2話 冷たい雪道/邂逅

 補給線を断った上での包囲殲滅。南部戦線帝国軍第3防衛拠点を陥れた戦術はそれだ。正面と後方に軍勢を敷き、前後から物量ですりつぶす。


 竜の戦術的行動はままある事だ。イレギュラーとして知性を帯びたお利口なトカゲ野郎が時たま現れるのだ。常にそうでない事が始末の悪い話だが、今回、俺が光栄にもお姫様を連れて逃げ出すなんて栄誉を授かり、全うできた理由はその布陣にある。


 側面は手薄だったのだ。お荷物を抱えていても、比較的容易に突破できた。……踏ん張り続ける仲間を、餌に、贄にして。


 だが、それはあくまで、戦域を逃れる事ができた、と言うだけの話に過ぎない。平穏はまだ、遠い―――あるいは訪れる事はないのだろう。


 *


 木々が白化粧を帯びる森林、山中………そこを、俺はお姫様を抱えて歩んでいた。

 FPAのラジエーターは半永久だ。連日連夜歩いたとしても、動力は大して問題にはならない。


 問題になるのは、行き先の方――後方にも竜が布陣していた以上、直進して帝国の安全圏まで逃れることはできない。遠回りする必要が出て来る。

 そうなってくると、次に問題になるのは、気候と装備だ。

 食料などない。暦は1月――雪景色は見るだけで凍えそうで、事実、抱えているお荷物の吐く息は白い。薄着と言う訳でも無いが、十分な装備を着込んでいると言う訳でも無い。


 凍死などされては、たまったものではない。こんなところで死なれては、なぜ仲間を見捨てて生き恥をさらしたのかわからない。

 とにかく、まず生き延びる為に、生き延びさせる為に……行先は、隣接する基地だ。


「あの……私、自分で歩きます」


 歩んでいる最中、逃げ延びて半日、漸く恐怖が和らぎだしたのか、お姫様はおずおずと口を開いた。


「必要ありません」

「ですが……」

「この方が早いので」

「……はい。すいません……」


 白い息を吐き、縮こまり俯き……それから、お姫様はまた声を上げかけた。


「あの……」


 そのお姫様の言葉を、俺は遮った。


「殿下」

「……うるさかったですか?」


 その通りだ――などと言う訳にもいかない。へそを曲げられては溜まったものじゃない。ただでさえ……。

 喉元まででかかった怨嗟を飲み込み、俺は言った。


「殿下のお名前は?」

「……私の名前を、知らないんですか?あ、いえ……」


 お姫様は一瞬言いよどみ……それから、名乗った。


「私は、桜花です。姓は、藤宮を名乗っていました」


 名乗っていました、という妙な言い回しなのは、そもそも皇族に姓が存在しないからだ。


 大和――それを名乗るのは、皇帝本人のみ。継承権を持つ他の皇族は、大和と名乗る事は許されず、公的には姓がない。


 藤宮は、おそらく母方の姓だろう。特段、珍しい、皇族に繋がる姓と言う訳でも無い。


「なら、藤宮はそのままで……名は桜と名乗ってください」

「え?……えっと、偽名ですか?」

「安直ですが、そう珍しい名前でも無い。そのままよりはマシでしょう」

「えっと……」

「……これから行くのは連合軍の基地です。皇族だと明かせば面倒な事になる」

亜人間デミ・ヒューマンの……」


 お姫様……桜はそう呟く。

 連合軍………多種族同盟連合軍。数において上回るヒトに対抗するため、亜人間デミ・ヒューマンが作り上げた共同体。


 たった今逃げてきた第3基地から一番近い基地が、連合軍の基地なのだ。同盟を結んでいるわけでも無い、協定だけ結んで休戦している状態が続いた結果、連合軍と帝国軍で基地が隣接する事がたまにあるのだ。協力するためではなくにらみ合うため――相互の抑止力として。あるいは、それこそ竜が現れる前は、実際に矛を合わせていたのかも知れないが。


