8章 滅びの荒夜

26話 ヒトをやめてでも

 混濁。

 全てが混濁しているなにもかもがぐちゃぐちゃだ


 それが、夢である事だけがわかる。

 昨日の事を思い出すずっと昔が蘇る


 それはもうすべて過去になってしまった。

 寒い暖かい


 静かな、優しい、雪の村。

 数人の、オニとヒトの集落俺とあの子だけの廃墟


 逃げてきた者の住処。

 熱を出して寝込んだんだったかいつの間にか幸福に怯える様になった


 外は雪景色。怯えて、やさしくて。

 暖かい寒い


 そのまどろみは、酷く心地良く。

 けれど、心地良すぎたからこそ余りにも幸せすぎて…………。



 揺れる、揺れる、揺れる………。


 *


 震動。震動。震動。その最中で瞼を開けた。

 すぐ真横にあるガラスの外では、白い夜に雪が落ち、背後へと流れていく――。

 ガラスには映っていた。

 それこそ、死人みたいな顔色の俺が。そして、その向こうにハンドルを切る髭面のドワーフの姿が。


「……起きたか、坊主」


 ドワーフ――イワンはそう言う。

 俺の頭はいまいち回らない。今は夢か?現実か?


 雪が降っていること以外は、………覚えのある状況だ。トレーラの助手席に座り、あの時は………つい、数日前のあの時も。


 ………桜。


「馬鹿な事考えんなよ。弾は抜いた。けど、それだけだ。無茶できる状態じゃ……おい!」


 すぐ真横の、トレーラのドアを開ける。寄りかかるように。

 寒さの中、降りしきる雪の中に身体が流れていく――。


 どさりとか、惨めな音がして、俺は雪の中へと落ちていく。沈むそれはクッションには到底ならない。身体が転がる。雪に塗れる。……血の味がする。


 身体が冷えていき――同時に熱を持った液体に包まれるような感触があった。

 ………傷が開いたのか?ああ、そうだ。そういえば撃たれたな。撃たれたから………。

 だから、なんだと言うんだ。

 俺の行動は何も変わらない。出自が特殊だったなら、そのおかげで身体オレが動くのなら、利用するだけだ。


 寒い。

 酷く暑い。

 風邪でもひいたような熱が、頭の中は靄の掛かった灼熱で、だから俺はまだ動く。


 雪の中から起き上がる。

 すぐ真横に轍。雪の中、トレーラは停車し、悪態を付きながらイワンが下りてくる。

 トレーラ。イワン。……アイリスが、言っていたはずだ。“夜汰鴉”を運んでくると。

 トレーラの中にそれ俺の鎧はあるのだろう。


 立ち上がる。身体に力が入らない。だが、問題はないだろう。FPAはそもそも補助装置みたいなものだ。動かす気さえ俺にあれば、アレは動く………。


「頼むぜ、坊主。無茶は止めろって。前と状況がちげえんだ。お前の体調が違えんだよ!自分が一番わかるだろ?……おい!」


 ふらつくように、足を雪に沈め、トレーラの荷台に辿り着き寄りかかる。

 荷台を開けようとしたところで、イワンが割り込んでくる。


「止めろって言ってんだよ!6発だぞ!?肺も逝ってる!動ける状況じゃ――」

「……うるさい!」


 イワンを押しのける。片手で、酷く軽々と、ドワーフが雪へ転がる。

 ……腕力が上がった?致命的に何か、ヒトとは別のモノになりつつあるのか?

 悪夢に魘されでもするように、脳が熱を思って頭が酷く痛い――。


 どうでも良い。おかげで動くのなら、それ以上の幸運は……必要ない。


 荷台を開く――取っ手に赤い手形がつき、俺の腕から赤い液体が滴っている。

 ヒトの血か?

 オニの血か?


 ……どちらであれ俺の血だろう。なら、どうでも良い話だ。


「……もう、嫌なんだ。失くすのはもう、……」


 誰に言っているのか。

 何を失くしたくないのか。

 失くしたくなかったものが多すぎる。

 まだ、手が届きそうなモノは一つだけだ。そのために………。


 ああ。他は全部どうでも良かったんだ。手に入れると零れ落ちる気がする。不安になる。受け入れてもらえた。もう、俺は………俺はくしたくない。


 咳が零れ落ちる。血の味がする。……どうでも良い。


「おい………クソ。勘弁しろよ……」


 イワンが毒づいている。何を言っているのか……どうだって良い話だ。

 開いた荷台の中。

 そこに、黒い巨人ヤタガラスが立っていた。ちゃんと直してある。武装は?玩具バンカーランチャーと野太刀。イワンはちゃんと直しているようだ。装甲も綺麗に見える。中身がずたずただが……動かないわけではない。動かないのなら、意味がない……。


