7章 楔
22話 また夢に落ちて
余りにも感情的な行動だった。先の事を何一つ打算的に、かつ現実的に考えることなく、ただそう………俺は一時の感情で一国のお姫様を攫った。
なんともまあ、馬鹿げた話だ。
そして、その馬鹿げた話には続きがある。
しでかした馬鹿が何一つ後悔していないって続きが。
不思議な話だ。
何の宛もありはしないこの先の事を考えると、皮肉じゃなく笑えてくる。
だからそう、俺は確かに怪我から覚めて、現実の中動き出したが………まだ、夢見心地だったのかもしれない。
*
月光にきらめく白銀の絨毯を敷き詰めた、廃屋の群れ。
廃村、……だろう。いつの時代のものかはわからない。少なくとも建造物が形を保っているくらいの寂れ方だから、大昔ってことはないはずだ。
竜が攻めてくる前に、確かにあった村。もしくは、竜がこの世界に現れてからも存在した村。長屋や瓦、住んでいたのは、おそらくオニ………だと思うが、その確証もまた、ありはしない。
昔の事をああだこうだ考えたって仕方がない。考えるのは、これからどうするか、だ。
扇奈から渡されたメモ。その座標の通りの場所に向かったその先に、この廃村があった。
そして、その廃村の最中に、俺と桜は足跡を残している。
バイクは街道から少し奥まった森の中に隠してきた。雪の足跡もいくつか偽装してある。ある程度なら、追っ手も撒ける筈だ。
何より、扇奈がわざわざ場所を指定したからには、何かしらの宛が用意されていると考えて良いだろう。
勿論、はしごを外された可能性がないわけでも無いが………その気なら攫う段階で扇奈の太刀は俺に向けられていたはずだ。
「……誰もいない、みたいですね」
白い息と共に、桜はそう呟く。
「………そうらしいな」
それだけ答えて、俺は周囲を探った。
廃村に、俺と桜のほかに人が居る痕跡はない。厚い雪に足跡も無い。
………とにかく、桜の体力も考えると、今日の所は一旦、ここに腰を落ち着けるべきだろう。
*
比較的状態の良い家屋。その中に、俺と桜は踏み込んだ。
家財道具の類はなく、埃まみれで壁の一箇所に穴が空いているが、外よりはマシだろう。
囲炉裏が中心にある、板間。ただそれだけの寂れた小屋だ。
逃げた先でも結局安小屋、か。
薪は常備されていない。俺は板間の一角をはがし、湿気ても濡れてもいないそれを適当に砕いて囲炉裏に差し、バイクにくくられていた荷物の中のマッチで火をつけた。
外。窓からも閉じきらない戸からも壁の穴からも見えているそれは、自棄に綺麗な極寒の世界。野宿より多少マシ、程度だが、それでも一応四方に壁はあり、囲炉裏には頼りない炎がくべられてもいる。
最低限、明かりと暖は確保した。未だ息が白いその小屋の隅で、俺は荷物を漁る。
ナイフ。乾パン。飲料水。マッチ。後は毛布とかか。……この場所に来る事を前提にしてあるサバイバルキットかもしれない。他にも色々と入っていたが、とりあえず今必要なのは………。
「桜」
「はい?……あ、」
返事をした桜に、俺は毛布を投げて渡した。
「お姫様にこの寒さは堪えるだろう?」
そんな言葉と共に。
「……寒いのは、駿河さんも一緒でしょう?」
「俺はこういう場所で育った。慣れてる」
勿論、貧民街の孤児院だって壁に穴は空いてなかったが、桜より寒さに慣れていることは間違いない。
桜は暫く、手の中の毛布を見て、それからやがて、羽織るようにそれに
視界の端でその姿を捉えながら、俺は荷物を漁る。
暖かいコーヒー、でも用意したいところだが、オニから渡された荷物にコーヒーが入っているわけも無いか。一応、金属製のカップと携帯式の、足つきの金網はある。お湯だけでも作れないことはないだろう………。
そんな算段を進める俺の背に、不意に毛布が被せられた。
同時に、暖かくやわらかい感触も、小脇に寄り添ってくる。……汗の匂いを言うのは野暮だろう。別に、嫌じゃない。
すぐ真横、それこそ目と鼻の先に、桜の顔があった。
一つの毛布に包まり、半ば抱きつくように俺に寄りかかり、桜は柔らかく微笑む。いつも通りの、作ったような笑顔で。
「………こういうの、ちょっとやってみたかったんです」
「……ポジティブだな」
俺は僅かに笑い、その姿勢のまま、荷物の確認を続けた。
*
