1章 雪原の果てに帰路を求めて
1話 マストオーダー/不本意な撤退
エルフ、ドワーフ………あるいはこの国、大和の固有種であるオ二。
かつては、手と手を取り合って仲良く平和に暮らしていた――なんて昔話が夢物語に思えるくらいには、この世の歴史は血に塗れている。
いつ始まった戦争かは、知らない。なぜ始まった戦争かも……正直知らない。
世界大戦があった。
ヒトと、
何十年も続いた戦争だ。何十年も、その戦争は膠着し続けていた。
数に頼るヒトと、個に頼る
けれど、一つの兵器の登場が、その膠着を打ち破った――。
*
硝煙、弾丸、骨肉が爆ぜる戦場――薄雪を踏み散らし硝煙と砲歌を上げるのは、黒い、ヒトよりも一回り巨大な、鎧。
全長は2.5メートル――ところどころ丸みを帯びつつも、全体として鋭利で硬質な装甲を帯びた、
数に頼るしかなかったヒトが、その拮抗した勢力図を傾けるに到った発明にして、兵器。
純国産――大和帝国製のFPA、“
『死ね!クソトカゲ野郎が!』
北部戦線帝国軍第3防衛拠点――この戦場、この基地は、陥落寸前だ。
突如として防衛ラインの背後に現れた敵の一団、同時に正面から襲い来る敵。挟撃の憂き目に会い、増援は望めず、開戦時で被我戦力差は20対1――何十時間も戦い続け、更に自軍が疲弊した以上、その戦力差は更に広がっているだろう。
具体的な数値など、今前線で引き金を絞っている俺にわかる訳も無い。
ただ、ここが死地である事はわかっていた。仲間が何人死んだか……どれほどの犠牲がこの場所にあったか。勝利のない死ではあった。だからこそ――俺もまたそれに殉じる。
それが俺の望みであり、また叶うべき未来でもあった。
………その命令が、俺に下されるまでは。
突如、視界の隅――フェイスモニタの隅に赤い文字が躍る。
「
そんな俺の呟きも待たず、その命令書は開かれる。
内容はシンプルだ。『第6皇女殿下を護衛し、戦線を離脱せよ』。俺への名指しで、そんな命令が発令されていた。
「……ふざけるな!俺だけ逃げろって言うのか!仲間を置いて………」
『こちらも受領した。駿河少尉。命令に従え』
「隊長!?しかし……俺もここで――」
『お姫様のエスコートだろ?うらやましいじゃねえか』
『勲章が効いたのね。オメデト』
依然、死地にありながら、それで居て妙に気楽そう、仲間達は言う。
覚悟があるからだ。ここが死地であると、ここで終わる事を受け入れているからだ。
俺もそうだ。俺も、ここで、仲間の為に最後まで戦い、仲間の為に死ぬ。
『マストオーダーだ、駿河少尉。……軍人だろう。命令に従え。武運を祈る』
「………くそ、」
吐き捨て、俺は戦場――仲間たちに背を向けた。
歯を食いしばりながら。仲間の砲歌を背に聞きながら。
戦争は背後で続いている。
鉄の巨人がトリガーを引き……その弾丸で引き裂かれるのは、
*
30年前、何処からともなく現れたこの世のモノならざる異形。<ゲート>と呼ばれる、何処に繋がっているのか知れない――調べた奴が誰も戻ってこなかったそこから這い出る、異界の生物。
どうあれ、ある日突然、2分された戦乱の中に、第3勢力としてそれは現れた。
ヒトと
けれど、同盟にまでは到っていない。
竜を指差し、
竜を指差し、ヒトは言う。デミ共が生み出した悪魔だと。
誰も……少なくとも今戦場で死のうとしている奴は誰一人として、そんな言葉信じていない。
由来なんてどうでも良い。竜は竜だ、俺の仲間をぶっ殺そうとする腐れトカゲ野郎だ。
だから殺す。それ以外の情報になんて興味はない。
そうだ。俺は、そんな瑣末な情報全てに一切興味はなかった。人類の脅威だのなんだの、世界の平和だのなんだのはヒーロー気取りの狂人か善人ぶる事が生業の政治家に任せておけば良い。
戦災孤児で。行く当てもなく、孤児院を追い出されるように従軍し。そこに居場所があった。そこに仲間がいた。
だから戦う。仲間の為に戦い、仲間の為に死ぬ。そのために生きてきた。
勲章を得るほどに蛮勇を誇ったのは単に仲間の為だ。
全ての努力は仲間のためだった。だと言うのに………。
