23話 緩やかに停滞に沈み

 ずいぶん懐かしい夢を見たような気がする。

 ずっと昔の、本当に幼い頃の夢を。


 まどろみの中、暖かさに包まれている。すぐそばから、優しい子守唄が聞こえてくる。

 多分、俺が忘れた、………原風景の前の、緩やかで平穏な時間の夢。


 子守唄を歌う誰かの顔が見たいと、瞼を開けようとするが、眠りの中で瞼が開くことはない。


 だんだん、だんだんと、目を開けたいと思うたびに、眠りは浅く、現実が遠くなっていく。


 子守唄に音が混じる。何か、足音か。地鳴のような。建物が崩れる音。

 悲鳴?……その音がだんだん多く、大きく、近く………現実が歩み寄る。


 俺は瞼を開けた。

 目の前に広がるのは、俺の原風景。確かにあった安らぎの……崩れ去るその姿。


 *


「………ッ、」


 瞼を開ける。目の前に、火の消えた囲炉裏がある。昨日と同じ、廃屋の中だ。壁の隙間から銀色の世界、陽光に照らされたそれが覗いている。


 静かに、俺は息を整える。吐き出す息が白い。……火を見ていようと思っていたのだが、どうやらその内に眠ってしまったようだ。


 そして、夢を見た。安らかな良い夢。…………それが終わるまでの夢を。


「……ん、………」


 耳元で僅かなうめき声が漏れる。視線を向けると、桜がすぐ隣で眠っていた。俺にしがみつくような格好のままに。

 すぐ傍にある暖かさに安堵すると同時に、俺の脳裏を走るのは、不安だ。

 ………夢を見たせいだろう。あるいは、こんな状況だから見た夢、か。

 桜を起こしてしまわない様に、ゆっくりと、俺は毛布から出る。


 途端、身を切るような寒さが襲い掛かってきた。極寒の廃屋で、壁に穴があり火もない。寒くて当然だろう。


 とりあえず、囲炉裏の火だけを灯しながら、俺は桜の寝顔を眺める。

 寒そうに身体を縮めてはいるが、起きる気配はない。桜は桜で、色々あって疲れていたはずだ。


 桜の毛布だけ直してやってから、俺は、穴の空いた廃屋の壁に視線を向けた。


 *


 どちらにしろ、数日はここに留まるつもりだ。扇奈から何か報せがあるかもしれないし、今更扇奈を信用しない訳がない。あの世話焼きは何かしら手を打ってくれているだろう。


 その間、あの比較的状態の良い家屋に留まる事になる。壁の穴ぐらいは塞いでおくべきだろう。


 ハンマーは……ナイフの柄でもつかうか。板と釘は………近くの廃屋から調達すれば良い。

 そんな事を考えて、俺は一人雪に足跡を残し、朝の廃墟を探索する。

 何でも良いから、壁の穴を塞げるだけの、最低限数日持てば良い、ただそれだけの部材を見つけられればそれだけで良い。


 雪に沈む廃墟を一人歩く。昼間だからか、昨日は見落としていた廃屋の乱れ方が目に付いた。

 風化、劣化……そんな崩れ方ではない。暴力的に、横から押し崩されたかのような壊れ方の家屋が散見される。

 竜が、この廃墟を襲ったのだろうか?

 ……俺には関係ない話だ。

 いや、関係ないはずだった。


 何とはなしに視線を向けた先。まだ形を保っている廃墟の、入り口近く。

 板が落ちていた。文字が刻まれた、風化しても尚その文字を読み取れる板が。

 表札、だろう。他の誰かがそれを見ても、何の感慨も思わないだろう。


『駿河』


 ………表札に刻まれていた文字は、それだった。


 *


 適当に、使えそうな板と釘を調達して、桜が眠っている小屋に戻る。

 ナイフを手に、それの柄をハンマー代わりに、朽ち掛けの板に錆びた釘を打ち込んでいく。


 トントントントントン………。


 機械的に作業を始めながら………考えるのはさっきの表札だ。

 ここが、俺の故郷だったりするのか?俺はここから帝国に逃げたのか?

