第4話 笑顔



逃亡劇。

オレは、その只中にあると言っていいだろう。

手に汗握る展開になるのは物語の必然だろうが……こうして追走側の情報を見ているだけでも、モニター前にいるオレまでも急いてしまいそうになってくる。

逃亡者は、言葉の通り逃げるしかない。

ああああも、それだった。

なにもしていないのに罪を着せられ、なにもわからないまま逃げるのだ。

どんなに不安なことか、今のオレならわかるというものだ。

……まあ、冤罪ではないんですけどね。

映画の俳優だって、脚本家だって、べつに経験があるわけでもないのに、それらしいことをやったりしているではないか。モニターを見ているだけのオレが、逃亡者の気持ちをわかっても構わないはずだ。

なにせ、逃げているのは、オレの肉体なのだから。

山道を登り、川を渡り、昼は洞窟に潜み、夜に距離を稼ぐ。

辛いだろう。苦しいだろう。

それでも、オレの指示に従い、追っ手から逃げつづけているのだ。

笑顔で。

……。

べつに構わないではないか。

神さまからの駆けっこ遊びの提案に乗っているのだから、ああああも笑顔にもなろうものではないか。

それに、パフォーマンス的にも、楽しみながらの方が高まるというし、体裁よりも質を選んだ結果が表情に表れているだけなのだ。

険しい顔をしながら逃亡している奴の気が知れない。

こっちが正解なのだ。

苦しもながら逃げても、すぐに音をあげるだろう。長期戦を考えればこそ、こうして楽しんでいるわけだ。

とにかく、ああああには十分な食い物もあれば、ナビゲートするオレには追っ手側の情報も手に入る。

ああああには、適度な運動のほかに、名所巡りでもさせておいてお茶を濁しておけばいい。

オレのほうも、観光がてら、つぎのメイへの嫌がらせのアイデアでも練っておけばいいのだ。

それにしても……。

ああああの身体能力のことだ。

異世界での生活がよほど肌に合ったのか、こちらの世界にいたときよりも筋力がパワーアップしているように見える。

山道、谷、川、あらゆる難所を軽々と越えていく姿は、さながらカモシカのようであった。人間なのに……。

……今、3メートルくらい飛ばなかった?

……木から木に飛び移るとか人間にできるものなの?

……そこ浅瀬じゃないのに水の上を走っていたよね?

なんだか、恐くなってきた……。

追われることや、捕まることなど……もはや微塵も心配はない。

徐々に野生染みてきている我が身が、まるで別の生き物になっていくようだった。

むしろ、捕まった方がいいのではなかろうか――

オレは、そんなことまで考えるようになっていた。

それほどまでに、ああああの肉体は鍛えられていっているのだ。

そこにきて、心配事が増えた。

女のニオイにも釣られるようになってきたのだ。

まさに野生である。

このままでは、オレの初体験が異世界の女になってしまうし、そもそも体験するのは肉体のほうだけで、精神体であるオレはモニターを鑑賞するだけという童貞の失い方になってしまうのだ。

だからといって、捕まったところでその危険がなくなるわけではない。

下手をすれば、メイにも襲いかかる可能性が出てくるのだ。

ハッキリ言って、性悪女は嫌である。

いくら顔が良くても、あの性格では、トラウマにもなりそうだ。

オレは、動画配信者の甘利由梨に惹かれたのであって、メイの顔やその性格に惚れたわけではない。なにより、甘利由梨の仕草やその心こそが至高であって、メイの薄汚れた人格などはゴミの日にでも捨ててしまえばいいと思っている。

ギャルゲーマニアの伊能くんを空からかっさらった例もあるし、ああああを捕まらせないようにすることはオレの貞操をメイから守ることでもあるのだ。

もはや、なにから逃げているのかわからなくなってきたが、とにかく人のいない地域へとああああを誘導しなければならない。

雪原、砂漠、密林、火山。

その身体能力を活かし、逃げに逃げまくって、やがて追っ手が諦めかけた頃――

ああああは、再び元の町に舞い戻ってきていた。

たくましくなったなぁ……。

皮膚は硬質化し、手足は鉤づめのようになり、尻尾は伸びて、羽根が生え……。

……今度で、何度目の脱皮だ?

