6『ずるい』
部室に行くと、アヤメが一人、机に座ってカードデッキを睨んでいた。
俺が来たことにも気づいていない様子で、妙に真剣な表情をしている。
窓から差す日光に照らされてとても綺麗だ。もうちょい見ていたいが、傍らにおいてある弁当箱が2つ目に入る。食べずに待っててくれたアヤメを、これ以上待たせるのもよくないな。
俺は「ごめん! おまたせ!」と少し大きめな声でアヤメに呼びかける。
驚いたみたいに俺の方を見て、アヤメは「あ、お、遅かったね!」と慌てたようにカードデッキを机に置いた。
俺はアヤメの向かいに座ると、一瞬話題に困ってしまった。
だって俺とアヤメは最近恋人になったばかりで、その前だってあんまり話したことがあるわけではない。
実は、共通の話題ってないんだよな俺たち。
「アヤメ、待ってる間デッキ見てたの?」
アヤメのそばに置いてあるのは、ナオのデッキだ。デッキトップが
攻撃力が低いモンスターばかりだが、復活させやすかったりサポートカードの充実により、コンボを組みやすいカテゴリーだ。ナオがもっとも得意としているエースデッキだが、なんでここに?
「あ、う、うん。なんか可愛い女の子の絵が描いてあるなぁと思って。これが、八鶴くんがハマってる『スターツ』ってやつ?」
「そうそう。それはナオのデッキだけどね。俺のはこっち」
学ランのポケットからデッキケースを抜いて、机に置いた。愛用のシノビレックスデッキ。
「……持ち運んでるの?」
「そりゃ、いつやることになるかわかんないからね」
ふうん? と、納得してない感じで首を傾げるアヤメ。
ナオとは「暇だな。やるか!」と、デッキを抜き合う間柄なので、もうどこでやろうと違和感はあんまりない(とはいえ、流石に場所は選ぶけどね)。
「そんなことより、お昼早く食べようぜ。俺、早弁も我慢したから、お腹空いちゃって。こっちが俺の?」
と、弁当箱を一つ取ろうとしたら、アヤメはそれを手で優しく払い除けた。なにもない空間を掴んだ俺の手と、なんでそんなことするのかわからない俺の表情も相まって、ひどく間抜けに見えたことだろう。
「その前に……何か言うこと、あるんじゃないかな?」
「言うこと?」
なんだろう。
一瞬俺は何を言われているのかわからなかったが、アヤメのムスッとした表情で、ピンときた。
「……千代のことか」
「千代!? いつの間に名前で呼ぶようになったの!?」
あっ、やっべ!
そうだよなぁ!? 驚くよなぁ!?
今にも泣き出しそうなアヤメの顔に、俺は慌てて説明をする。
浮気男みたいだ……してないけど……でも状況的にはすげえしたっぽいよな……
なんだか俺も、今の自分の不甲斐なさに泣きたくなりながら、粛々と丁寧に先程のことをアヤメに伝えた。
「……なんでそんなことになるかなぁ?」
俺の話をすべて聞いたアヤメは、まるで息子が簡単な算数でトチ狂った答えを出したときのように呆れていた。この顔はよく親父が勉強を教えてくれた時に見たので、よくわかる。
「うーん……俺にもちょっとわかんない」
「わかったらすごいよ。というか……どういう星の元に生まれたらあんなことになるのかな……」
と、アヤメは唇を人差し指の腹で押さえて、もじもじと顔を赤くしていた。なんだろ、トイレ行きたいのかな。
「あんなことって、どれ?」
「いや、キッ、キッ……」
「キ? キ……キツツキ!」
「しりとりじゃないの!」
軽く怒られてしまった。
俺としてはとっさに「き」で返せたことを自分で褒めたいところだが、そんな場合ではない。
「そ、そもそも、か、かの、カノジョの私がまだなのに、目の前で他の女の子となんて……」
「あっ、キスのことか」
「今!?」
「アヤメとご飯食べるために、どうやって教室から抜け出そうか考えてる内に忘れてた。俺って一つのことしか考えられなくて……」
不器用な男だとは、よく家族とナオに言われる。そう言われても、あーだこーだ考えるのは向いてないんだもんなぁ。
「あー、向こうからとはいえ、アヤメにはあんまりいい気しないよな。ごめん……これからは気をつける」
俺は深く頭を下げた。どうにかできたとは思えないが、それでも不注意がなかったわけではない。
……まあ、この子キスしてくるのでは?と思うのは、人間としてどうかと思うが。
「……わかった。とりあえず、それが聞けたら満足かな」
そう言って、アヤメが微笑んでくれたので、俺はかなりホッとした。
「でも、ほんっとーに気をつけてよ? 八鶴くん、なんか心配なんだよね……」
「いやいやっ。俺は浮気とかそういうのは反吐が出るほど嫌いだからへーきだって」
筋を通さないのはよくないからね。
それに、アヤメ以外の人を好きになるとは考えにくいし。
「そういうのは心配してないけど……なんていうか、八鶴くん優しいから」
「……優しいから?」
「なんていうか、可哀想とか思ったら、構わずにはいられなそうっていうか……」
俺は「あ、それは俺っぽいな」と思った。なんというか、困ってたり可哀想だなとか思ったりすると、口と手を出さずにはいられないのだ。
だからこそ、痴漢事件がきっかけになり、学校で浮いてしまったのだが。
「そういうところが好きになったから、許さないとは言えないけど……考えてね?」
「りょ、了解!」
俺は思わず敬礼の動作を取った。
親父との約束の時、こういう動作をよく取らされたのだ。
「ふふっ。大袈裟なポーズ」
アヤメは笑ってるが……。
ま、まあ、あんま警官でもないのにやるポーズじゃないしな。
「これが癖になっててさ……。まあ、それはいいじゃん。それより、ご飯食べようご飯!」
もう腹が減って減って仕方ない。すでに腹に穴が開いていてもおかしくないぞ。
俺が弁当に手を伸ばしたとき、アヤメはなぜかそんな俺の手を取った。不意に、告白された時のことを思い出してしまう。思いきり爪を立てられたっけなぁ。
「そっ、その前に……」
「ん? なに……あっ」
そうだよな……大事なことを忘れてた。
俺としたことが……!
「ご飯の前には、手を洗わなきゃなぁぁぁぁぁッたい!! また、また爪がぁ!?」
「それも大事かもだけど違うよ! ……あぁ、もうっ!言わせないでよ!」
と言って、アヤメは顔を近づける。だが、顔は赤いし俺から目を反らしていた。
俺は察しが悪いので、それだけだと何を意味しているのかよくわからなかったが、さすがに次の言葉でわかった。
「かっ、杜若さんとだけなんて、ずるい……」
俺はその瞬間、落雷が落ちたような気持ちになった。
罪悪感は多少ある。だがそれよりも、嬉しさが込み上げてきて、ニヤニヤが止まらない。誰かが勝手に口の端を引っ張ってんじゃねえのかと思うほどだ。
「ご、ごめん……その、えと……」
俺は、なんて行ったらいいのかわからないまま、立ち上がってアヤメの隣に腰を下ろした。
すると、アヤメは目を閉じる。
いっ、いいのかなぁ!?
俺、やっちゃっていいのかなぁ!?
両親に生んでくれたことを感謝しつつ、俺は、いざと勇気を振り絞り……
アヤメに唇を近づけた。
その時、あまりにも敏感になっていた俺の耳が、部室入口から鳴る小さな音を捕らえて、勢いよく振り向いた。
そこには――ニヤニヤ笑っているナオが、ドアの隙間から覗いている姿があった。
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