エピローグ

私たちは二回この世に生まれる。一回目は存在するために


 アンドロイドの騒乱から二か月が経つと、さすがに街は平穏を取り戻していた。


 アンドロイドの真実は世間に公表されていない。ただ、この世界にアンドロイドが新たに生まれることは二度と無いと、国連からの公式発表があっただけだ。


 世界各地に存在したアンドロイドの生産工場は全て、その機能を停止した。残っているのはアンドロイドの整備を行うための小さな部品工場だけ。


 セキュリティーホールの各支部もアンドロイドとの交渉を続けている。スマイルス所長が言うには、アンドロイド全体の八割程度がすでに、セキュリティーホールに協力的な姿勢を見せているという。いくつかの地域で抵抗する勢力もあるようだが、その平定も時間の問題だろう。


 しかし現実問題これからアンドロイドを保護していくにあたって彼らをどう扱うべきか。課題は山積みだった。事務所は連日、所長を訪ねる訪問客が絶えない。フランスに出張していた人員が帰って来てもまだ人手が足りないので、俺はいまだに事務員の真似事をしていた。住処もこの上のままだ。


「やっと人足が途絶えましたね」


 積み上がった空のカップを片付けていると、アウラさんが手伝ってくれた。彼女は俺の倍くらい働いているのに疲れが見えない。よほどタフなのだろうか。


「そうだね。アウラさんは今のうちに休憩しておきなよ。残りの書類は俺がやっておくから。あとそれ洗剤じゃなくて業務用の消毒液だよ。どこから持ってきたんだ」


 とはいえ女性にばかり働かせるのは気が引けるし、休めるうちに休んで欲しいとも思う。しかしアウラさんはニコリと明るく笑う。


「私はまだまだ平気ですよ。それより、所長が来週から本部に顔出しするそうで、事務所もその間お休みになるそうですよ」


「おっ、ひさびさの休日だ」


「はい! なのでそのうちのどこかで、一緒に出掛けませんか?」


「買い出し? 最近はゆっくりできなかったもんね。もちろん付き合うよ」


「いえいえ。兄の誕生日が近いのでプレゼントを買いたいんです。毎年あげてるともうネタがなくって。男性視点からご意見いただけませんか?」


「ああ、そういう。わかった。俺でよければ」


「ありがとうございます! よかった、約束ですよ? 精一杯おしゃれして行きますね!」


「えっ……?」


 聞き返す間もなくアウラさんは奥へ行ってしまった。所長に呼ばれてでもいたのだろう。


 しかし、最後のはなんだったんだろうか。アウラさんのことだから特に意味はないのだろうが。


 無駄に心臓が早くなるからいけない。


 心を落ち着けながら無心で皿を洗っていると、事務所のほうで呼び鈴が鳴った。誰か来たのだ。アウラさんは奥へ行ってしまったから、対応できるのが俺しかいない。急いで手を拭いて表へ出る。


 案の定、事務所には訪問者がいた。身長が高く、ピンクの眼鏡をかけた動きの五月蠅うるさい町医者兼学者。


「やぁ! シンルー君。おっ邪魔してるよぉ」


「…………モナドノック先生」


「その露骨に『急いで損した』みたいな顔やめなよぉ」


「だってあなた、毎回特に用もなく来るじゃないですか」


 そして長時間にわたり世間話をして帰っていく。端的に言ってしまえばすごく迷惑である。


「今日は用あるよぉ。ロイドもいるしねぇ」


「シンルーさん、お邪魔してます」


 ロイドさんがモナドノック先生の横から顔を出して挨拶してくれる。小さいから大柄な先生の影に隠れてしまっていたらしい。


「ロイドさん、いらっしゃい。今紅茶を入れますね」


「扱いの差が分かってきたねぇ……」


 二人を座らせて自分は紅茶を用意する。ちゃんとモナドノック先生の分も注いでから行く。


「今日はどのようなご用件で? あいにく、所長は奥で休んでますが」


「そうでしたか。ボクはスマイルス所長に報告書を届けに来ただけですから。急ぎじゃありませんし、お休み中なのでしたら、お呼び立てするほどじゃありません」


「では、こちらは後で所長にお渡ししておきますね。ジーナさんはお元気ですか? 最後に会った時は気分が優れないようでしたが」


「ええ、あの騒乱で腕が壊れてから落ち込んでいましたからね。でも昨日セキュリティーホールの方々が新しいパーツを持ってきてくれたので、今は元気ですよ。元気なジーナが見れてボクも元気いっぱいです!」