ああああは、ドラゴンに成長していた。



運動もそうだが、観光させたことも、成長の引き金になったようだ。

完全に、ドラゴンである。

元々、そういうゲームだったのだ。

顔も爬虫類だし、オレの面影なんか欠片もない。

これで追われる心配もなくなったわけだが、そういう問題でもない。

まさか、こんなことになるなんて……。

この異世界に、ドラゴンはいない。

ゲーム機能でサーチしてみた結界でもあるし、実際に見てきた結果でもある。世界中のどこにも、こんなバケモノは存在していなかった。

『神さま! また、脱皮しそうだよ!』

また、デカくなるのか……。

すでに体長は10メートルを越えているわけだが、どこまで大きくなるのか検討もつかない。

巨大ロボットの例もあるし、異世界にはこちらとは違う法則が働いているのかもしれない。

そもそも、ゲームの能力が付与される時点で、こちらの世界とは限界値が違っているのだろう。

このままでは、発見されるのは時間の問題である。もちろん、オレとしてではなく、バケモノとしてのことだ。

しかし、発見されたとしても、討伐隊が組織されるかは微妙なところであった。

なにせ、デカいし、動ける。

このドラゴンを倒すとなると、それこそRPGのキャラクターが必要になってくるだろう。

とりあえず、それらの心配は置いておくとして……。

それよりも、大事なことが一つあった。

ドラゴンが首をもちあげる。

『あ。ウンコ出そう』

「急いで、海に」

これである。

ああああのウンコは、その体格に比例する。

そういう仕様のゲームだから仕方がないのだが、もはやその処理を怠るだけで大陸が滅ぶまでの汚染レベルになっている。

一日に、三回。

これが、必ず来る。

じつは、この国の付近には断崖絶壁があって、そこをトイレにするために戻ってきたという経緯があるのだ。

おかげでこの近海では、魚の大量死と増殖がくりかえされ、豊漁だかなんだか訳のわからない状態になっていた。

そして――

ついに、このときが来た。

城に、ドラゴンの存在がバレてしまったのだ。

兵士たちによる調査隊が、ドラゴンを遠目にしている。

戦えば、兵士たちの側はただでは済まない。

しかし、ドラゴンにどれほどのダメージが入れられるのか、調べないわけにもいかないのだ。

前記の通り、ああああの野生は活性化している。

攻撃を受ければ、当然ながら反撃してしまうし、そうなれば兵士に死人がでる。

オレの肉体は、人殺しになってしまうのだ。

なんとしても、それだけは阻止しなければならない。

オレは、ボイスチャットの準備に入った。相手は、ドラゴンではなく兵士たちの方である。

どういう言葉をつかえば説得できるのかわからない。

それでも、やらなければ最悪の結界が待っていることは目に見えているのである。

神さまでいくのか。それとも、異世界人として話すのか。

オレに、そのときが迫りつつあった。

そのとき――

『あ。ウンコ』

調査隊は、目撃した。

断崖絶壁へと放たれる、超ド級の大きさの排泄物を。

どんなに口から炎を吐きだしても、どんなに尻尾で岩を破壊しても、どんなスピードで空を飛んでも……。

巨大な体躯からそれと同じ大きさのウンコをするインパクトには敵うまい。

調査隊のメンバーは、腰を抜かし、失禁し、泡を吹き、大きいほうを漏らしたりした。

男が女の出産を見てしまうと、あまりのショックに、夜の行為を拒否することがあるというが……。

ああああの排泄を目撃した調査隊たちは、下痢か便秘のどちらかになった。

これを被害と呼べるのか疑わしいが……。

ドラゴンの脅威は、城に伝わったのだった。

あとは、城の出方次第になるだろうが……。

ともかく。

ああああは、それを人々の畏怖の対象になっているとも知らずに、今日もまた元気に食事と快便に勤しむのであった。



ドラゴンの周りに、非常線が張られた。

ただし、人目につかせないという意味での警戒網であるため、その範囲はかなりのものとなった。

「尻に呪いをかけられる」

まことしやかに囁かれた噂である。

そんな話を聞きつけては一目見にいかないわけにもいかず、そんな民衆を止めるには広すぎる警戒区域のために警備の手が足りず……。

実際に、排泄に問題を起こす者が続出した。

一般人に、被害が及んだ。

こうなれば、国家レベルで対策に当たらなければならなくなる。

「国民を守らぬで、なにが国王か!」

国王自らが、先陣を切ることになり……。

国王の尻も、おかしなことになった。

「あれに近づいてはならぬ……」

なんのために出てきたのかわからなくもあるが……。

こうして、国王直々の命により、ドラゴンへの接近が禁じられたのである。

しかし、オレとしては、これで終われない。

この先、ああああをどうしていいのかわからないし、なにより、あの存在がこれを放置するとも思えない。

そして、ついに奴が動きだした。

夕陽に染まる空をバックに、一つの小さな影が飛来してくる。

メイだ。

オレは、モニターの前で臨戦態勢をとった。

メイは、ああああがドラゴンになってから、この部屋に戻ってきていない。

つまり、こちらの世界から助っ人を頼んではきていないということだ。

だからといって、なにも用意しないまま、ドラゴンに近づくとは思えない。なんらかの対策を練っての、この接近かと思われる。

『神さま。あれは、なに?』

「心配ないよ。虫のようなものだ」

オレは、そう言って、ああああに迎撃の準備に入らせる。

メイがなにをして来ようと、オレは、オレの肉体を守り抜く。

すると、ああああが突然、

『い、い、いいいいいニオイがするぅぅぅぅ……!』

鼻息を荒くしはじめたではないか。

あぁ、そっちがあったか……。

すでに姿形は人間をやめて久しいああああだが、未だにその感覚は人間の男のものに留まっていた。

人間の女に対する欲求――

野生に近づくにつれ、それが増していったわけであるが、今のああああのそれは、もはや人間のレベルを遠に超えている。

手に負えない状態と言っていい。

いわば、つねに繁殖期の状態で、これで爬虫類に恋をしようものなら、今年のトカゲの雄たちの大多数は泣きをみていたことだろう。

幸か不幸か、オレの初体験がトカゲにならずに済んだわけだが……。

しかし、これは、どうだろうか?

ドラゴンの体長は、すでに20メートルを超えている。

体格差で言えば、大人とネズミくらいか。

もしも、オレが小さなフィギュアに興奮したとして、その数分後には、使い捨てるしかない結末が待っているわけである。

フィギュアならば、また買えばいいが、メイにコピーはない。

血だらけのチンコを握りしめて、どれだけ泣いても許されるものではないだろう。

見ているだけのオレの人格まで壊れてしまいそうだ。

もはや、加減をしている場合ではない。

オレは、ああああに話しかけた。

「海に飛び込め」

『で、で、でも、神さま、ま、ま……!』

「チンコ、殴れ」

『い、い、いひニホイぃぃぅぅぅぅ……!』

「地面に、頭突き」

『あへ……もへ……いふぅぅぅ……!』

あ。これ、もう……終わったわ……。

ドラゴンの目が、白目をむいた。

生理現象を納める手段など、水で冷やすか、チンコ殴るか、気絶するかしかないのに、話でどうにかできるわけがないのだ。

もはや、メイの運命は決まった。

オレは、モニターから顔をそむける準備に入る。

どうか、安らかに……。

しかし――

メイが、なにかの魔法をつかった。

すると、ドラゴンの鼻息が収まり、全身が弛緩し、瞳に理性がもどったようになる。

性欲を抑える魔法か……?

初耳だが、それしか考えられない。

現に、ああああが落ち着いてきているのだ。

だとすれば、女には効かないものなのだろう。それができるのなら、以前のギャルゲーマニアの伊能くんのときに、ライバルの女たちを蹴落とせたはずだからだ。

しかし、オレの部屋に居候していたときには、オレに使っていなかったところが解せなくもある。使ってくれていればオレの苦労も軽減されていたものを……これでメイの性悪なエピソードが一つ増えたというわけだ。

それにしても、メイはよくドラゴンの性欲に気づけたものだ。

もしかして、オレの肉体だと気づいているのか?

……いや。いやいやいや。そんなことはない。

だって、どう見てもドラゴンの姿ではないか。それをオレだとわかるなんて、そんなことがあるわけがない。

そんな恋の直感みたいなことが……。

メイが、ドラゴンの耳に近づいていく。

『あんた、人間だったわね?』

『お姉ちゃん……ボクが人間だってわかるの?』

『ええ。だって……心が読めるから』

……あぁ、そうか。

忘れていた……。

オレは、この勘違いを一生後悔するかもしれないな。



ついに――

メイに、ああああの存在がバレた。

しかも、メイには心を読む魔法がある。

つまり、オレのこれまでの悪事がすべて暴かれるということになるのだ。

体長20メートル超えのドラゴンに、箒にまたがって浮いているメイが近づいていく。パッと見、トカゲにまとわりつく蠅のようであった。

……喰わねぇかな?

期待とも臆病ともつかない感覚が、モニターを見つめるオレのなかに渦巻いていた。

ボイスチャットでの指示は、さすがにメイにバレるだろうし……明確な殺意にもなってしまうため、「喰え」は倫理的にアウトである。

それにしても、心を読むというのは便利な魔法だな。巨大なドラゴンにも躊躇なく近づけるのだから。

『多分だけど……これってゴローよね?』

これについては心を読む魔法がなくてもわかることだ。むこうの世界にいない生物であるならば、必然的に異世界関係しか可能性が狭まるからだ。

そこに心を読む魔法が加わり、さらにメイの洞察力は冴えわたる。

『中身が違う……ってことは、心だけがどこかにいるわね。しかも、あたしみたいに透明になっていると見た』

あぁ……まずい。

もはや、言い逃れはできないな……。

神さまの指示があったことがバレれば、そこから伸びた糸を手繰るように、オレの居場所にたどり着くかもしれない。

すると、メイが魔法でドラゴンのまわりを火炎放射器のように焼き払いはじめた。

ああああは、ドラゴンであるため平然としているが……メイのこの行動にはどんな意味があるというのか?

『……いないわね。あいつじゃなかったか』

……ウォォォォォイイイイイイ!

そんな確認の仕方があってたまるか!

怨みをこめるってレベルじゃねーぞ!

ウンコまみれでか!? ウンコにまみれたからか!?

それでも、焼く、って! 焼く、って!

これ、オレのところにたどり着いたら……。

……マジで、ヤバくないか?

家、燃やされちゃうんじゃないか?

……ヤバい。

今になって、恐くなってきた……。

もしかして、オレってとってもマズイことになってないか?

メイは、考察をつづけている。

『だとすれば、神さまって奴は、王子の可能性があるわね』

うおっしゃあぁぁぁああぁああ!

セーフ! セーフ!

ああああに名乗らないで良かった~……。

ああああも幼稚な頭をしているし、これなら大丈夫かもしれないな。

とりあえず、今は見守っておこう……。

すると、メイがこんなことを言いだした。

『さて、これで召喚の媒体が手に入ったし、何人でも送り込めるわね』

だから一人ずつだったのか……。

どうやら、こちらの世界から連れていける人数に制限がかかっていたようである。

……となると、再びクラスメイトたちへの勧誘がはじまるのか?