*
少女は階段を駆け上がっていた。18歳、荘厳で華美な衣装をコートに隠し、桃色の髪飾りのついた黒い長髪をたなびかせ、警護兵に手を引かれながら、そのあどけなさの残る美貌を恐怖に歪め――屋上のヘリポートへとかけている。
「殿下!お早く、」
「は、はい………」
大和帝国第6皇女。頂点の血を引く少女が前線の基地に居るのは、士気高揚の演説のためだった。
そんな催しが実行に移される――予定であったくらいには、この基地は平穏だったのだ。つい、半日前までは。
階段を上りきる。
粉雪が舞い落ちるその場所――ヘリポートの中心に鎮座したヘリの翼は廻り………けれど、そこにあったのは出口ではなく入り口。
絶望への入り口だった。
「あ、ああ……」
少女は目を見開く。
赤い――ヘリの運転席。そのガラスが、真っ赤に染まっている。
突き刺さっているのは、尾だ。全長3メートルほどの、巨大なトカゲの、尾。
全身が、焦げたような色合いの硬質の殻に覆われている。後ろ足は野生の獣を思わせる逆関節、前脚は長く、細く、翼膜が張り羽ばたき空を舞う。それこそ、幻想の
その目玉が、少女を捉える――。
「うわああああああっ!」
半狂乱の声をあげ、警護兵がライフルを乱射する――。
その銃声と狂声、それらが同時に止むと共に、少女の頬に血が降りかかる。
叩き潰された警護兵――その屍を何の感慨もなく踏みしめ、竜は少女へと這い寄った。
腰が砕ける――それが、少女に出来た唯一の行動だった。
唐突に眼前に訪れた命の終わりを前に、ただ目を見開き怯え竦むほかに無い。
ついこの間までは学生だった。皇族ではある。継承権もある。けれどそんなもの、欲しかったわけではない……生まれについて回る呪いのようなものだった。
学生が終われば向き合うしかない呪い。その、最初の、気乗りしない原稿を読み上げるためだけにこんなところに来て、その結果―――。
――竜が嗤った。
そんなはずはないだろう。幻覚だ。竜に知性はないと聞いた。それでも、今目の前で尾を振り上げる異形が嗤ったかのように、血の呪いを嘲ったように、少女には見えた。
だからこそ、だ。だからこそ、直後に見た景色すらも、少女には幻覚に思えた。
尾を振り下ろすことなく、突如吹き飛んでいく竜――体当たりをしたのだろう、入れ替わるように白雪の舞うその場所に現れた黒い甲冑の騎士。
声を上げる事もなく、動揺など微塵も見せず、黒い甲冑はその手の巨大な砲門を開く。
銃声に耳が歪み、音が遠ざかる――熱された砲身に触れた粉雪が溶け、放たれた弾丸が、竜を躍らせ、残骸へと変える。
少女は、ただ呆けた様に、騎士を見上げ続けた。
やがて、砲歌が止むと共に、騎士は少女に、甲冑に覆われた視線を向ける。
「殿下。この基地から脱出します。お手を」
熱病に浮かされたような、未だ夢の最中にいる様な――呆けたまま、震えた手を伸ばす少女は、けれど、すぐに気付いた。
その声音の冷たさに――こびり付く怨嗟の響きに。
*
“夜汰鴉”――俺は、駆け抜ける。
お姫様を鋼鉄の胸に抱き、未だ砲火に揺れる基地を背後に。
データリンクを通じて、仲間の断末魔が聞こえてくる。
戦域マップの友軍反応が、一つ、一つと消えていく。
それを耳にし、それを目にしながら……死にに戻る事も許されず。
第1級命令だ。命令は守る。でなければ、仲間を見捨てた自分を許す事が出来ない。いや、たとえ守りぬいたところで……自分を許せるわけも無い。
部隊は家族だった。家族の為に生きていた。家族の為に、家族と共に死ぬはずだった。
考えるべきでない事はわかっている。
だが、考えずにはいられない。
こいつが、このお荷物のお姫様が、今日この場所に居さえしなければ……………。
せめてもの救いは、戦域マップから友軍の反応が消えきる前に、データリンクの有効範囲から外れたこと。
………仲間が生き延びているという、幸せな夢を見る余地があったことだけだ。
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