4『お昼のために』

 俺はアヤメにどう弁解したもんか、考えることでいっぱいいっぱいだった。


 モテたことがない俺にとって、これはかなり難題だ。

 小学校と中学校は、男と遊ぶのに手一杯。高校ではちょいとモテる努力をと思い、金髪にしてみた。

 変な噂が流れたせいで意味なくなったけどね。いや、噂が流れてなくても意味があったかどうか。


 というか、むしろこの金髪が噂を加速させた。


 まあ、それはそれとして。

 問題は、杜若さんが斜め後ろから俺をジッと見つめていることだ。


 背中を羽で撫でられてるような、こそばゆい感覚が襲う。浮いてたせいで視線には敏感なので、見るのはやめていただきたいのだが、注意しようと振り返れば幸せそうな杜若さんの笑顔があり、注意がしにくい。


 しかも、俺の動向に教室中が注目していて、振り返ったときにちょっとざわついたので、俺は下手に動けなくなった。

 そりゃあ、朝の教室でキスしていた二人だ。見ないわけにはいかんだろう……。俺だって、逆の立場だったら、一切見ないというわけにはいかないし。


 俺はいったい何をしたのだろうか。胃がキリキリするよ。


『どーすんの? 付き合うの?』


 と、ナオからスマホにメッセージが届いた。

 なんて乱暴な意見だ。


 俺は怒りすら感じるほどだったが、なんとかその怒りを堪えつつ返事をする。


『バカヤロー! 俺は会って初日の人間と付き合うほど、ふしだらじゃねえ!』

『キスはしたじゃん?』

『俺がしたそうに見えたか?』

『や、あたし、やっちゃんの後ろだから顔見えねえし』

『つーかお前「あたしですらまだしてねえのに」ってどういうことだコラ』

『やぁん。聞こえてた? そこは言葉の綾ってやつよ。転校生があたしらのこと知らないなら、その言葉でちょいとでも勘違いしてやめるかと思ってね』


 ……キスされてからじゃ遅いんじゃねえの? そう思わないでもないが。まあ、ナオのことだから、なにか考えがあるんだろう。

 俺は親友のことを、まずは信じることにした。


『まあ、それはともかくとしても。いいんじゃん? 杜若さんと付き合うのも。超カワイイし、人気者になるだろうし、やっちゃんの立場回復には丁度いい人材じゃん?』

『あのなぁ。そんな考えで付き合うかよ……。俺にしちゃあ、ほぼ始めて会ったようなもんなんだぜ。お前、同じ状況だったら、杜若さんと付き合うか?』

『んなもん、ケースバイケースざんしょ。相手が好みだったり、もうちょい付き合いがあるかだったら付き合うかもな。別に今すぐじゃなくて、考慮してもいいんじゃないかって話よ』


 いや、それはないって……だって俺は、アヤメと付き合ってるんだし。


 ナオにだけは言ってもいいかなと思っていた瞬間、今度はアヤメからメッセージが飛んできた。

 怖くてこっちから連絡できなかった上、アヤメの方すらのだが、向こうからしてきてくれたのはありがたいのかどうか……。


 さすがにこの連絡まで見ないというわけにはいかないので、恐る恐る見ると。


『お昼、楽しみだね』


 とだけ書いてあった。

 お昼を一緒に食べようという約束のことだろう。この言葉に込められたのはどれほどの意味なのか、どうにも計りかねる……。

 俺は言葉の裏とかそういうの、察するのほんと苦手なんだって……!


 このままバカ正直に「楽しみだねー」って返していいのか……?

 俺だったらアヤメが他の男にキスとかされんの絶対いやだし、ってことはアヤメだっていやなわけだし……でも俺のせいか?あれ。


 そんな風に返事を迷っていると、アヤメからもう一言飛んできた。


『どうするの、八鶴くん』

『どうするって、お昼は一緒に食べたい』

『そうじゃなくて。あれだけ熱烈にアピールされて』


 ちらりとアヤメの方を見ると、なんだかとても心配そうな顔をして、こっちを見ていた。

 うぅ……付き合ってまだ一週間とはいえ、信用ないなぁ。


『もちろん断るよ。俺はアヤメと付き合ってるんだし。昼間、部室で話そう』


 と、それだけ返した。

 そこからは、アヤメからの連絡はない。でも、表情を見る限り少しは安心してもらえたようだ。


 痴漢事件がまさかこんな結果を生むなんて。

 いいことはしとくにかぎる……で、いいのか?俺、困ってんだけど。


 ちょっと自分の生き方を省みたものの、今までの人生もいいことをすると、大抵の場合妙に不幸が襲ってきたし、今までとあんまり変わらないな。


 というか……アヤメとは付き合えたし、杜若さんには感謝されてるみたいだし、むしろ今までに比べりゃマシもマシだ。


 ポジティブシンキング!