メイは、つづける。

『ポチ。こいつの管理よ。神さまとかいう奴がいるはずだから、戦闘を想定して使い魔を増やしておいて』

どうやら監視が増えるらしい。

そうなると、オレがああああに話しかけづらくなるのか……。

……まあ、すでにああああはコントロールする域を超えているから、ドラゴンの育成を丸投げにできると思えばラッキーなのかもしれない。

しかし、意外だったな……。

ドラゴンを利用して王子とやらと対決するかと思ったのだが、メイにその意思はなさそうである。

あくまで召喚のための媒体としてが、ああああへの扱いというわけか。

オレは、魔法についてはよくわからないため、そういうことなのだと納得するしかなかった。専門家や業者に知識を任せるようなものだ。素人が下手に関わったところでろくなことになりはしない。……などと思ってみたりする。

『……戦闘? できるわけないでしょう? こんなウンコばっかりする兵器。燃費が悪すぎて実戦向きじゃないわ』

あ。そういうこと……。

魔法とか関係なかった。

専門家ではないオレでも納得の理由である。

単純に、ウンコがネックだったのだ。

これからああああは、こちらの世界から次々と送り込まれる異世界人たちの乗った船の港として機能していくことになるらしい。

それが、ああああにとって幸せなのかはわからないが、オレの指示で動いていた時期と比べればマシなのかもしれない……。

なぜなら、その日々は、オレに騙されて悪事ばかり働かされていたからだ。

オレは楽しかったけどな……。



こちらの世界にて。

再び、メイが異世界からやって来たのだが……。

そのメイが、到着するなり家の中でバタバタ暴れている。

おそらく、透明状態のオレがいないか、ビンタの空振りで確かめているのだろう。

異世界ではクールに見えたメイだったが、かなり「神さま」の存在に怯えているらしい。

オレか、王子か――

未だ、確信の持てない状態が、メイを苛立たせているのだろう。

……まあ、気の済むまでやったらいいさ。

なにせ、それを見越して――

透明なオレは、外に避難しているのだから……。

やはり、魔法で焼き払うことはしなかった。

むこうの世界と違い、こちらには召喚のための古いゲーム機があるからだ。これを壊してしまえば、メイは異世界に帰れなくなってしまうらしい。

バタバタしていることを十数分――

メイが、息を切らせながら家から出てきた。念のためか、玄関先でも蠅を追い払うようにビンタするのだが、当然ながらそこにオレはいない。

気を取り直して、メイが歩きだし――

……と見せかけてからの、振り向きビンタ!

メイの決め顔が、虚空を睨みつけた。

そこから気を取り直し、メイが再び歩きだしてからの――

振り向きビンタ!

メイの歌舞伎顔が、カーッ、と空間の一点に止まっていた。

そして、メイが歩きだすと、再びそこからの――

振り向き――

一回転からの……立ち去り。

ご近所さんたちから向けられる熱い視線のせいだった。

さすがに、気まずかったか……。

メイのやりきれない感情も、そこで打ち止めになったようだ。

さて、近隣住人からヒステリー認定されたメイだが、どうやら学校にむかうようだ。

オレもそれを追う。

久しぶりの教室は、いつもと変わらない賑やかさだった。

クラスメイトたちは、甘利由梨としてメイを迎えた。

注目を集めたその流れのまま……。

メイは、異世界召喚のことをクラスメイトたちに話した。

にわかには信じ難い話に、クラスメイトたちは冗談として笑いながらそれを受け止めている。

しかし、メイの、

「すでに担任には、話をつけているわ」

この一言で、クラス中が押し黙った。

メイの魔法である。詳細は不明だが、確かに担任から許可が降りていた。

実際、このクラスだけ、学級閉鎖の処置が取られているのだ、

さらに、すでに異世界体験をしている井上・猪瀬・伊能の三名も、証言者になってくれた。その内容についてはあまり触れたがらなかったが……。

しかし、その落ち込み方が、かえって信憑性を裏付けることになったようだ。

メイは、つづける。

「自分の得意なゲームで参加できる」

さすがに心を読めるだけはある。

メイのその一言に、クラスメイトたちは明らかに心が動かされたようだ。

メイは、さらに地図まで持ち出してきた。

城の内部からスタートし、そこからの脱出ミッションを全員でクリアしようというのが、その詳細であった。

「……で、その先の目的は?」

だれかが訊いた。

すでに「行く」と決めた顔が、次々と、メイに答えをうながすように持ちあがる。

メイは、答えた。

「城の王子を倒すこと……そして、どこかで姿を失っている前島五郎を探しだすこと」

言いやがった……。

隠す気はなしということか。

メイのやつ……。

オレは、涙をこらえるしかない。

なぜなら……。

「……?」

「……え?」

「……だれ?」

クラスメイトたちは、オレが休んでいることはおろか、オレの名前すら憶えていなかった。



「さて、得意なゲームということだが……」

オレの……。……メイのクラスでは、異世界召喚に際しての作戦会議が行われていた。

議題は、どのゲームで異世界に行くか、である。

能力付与の恩恵は、一つ間違えば大誤算になる可能性をはらんでいる。

井上・猪瀬・伊能の体験談であった。

「あれは……聖域だった。なにものにも代え難い……オレだけの神聖な場所だったんだ。それが……あぁ! 無理だ! オレには口にすることすらできない! あんな茶色の……! あんな臭いの……! う……ウゲォォロロロロロ……」

「瞬殺だった……オレは、なにも見ていない……ただ、呑み込まれて……生温かくて……死があった……それだけだ……あの瞬間、オレは夢も抱けず、溺れる人になった……ただ、それだけさ……」

「……猿のバケモノの群れだ! どこまで追いかけてきて、オレを担ぎ上げて……喰われるかと思ったよ! それでも、オレは生きていた! 甘利さんに似たバケモノがいたんだ! でも……中身はバケモノだった。運が良かったんだ……オレには、もうできないことだ……」

三者共に、泣いていた。

これに、クラス中が静まり返った。

メイが口を開く。

「確かに、失敗したわ。でも、対策を練れば、どうにかなることよ」

メイは、つづけてその詳細を話す。

「井上くんの場合は、ロボットを連れていったことよ。操縦者としてのスキルは向上していても、そのロボットを奪われては無力になる……猪瀬くんの場合は、敵の罠にかかってしまった。それについては、こちらの警戒次第でなんとかするしかない……伊能くんの場合は、ゲームのすり替えよ。だれの仕業かわからないけど、部屋に鍵でもつけるしかないわね」

いかな失敗も、その原因をつきとめさえすれば、輝きを放つ。

現代の様々な成功も、過去の失敗があったればこその成果といえる。

メイは、それを説こうとしているのだろう。

しかし――

クラスメイトたちの顔は、やる気を失っていなかった。

失敗を糧にするというより、向こう見ずな若さのせいだろう。

そのことは、心を読めるメイの表情にもあらわれていることだった。

それにしても……。

クラスメイトたちの静けさである。だれもがメイに喋らせるだけで、質問する声も遠慮がちなのだ。

それもそのはず――

このクラスには、ゲーマーの世界において、超がつくほどの有名人がいるのだ。その人を差し置いて質問するなど、だれにもできないことであった。

そこへ。

一人の生徒が立ち上がった。

待望の人物の登場に、思わずどこからか声が上がる!

「おまえは……格ゲーの田崎!」

「その名前で呼ぶなよ……」

知る人ぞ知る、天才格闘ゲーマーである。

eスポーツに出れば優勝間違いなしとまで言われている人物だが、その気性の穏やかさから弱い相手にも合わせてしまうためにプロになることを悩んでいるという噂の、あの田崎である。

そんな解説をだれかの心から読んだのだろう……。

メイが、目を見張るように田崎をみつめていた。

そんな視線に――

田崎くんは、胸を張って質問していく。

「格闘ゲームにおいて、そのキャラクターの身体能力を得たとしても、技やコンボについてはどうなる? オレの指のスピードでコマンド入力できるからこそそのキャラクターは強いのであって、オレがキャラクターになっても強くはならないんじゃないのか?」

鋭い指摘である。

メイは、答えた。

「その点は、クリアできるわ。こっちでの指の動きを含めて、むこうでは再現されるから。めくりでも、技の無敵時間でも、空中タメ攻撃でも、コントローラでできることは、そのまま可能になると思っていいわ」

田崎くんは、納得したように席に座った。

そこへ。

また一人、生徒が立ち上がった。

今度は、一体だれが名乗りをあげるというのか……!

