どっちが良いのかは神だけが知っている
「……私の負けは認めるわ。策を全部読まれてたのも、現代に科学がないからと甘く見ていたことも認める。それでも、ねえ、ケルティスといったかしら。あなた、それが
一世一代の計画が破れたとは思えない、静かな問いかけだった。背筋を伸ばし、足を組んだ母さんが、ケルティスを説得するように言葉を投げかける。
「そうやってゆるやかに人間の意識を変えていくのは、何代もかかることよ。それまでアンドロイドの真実を秘めておくということは、
一方から見れば、その見解も間違いじゃないかもしれない。身体に機械が埋め込まれている限り俺は純粋な人間じゃない。中途半端な混ざり者だ。
しかも中身は現代の人間ですらない。
それを、万人が受け入れるかと言えば、そうじゃないだろう。俺は俺の秘密を抱えて生きていかなくてはならない。
「……最初会ったとき、コイツは自分を人間だと言った。俺はその意思を尊重する。身体がサイボーグだろうと、過去に死んだ意識だろうと関係ねえ」
ケルティスが俺を庇うように言う。強い決意を感じさせる語調に、俺は涙が出るかと思った。
しかし母さんは場の感傷に流される人間ではない。
「あなた一人の意思なんて、なんの保証にもならないでしょう?」
「それはっ――」
薄笑いを浮かべながら問題の根本をそう指摘する。
ケルティスは言い返すことができずに口をつぐんだ。俺は心の中に様々な言葉が浮かびつつも、彼女の突きつけてくる現実を覆すほどの決定打を見つけることができない。
母さんはそんな俺達に畳み掛ける。
「
責めるような口調にケルティスが微かにたじろいだのが分かった。彼は優しすぎるのだ。思えば、この時代に目覚めた俺を最初に助けてくれたのはケルティスだった。彼は彼の信念でここにいる。そして、セキュリティーホールの人間としての誇りと責任を果たした。
ここからは、俺と母さんの戦いだ。
「違うよ母さん。
一歩、ケルティスの前に出てそう告げた。それに母さんは不思議そうな顔をする。
「何を言ってるの
「違うんだ。聞いてくれ。……俺はずっと、自分を空っぽだと思ってた。実際、生前の俺は空っぽだった。自分の意思がなくて、流されるままで、反抗するのは怖くて、そうやって自分だけ不幸ぶって甘えてた。俺を愛してくれなかった母さんを恨んだりもした」
「だから私は、もう今度こそあなたを――――」
「最後まで聴いてくれ!」
声を荒げてると、虚を突かれたように母さんが口を閉じる。俺はさらに彼女へと一歩を踏み出し、続けた。
「俺は、自分がどうせ空っぽのまま死んでいくんだと思ってた。きっとあのまま何年生きててもそうなってた。――でも違ったんだ。母さん、俺は看板に潰されて死んだ。でも今俺がここにいるってことは、データを取るのに必要な脳みそは無事だったってことでしょ? どうしてか分かる?」
質問の意図すら分からないというように、母さんは困惑を浮かべている。俺は心の中で「やっぱり」と呟いた。
「ほら、母さんは事故現場の状況も知らないんだ。だから俺が最後に何をしたか知らずに、俺の最期を誤解する。――看板に潰されるはずだったのは、俺の他にも一人いたんだ。通りすがりの、小学生くらいの女の子。俺は看板の中心地から走っていって、彼女を看板の外へ突き飛ばした。そうやって動いたから、頭部だけ潰されずに済んだんだ」
俺は自分が死ぬその瞬間のことを思い出していた。必死に伸ばした手。驚いた顔で尻餅をつく女の子。そして、落ちて来る看板に潰されるまま地面へめり込んでいく身体の感触。
それはもうただの記憶なのに、思い返すだけで身体が痛い。けれど、あの時思ったのはそんなことじゃなかった。
「俺は空っぽで終わらなかった。それが人生の最期だって分かってたから、誰に何を言われることも気にせず、自分の意思で、女の子を助けた。確かに俺はそれで死んだけど、命を繋いだんだ。何も残せなかったわけじゃない。俺は人を救えた自分に満足して死んだんだよ!」
命の刈り取られる瞬間に、俺が感じていたのは安堵だった。良かった、と。無価値に死んでいくものと思っていたから、最後に価値ある行動ができて、俺は心の底から生まれたことに感謝していた。
「確かに俺は生きることに向いていなかったかもしれない。俺の人生は空っぽだったかもしれない。きっとあの女の子を突き飛ばさず、逃げていれば、俺は生き残れたのかもしれない。でも、後悔なんてないだ。無念なんかじゃない。俺の人生は、あそこで完結してた! それをあなたは自分の思い込みでほじくりかえして、実験の口実にして、たくさんの命を奪った!」
ここで、この人の眼を見てすぐに分かった。アンドロイドになったって変わらない。この人は結局あの頃と同じ、俺のことなんか見てないんだって。
小さい頃、成績が悪ければ相手にもされなかった。いい成績を取ってようやくこっちを見てくれる。けれどその瞳に俺は映っていなかった。あの冷たい瞳は、自分の頭の中の推論を実証することしか考えていなかった。俺を実験動物くらいにしか見ていない。口で何を語ろうと、この人の本質は変わらないんだ。
「俺が死んで母さんが何を後悔したかなんか、死んだ俺には関係ない。死者の想いを生者が語るな! 愛をくれると言うのなら、俺が生きてたうちに愛してくれよ!!」
気がつくと、俺の眼から涙があふれていた。視界がゆれている。流れた涙が床に落ちていく。ふらつく俺の肩を、ケルティスが後ろから支えてくれた。
母さんがそんな俺を、信じられないという顔で見ている。
