第26話 『蛇と世界の欠片』
大昔世界に一匹の小さな蛇がいました。
その蛇は臆病で恐がりでした。
それでも精一杯生きていました。
しかし何所に行っても蛇には安住の地がありませんでした。
蛇は嫌われ者だったです。
誰からも相手にされず迫害を受ける日々。
蛇は何日も食べるものが無くて動けなくなりました。
それでも誰も救いの手はくれませんでした。
蛇は覚悟しました。
もう助かる見込みはないのです。
あとは自分を狙うモノたちに弱ってから寄って集って食べられるだけでした。
蛇はそのままじっと堪えていました。
本当はまだ死にたくありませんでした。
蛇は思いました。
「私の姿が恐ろしいと人はいうけれど、私にとっては目に映るすべてのモノが恐ろしい。けれど私を目の敵にするモノたちは幸せに生きていた。私にはもう何もありはしない。それでもお前たちは私が憎いのか恐ろしいのか。本当に恐ろしいのはお前たちなのに……神さま――本当に罪深いのは誰なのでしょう。私でしょうか。それとも私を受け入れぬ世界なのでしょうか。私にはわかりません。それとも……」
蛇は苦しそうに言葉を紡ぎ出すと眠ってしまいそうになりました。
だがそれは永遠の眠りに違いありません。
蛇は本当に最後だと覚悟しました。
けれど蛇はある者に抱きかかえられると何処かへ連れて行かれました。
それは地の果てで蛇はこんなに遠くに来たことがありませんでした。
自分を助けたのは見知らぬ老人でした。
老人は目が醒めた自分を見詰めると微笑んでいいました。
「酷い目に遭っていたね。どうだ空腹が満たされたら、こんな仕打ちをしたモノたちにお前は復讐をするつもりだろう?」
「いいえ。私はこの身体だから何所に行っても嫌われ者です。だから仕方ありません。復讐など考えも及びません。それに私は争う力もありません」
「それならお前は力があれば復讐をするのか?」
「いいえ。私は臆病で争う心がないのです」
「なら、最後に言いかけた言葉はなんだ」
「言葉とは、私が何か申しましたか」
「お前は最後にそれなら……何と神に聞く気だったのか?」
「それは何故、貴方さまはこの私をこの世に創られたのかと思ったのです」
「それなら神はこう答えただろう。お前は苦しんで苦しんで最後まで苦しみ抜いて惨めに死ぬためにこの世に生まれてきたんだと……」
「それは本当ですか?」
「ああ、本当だとも。お前のような醜い存在は早く消えてしまえとな」
「ああ、私は生まれてきてはいけなかった」
「ああ――だが、お前を創ったのは神だ。神はお前が苦しむのを承知でこの世に使わした。何とも無慈悲な話じゃないか」
「ならば私には特別の使命か運命があったのですか?」
「いいや。お前には何も特別なことも使命も運命もなかった。ただ、苦しみ抜くだけなのだ――その為だけにこの世に生を得たのだ」
「何のために……どうして私だけこんなに苦しいのか、悲しいのか」
「それは力が無いためだ。力があればお前は人並みに生きて幸せを掴むことも出来た。だがもう時間がない」
「時間がない!?」
「そうだ。お前には時間が残されていない。明日には死ぬだろう」
「それならなぜ、貴方さまは私を助けたのだろう……」
「それはお前が余りにも不憫だったからだよ」
「しかし、明日死ぬ身なれば結果が変わらないのではないですか」
「普通はそうだが、私だけはお前を救うことが出来る」
「どうやって?」
「ならば、これを食べるが良い」
「それは?」
「――卵さ」
「卵」
「そうだ。これを一飲みすればお前の願いはたちまち叶うだろう」
そう老人は卵を胸から出すと蛇の口に放り投げた。
蛇はそれを落とすまいと必死に口から飲み込んだ。
老人は嫌らしく微笑むと
「よかった。私はこれで死ねる」
と床に倒れた。
蛇が駆け寄ると苦しみながら微笑んで
「お前が今、食べた卵は世界だ」
「世界?」
「生まれることの無かった可哀相な世界の集まりだ。それがお前の中に根を張り、何れ突き破って、この世界に浸食していくだろう。しかし――それが世界を飲み込むまでお前は死ねない。永遠にこの世を彷徨うのだ。これでやっと私は人として死ねる。ああ、お前に息子たちよ。宿業は解かれ私は輪廻に帰れる……」
そう呟いて事切れた。
そのとき蛇は偽りの永遠を得て、そして、すべてに見捨てられました。
蛇はそれから死ねなくなりました。
大いなる力を授かっても決して日の下で使える力ではなりませんでした。
蛇は何度も死のうとしました。
けれど何をやっても死ねません。
蛇は死にたくなかったけれど永遠の命は要りませんでした。
蛇は何千年も孤独に考え続けました。
そして蛇は世の中に死神が居ることを知りました。なんでも死神は命をあの世に持って行くことが仕事でした。
けれど自分の前には現れませんでした。
仕方なく蛇は飲み込んだ世界の欠片から死神を創ることにしました。
自分を殺してくれる存在を。
そして死神は生まれました。
蛇は死ぬ前に話をしたいと思いました。
けれど死神は蛇のことが好きでした。
でも話しているうちに蛇が本当は死にたがっているのを知りました。
死神は出来るだけ楽しい話をして死なせまいとしました。
けれど蛇は苦しんでいました。
蛇は死神が生まれるずっと前から苦しんでいました。
死神は蛇のことが本当に好きだったので望み通りにあの世に連れて行こうとしました。
けれど死神は何度も躊躇いました。
それほど蛇の事を愛しく思っていました。
けれども死神の出来ることはひとつしかありません。死神は鎌を握ると蛇の首を刎ねました。
蛇は死神の胸の中で微笑んでいました。
それから死神に向かって言いました。
「もしも、来世があるならばお前と恋をして一緒に生きてみたい。そして二人で悔いの無いような死を迎えたい」
死神は泣きながら蛇の言葉を聞いていました。
「私も貴方と一緒に生きてみたい――私も逝こう」
と死神も言いました。
蛇は何か言おうとしましたが言葉は出ませんでした。
死神は自分の首を落とすと蛇と一緒に死にました。
もう蛇も死神も二度と生き返りませんでした。
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