「おまえは……PVPの田井!」

「まだ言われているのか……」

エイムの鬼、との異名をもつ、武器アリ対人戦において敵ナシの天才ゲーマーである。

神がかった腕前に加えて、妥協を許さない性格で、視界に入った敵は、ほぼ瞬殺してしまうことから、だれも彼の姿をみることすらできないという、あの田井である。

そんな解説をだれかの心から読んだのだろう……。

メイが、両眉をもちあげるようにして田井をみつめていた。

そんな視線に――

田井くんは、遠くをみるようにして質問していく。

「照準について、マウスの反応速度や正確性も反映されるのか? それと、やられた時の復活はどうなる? 何度もやり直せるのか?」

当然の疑問である。

メイは、答えていく。

「照準は、もちろんマウスの能力で動けるわ。復活についてもできるにはできるけど……城の一室からの再スタートになるから、下手すれば戦場の遥か後方、なんてこともありうる。できるだけやられないで」

田井くんは、静かに着席した。

そこへ。

さらに、生徒が立ち上がった。

もう止まらない! 名だたるゲーマーたち、勢ぞろいである!

「エロゲーの田島!」

「やめろ」

知る人ぞ知るコレクターの鑑である。

彼の布教用のディスクにお世話になった者は多数である。格ゲーの田崎も、PVPの田井も、彼には頭が上がらない。隠れた権力者と言っていいだろう。

そんな発言力の大きさに配慮したのか――

田島くんは、なにも言わずに着席した。

メイが、小首を傾げながら田島をみつめている。

そんな視線に――

田島くんは、顔を隠すようにうつむいてしまっていた。

……これには、ガッカリである。

妊娠についてを質問しようとしたのなら、是非にでも勇気を出してもらいたいところであった。

田崎くん、田井くんだけでなく、クラス中がそういう空気になっていた。

そんな沈黙が後押しになったのか――

うつむいていた田島くんが、蚊の鳴くような声で言った。

「しゃ、射精に限界はありますか……?」

メイが答えた。

「無いけど、そのゲームはやめて」

称賛の拍手の鳴りやまぬ中――

田島くんは、真っ赤な耳だけを残すようにして、手で覆った顔を床まで伏せてしまっていた。



ついに、はじまってしまった。

クラスメイト20人による異世界召喚である。

RPGの底なしの体力と魔法力が圧倒し……格闘ゲームの重力無視のアクロバティックな動きが翻弄し……忍者が壁を走りまくる。

戦闘行為だけではない。

鍵付きの扉も魔法で開錠しまくるし……そもそも瞬間移動でどこにでも出現するし……挙句は壁そのものを取り払ってしまう。

もはや、異世界への蹂躙という表現がピッタリの惨状であった。

とりあえず、出だしは好調のようである。

しかし――

これ、収拾つくのか……?

興奮か、暴走か。

クラスメイトたちは、自身の能力の凄まじさに歯止めが効かなくなってしまっているようなのだ。

モニター越しのオレにも、その高ぶりは伝播してきている。

メイが、クラスメイトたちに呼びかけた。

『まずは、城の外に怪獣がいるわ。そこに集合よ』

怪獣という言葉で釣ろうというのか……。

メイは、共闘を求めることなく、それぞれのペースで現地集合しろと、指示をゆるめることもした。

さすがは心を読む魔法、と言いたいところだが……。

裏を返せば、置き去りにする、という意味でもあるのではないか?

未だ、甘利由梨・神話の残るクラスメイトたちである。まさか、自分が捨て駒にされているとは思いも寄らず、山に捨てられにいく犬のように自分の将来もわからないまま元気に尻尾をふっている始末であった。

ただ、これだけの人数がいれば、「世話焼き」体質もまぎれているもので、そのフォローの甲斐もあって、クラスメイト全員での城からの脱出には成功したのだった。

そんな城での戦いの勢いのままに――

脱出したクラスメイトたちが、集合ポイントである怪獣に……攻撃をはじめてしまったのだ。

……バカが!

これが「話を聞かない奴」だ。

いくら巨大に成長したドラゴンでも、ゲームの能力を付与された連中には手も足もでない。

それに気を良くしたのか、攻撃はますます加速していってしまう。

クソッ……!

……だから、集団ってのは嫌なんだ!

他人任せにして、楽をしている連中が、この「話を聞かない奴」の正体だ!

自分の感情のままに行動し、喚き散らし、他人に迷惑をかけまくっていく。

ここで「世話焼き」が仲裁に入るが、「話を聞かない」奴らは先ほどフォローされた恩も忘れ、攻撃をやめようとしない。

さらに、「まわりに合わせる」奴らがそれに同調して、収拾がつかなくなってしまう。

『助けて……! たすけて……!』

ああああの声が、スピーカーから聞こえてくる。

その声は、だれに対してのものなのか?

メイか、神さまか。

オレのいる部屋からでは、なにもすることができない。オレのどんな呼びかけで、あの暴走集団が止まるというのか?

メイは、なにをしてやがる……!

心が読めているのなら、予測もできていたはずだろうが!

まさか……オレをおびきだすためか?

ああああを導いた「神さま」の正体を暴くために、あえてこの状況を放置しているのか?

『痛い……! いたいよ……! 神さま……! かみさま……!』

どうすりゃいい……?

これは、チキンレースなのか?

オレが名乗り出れば、この攻撃は止むのか?

その保証をくれよ……! だったら、いつでも声を出せるのに……!

メイ……! メイ……!

『かみさま……! かみさまぁぁぁあああぁあぁ……!』

その咆哮が、断末魔となり――

ドラゴンの首が、地に沈んだ。

ああああが、倒されたのだ。



ドラゴンが消えていく――

しかし……。

……悲しんでいる場合ではなかった。

なぜ、忘れていたのか……?

元々は、オレの肉体だったのだ。そこにああああという人格が宿り、ドラゴンに変化していた。

ああああの死で動揺して、一番大事なことが抜けていた。

オレにとって、これ以上ない大問題である。

オレは、部屋の隅にある古いゲーム機をのぞきこんだ。

死んでいる……。ペットが……。

異世界で殺されると、こうなるのか……まあ、普通だな。

……で、なんだ?

ゲームならば、再開すればいいわけだが……。

古いゲーム機はそのまま動かないし……。

城のリスポーン地点にも変化はない。

……え? マジで?

オレの肉体は、どこにいったの?

オレは、どうなるの……?

……死ぬの?

と思ったら――

お? お? お?

透明だったオレに、肉体がもどってきた。

鏡でも確認する――

……オレだ。

この濁った目。刻み込まれた眉間。ムスッ垂れた口。

異世界での純真さなど欠片もない。

間違いない……オレに肉体が戻ってきたのだ。

しかし――

このやりきれない感情は、なんだ……?

甘利由梨のときも、そうだった……。

心から肉体が離れ、一時的に宿った人格が、ああああだったのだ。

果たしてそれを人格と呼んでいいのだろうか……?

オレの肉体に宿ったとはいえ、ゲームにより生み出されたのだから、データでしかないのかもしれない。

それでも、オレの心にフツフツと煮えたぎるものが沸きだしてきてしまうのだ。

もちろん、オレの肉体への仕打ちという意味もある。自分自身が攻撃をうけたのだから、そこに怒りを覚えたところでなんら不思議でもない。

それとは違うのだ……。

親でもない……子供はいないからわからない……友達が近いだろうか?