 これから、お姫様を連れて行く先が、休戦中の敵軍の基地。装備の問題で他に選択肢がないとは言え……皇族とばれればカードとして利用されかねない。

 余計な波風を立てるべきではないだろう。


「……それから。亜人間とは呼ばないよう。蔑称です」

「あ……私は、別に、そういうつもりじゃ……」


 桜は、言い淀んだ。そしてそのまま、黙り込んだ。

 

 *


 そうやって、更に数時間歩いた。

 出迎えが現れたのは、そんな時だ。

 雪の積る木々が、不意の風にざわめく――ポトリと雪塊が地面に落ちる音と、それが目の前に着地したのは同時だった。


 和装の女だ。黒地の着物、袴なんて履き、背負うのは紅地に金刺繍の派手な羽織。腰には太刀と脇挿しの二本、細い指は油断なく太刀の柄を這い、その目は値踏みでもするように俺と、担がれている桜を眺めている。


 周囲の雪に似た白い肌。漆の長髪、血の瞳。

 美貌だろう。その額に角がなく、その口元に嘲るような笑みがなければ。


「なんだいなんだい。やたらやかましいのが歩いてると思えば……ヒトがあたしらの領分に、一体何の用だい?」


 オニの女はどこか人を小ばかにするような口調で言った。

 20代そこそこに見える……だが、それはあくまで、目の前にいるのがヒトの女なら、の話だ。

 個体としてヒトより強靭なオニ――例外なく長寿だ。ヒトの倍かそれ以上は生きる。おそらく50は超えているだろう。

 ヒトと戦争をしていた頃から生きていたはずだ。

 だが、今は、敵ではない。いや、敵に回してはいけない、


「帝国軍第3連隊…第1中隊所属、駿河鋼也少尉だ。保護を求めたい」

「スルガ、コウヤ…」


 名乗っていなかったからか、桜はそう呟き、オニの女は依然値踏みするように俺と桜を眺める。


「保護、ねえ……。で、そっちのガキは?」

「ガキ……ですか?私?えっと……」

「同基地に所属していた救護兵だ。藤宮桜2等兵。脱出の折、連れ出せる範囲に居たので同行させた」

「………とりあえず、面見せな。んなもん着込んで助けてくれ、だなんて信用できやしないねぇ」


 FPAを脱いだら完全に無防備になる。生身で亜人間に勝つのは不可能だろう。

 かといって、保護を求める以上……選択肢はない。


「……わかった。下りろ、桜」

「あ、はい……」


 皇族の割りに不敬だ何だ騒ぐことなく、桜は“夜汰鴉”の腕から下りる。それを確認してから、俺はFPAを開いた。


 前後で体が真っ二つになるかの様に、FPAが開くと共に……冷たい風が俺の頬を撫でる。氷点下近いだろう。やはり、この気候では、お姫様は長持ちしなかった。


 FPAから完全に身を乗り出し、開かれたそれを背に、積雪の上に自身の足をつける。身に纏っているのはコンバットスーツ――簡易とはいえ防護服のため、外気にさらされている顔以外はそう寒くはない。