 いいことをすると、辛いこともあるって父ちゃん言ってたしな!

 それでもいいことをしないという選択肢がなくなってからが本物なのだ。


 そんなわけで、俺はとりあえず……お昼を楽しみにすることにした。

 恋人の手作り料理、楽しみだなぁ!


 お昼まで寝よう!

 授業を受ける気など俺には全く無いので、百戦錬磨の気配消去術で眠ることにした。


 授業中は堂々と寝るに限る。

 この境地に至るには、小学校の授業を体育と音楽と図工以外を睡眠に捧げる必要があり、こればかりはセンスが必要だ。


   ■



 だが、中身のないポジティブシンキングなど現実逃避も同然。

 俺はとても簡単なことを忘れていた。


 


「やっと落ち着いて話せる時間ができましたねっ。八鶴様」


 目の前に立った杜若さんに、俺は心底驚いた。

 様付けで呼ばれた……人生初。


「八鶴様、ずっと寝ていらっしゃるから、お声をかけるタイミングがなくって……」


 と、頬に手を添えて、はふうなんて息を吐く杜若さん。

 なるほど……起こさないために、話しかけないで居てくれたのか。


 いきなりキスしてくる割に、そういう常識はあるんだなぁ。


 俺がちょっとだけ関心していると、杜若さんの背後でスマホの画面をバレない様に俺に見せつけてくるナオがいた。

 そのスマホには、


『寝てる間に動画と写真で寝顔撮ってた』


 と書いてあり、ナオは笑いをこらえながら、教室から出ていった。

 俺はどう反応していいかわからず、眉間に寄ったシワを摘んだ。


 それを誰か咎めなかったのか、と思わないでもなかったが、俺のために動いてくれそうな人間がアヤメ以外この教室にいないし、アヤメはそこまで派手に動けないだろう(ナオは面白そうなこと優先だろうしな)。


「改めまして、杜若千代です。一年前、本当にお世話になりました」

「あ、ああ……別にいいんだけど。でも、あれから大丈夫だった? あの後どっか行ったから、心配してたんだ」


 これは本音だ。

 痴漢された、なんて怖いにもほどがあるしな。


「電車に乗れなくなったとか、そういうことはない?」

「ええ。大丈夫です。あの日はちょっと……家の車が故障してしまって、たまたま電車に乗っていたんです」


 車通学?

 免許持ってんの? って、そんなわけないか。同い年ってことは、車の免許取れるわけないし。ご両親のどっちかが来るまで送っているんだろうな。


 よほど娘想いのご両親らしい。可愛い子だし、いいとこのお嬢様学校の制服着てたし……蝶よ花よと育てられてきたんだろう。


 なら、きっと娘が痴漢にあったと知ったなら、犯人が憎いだろうなぁ。


「でも、おかげで八鶴様に会うことができましたし……。よかったです!」

「ん? あ、ああ……よ、よかったね?」

「はい! でも、お礼もせずにいなくなってしまって、ごめんなさい。家の者が、避難だ待避だって、無理矢理逃げさせられて」

「……家の者?」


 家の者って書くんなら、家族かな?

 家族の、なんか、ソンケー語とかケンジョー語とか、そういうんだろう。


 しかし、あまりにも初めてなことが多すぎて、正しいリアクションができているのか全然わからない。

 俺、女の子とあんまり会話したことがないから全然わからない。


 周囲のやきもきとした視線を感じるが、それなら誰か助けに来て。


 こんなに人がいるのに、俺ってばなんだか孤独。

 孤立無援の教室だ。


 なんだか一筋涙がこぼれてしまいそうだったが、俺はなんとか心の支えにしようと、アヤメの方をちらりと見た。


 するとアヤメは、一緒に食べるであろうお弁当が入っているカバンをさり気なく叩き、小さく口を動かす。


『今日はやめとく?』


 やめとく?

 一緒にお昼食べるのを?

 そんな残念そうな顔で言うの?


 ……いやっ、いやいやいやいや!!


 それだけは絶対に無いぞ!

 初めて恋人とお昼を食べようって日だよ!?


『待っててくれ。なんとか教室を脱出してみせる』


 俺は小さく唇を動かして、アヤメにそう言った。秘密のやり取りの為に体得した読唇術はかなり感度良好のようだ。


 アヤメは嬉しそうに微笑みながら、頷いてくれた。


 ……そうは言っても、どうやって脱出しよう?

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