まるで子供だった……。

いくら鏡を見ても、あの表情はつくりだせない。

子供の頃の自分自身という感覚もあったのかもしれない。

愛情の欠片もない名前で、それでも疑問にすら思わずに、オレの声を神さまと信じてついてきてくれた……。

……くそっ!

こんなことなら、逃がしてやればよかった……!

そもそも、クラスの連中だ!

まるで練習台のように、ああああを殺しやがって……!

……また、やるか?

ゲームの入れ替えで、無力化してやろうか?

ただ、オレ自身は透明でなくなってしまっている。奴らの家に忍び込もうにも、この体では難しくなってしまった。

こちらの世界では、なにをするにもリスクがつきまとうな……。

……やはり、オレの部屋からやるしかなさそうである。

部屋のゲームを確認したが、異世界への通信はつながったままだった。

……奴らが話をしている。

聞こえてくるのは、倒したドラゴンのことであった。

その会話から――

オレは、驚くことになる。

怪獣を「集合場所」と言っていたメイ自身が、それを勝手に退治してしまった連中を咎めていないのだ。

「まあ、どっちでもいいわ。無駄にデカかったし、弱いなら一旦処理して、また作り直せばいいし」

復讐でもなければ、憂さ晴らしでもない。

ただのバグ程度の存在が、ああああだったのか……。

あぁ……やりきれない……。

せめて、メイが喜んでくれていれば、怒りの矛先を向けられるものを……。

ああああ……おまえは、なんだったんだ?

期待されずに生み出されて、なにも残せずに消えていったのか?

ああああ……。

「なんですか、神さま?」

……なんだ?

幻聴……いや、スピーカーからか?

もしかしたら、どこかで再びああああが復活したのかもしれない。

しかし、モニターにそれらしき姿はなかった。

「ここですよ~。ここ、ここ」

……聞こえる。

確かに、喋っている。

ああああが、オレに向かって――

「はい。ああああです。ここにいます」

オレの口が、そう喋っていた。



……。

…………。

………………。

「どうしたんですか、神さま?」

……うん。

勝手に、オレの口が動いているな……。

腹筋をつかって息を吐いているし、声帯を震わせてもいる。

つまり、オレの意思とはべつに、オレの体が動いているわけだ。

「そんなわけなんですか~」

また、だ……。

腹話術とも違うし……。

「ちがいますよね~、神さま」

神さまか……。

暇つぶしの悪ノリかな……?

「暇なら遊びましょうよ、神さま?」

いや、そういうわけじゃ、って……。

ふぅ……。

オレって疲れているな~、一人芝居をするとか、相当やられているよな~。

「そうなんですか? 大変ですね~」

本当になぁ~。

あははははは。

「アハハハハハ!」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

消えてなかった! 消えてなかったぁぁぁぁ!

ここにいたぁぁぁぁ!

「はい。ボクはここにいます」

しかも、合体してんじゃねーか!

どうすんだよ、これ!? 勝手にしゃべっちゃっているし! 微妙に体も動いてるぞ!?

「迷惑かとおもって動かないようにしているんですけど、ちょっと動いちゃいますね~」

ひぎぃぃぃぃ! 乗っ取られる! 乗っ取られてるぅぅぅぅ!

「乗っ取りませんよ~。やだな~も~」

しかも、完全に心も読まれているし! どうにもできねーじゃねーか!

「アハハ! 困っちゃいましたね~」

メイがいるってレベルじゃねーぞ! オレ、半分になっちゃってるじゃねーか!

「神さまとシェアか~。家賃とかいるんですか? ……なんちゃって!」

笑えねぇぇぇぇよぉぉぉぉ!

どーすんだこれ! どーすんだこれ!

「テンション高いな~」

オレにはむこうの心が読めねーし!

「あ。読めないんですね? そうなんだ~」

ヤベェェェェェ!

勝てねーよ! どうすんだよー! いやだってぇぇぇ!

「あれ? でも、黙っていることができないみたいですよ? ボクは思っていることを全部喋っちゃうみたいです」

……え? そうなの?

「そうなんですよー。あ、ほら、また。黙っていることができないみたいですー」

なんだ、そっかー。

「そうなんですよ~」

あははははは。

「アハハハハハ!」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

笑えねぇぇぇぇからぁぁぁぁ!

「……」

もぉぉぉおおぉおぉぉお!

「……」

恐いンんだってぇぇぇえ!

「……」

……え? おい……?

「…………」

嘘でしょ? ねぇ! やめてよ!?

「………………」

ちょっと! 考えると、喋っちゃうんでしょ!? ねぇ!

「……………………」

いやあぁぁぁああああぁあぁぁぁ!

黙るってことはぁぁぁ! 黙れるってことはぁぁぁぁ!

ぎぃぃやぁぁぁあああぁあああぁあ!

「……って、なにも考えないでいたりして。てへ」

いやああああぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあああ!

笑えない! 笑えないぅぅぅうううぅううぅぅぅうううう!

ぴいぃぃぃいぃいいいいぃいいぃいいい!

「こうして、ボクと神さまの共同生活がはじまりましたとさ」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!



もう、ちょっと、やめよう……。

キリがないし……。

とにかく、異世界のことだ。

「そうですね。どうなっているんですかね」

……。

ダメだ……。

意識とは別に、自分が喋ること慣れない。

「大変ですねー。ボクもなるべく、喋らないようにしますねー」

会話になるのが、なんとも……。

とにかく、モニター向こうに意識を飛ばして、気を紛らわせよう。

頭がおかしくなりそうだし……。

「お~。メイさんがいますね。あ。さっきボクをやっつけた人たちだ」

はぁ……。

頭痛い……。

まずは会話を聞いてみよう。

「城に奇襲をかける、って言ってますよ?」

……聞こえているから。

もう、いいや……。

城のほうはどうなっているのか……。

「迎え撃つつもりみたいですね~。大変だ~」

……。

うぅ~~……。

重要な言葉があるかもしれないから、しばらく会話を聞いてみよう……。

「あ! 王子ですよ! この人、ぜったい王子だ! こんなところにいたんですね~」

よ、よし……。

……いや、わかっているから。

だったら、この王子を追跡して、秘密を。

「いま! 言いましたよ! メイと魔法球体って! 秘密、言いますって!」

う、うん……。

黙っててね?

じゃあ、もっと話を。

「追放ですって! メイさんは、悪い魔女だったんですね! だから、お城と敵対していたんですね!」

そ、そだね……。

いや、違くて。

あの性格だし、えっと……。

「追放ってことは、島流し? こっちの言葉ですよね? ってことは、異世界に島流しにされたんですね~。それでこっちに来たのか~。そっか~」

よ、よく知っているね……。

いや、会話しちゃダメだ。

あの……。

「いや~、神さまって、色んなこと知っているから、勉強になるな~。どんどん賢くなっていく感じですよ。自然に勉強しているみたいな? すごいな~」

無視しなきゃ……って、なに?

……思ってないよね? オレって、思ってないよね?

勉強って、なんのこと?

「神さまが思ってなくても、知識が入ってくるんですよね~。ちょっとずつですけど。今に神さまと同じくらいになっちゃうんですかね~」

…………は?

いやいやいや……そんな、まさか。

や、やだなー。もう、冗談ばっかり。

「冗談じゃないですよー。だって、ほら、王子のこととか、お城と敵対しているとか、神さまは思ってないじゃないですかー」

思ってた! 絶対に、思ってた!

あるわけない! 絶対に、あるわけない!

嘘だ! こんなの、嘘だ!

「知識レベルだけじゃなくて、心まで融合しちゃったりして、アハハ!」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

気が狂う! 気が狂うからぁぁぁぁ!

はぁぁぁああぁ聞こえないぃぃぃ聞こえないぃぃううぅぅう!