「
俺の反抗は母さんに衝撃を与えたらしい。無理もない。俺は生前、母さんにたてついたことなんか一度も無かったから。
支えてくれる手をやんわり外して、俺は自分の足で床を踏みしめた。いつの間にか涙は止まっていた。それでもまだ目元が熱くて、喉がひりついている。鼻につんとくる感覚にまた涙を滲ませ、俺は自分の胸をこぶしで叩いた。
「そうだよ。俺はもう母さんの知ってる
こうなる前の俺は、死ぬ間際になってようやく、損得勘定も下心もなしに、ただ他人のためだけに動けた。その程度のつまらない人間だった。
自ら危険の前に飛び出すほどの意思を持たなかった。だからあの時、自然と動けたのはきっと――。
「全部、この身体のおかげだ。この身体に残ってる、心優しく勇敢なウィルバー・ギャレットの意思に俺は明確な影響を受けてる」
そうじゃなければ、あの終わった人生と地続きの俺じゃ、あんな行動はとれない。だから、と呆然としている母さんへ宣言した。
「あなたの実験は失敗だ。俺は
もう声が震えることはなかった。これは俺の意思だったから。決して誰にも否定させない、自分という存在の確立だ。
母さんの体から力が抜ける。腕がだらりと垂れ下がった。今度こそ、その瞳からは戦意が消えている。
「そんな……失敗? 私が、この私が? 計算に間違いは無かったはずなのに。あれだけ綿密に行ったのに。身体の人格なんて、そんなものっ、私は知らない。どうして邪魔をするの? ウィルバーは、実験に同意してくれたのに」
虚空を見つめて何やらぶつぶつと呟いている。痛ましい姿だ。これで全てが終わったと実感した俺は、最後に一つだけ残った疑問をぶつけた。
「母さん、どうしてウィルバー・ギャレットを俺の身体に選んだの」
都合が良かったというのもあるだろう。ウィルバーは孤児だった。裕福な人間でもない。いなくなっても、大々的に行方を探される身分じゃなかった。それでも、彼でなくてはならない理由にはならない。彼が消えなくてはならなかった理由を、俺は知りたかった。
母さんが虚ろな表情のまま俺を見上げる。
「それは、思考データのパターンが似ていて、家族もいない男だったからよ。……それに彼の笑顔が写真のあなたに似ていたから」
俺は頷いた。魂データと身体の相性。非科学的なそれを、母さんはそうやって理解したんだ。そのせいで、ウィルバー・ギャレットは消えた。おそらくは、俺の人格に上書きされて。
俺が彼にできることはなんだろうと考える。彼に身体を返す方法をどうにか探すことだろうか? けれどそれは、俺に命を繋いだ彼の意思を否定することにはならないだろうか。
結局は生きることなのかもしれない。彼の命を継いで、命尽きるその瞬間まで、人間らしく。空き缶人間なんていう逃げ口上を、使わなくてすむように。
ケルティスが俺を促す。もう時間らしい。
「母さん。アンドロイドたちは戦争なんて望んでない。大半はただ、平穏に人間らしく生きて死にたいだけなんだ。機械である身体を
ケルティスが母さんの腕に縄をかける。母さんは首肯も、拒絶もしなかった。
表へ出るとすでに暗くなっていた。来るときはいなかった人間達がたくさんいる。みんな屋敷を忙しそうに調べ回っていた。他の支部の職員だろうか、セキュリティーホールの腕章をつけた人間が数人混じっていた。
洋館にいたアンドロイドは全員捕らえられ、ロイドさんの仲間のアンドロイドから攻勢プログラムの処置を受けている。
セキュリティーホールの馬車に母さんを引き渡す間際、母さんが俺に語りかけてきた。それが先の俺の発言に対する答えだと、俺は遅れて気がついた。
「……アンドロイドがそうやって自分たちより人間を優先させるのは当たり前よ。アンドロイドのAIとして選ばれるのは、自己犠牲ができる人格だけなのだから。生前に手を加えていた私以外ね。アンドロイドは、最後まで存在を人間に否定されようと、それでも人間でいたいと願うでしょう」
表情を失くし、そう小さく言う。俺は言葉を返すことができない。すると俺の後ろから手が伸びてきて、ケルティスが俺の肩へ腕を回した。
「そんな結末にはさせねえよ。世界はそろそろ真実を見つめ、認識を改めるべきだ。大丈夫。人間はこれくらいの困難は何度だって乗り越えてきた。あんたの言う通り、時間はかかる。それでも確かに変われるはずなんだ。そうだろ? シンルー」
「あっ、俺の素性が分かってからずっと名前で呼ばなかったくせに。このタイミングはズルくない?」
「うるっせえ! 俺なりに気遣ってたんだよ! つかなんて呼んでいいか分かんなかったんだよ!」
「ケルティスのほうがうるさいよ」
「ああ!? せっかく、なんでアウラがお前の背中の傷を知ってんのか訊かないでおいてやってるっつうのに。そんな暴言、義兄さんは許さねえぞ!」
「なんかいろいろ誤解してないか!?」
ついノせられて言い合っていると、ふいにクスリと笑う気配がした。見ると、母さんが口の端に微笑みを浮かべ、悲し気に俺を見つめているのだった。
「あなたは本当に、私の
失望も熱意もなかった。ただ、自分の心に確認をしているような口調だった。
「さようなら」
母さんが職員に手を引かれて馬車に乗り込む。もう言葉はない。馬車が走り去っていくのを、俺はずっと見ていた。
ここには人がたくさんいて騒々しかったはずなのに、その最後の一言が俺の耳には、やけに大きく響いた気がした。
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