 桜とオニの女は、しげしげと人の顔を観察していた。


「……同い年くらいだったんですか?」

「二十歳だ」

「女みたいな面の奴だねぇ。玉ついてんのかい」

 ……若作りの婆が。

「そう、睨むなよ、クソガキ。で?あんたらの領分が妙に騒がしい、ってのは知ってたよ。トカゲ共が襲いかかってきたのかい?」

「その通りだ」

「で?……尻尾巻いて逃げ出したのかい?仲間捨てて?」

 ………………。

「……退却の命令が出た。運べる範囲、非戦闘員を連れて撤退しろと」

「へえ。…………気に食わないね」


 オニの女はそう言い捨てる――直後だ。

 俺の喉元に、刃が突きつけられた。

 まったく反応できなかった。近接戦闘の訓練も確かに受けている。部隊の誰よりも得意だった。だが……それはあくまで、ヒトの間での話だったのだろう。


 亜人間――オニ。ヒトより強く、ヒトより長く生き、肉体の全盛期もまた長く、その分技を積み上げる余地も多い。

 オニの女は、ただ太刀を抜いて、それを俺の喉元に向けただけだ。その動きを俺が認識したのは、行動が全て終わった後。


 このクソ婆がその気なら俺は、今死んでいた。……あるいは、その方が楽だったか。


「スルガさん……」


 声を上げかけた桜を、オニの女は一瞥で黙らせる。

 それから、オニの――値踏みするような血の色の瞳は俺を射抜いた。


「ヒトだなんだは、あたしはそんな気にしないけどねぇ………仲間おいて女連れで逃げ出そうって性根の腐った野郎は嫌いだ。信用できたもんじゃない。遊ぶ為に、見てくれの良い女一人連れ出しただけじゃないのかい?……腰抜け」


 ……………。

 歯を食いしばる……そぶりすら見せるわけには行かない。弁解するべきだろうが、口を開けば腹の底の怨嗟が溢れ出そうだ。


 好きで逃げ出したんじゃない。生き残りたかったわけでも無い。俺は……


「……命令だから、従っただけだ」


 かろうじてそれだけ言った俺を、オニの女は値踏みし続け……やがて、今度は脇挿しを鞘ごと抜いた。そして、その柄を俺に差し出してくる。


「腹ぁ、切りな。あんたにちょっとでも誇りが残ってるんならねぇ。介錯してやるよ」


 結構な提案だ。理由はなんであれ、このオニの女は俺の事が大層気に食わないらしい。

 俺は、差し出された脇挿しを受け取った。これで反撃するか?いや、どう考えても勝ち目はない。それに、そもそも………。


「……わかった」

「スルガさん!?」


 桜は驚いたような声を上げるが、俺は構わず脇挿しを僅かに抜いた。

 鞘から覗く、鈍い輝きを見せる刃が、酷く甘美に見える。


 楽だろう。ここで自害すれば。楽だろう。仲間の下に行ければ。負い目はなくなる。怨嗟もなくなる。ただただ、楽になる。

 だが、ここで投げ出したら、それこそ、負い目が拭えない……。


「……俺の命はどうでも良い。だが、この子は無事、国に返せ。その確約が出来るなら今すぐ、ここで死んでやる」


 オニの女を睨み、抜きかけの脇挿しを手に、俺はそう言った。

 オニの女は、暫く何も言わず、俺の目を眺め続ける。

 一体、そこに何を見たのか――不意に、女の太刀が翻った。


 太刀が俺の手の脇指しを叩き、跳ね上げ―――粉雪の最中、放物線を描く脇指しを、オニの女は悠々と掴み取る。

 それから、オニの女は太刀を納め、一歩、横へと身体をずらす。


「……てめえのツレはてめえで面倒みな。しちめんどくせぇ。前歩け。腰抜けに見せる背中はないんでね。お前ら!その鎧運びな!」


 女の声に、周囲の木々がざわめく――現れたのは、何人ものオニだ。きづかぬ間に包囲されていたようだ……でなければFPAの前に女が一人で現れるわけも無いか。


 現れたオニ達は、“夜汰鴉”を運び始める。生身で、超重量のはずのFPAを、軽々と。

 これから向かう場所は、誰しもがそんな怪力を――そして、今、オニたちに睨まれているように、ヒトへの怨嗟を持ち合わせたそんな場所。


「あの……良かったですね。受け入れてもらえるみたいで」


 桜はそんな事を言っていたが………良かった?どこがだ?

 脇挿しを失った手が、鎧に覆われていない両腕が……酷く空虚だった。

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