 わからない。思い出せない。……原風景はただの殺戮と悲劇だけだ。細部の情景を思い起こそうにも、全部が赤いだけ。

 ここのような気もする。だが、違う気もする。


 そもそもここに住んでいたのはオニじゃないのか?帝国を逃れた誰かがここに住んでいたのか?駿河………ただの偶然で、赤の他人の可能性の方が遥かに高い。


 それに………ここが俺の故郷だったからと言ってなんになるのか。

 今更何が変わる?俺は何も覚えていないし、ここは、廃墟以外の何者でも無いはずだ。


 トントントントントントン………。


 それを考える意味がわからない。考える必要性がない。わかったところで、何も代わらない。それには、ただの、過去の可能性の一つ、以外に意味はないはずだ。


 ふと、きしりと、軋むような音を鳴らしながら、常時半開きの戸が開いた。

 顔を覗かせたのは、桜だ。その顔を視界の端に、俺は、さっき見た何かを忘れる事にする。


 そうだ。考えるのは、今とこの先だけで良い。すべて、何もかも過去だ。


「……………」


 桜は何も言わず、俺を眺めていた。

 黙っているのは珍しい気がする。もちろん、ずっと喋っていたわけではないが……あのプレハブ小屋でも、毎朝顔を合わせるたびに口を開くのは桜のほうだった。

 それも気遣い、だったか?あるいは何か別の事を考えているのか。

 桜は、ただ俺を眺めているだけだ。……妙に、落ち着かない。


「………起こしたか?」

「………」

「……穴を塞いでる」


 桜が返事をしなかった為に、俺は作業を続けながら、適当な言葉を継ぐ。


「………」


 桜はまたリアクションを返さない。……それはそうだ。俺は何を言っているんだか。

 成り続けているトントン、という音を止め、俺は桜の方へと顔を向け、言った。


「おはよう」

「はい。おはようございます」


 にこやかな返事がきた。俺に朝の挨拶をさせたかったのか?

 ……いよいよ、桜が何を考えているのか分からないな。わかりやすく振舞う事をやめたんだろう。


 そうだ。そちらだけ考えていれば良い。桜のことだけを考えていよう。それで良い。


 ………すべて、過去だ。


 *


 掃除をすると言い出して、けれど道具がなく。

 桜はお湯を沸かしに小屋に戻る。

 穴の修繕を終えて、俺は小屋へと戻り、二人膝を並べて、お湯と乾パンで食事を取った。


 味気ない食事だ。ただ、彩りはあったような気がした。やっぱり美味しいと桜は言う。オニの軍用食だ。普通の乾パンより、栄養価とカロリーが高いものだろう、と、俺は観察事実を告げる。カロリー………と呟いて、桜は少し嫌そうな顔をしていた。その表情に俺は微笑んだ。


