタレは私の方じゃないか。

 今の、帰り道にだべったり、一緒にバンドやったり、部活仲間として遊びに行ったり。そういった、心地いい関係を壊したくないんだ。今のままで十分じゃないか。これ以上親しくなんてならなくてもいい。傷つくくらいなら、ずっと、このまま、この関係のままでいよう。この関係を壊したくない。


 納得してとは言わない。だけど、理解してほしい。和馬の中にいるのは映写機越しのきれいな私だけでいて欲しい。お願い、和馬。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る