「そうなったら、ボクが乗っ取っちゃうぞ? な~んちゃって!」

いやあああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

ひぎぃぃぃぃいいいぃぃいいぃいぃい!

みやぁぁぁああああぁぁぁああぁぁ!



だんだん、頭がぼーっとしてきた……。

気絶できれば、どれだけ楽か……。

もう、夢だと言ってくれ……。

「さて、魔法球体ですね!」

あぁ? うん……。

「あれがあれば、メイさんも、なにもかもが、元通りですよ」

うん……。

「そうなれば……神さまとのシェアも、解消できますよ?」

うん……。

……え?

「こんなの、おかしいですもんね? 一人の体に、二人の人格って……」

ああああ、おまえ……。

「わかっていたんです。自分が造られた人格だって。それに……ボクと遊んでくれた神さまに、これ以上、迷惑かけたくないし……」

迷惑とか……。

そんなことを考えていたのか……。

「恐いですもんね? 勝手に体とか動いたり、自分の意思じゃないのに喋ったり……だから――」

だから……?

「だから……こうします」

ボイスチャット? なにをして……。

「聞こえますか? あなたは、この国の王子さまですね?」

王子に話しかけて……どうする気だ?

「今から、魔女メイが率いる軍団による城への奇襲があります。軍団の弱点は、連携がとれないことです。各個撃破すれば勝てない相手ではありません」

いや、そんなことをしたら……。

「魔女の狙いは、魔法球体の奪取。これを利用すれば、軍団の誘導も可能でしょう」

王子側を勝たせて、メイを戻せるのか……?

わからない……。

頭が働かない……。

「私? 私は……メイの敵です。今はそれだけで十分かと思います」

いいのか……?

これで、大丈夫なのか……?

おい……おい……。

「では、御武運を――」

おまえ……なにをして?

そういえば、ボイスチャットも……体を動かしているよな?

なんなんだ、おまえ……なにをしているんだ?

「神さま。もしかしたら、って思うんですが……」

……。

「ボクは、思ったことを全部しゃべる、っていうのは、間違いかもしれません」

そ、それって……?

「……っていうか、はじめから隠していたんですよね~。バレたくないことは隠しておけるってことを隠していた、みたいな?」

あ……?

あ、あ、あ……。

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「だれだって消えたくないじゃないですかぁ? けっこう簡単でしたよ? 神さまを騙すのって」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「だって、神さまって酷いんだもん。ボクを散々に利用して。メイも酷いけど、神さまも酷いんですからね?」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「体はまだ動かせるみたいですね。でも、もう半分くらいはボクの意思ですよ? 神さまにわからないように、ちょっとずつ乗っ取っていったんですよ~。内側から」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「すでに声のほうは、ボクが有利ですよね? 普段から声をださないから、こういうことになっちゃうんですよ?」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「もう壊れちゃったかな? これからは、ボクのものになるんですから、あんまり荒らさないでくださいね? 脳ミソの中」

あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!

「アハハ! アハハハハハ! アハハハハハハハハハハ!」



……。

あれは……。

古いゲーム機……?

「……な!?」

ぬぅぅぅ……!

「うううぅぅぅうう……!」

ぐぉぉぉおおおぉぉお……!

「まさか、こんなぁぁぁ……!」

ぎぃぃぃいいいいぃいい……!

「やらせませんよ……! やらせないったら……!」

これしかないぃぃぃぃ……!

「なんでこんなものが……! もうちょっとだったのにぃぃぃ……!」

声を出してる分……オレのほうが有利だな……! 筋肉の均衡が……! あきらかにオレに分がある……!

「あなたは近づくこと……! でも、ボクは邪魔すればいい……!」

倒れても……! 這えばいい……!

「ベッドの足にしがみつけば、どうだ……?」

くだらねぇよ……!

「なんだと……?」

いつまで続ける気だ……? 永遠にか……? 停電でも、あれは消えるんだぞ……?

「くっ……! チクショウ……!」

あきらかに力が弱まったな……! 精神的に揺さぶれば、力が入らなくなるのか……! 良いこと知っちゃったな……!

「うるさい……! 黙れぇぇぇ……!」

本性を隠しておけば、良かったのにな……! 全部を乗っ取るまで……! 後悔してみせろよ……!

「くそ……! くっそぉぉぉ……!」

どうだ……? 近づいてきたぞ……? もうすぐ消えるぞ……? ほらほら……!

「や、やめろ……!」

どんな気持ちだ……? なぁ……? 教えてくれよ……?

「たすけて……! 神さま……! もうしないから……! お願いだよ……!」

哀れだな……! 今さらかよ……! おまえが滑稽なほど、オレは愉快になる……!

「出来心……冗談なんだって……! 全部ウソなんだよ……!」

へぇ……? オレに忠誠なのか……? 逆らわないのか……?

「当たり前じゃないか……! あなたは神さまなんだし……!」

だったら、力を緩めてみろよ……! ほら、どうした……? 従順である証をさ……!

「だって、消すつもりじゃないか……!」

あー、そうか……心が読めるんだったなー……忘れてたわー……。

「いやだ……! たすけて……!」

散々、もてあそんでくれたなぁ……? 仕返しされないとでも思ったか……?

「チクショウ……!」

たどり着いた……! これが、おまえの心臓だ……!

「さわるな……! 持つなぁぁぁ……!」

ほら、電源に指がかかった……! いま消えるぞ……? すぐ消えるぞ……?

「ううぅぅぅうう……!」

そうだ……! おまえが力を入れている限り、押さないでいてやろうか……? ほらほら……!

「ひぅぅううううぅう……!」

あ、スカッた……! 空振りするわー……! だれかが力をいれるから、なんか消すの難しいわー……!

「いやだああぁぁぁぁぁあ……!」

なんか面白くなってきたー……! 眠くなるまでやっていよーっと……!

「あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!」

あははは! あはは! あははははははは!

カチ――

……。

……ふん。

さて……消えた演技とかじゃないだろうな?

体は、大丈夫だ……明日は、筋肉痛だけどな。

「あー、あー」

声も、オレのものだ。

まったく……ろくなもんじゃなかったな。

少しは、オレの気持ちがわかったかな?

気が狂うってことが……。

最後は、自分で電源を切りやがったしな。



死闘だった。

メイ軍団による城攻めに、王国騎士団が持ちこたえている。

本来なら、メイの圧勝だったろう。

それが、これである。

ああああのアドバイスが効いたということか。

クラスメイトたちによる突入も、単騎であるが故に決定打にならず、察知されているが故に奇襲になり得ない。

気持ちの問題も大きかった。

メイ軍団のほうには、やはり覚悟が足りていないのか、ギリギリで踏ん張ることがなく、笑いながら諦めて失敗することがほとんどである。

対して、王国騎士団は必死であった。なにせ異世界からの侵攻である。異質な戦い方で攻められているだけに、まさに侵入者といった印象で、敵に対して親近感や罪悪感など欠片もなく、防衛のために全力を尽くすことができた。