 足が上がりきらない。荷台に突っかかる。転ぶように、荷台に両手を付く。そのまま、這って寄る……。

 “夜汰鴉”まで這う。よじ登るように、寄りかかるように、冷たい黒い装甲の前に立ち、それを開く。

 ……“夜汰鴉”が反応しない。操作の手順を、今更死に掛けだからと言って間違えるはずも無い。


 何度もやった。飽きて何も考えずに間違えなくなるくらい。セイフティが存在する意味まで、完全に叩き込まれた。叩き込んだ奴らはもういない。だから俺は今度こそ………。


 そこで、気付いた。青い瞳が、どこか悲しげに俺を見ている。

 アイリスだ。隅で膝を抱えている。

 こいつアイリスがやっている。こいつアイリスが、“夜汰鴉”を縛っている。異能力か、便利なものだ。

 ――俺の邪魔をするな。

 これヤタガラスは、俺のモノだ。幾ら傷つこうとどうせ直る。ただの一個の消耗品に過ぎないまでも、もう何年も廃棄されず死ねずに動き続けている俺自身だ。

 必要な時に動かない兵器に存在価値はない。


 今を置いて、いつ使う?今この瞬間に動かない兵器オレに価値はない………。


 利口でないことはわかっている。

 今更、利口に生きる気なんてさらさらない。


 執念だ。執念だけが、妄執だけが、未練だけが………。


 不意に、血の通ったような感覚があった。

 冷たい鎧ヤタガラスに神経が、血管が通ったような感覚。

 直後、“夜汰鴉”が開く。俺の操作意思を受け付ける………。


 オニの、異能力。


 ナイフの時は、こんな感覚はなかった。結局偶然だったのか、成り代わりかけで不確定だったか………。

 今は違う。今は意図的に使った。これヤタガラスは俺だ。俺はもう、ヒトじゃない。

 頭の中が熱い………口の中の血の味が酷い。どうでも良い。動くなら………。


「………元から?それとも、最近変わったの?そんな事が………」


 アイリスが眉を顰めている。どうだって良い。答える意味がわからない。

 解放された“夜汰鴉”へ、俺はどこか転ぶように、身を滑り込ませる。

 硬質の筋肉が、装甲が身体を覆い隠す。

 熱くて寒い俺の血がべたつく


 マニュアルで操作する前に、“夜汰鴉”の装甲が閉じた。なるほど、反応レスポンスは上がるかもしれない。

 あるいは、元からこうだったのか?

 このせいで俺は死にそびれて来たのか?

 どうだって良い。今動くなら………。


 起動画面。数秒の暗転。直後、フェイスモニタが外の光景を映す。

 荷台で切れた雪景色。その隅にイワン。

 ……そして、いつの間にやら、目の前にアイリスが立ちふさがっていた。

 青い瞳は、どこか思いつめたように……アイリスが口を開く。


「………タイミング的に、私がしくじった可能性があるわ」


 アイリスがつけられていた可能性。そのせいで、俺と桜が革命軍に発見された?


「だから、なんだ……」


 それを責めようなんて気は、ない。そもそもアイリスに、他の奴らに手助けされなければ、あの廃墟で夢を見る時間すらなかった。留まる限り発見される可能性がある事は、折込済みでもあった。その上での、選択だった。


 結果論に過ぎない。すべて。良くないほうに転んだってだけの話だ。

 ……まだ、転がり落ちきってはいないと、そう信じたいってだけの話。

 往生際が悪すぎるのは、いつもの事だろう?


 アイリスは目をそらす。逡巡。独り言のような言葉。「わかってるわ、兄さん。……黙って」。青い瞳アイリスの目ヤタガラスを見据える。


「選択肢は4つ。覚えてる?」


 このまま緩やかに、宛もなく。

 帝国に帰る。

 オニの国に行く。

 暫定政権、ハーフとの共同戦線。


 どれも過ぎた話だ。いや、俺が、過ぎた話にしない。過ぎた話には、したくない……。


「返答は、まだ聞かないわ。……制圧力がここにある」


 無駄に芝居がかったような仕草で――顔が良いから全部そう見えるのか――アイリスは自分自身を指し示しながら、続ける。


「………私は私で、結構本気で私情を話したの。居場所が欲しいの。その為に、全部敵でもかまわない。そういう、生まれだから」


 生まれ。ハーフ。俺が、一切自覚していなかったそれと同じ。

 いや、暗に自覚していたのか?だからこその、強すぎる疎外感か?


