第11話 彩加の手料理

 藤倉一弥が珍しく外泊をして家を二日ばかりあけた頃―――不意に部屋の鍵口が鳴らされて扉が開かれた。

 入ってきたのは黒髪が美しく清楚な顔立ちの、しかし瞳には芯の強さがある少女――藤倉彩加である。

 手にはスーパーの大袋が山盛りに二袋ほど握られていて、どうやら買出しをして来たと言う有様だった。

 彼女はテーブルに荷物を置き、おもむろにエプロンを着けると鼻歌を歌いながらニンマリと微笑んで腕まくりをした。

 開かれた窓辺からは茜色の斜めの光が幾重にも入ってきていた――そんな頃だから今は夕昏なのだろう。

 風でもあるのか窓に掛かる白いカーテンが僅かに揺れている。

 実に楽しそうに彼女は食事の支度に取り掛かり手際良く簡潔に料理を作り終えた。

 メインデッシュのカキフライも狐色に揚がりきって白い湯気が立ち昇る。

 実に美味しそうだ。

 彩加の顔は準備万端といった感じで微笑んでいる――後は兄の一弥が帰ってくれば万々歳となる筈だった。

 けれど一弥は帰ってこない。

 それはもう彩加が来る前から、あたしの知っていた事柄だったが――もっとも彼女が訪れた時に尋ねたら嫌々にでも答えることが出来たのに……。

 けど、彩加の奴はソファーに横向きになって眠る、あたしの安眠を妨げないように珍しく気を使ったのだと感心したら――実際には部屋のオブジェか何かと勘違いするくらい丁重に無視してくれていた。

 別に、それで気分を害する気は無いけど堂々と喧嘩を売ってくれているのは良くわかった――だ・か・ら・あたしも昨日は帰りが遅くて眠かったから彩加が不法侵入して来たことも気づいていたけれど黙って見過ごしてあげたのだ。

 あたしは上側になっている左目を少しばかり明けて様子を伺うと彩加の奴はクマみたいにノソノソと部屋の中をクルクル回りだし、何故かテレビのチャンネルを乱雑に変えては立ち上がり、そう思えば座りだす。とにかく落ち着かない――終には電話を探し出して鬼気迫る表情で何処かに電話をし始める。

 ――何か大声で吠えているし。

 あッ、リモコン投げた。

 それは物凄い速さで壁に当たり派手な音を立てて電池が飛び散る。

 あれで本当に名門――城北学園の頭脳明晰、才色兼備で奥ゆかしい温和な性格の模範生徒だとは到底思えない。

 風の噂だと最近は生徒会長をやっておられるそうな。

 彩加の背はわなわなと震えながら隠し切れない逆立つ本性を黒い影と共にゆらりと伸ばす――渾身の力で握り締められた携帯はギシギシと悲鳴を上げながら乱暴に仕舞い込まれると彼女は凄まじい形相で振り向いた。

 その突き刺さるような瞳の奥には、のたうち回る手負いの獅子が宿す敵意――そして復讐にも似た執念深い感情は、もはや凄まじい殺意として額から噴出して抑え切れていない。

 だが、それでも外見上は冷静を保つように口元だけは微笑みながらブツブツと何かを呟いている。左腕で顔を隠しながら唇を盗むと――ト。レイナ。……雨宮玲奈め!――殺す! と読めた――私は目を見張り瞬きをやめた。すると彩加は先ほどまで置物のように見向きもしなかった――あたしの事を部屋に入って来てから二、三時間は楽に経過しているというのに始めて呼んで見せた。