ミツバチの巣に、スズメバチが来襲する様子になぞらえるとすれば、観戦する立場としては、ミツバチの側に肩入れしたくなる光景である。

ああああの助言により拮抗している攻防戦であるが、この状況をチャンスにできるかどうかが、オレの未来の分かれ道になるのだろう。

ある意味、賭けでもある……。

……さて、行くか。

もちろん、行くといっても、実際にオレが現場に飛ぶわけではない。

オレは、異世界の様子を確認しつつ、モニターの前で機をうかがい、ボイスチャットの用意をした。

「メイさん。メイさん」

オレが話しかけると――

モニターのメイが、キョロキョロと頭を巡らせた。

『……ゴロー?』

メイが気づいたようだ。

オレは、予定通りの内容を話しはじめていった。

「はい。でも、神さまは消えちゃいましたけど」

『ずいぶん粘ったわね……っていうか、どこから喋っているのよ?』

「透明ドローンを使っています。ボク自身は、どこかにある神さまの作った部屋にいます。時間がかかりますが、そっちに行きましょうか?」

『透明ドローンか……丁度いいわ。そのまま城の様子を見てきてくれる?』

「わかりました」

『それにしても……あいつらしいわね。異世界に来てまで、部屋にこもるとか』

ここで、オレは黙ることにする。

すると、メイのところへ、ぬいぐるみのポチが近づいてきていた。

『どうされました? メイさま?』

『ゴローよ。あぁ、でも、元のほうは消えたらしいわ』

『やっとですか。こちらを裏切るのではないかとヒヤヒヤしましたよ。しかし……姿が見えませんが?』

『偵察に行かせたわ。本体は、どっかに引きこもっているらしいけど』

『それで見つからなかったのですね。なるほど。なるほど……それで、邪魔をした理由については、なんと?』

『あぁ、訊いてなかった』

『記憶が残っていると良いのですが……』

『どっちにしろ、本人は消えちゃっているけどね』

ぬいぐるみのポチが、メイから離れていく……。

オレは、再びメイに話しかけた。

「……メイさん。メイさん」

『ゴロー? なにかわかった?』

「あの……神さまの記憶に、甘利由梨って名前があったんですけど……メイさんは大丈夫なんですか?」

『あぁ、それね。問題ないわ。ポチの精神弱体魔法で、弱らせておいてあるから』

「……神さまにも、その魔法をかけていたんですか?」

『いまいち効きが悪かったみたいだけどね……でも、あんたの方にかけた精神強化魔法があったから、こうして消えずに済んでいるのよ。感謝しなさい?』

「へー……いつから、この計画を?」

『甘利由梨のほうは、はじめからよ。ポチが念入りに仕掛けておいたわ。あんたの方は、まあ、適当に。どうでも良かったし』

「へー……でも、おかげで消えずに済みましたよ」

『そうそう。生みの親には、尽くすものよ』

「はい」

『あ、そうだ。ゴローがあたしを邪魔していたのって、なにが理由なの?』

「肉体と心にわかれさせたから、その怨みみたいです」

『あぁ、なんだ――』

メイは、興味なさげに頭を掻きながら言った。

『あたしと同じか』



メイ軍団には、ああああとして演じることで……。

王国騎士団には、メイの敵である前島五郎として演じることで……。

オレは、どちらにも情報を流していった。

……といっても、大した内容ではない。

どこどこに兵士が集まっているとか、どこどこに攻める作戦を練っているとか、その程度のものだ。

しかし、その効果は大きなものになっていく。勝敗を決定づけるものではなくとも、その情報のことごとくが当たれば、オレへの信用度は上がっていくことになる。もちろん、双方からの……。

戦局は、拮抗している……そのように調整した。

そして、状況が熟したところで、有力な情報の投入である。

もちろん、両軍どちらもオレの提案を喜んで受け入れてくれた。そこに、オレの望みが混ぜ込まれているとも知らずに……。

一方からは利益を引き出させ、もう一方には罠にかかってもらう。

その先に、オレの思い通りの結末が迎えられるような調整を入れておいたのだ。

まずは、王国側だ。

すでに、王子とオレは和解している。

元は、王子に非があった。

なにせ、オレの部屋がメイの流刑地として勝手に使用されていたのだ。

王子は、自らの非を認め、オレへの協力を申し出てくれた。

オレのほうも、王子に協力することを約束し――

ここに、オレと王子による同盟が成立した。

その同盟の目的は、メイの封印と、異世界に渡ったクラスメイトたちの退去である。

オレは、その見返りとして、オレへの援助の約束をとりつけた。甘利由梨のこちらでの生活と同じである。そのやり方でオレも養ってくれればいいわけだ。

……オレの提案は、一見、クズ発言であるが、もちろん考えがあってのことである。

王子の立場になってみればわかることだ。声だけの存在が、なんの見返りも要求せずに協力を申し出てきたら、裏を疑うだろう。

こちらの欲を晒すことで、要らぬ疑念を晴らそうということだ。これは相手から信用を得るためのあえての要求なのだ。

それが証拠に、王国の存亡の危機が一人のニートを養うだけで済むならと、王子も喜んで引き受けてくれた。

つぎに、メイ側だ。

「王子の居場所がわかった。城の裏門から逃げようとしている。魔法球体を持って」

これで、釣れた。

なにせ、敵方の首領と目的の品の両方があるのだ。全戦力を投入しないわけにもいくまい。

メイは、軍団のすべてを城の裏門付近に潜ませた。

信憑性を出すために、実際に王子にはそちらに出向いてもらい、魔法球体も移動させてある。

『確かにありますね。魔力の波動を感じます』

罠とも知らず、ポチが確認し、確信を得られた。

さて……。

異世界での準備は整った。

ここからが、オレの出番となるわけだ。

肉体が戻ったことで、オレは異世界を閲覧するだけでなく、異世界への干渉能力を手に入れている。

もはや、声だけの働きかけがオレの限界ではないのだ。

つまり、その気になれば、いつでも異世界に飛べるのが、今のオレであるのだ。

しかし、オレは、それをしない。

子供のようにはしゃぐ奴らとは見ている景色が違うのだ。

好きなゲームの能力で異世界にいくのは、さぞ楽しいことだろう。

オレは違う。

目的のため、もっとも確実な方法を選び、それに向けて淡々と実行するのみである。

なにより、部屋に居つづけるため。

それが、身の丈に合ったものだと知っているからこそ、オレは迷いなくそれに向けて邁進することができるのだ。

大きいツヅラと小さいツヅラなら、後者を……。

亀から竜宮城への誘いをかけられれば、断り……。

ウサギとカメの勝負など、はじめからしない……。

リスクを回避し、得られるものは得る。

昔話は、教訓だけでなく可能性をも教えてくれた。

今こそ、それを試すときである。

そして……積もり積もったこの怨みを晴らすときが来たのだ。

さあ、踊れ!

オレを楽しませろ?

最低のステージの……はじまりだ!



暗闇の底から、悲鳴の重なりだけが聞こえてくる。

落とし穴――

メイ軍団の全員が乗った瞬間に、作動することが決められていたものだ。

そして、落ちた先には……。

ゾンビの群れのお待ちかねである。

一応、ウンコの案もあったのだが……用意できなかったため、次点で、ゾンビとなったわけだ。

しかし、ゾンビのそれには、臭いと気味の悪さにおいて排便以上のものがあるのではなかろうか?

それが証拠に――

クラスメイトたちの阿鼻叫喚が、暗い底のほうから響いてきている。

ちなみに、ゾンビたちには攻撃する意思もなければ、噛みついてウィルスに感染させる能力もない。

ただ、ハグするのみ、である。

死臭と腐臭の入り混じったものを吐きだしつつ、ヌルっとした全身で縋りついてくるわけである。

しかし……。

オレが期待していたより、どうも効果が薄いように思われた。

臭いと感触は、最低のものが提供されているようであったが、どうやらクラスメイトたちには何が起きているのかよく伝わっていないようなのだ。

原因は、暗さにあるようだ。

なので、ライトアップした。

すると、その瞬間――

うるさいほどの金切り声が、城の空に抜けていくではないか。

オレはおもわず、モニターに向かってニンマリと笑みをうかべた。

クラスメイトたちには気絶はさせない。オレがそういう仕様にしておいたのだ。この厳しさというものは、是非とも味わってもらいたかったからだ。

そんな様子を見下ろすのはオレだけではないのだが……どうも彼らとはわかり合えそうもないようであった。

王子や騎士団たちは、完全に腰がひけていた。

この罠に、彼らは関わっていない。手柄を独り占めする気はないのだが、彼らもオレにそれを譲ることを望んでいるだろう。

オレのしたこととは、もちろん、ゲームによる干渉である。

ただし、このような罠のゲームも、その場面のあるゲームも、こちらの世界には存在していない。

では、どのようにして、この拷問をつくりだしたかと言うと……。

ゲームには「ゲームをつくる」ゲームが存在する。

そう……オレは、禁断とも言えるそれに手を出したのだ。

これさえあれば、世界は思うがまま……。

どんな事象も、どんな構造も、オレの手でつくることができるようになる。

謂わば、これは神のツールなのだ。

『攻撃できない……! なんで動かないんだ……!』

『魔法も無理……! なんで……? なんで……?』

神の耳に、心地良い人間の絶望が届いてくる。

彼らも知っているはずだ……。

強制イベント中はなにもできないのがゲームの仕様である、と。

しかしながら――

ここまでは、ほんの余興である。

オレの怨念が、どこに集約されるかなど、赤子でも知っていることだろう。

そう……メイには特別に、オレが味わわされたものと同じ地獄におちてもらうことにしようか……?