外の寒々しい白銀を、頼りない囲炉裏の火がぼやかせる。
僅かに暖かくなった小屋の中。最初に戻った様に乾パンで食事を取り、だが、最初とは違って暖かさがすぐ真横にある。
ただ砕けた板が燃えるだけの、その音だけの静かな時間があった。
頼りない炎は幻想的で、妙に現実感に欠けている。
そんな風景の一角を眺めながら………俺は、口を開いた。
「桜」
「はい?」
「………お前、なんでついてきたんだ?」
「今更、それを言うんですか?」
僅かに拗ねたような表情を作りながら、桜はそう文句を言う。
今更、か。確かにもう、尋ねたところで時間が巻き戻るわけでも無いし、俺が何かしら後悔しているってそんな訳でも無い。
ただ、気になった。それだけだ。
僅かに、俺は悩んだ。悩んだ末に、結局、口を開いた。
「お前、俺にそんな興味なかっただろ」
「そんな訳………あ。もしかして、何か言わせようとしてます?」
桜は微笑みと共にそんな事を言った。………見慣れた笑み、いつもの、見ている相手をどこかなだめすかすような、そんな品のある表情で。
「俺は、そんな器用じゃない」
俺はそんな事を呟き、桜の表情を観察する。
微笑、だ。ずっと、それこそ最初に桜の顔をまっすぐ見てからずっと、桜の微笑みはずっと同じモノだ。いや、戻ったと言った方が正しいかもしれない。
僅かずつ、桜は変化していたように思えるのだ。
最初はただ無垢と無知を演じているだけのように見えた。
けれど、その内に、そこにちょっとした毒舌が混じった。……少なくとも俺は結構色々言われた気がする。すぐに覗うような微笑に隠してしまっていたが。
その内に、主張するようにもなっていた。僅かにわがままを言うようになり、その行動が正しかったかはおいておいても、俺の知らないところで色々と交友関係を広げてもいた。
ただ状況に流されて、邪魔にならないよう置物の様に微笑んでいるのではなく、自分から行動する様になり、それに伴って少しずつ生き生きしだしたように思う。
………けれど、思い起こすのは、それこそ連れ去る途中の桜だ。
冷たく、どこかに明らかな諦観を織り交ぜながら、それで居て最初と、それから今とまったく同じような品のある微笑を浮べて、暗に自分を盾にするようにと、俺に言った。
自分自身まで含めて、すべて引いてみているような、酷く作り物めいた微笑みだったように思える。
全部俺の気のせいかもしれないが………思ってしまう。
果たした俺が見たかった笑顔はこれだったのか、と。今も浮べている、作り物のようなそれだったのか、と。
結局俺も、桜に願望を押し付けようとしているだけなのか。そんな事を思いもしたが……そもそも連れ去っている時点で願望を押し付けるもクソも無いだろう。
言葉を選び、選ぼうとし………結局俺には、割と酷い言い方しか出来なかった。
「なんていうか…………お前、性格悪いよな」
「…………はい?」
「かわいらしく見せようとしてるだろ」
「え?……そんな、」
「見事に引っかかった俺が言うのもアレだけどな。ああ、あと、俺のこと結構舐めてるだろ?」
「…………囲ってからそう言う事言い出すんですね」
拗ねたように僅かに唇を尖らせ、桜は言う。その仕草も、何処となく嘘くさく見える……気がする。……気のせいなら気のせいで別に構いはしない。
「もう、命令じゃないからな。あんまり怒らせてお姫様にへそ曲げられると面倒だろ?」
「………そう言う事言う割りに、優しさがわかりづらかったですけど」
僅かに眉根を寄せて、そっぽを向きながら、桜はしれっと毒を吐く。
その事に、俺はつい笑みを零した。
途端、また桜の眉根が寄る。よくわからない、とでも言いたげに。
「なんで、今笑うんですか?」
ぽろっと出る毒の方が素の桜なんじゃないかと、そんな風に思えるのだ。
少なくとも、やたら人の機嫌を取ろうとして言っているわけじゃないだろう。仮にその毒まで計算のうちでやっているのなら………俺にはもう完全にお手上げだ。見抜けるわけがない。それならそれで、別に騙されてても構わない。
とにかく。なんで、笑ったか。その答えは単純だ。
「そっちの方が好きだからだ」
「…………」
桜は俺の目を見ながら、固まった。と、思えば、桜は逃げ場を探すように僅かに視線をさ迷わせ……その末に、俺の肩に身をうずめるように、顔を隠した。