「……玲奈! 御飯よ!」

 ――っと、同時に部屋中の空気がガラリと変わり何かに引き寄せられ濃密に動く。

 瞬間――本能的に、あたしは横になった態勢のまま跳ね上がると前方に飛ぶ。

 睨んだ通り彩加の姿は前方のスペースには存在せず――代わりに今まで、あたしが安眠を貪ったソファーは破裂音と共に後ろに薙ぎ倒され此方に四本の白い足を見せていた。

 あたしは、しゃがみながらも体制を整えると顔を上げた。

「チッ――さすがに素早しっこいものね――玲奈。おかげで外しちゃったじゃない」

 彩加は舌打ちをしながら、ぶち抜いたソファーから足をゆっくり引っこ抜くと歪に微笑みながらこっちを向いた。

「おい。彩加。いくら食事に起きないからって目覚ましにドロップキックはないだろう。それに御飯よ――って言う前に目覚ましの方を発動させるなんて、一体どう言う積もりだよ。いくら愛しの一弥が帰ってこないからって八つ当たりも大概にしろよなッ」

 あたしは顔を顰めながら額を指先で押さえて言うと――。

「あーら、玲奈さん。御挨拶ね。八つ当たりなんて子供染みた事してないわ。ただ、あんたが、今、この現状の事情を事前に知って見たみたいだから、ちょっとイラついちゃって思わず蹴りつけただけじゃない――残念ながら未遂だったけどね。まあ、あんたどうせ化け物達の仲間みたいなものでしょ。だ・か・ら、か弱い人の身としては、不意でも打たないとハンデが有り過ぎて退治もままならないでしょ――それに昔の英雄たちは皆そうして化け物を退治してきたんだから!」

 そう嬉々として厭らしく歪んでいるであろう口元を、可愛らしく手で隠しながら優雅に語り続ける、この女の表情に悪びれる様子は微塵も無い。

「ああ、悲しいわね。このあたしを化け物扱いにして――一弥も、こんなデリカシィのない妹君を持って、お可哀相だ――まったく、おかげで安眠できる、あたしの寝床が台無になったじゃないか……本当にお気に入りのソファーをぶっ壊しやがって――この馬鹿力ッ!」

「な、馬鹿力ってなによ。普通。至って普通だわ。そんなの普段、破壊衝動の抑えられない異常者のあんたには言われたくもない。それにこの部屋に在る物はね、ぜ~んぶ一弥の物なのよ! それなのにまるで自分の物のように振舞って、あんたこそ何者のつもり!」

「ふん。まったく重度のブラコン妹には言われたくない――別に一弥は、私のモノじゃないし……そもそも誰のもの…」

 そう言いかけてハッと彩加の顔を直視すれば、目の前には本気モードの奴がひとり。顔を下げて――プルプルと震えながら口元を抑えて何か唱えている。

 今のあれは危険領域だ――静柰のバカがけしかけて修行と称してマトモに鍛えているから性質が悪い――彩加も、仙術なんて如何わしい事に身を入れてやっているから始末も悪いんだよ。

 このまま、ノラリクラリとまともに遣り合うとさすがにヤバイ――つい力が入って怪我でもさせたら一弥が悲しむからな……。彩加の奴、ああ見えて結構凶暴だし切れると見境ないし――そう思いながらクマの如く両手を挙げてガォーっと襲い掛かる彩加をカウンターの当身一発で眠らして静かに感慨に耽る。

「うむ。決まった」

 ――彩加の奴、本当に切れていたみたいだ。

 この娘に策も何も無い。

 本来、思慮深い奴なのにさ……。

 ま、これも彩加なりの愛の形って奴なのか。だいぶ歪んではいるけど――こいつ本当に一弥の事が好きなんだな。

 その素直さが少しだけ羨ましく思った。

 ふと――一弥の事を考える。

 ああ、早く一弥が帰ってくれば何も問題は起きないのに――でもそう巧くは行かないかッ――。

 なんだか今回の件は厄介そうだからなぁ。

 いつの間にか入り込んだ黒い闇が部屋の中を何処までも深く染めようとする――だが、私がスイッチを入れると、もう部屋は白く生まれ変わり先ほどの闇は部屋から遠くに望む深い夜となった。

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