 やることのない1日は、そうやって始まった。

 思い返すと、最初に多種族連合軍の基地に行った時と似たような状況かもしれない。

 最低限の食事、最低限の住処があるだけ。将来の保障は何もなく、あって他人の動きを待つだけ。


 違いは、あの時よりも桜が無闇に元気に振舞おうとしていない事。

 俺の口数が多いこと。


 気にしようとしなければ流れてどこかへ消えてしまうような、そんな時間だった。

 ただ、話をしているだけ。


 俺がしたのは、軍の話だ。暗いところをなるべく削った、笑えるような話。

 ……元々俺がいた部隊にどんな奴がいたか。どんな風に遊んだか。


 桜は桜で、俺が知らない場所の話をする。宮殿、学校、式典、……明るく平和で、華やかな世界の話。楽しそうだ、と俺は思った。


 勲章の話も、した。意外な話で、桜はその場にいた、かもしれないそうだ。

 見学に訪れていたとか。嫌々だったからちゃんと見てなかったけど、……もしかしたら会ってたかもしれないですね、と、そんな事を呟いていた。


 少し時期がずれていたら、それこそ桜は勲章を渡す側の立場になっていて、そこで初めて顔を合わしたきりだったかもしれない、とも。



 ずっと、そんな、他愛のない話だけをして一日が過ぎた。今までで一番長く、一番どうでも良いような話をしていて、………一番笑った気がする。

 ………俺の経験上ありえないくらいに、一日が短い気がした。

 気付けばもう、夜だ。


 ゆっくりと、だが流れは早く………夜の帳が落ちる。


 *


 夢を見た。

 勲章をもらった時の式典だ。

 ……そう。俺も嫌々だった。見世物にされるのは嫌いだ。ふざけたおっさんと馬鹿な兄貴分にからかわれ、三人まとめて小言の多い小姑にたしなめられ、背中を押されて、真新しくて着心地の悪い軍用の礼服に袖を通し。


 貰う瞬間まで、本当にどうでも良かった。誰から渡されたのかも、どんな美辞麗句と共に渡されたのかも一切覚えていない。

 勲章の価値が決まったのは、振向いて、仲間の顔を見たその時だ。


 その情景の中、俺は振り返る。



 ………背後に戦場が広がっていた。

 見慣れた帝国軍第3基地。俺が背を向けた、背を向けざるを得なかった戦場。


 竜がいる。トカゲがいる。“夜汰鴉”が見える。竜の尾が……。

 鮮血。

 爪が……。

 鮮血。

 牙が………。


 仲間の断末魔が聞こえた気がした。


 *


「…………ッ、」


 荒い息と共に、俺は目覚める。

 夜だ。一日中話しこんだその日の夜。桜は今も俺の傍らで寝ている。ボロ小屋、消えかけの明かり。昨日より暖かい。


 ………荒く息をつく。

 すべて過去だ。過去でしかない。俺が経験した、………安らぎがすべて壊れるという過去。

 現在じゃない。


 ……ふと、手元に銃がない事が不安になった。

 立ち上がる。毛布を出て、サバイバルパックへ……その中の銃へと手を伸ばす。

 硬質な感触が、冷えたそれが手にある。弾丸を確認する。確かに詰まっている。

 その事に俺は安堵し………同時に、桜の声が聞こえた。


「……鋼也?何、してるんですか?」


 桜は戸惑うような目を俺に向けている。

「……銃を確認してるだけだ」

「どうして?」


 桜の目が、僅かに、とがめるような色を帯びる。

 どうして?……どうして銃を確認してはいけないんだ?


「……身を守る手段を確保する事は、いけないことか?」

「なんで今、それが必要になるのかって話をしてるんです」

「……………」


 応えなかった俺を前に、桜は這うようにこちらへと近寄ってくる。

 気付くと、その顔が間近にあった。桜の腕が俺の背に回り……唇が触れ合う。

 やわらかく暖かい感触。緊張し、……やがて弛緩した俺の腕を桜はなぞり、銃を取り、それを床に置いた。


 それから、唇が離れる。すぐ目の前に、僅かに潤んだ瞳がある。その唇が震える。


「………どうして?」

 …………。

「……不安になるんだ。失くす事が多すぎて。いつも、なくなるから……。我に返ると不安になる。今だって、革命軍がすぐそこに来てるかもしれないだろ?俺は、もう……」


 その先を口にする事は出来なかった。塞がれてしまった。触れた唇はすぐさま遠ざかり、吐息が俺の耳元で囁く。


「抱きしめて。………怖がらないで」


 俺は、僅かに躊躇いながら、桜の背中に手を回す。

 華奢な体だ。少し力を込めたら折れてしまいそうな。


「明日のことなんて、みんなわからない。でも、私は今、目の前にいるでしょう?今は、私だけを見て。……それで良いから。大丈夫だから」


 軽く俺の頭を撫でながら、桜は囁き、俺の目をまっすぐと覗き込む。

 瞳に吸い込まれる様に、俺もまた、桜の目を覗き込む。


 腕に力を込める。僅かに震えた桜へと、今度は俺の方から、唇を触れ合わせた。


 不安を誤魔化すように。不器用に。

 それでも、その夜は、不安を忘れられたような気がした。


 ………今度こそ失くさないようにと。それだけを願って、それすらも考えないように、その夜は………。

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