桜の耳が赤い。
……………。
もう少しからかうか。
「それも演技だったりするか?」
言った途端わき腹をつねられた。俺としては、……笑うしかない。
「……俺が言いたいのは、まあ………別にありのままのお前で良いってことだ。もうどこぞの馬鹿に攫われてお姫様じゃないんだろう?別に可愛く振舞おうとしなくても俺は嫌ったりしない」
そこで、またわき腹をつねられた。俺はまた笑う。
その内に……ポツリと、桜は呟いた。
「……なんか、気に入らないです」
「やっぱり俺のこと舐めてるな」
「…………だって。泣くし………」
またポツリとそう言って、それから桜は顔を上げた。
耳も頬も赤いまま、かなり文句ありそうな様子で俺を睨み、桜はまた言う。
「……泣くし」
「俺も余裕なくてな」
「……知ってます。散々、ぞんざいに扱われたので」
「記憶にないな」
また、つねられる。常時つねられっぱなしだ。その状態で、俺は笑みを抑えられない。
そんな俺を桜はまだ睨み、それからそっぽを向いて言う。
「駿河さんは……案外、マイペースですよね。人の話聞いてなさそうだったり」
「かもな」
そこまで自覚はないが………言われたらそんな気もしてくる。
少なくとも俺は、人の顔色を覗うことは少ない。……普段なら、あまり他人に干渉しようとしない。干渉したところで何も変わらない事を良く知っているからだ。いや……あるいは、どうせ失う事になると、諦めていただけか。
今は違う………そんな訳がない。客観的に今俺と桜が置かれている状況を考えれば、今までのどんな時よりも、脆い状況に思える。
だというのに、俺は干渉しようとしている。干渉したいと思ってしまっている。
僅かに俯いて、恐る恐ると言いたげに、こんな事を問いかけてくる少女に。
「………私、性格悪いですか?」
「自覚がない辺り、最悪なんじゃないのか?」
「………かなり酷い事言いますね」
「俺も性格悪いだろ?」
そんな事を言った俺を、桜はどこか不思議そうに眺めていた。
言葉の割りに、俺が嬉しそうな顔でもしてしまっていたのだろう。
ただちょっとからかって、ちょっと文句を言われて、それだけで楽しいのだから仕方がない。
すぐ真横にある桜の顔を眺める。……なにかを言わせようとしている。
あるいは、最初にそう、桜に指摘された通りかもしれない。そんな事を頭の片隅で思いながら、俺は言った。
「………お前は、他に選択肢がなくて、だから俺に攫われた。違うのか?」
「いじわるには言いません」
「なんでも可愛い感じに言うんだな」
「…………」
絶句と言うか、閉口と言うか。とにかく、桜はかなり不満げな表情だ。
少し、からかいすぎたか?
桜はそっぽを向き、ちょっと拗ねたような口調で言った。
「その通りです。他に誰も頼れなかったから、駿河さんに頼りました」
「そうか。……残念だな」
呟いた俺の顔を、桜は伺い見た。それから、やはり拗ねたような口調で続ける。
「革命軍のお人形になるのは嫌だったので。駿河さんのお人形になる方がマシだと思いました」
「それは………喜んで良いのか?」
「でも、性格悪いとか言うし。……誰も私にそんな事言わなかったのに」
「言われないように振舞ってたからだろう?」
「駿河さんのこと嫌いになりました」
「残念だな」
「……もうちょっと、残念そうにしてください」
「嫌いな相手に敬語を使って、さん付けか?」
少しかみ合わないような、そんな言葉を俺は投げかけた。
桜は俺のこと舐めてる。頭の中では、駿河さんじゃなくて鋼也って呼び捨てだったんだろう。だから、本当に咄嗟の時は鋼也って呼び捨てだった。
桜は俺の顔を観察している。どこか、逡巡しているような様子で。
俺に対してどう対応するか、を考えているのだろう。俺が、どう振舞って欲しいと思っているか、それに乗るか反るか。
やっぱり、俺も願望を押し付けようとしているだけか?ただ、気負わないで、ありのままに振舞ってみて欲しいだけなんだが。
桜はまだ迷っている様子で、俺は特に何をせかすこともせず、ぱちぱちと燃える……小さくなってきた炎を眺めていた。
やがて、意を決したように、桜は言う。
「………おい、駿河」
………………。
