第16話 夜が来る

 ――夜が来る。

 何者にもひとしく訪れる時間の流れは誰にとっても平等だ。

 時の杯が満ちれば生命の賞味期限が切れるように。それは、どうあがいても逆らうことが出来ない。まして永遠などにはふれることさえ出来はしない。

 かつてその理に逆らったモノがいた。

 錬金術師と呼ばれる人種である。

 彼らは世の中の理を解き明かし、その法則を見抜くことで様々な奇跡を行って見せた。

 その奇跡のひとつに世界の卵と呼ばれる神秘がある。

 古来より球形は完成された究極の形状として尊崇されてきた。

 まだ何ものでもない形態で未完成でありながら完全なものである――パラドックス(絶対矛盾)を孕む完璧な器。

 故に宇宙の卵といわれる伝説の容れ物。

 その内に孕む可能性は無限ともいわれる。

 大掛かりな可能性を秘めた大いなる奇跡。

 それは誰の目にも神秘的に映り様々な人々を魅了しただろう。

 殻の内の小世界に秩序を伴い何ものも内包しうる生命の神秘は総ての可能性を内包し、その潜在的な力は無限とさえ云えた。

 その潜在的な力を方向性と規模において自由にコントロールできるなら之ほど便利なものはあるまい。

 僕は不意に夢から起きると身体が殆ど動かないことに気がついた。

 そのまま仰向けに転がると目をつぶったように仄暗い闇が辺りを包み高く聳える天井窓の奥に湾曲する鋭い刃のような蒼白い月が薄っすらと見えて今が夜なのだと推測できた。

 先ほどまで見ていた夢は卵の完全性と神秘性を世界卵、又は宇宙卵というものの概念をもって表された本の内容だった。

 ――博物誌という古い本からの抜粋と書かれていたような記憶も薄っすらとある。

 たしか、そのまま錬金術でいう哲学の卵へと筆者は導いていたようだったが……。

 その内容が頭から離れないのは今の状況に極めて近い状態に思えるからだろう。

 僕が意識を失って大分たつだろうから、静柰さんや玲奈が近くに来ているかもしれない。

 あの日、あの夜に、確かに僕は得体の知れない何かに呑み込まれたのだ。

 どちらにしても此処からは出られそうにない。目が慣れてきた僕は時計を見ると既に三十五時間が過ぎ去っていた。

 渡されていた携帯は圏外になっていた。

 不意に締め切られた部屋の中に黒い影が伸びた。

「やあ、起きたか――藤倉一弥さん」

 天窓に月が覗き込んで部屋に光が差し込むと深い闇はかき消されていく――だが不思議なことに人型のシルエットが取り残された。

「貴方は?」

「まあ、誰でも良いじゃないですか……名乗るほどのものじゃない。まあ、年は貴方と同じようなものです……ね」

 若々しい声だが僕よりも年上に思えた――大学生くらいか。だが、その青年の時代かかった口調の奥には不敵なほどの自信が見て取れる。

 僕は青年の顔を伺った。

 その光る瞳には切れるような鋭さとは針の先ほどに細くなった瞳孔が僕の全身を舐めていた。

 その瞳から発せられる――あらゆる世の理を見透かすような眼光は僕の背筋を寒くさせる。

 彼がどのような性質の人間かは解からないが、何が出来るのかと問われれば、それは殺し――殺人だった。

 彼は完全な殺人者。

 ――鬼の瞳を持つものに他ならない。

 その確かな確信に冷たい汗と戦慄が走る。

 しかし、不意に彼は人間に戻る。

「一弥さん。君は面白いな。妙に興味を覚えてしまうよ。地味に見えるけど何故だか外って置けない魅力があるようだ。惜しいね――別な場所であっていれば俺たちは友達になれたかもしれないからね」

 そう屈託無く微笑んだ。

「貴方は、どうして僕の名を知っているの」

「ああ。どうやら俺の雇い主は一弥さんの敵らしいから。それに単に強いモノと戦いたいだけだ――初めから勝負が判るような簡単なモノでは詰まらないよ」

 少年のような瞳を爛々と輝かせて純粋に戦闘が生きがいのようだった。

 ――それしか自分には無いかのように……。

 彼は性格も良いのだろう。ハッキリした性格も嫌いじゃない――彼の言うように街で出会えば友達になれたかもしれない。

 だが敵だと名乗られた以上――奴は玲奈の前に立ちふさがるだろう。

 なら彼は僕の中で敵となる。

 しかし、彼の目には狂気は無い。

 常に――冷静なのだ。

 彼は共存できている。

 人は普通、殺人を犯しても正常な人間性が保たれるような精神構造を持ち合わせてはいない。どこかが壊れていなければ、こんな風に平然と立ってはいられないものだ。

 彼は殺人をおこなうという狂気の中で自分自身を見失うことが無い――故に精神的な隙もない。

 それは単に切り替えの良さだけなのだろうか――否、これは、そんな単純な話じゃない。 

 殺人鬼と正常な人間の境を自由に往来する。その為には確固たる信念と生まれながらの環境が必要だ――彼の家系には暗殺者として闇に生きる血脈とその家訓が伝わっているのだろうか……。

 そう感じられる程に――彼の瞳には躊躇が無い。今でも僕の首筋に当てられた鋭い視線はピタリと離れていない――彼がその気なら一息で僕の首はスルリと横に滑り落ちるだろう。

 ――が、そうならないのは彼らの彼らなりの厳格な掟があるからだと思う。

 そうでもなければ、あそこまでの心境に辿り着くまでに狂ってしまうだろう。

 それほどまでに目の前の青年は研ぎ澄まされていた――美しいとさえ思えるほどに。

 それは人を切ることを最大の目的に造られた日本刀がその一切の無駄の無い機能美ゆえに美しいと思えると同じだった。

 少年は全体が純度の高い凶器でありながら――彼はひとつの純粋な美だった。

 ――僕は気づいていた。

 こういう美ならよく知っていたからだ。

 ――傍で言葉も交わさず。

 唯、見とれていた。

 あの雨宮玲奈に――。



「おい。まってくれ。僕と勝負しないか。これでも体術では少しは自身があるんだ」

「ううん。能力が欠損した君では俺の相手にはならない。それではつまらないよ――無駄死にだ」

 青年は振り向かずに言った。

「はい。そうですかと行かせるものか!」

 一弥は懐から手槍を取り出すと一気に間合いを詰める。

目前に青年の背が見えた。

一弥は槍の刃引きの側で頸を狙った。

 だが、それは空を切る。

「良い太刀筋だ。こんな状況でも刃引きとはますます君が気に入った。――本当に惜しい。殺すには本当におしいよ」

 刹那に一弥の首筋には衝撃が走り、青年の声は最期まで耳には届かなかった。


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