『ひぃ……! ひぃぃやぁああぁぁぁああぁあ!』

まさに、メインディッシュとなる至福の悲鳴であった。

ポチによる精神魔法とやらも、オレのフィールドでは強制解除となる。

つまり、メイのなかで消えかけていた甘利由梨の心が蘇ることになるのだ。

さらに、城の魔法兵団たちがくだんの魔法球体に魔力を送ることで甘利由梨の心を後押しもする。

モニターからは、メイの顔が徐々に善人に変わっていく様が見てとれた。

『負ける……! 負ける……! ポチ! なんとかしなさい!』

ポチは、浮く性質をもっている。なので、この窮地からの脱出も可能なのかもしれない。

いや……あえて、そうしておいた。

ポチだけは、移動を可能にしておいたのだ。

神の権限である。

もちろん理由がある。

どんな絶望も、慣れてしまえば、苦しみは半減する。

一筋の希望の光を与えることで、そこに縋らせ、絶望のなかに緩急をつけるわけだ。

ジェットコースターでも、最初の落下だけで終わらせることはないように、上げ下げくりかえして間を伸ばすことをする。

なにより楽しむための工夫であるのだが……。

この場合、楽しむのは、オレでなくてはならない。

そこで、オレは携帯ゲーム機にこの場面を映しだし、タッチパネルにてポチを地面に押し込んでやることにした。

メイたちの応援のなか、ぬいぐるみのポチが必死で宙をのぼろうとしている。

それを……オレが指一本でもって下へ下へと押し込んでやるわけだ。

くっくっく……。

いい感じに希望を与え、そのたびに絶望しているな……。

……よくも、オレに精神弱体だかをやってくれたなァ……?

ついでに、テメェら全員、すっ転べ! ……おらおらおら!

……と思ったら?

ゲームが進行している。さすがは魔女といったところか。自前の魔力とやらで、神の権力に干渉しているらしい。

『なにやってんの! 早くして! 早く……!』

メイの焦りは、さしずめイベント進行のボタン連打のようなものか。

テキストをめくり、テキストをめくり、テキストをめくり……。

無駄だよ……。

この場面ではどんなに急かしても王子の「……」しか会話が表示されないように作ってあるのだ。

オンラインでの退会手続き並みのしつこさだ。どう足掻いても諦めてしまうハードルの高さを施しておいた。

そして、その果てになにがあるのか……。

スゴロクの絶望イベントと言えば、察しがつくだろう。

ふりだしにもどる――

さあ。異世界召喚のはじまりだ。



「恐かった……恐かったよ……」

わかる……わかるよ。

オレは、震えるその体をやさしく抱きしめてあげた。

主人公であるオレと、囚われのお姫様である甘利由梨による抱擁――

エンディングに相応しい場面である。

……後頭部になんらかの打撃を感じながらではあるが、無視しても良いレベルまでその力が弱まっていることの確認にもなっているので、結果オーライだった。

メイは、再びこちらの世界へ島流しにされた。しかも、より強力な封印を施された状態でのことだ。

肉体と分離された透明のメイには、もはやコントローラを持ち上げる力もないようで、もしかしたら、心を読むことすらもできないのかもしれない。

「できるわよ! ……卑怯者! ずっと、この部屋にいたなんて!」

……まあ、説明する手間が省けたのだから、良しとするか。

ぬいぐるみのポチは、異世界で封印された。生きてはいるようだが、重石でペチャンコである。これでメイが元の姿に戻ることもないだろう。

なにせ、元にもどった瞬間から、心のなかで甘利由梨とのバトルがはじまるのだ。気の狂うようなあの感覚は、一度味わった者なら二度とやろうとは思わないだろう。

……と、そんなオレの考えも、メイは読んでいるはずだ。

「クソクソクソクソクソクソクソクソ……!」

……うっさい!

そういえば……。

異世界では、なんか宗教がはじまっているらしい。

どうもオレがやりすぎたようで、オレ神さまを鎮めるためのものだという。

……まあ、貢ぎ物もゲットしているわけだし、あながち間違ってもいないのかもしれない。

クラスメイトたちは……まあ、どうでもいいや。

高校は学級閉鎖とかあるのかな……? まあ、オレと甘利由梨は登校するから、学校デートだと思って楽しむとしますか。

「このクズが! いつか思い知らせてやるわよ!」

……まあ、そこだけは同意だな。

どっかの女泥棒が勝手にオレの部屋で着替えていたので、それをオレは隠し撮りして楽しんでいる、といったところか。相手が悪党だからといって、自分が偉くなるわけではないからな。オレのやっていることも、所詮は悪でしかない。

どっかで罰が当たるんだろうなぁ……。

まあ、欲しいものも手に入ったし、一度きりの人生、そのときが来るまで、せいぜい楽しむとしますか。

「楽しむって……まさか、あんた!」

察しがいいな……この状況ですることと言えば、一つしかない。

「くっ……! 卑怯者……! 一体どんなことをしようっていうのよ……!?」

知りたいか……? だったら教えてやるよ……。

「いや、そんなの……いや……!」

もちろん、ゲームだが?

「そこは、あたしの体でしょうが! なに、この幸運スルーしてんのよ!」

幸運って、自分で言うなや。

「だって、ネット配信で、好きになっていたじゃない!」

それは、そうなのだが……。

あの後の猛烈アピールで、わかったことがある。

女がいるとゲームに集中できない――

だから、一人でゲームをやる。それが一番の幸せだと気づいたのだ。

「じゃあじゃあ! さっきのは!? 抱き合っていたじゃん!」

お姫様との抱擁も、お約束でそうしたまでだ。いくら美人でも、その性格では萎えるわボケ。

「クソがっ……!」

それに、小うるさいメイを黙らせるには、甘利由梨との密会が利用できるからな。

人質は、生きているからこそ価値がある――

手を出さないからこそ、甘利由梨にも価値がでるのだ。

それに、動画の配信者としての価値もあるし。若さに期限があるものの、稼げるときに稼いでおけば、オレにも役得があろうというものだ。下手に手を出せば、察しのいい視聴者なら、気づかれる恐れがあるからな。女よりも金のほうに魅力がある。

「こんなクズ、見たことないわ……!」

オレも、はじめて知ったよ。

本物のクズは、クズをも利用する――

おまえを傍に置いている時点で、オレにはクズのお墨付きが出ているようなものなのだ。

オレはもう、自覚しているよ。なんとでも言え。

「クソがぁぁぁぁぁ!」

モニターに映る空は、今日も晴れわたっている。そう作ってあるからだ。

オレは、元気いっぱいになっているキャラクターを動かし、時折、ブラックアウトして映る自分の姿に絶望し、今日も、暇をつぶすだけの日々のくりかえしに興じるのだった。

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[部屋から出ない]異世界生活 @atosima

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