笑い声が聞こえる。堪えきれない、と声を上げて笑う声。……笑っているのは俺だ。
おい、駿河って。なんだそれ………。
その内、笑い声がもう一つ混じった。
自分で言っていても、面白かったらしい。
俺のすぐ傍で、桜も笑っている。微笑を作っている、誰かに笑いかけてあげている、……ではない笑顔が俺のすぐ隣にあった。
もしかしたら、それすらも桜の演技のうちなのかもしれない。
結局、他人の心の中を完全に見抜く、なんて俺に出来るはずも無い。
ただ、………俺が見たかったのはその笑顔だったんだろうって、そんな気がした。
ゆっくりと、笑みは静まっていく。
残ったのは、弛緩したような静寂だ。
少し疲れた。そんな具合に、桜は俺の肩に軽く頭を乗せて、小さくなっていく炎を眺めながら、口を開いた。
「………他に選択肢がなかったのは、事実です。駿河さんしか……鋼也しか、逃げ道がなかった。でも、だからって、それだけでこんな、くっ付こうとか思いません。私は、私なりに選んで、ついてきたくて連れ去られたんです」
そこで、桜は僅かに身を乗り出す。華奢な手で俺の肩を掴み、俺の耳元を、吐息のような囁きで撫でた。
「……敬語は許して、鋼也。他のしゃべり方がわからないの」
……………。
桜と目があわせられない。とにかく………。
「やっと性格の悪さを自覚……ッ、」
わき腹をつねられた。
俺のわき腹をつねったまま、桜はちょっと小ばかにするような、今まで見たことのない………それこそ妖艶にも見える、人を見透かすような目で、言う。
「……全部照れ隠しでしょう?」
「お前の演技の話か?」
「もう、演技はしません。それで良いんでしょう、鋼也?」
「……それもちょっと演技入ってないか?」
俺の口は勝手に文句を言う。まあ、なんだ。……ここまで来て日和ったのだ。
そんな俺を、桜はやはり不満げに眺めて、やがて、拗ねた様に言った。
「もう、知りません。寝ます」
「ああ。おやすみ」
俺のその言葉を待たず、桜は目を閉じていた。俺に寄りかかったまま。
……とりあえず、離れないではいてくれるようだ。
そんな事を思ったところで、不意に、小屋の中が暗闇に落ちた。
囲炉裏の火が消えたのだ。身を寄せ合う、だけで凌げる寒さじゃないだろうし、一応薪代わりの板は他にも用意してある。
本当は火が消える前に継ぎ足すべきだったんだろうが、弛緩の中ではそれすら億劫だった。
明かりが消えた暗闇に目が慣れないままに、俺は薪代わりの板へと手を伸ばしかけ……そこで、俺の頬をつめたい指が撫でた。
「………、」
唇にやわらかく暖かい感触がある。吐息が顔に掛かる。
ほんの短い時間でしかなかっただろう。
暗闇に目が慣れた頃には、俺の目の前に桜の顔があった。
背景に、小屋の壁に切り取られた白銀の世界がある。そんな世界の中心で、桜は俺の唇から離れ、少し潤んだような、見透かすのとからかうのが混ざったような不思議な目で俺を捉え、唇を震わせる。
「鋼也。……疑わないで」
「………ああ」
他に何が言えると言うのか。
頭が痺れてろくに思考もまとまらず、ただ桜を見るしかない俺の前で、……桜はその不思議な妖艶さを打ち消した。
代わりに浮かんだのは、どこか、悪戯をした子供のような笑顔だ。
「ふふ~ん、……勝った。じゃあ、おやすみなさい、駿河さん?」
それだけ言って小首を傾げ、桜はまた俺に寄りかかり目を閉じる。
満足したから寝る、とでも言いたげに。
「……………」
どう取り繕おうと、俺はこの子に勝てないような気がしてきた。
誰にともなく、俺は咳払いした。耳元でクスリと言う笑みが聞こえた。
………とにかく、火だ。ああ。現実に対処しよう。
板を砕き、囲炉裏におき、マッチで火をつける。
目の前でまた、暖かな明かりが瞬き始める。その明るさはすぐさま小屋の中を包み込んだ。
そうなってから、俺は桜に視線を向ける。
寄りかかるように、しがみつくように、桜は目を閉じて俺の横に蹲っている。
……耳を真っ赤にして。
別に、勝てなくても良いような気がしてきた。
ちょっと打算的で性格悪かろうが………嫌いになれるわけがない。
静かに、寄り添いながら………廃屋の夜は更けて行った。
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