「それはよかった」


 二か月前の騒乱の際、暴れるアンドロイドの対処をしてくれていたのは主にジーナさんたちだったそうだ。その時片腕が駄目になってしまったと聞いてたけど、そうか、アンドロイドならパーツさえあればどうにかなるのか。


「そんでぇ、私の用事はこれねぇ」


 モナドノック先生が診察カバンから取り出したのは一枚の書類だった。それをニヤニヤしながら俺に差し出してくる。訝しみながらも受け取ると、そこには『シンルー』と、俺の名前が書かれていた。


「これって……」


「そぉう! 前に言ってた戸籍だよぉ。君の名前で、取得の認可が下りたのさぁ。これでしっかりしたお仕事も探せるしぃ、個人で契約も結べるよぅになる」


「こんなに早く許可されるなんて……」


「まっ、ニアのほうでも手を回してくれたみたいでねぇ。あとでお礼言っときなよぉ?」


「はい。そうします。先生にもいろいろお世話になります。本当にありがとうございました」


 嬉しさが込み上げてきて、俺は深く頭を下げた。これで俺は『シンルー』という一人の人間として生きることができる。今までは身体の持ち主だったウィルバー・ギャレットの権利を借りていたから、どうも後ろめたさがあったのだ。モナドノック先生は面倒な手続きの代理だけでなく、俺の身元保証人も引き受けてくれた。感謝してもし足りない。


 顔を上げると、丁度事務所の扉が開きケルティスが帰ってきたところだった。


「ロイドと先生がいるじゃねえか。どうしたんだ?」


「お帰りケルティス。見てよ、俺の住民票!」


「おおっ! ついにできたか!」


 感極まって飛びつくようにケルティスに紙を見せる。ケルティスも我が事のように喜んでくれた。一緒に喜んでくれる人がいるのがこんなに幸せなことだとは、ここに来るまで知らなかったことだ。


 思えば、この時代にもう一度生まれて俺は、たくさんのことを知った。知っていると思っていたことでも、その正しさは一つでないということも、また。


 昔の俺は死んだ。その人生を完結させて、空っぽだった空き缶人間はあの日、役目を終えた。今生きている俺はあの頃と地続きではあっても、同一人物じゃない。


 だが母さんにああ宣言したものの、それを完全に自分の中で割り切れているかといえば、そうではなかった。


 やっぱり、あの頃得られなかった物を目にすると、それだけで嬉しいから。


 ケルティスはほんの少し自室に戻って、また出かけるようだった。


「んじゃあ、オレはもう一回出てくるわ。ちょっと着替えに戻っただけだからな。ロイド、もう帰るんならちょうど聞きてえことあっから、一緒に行かねえか?」


「わかりました。ではシンルーさん、お邪魔しました。また来ますね。今度はジーナも! 愛しのジーナも一緒に!!」


「お前のそれいつまで経っても治らねえな……」


 結局二人で行ってしまった。アンドロイド関連で話があるのだろう。ケルティスも勉強中ではあるが、アンドロイドに関する知識はロイドさんの方が上だ。何かと彼を頼ることも多いらしい。


 ケルティスがまたいなくなって、事務所は静かになった。モナドノック先生も紅茶を飲み干し、帰り支度を始める。


 そうやって帰る直前、彼はこんなことを言った。


「それじゃぁ、私もおいとましようかねぇ。……そうそぅ、シンルー君。私は君を利用したことを後悔していない。私は知りたかったのさぁ。アンドロイドとは何なのかを。君のおかげでそれが解けたぁ。それには感謝してるし、君に背負わせてしまったものを考えると申し訳なくも思う。――だから、私に助力できることがあるのなら、遠慮なく言いなさぃ」


 ピンクの眼鏡の奥で瞳がやわらかに笑った。大きな手の平が俺の頭をポンと叩いて、扉の向こうにひらひらと消える。


 俺は会ったことのない父という存在を幻視した気分になった。


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