 アイリスの瞳は、真摯で必死だ。俺へと手を差し出してくる。握手をしろと、そう命令するように――そう、見えるだけだ。アイリスの本心は、瞳は、真摯なままだ。


 どこか、救いの手を差し伸べながら、救われる事を求めるように。


「利用したいのよ。………利用しなさい」

「アイリス!お前………」

 

 とがめる声。イワンが声を上げている。それにアイリスが流し目を送る。


「黙りなさいドワーフ。……プライドの問題よ。それに、どっちにしろこれ、もう止まんないわよ」


 ………良くわかってるな。こいつアイリスの事を誤解していたか?

 あるいは、装甲ヤタガラスの奥で、俺は少し笑ったかもしれない。

 だが、だからこそ………。


「……これ以上、巻き込む気はない」


 それだけ言って、俺はアイリスの手を取らず、その横を通り抜けた。


 俺の執念だ。俺の問題だ。………そうだ。俺はいつも、好きで勝手に自殺しに行くだけだ。

 そうでなければ、俺の傲慢さが満足しないから。


 その手を取れば、望みが陰る。そんな気がする。それすらももはや感情論だ。

 俺の望みは?もう、本当に、馬鹿みたいな話だ。


 ……最初から、永遠だなんて思っていたわけじゃない。

 終わりのある話だってことは理解している。最初からわかってた。


 ただ、それでも、もう少しだけでも長く。緩やかに、平穏に。夢の中に。

 ………桜と一緒にいたかっただけだ。


 夜汰鴉が雪を踏む――その、装甲に触れた雪の冷たさが知覚できるわかる気がした。


「………坊主。装甲は問題ない。バンカーと野太刀だ。野太刀は余りがあった。新品。バンカーは試作の方、ゼロイングはしてない。精度を信用するな。あと……頼むから、ヤバイと思ったら退くって事を覚えてくれ。聞きゃしねえんだろうけどよ、クソ!」


 やけのような声を上げるドワーフを横に。

 悔しげに、拳を握り締めるエルフを背後に。


 俺は、誰にともなく頷いて、一人、雪の中へと進みだした。



 *



 混濁。

 熱を帯びたように理性が欠片の様に、降りしきる雪のようにただ散りばめられたままに、白いだけの景色の中を黒い鎧は進んでいく。


 雪景色のカーテンに画面が映る。

 過去喪失が映りフラッシュバックするカーテン。


 もう、覚えていない………まどろみ。実の家族。母親。手を引かれる。惨劇……原風景。


 ふざけたおっさん。調子の良い兄貴分。小言ばかりの小姑。……笑うしかなかった日々。マストオーダー。オレのいない場所の、惨劇……。


 寒い。


 行き着いた先に幸福があるとは、もう思えない。

 けれど進むほかに手に入れる術を知らない。進まないわけには行かない。


 ………俺は、ああ。確かに理解していた。ばらばらの理性は最初から、知っていた。

 朦朧としながらも………わかりきっていた話だ。


 全部。全部が遅すぎたんだって。


 *

 

 雪の向こう。

 行先に火の手が見える。降る雪を炎が染め上げる、………革命軍野営地。


 テントが燃えている。ヒトが、FPAヤタガラスが倒れている。原風景最初の記憶と被る。妄想の看取れなかった元隊家族の末路と被る。

 その全てを……俺の全てを………なぎ倒す。蹂躙する、光景。


 竜。

 人類の敵。


 制御できない、理性も無い、主義も主張も無い、ただの災害のようなそれクソトカゲが、革命軍の野営地を飲み込んでいる――。


 フラッシュバック。

 原風景。

 オレの手を引く誰か。静かな集落は牙に染められ。

 オレが笑える様になった場所。背を向けた仲間家族が爪に沈み。


 同じ地獄が、目の前に……桜が連れて行かれた、その場所に…………。


 記憶が真っ赤に染まっていくようだ。つい昨日、すぐ目の前にあった笑顔が――血に沈む。

 そんな幻視現実を俺は見た。


 咆哮が聞こえた。

 どこかで、誰かが、認めまいと…………俺の口が、血の混じった液状化した肺が、雪の中へ、濁った絶叫を上げる。


「あああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ、」

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