私は死ぬ、あなたは生きる
「身体に、機械……? お前っ」
ケルティスが弾かれたように俺を振り返る。俺はゆれるその瞳を見つめ返し、彼の困惑を払拭する術を持たない自分の胸を不甲斐なく握り締めた。
「なんとなく、分かってたよ。アウラさんがね、俺の背中には手術痕みたいな大きな傷があるって教えてくれたんだ。だから、その可能性は考えてた。あの論文を何度読み返しても、やっぱり脳に魂データを入力するだけじゃ生きた人間のデータを上書きできないから」
母さんの言葉を肯定することしかできないのが、たまらなく口惜しい。だが虚言や誤魔化しを言うべき場面でないことは心得ていた。
語るべきは真実。ここはそういう場だ。
母さんはまた嬉しそうに両の指先を合わせる。
「プレゼントした論文を理解できたのね。さすがよ
温度を伴わない冷たい瞳のまま、母さんが微笑む。俺は自身を貫く寒気に首を横に振った。
「駄目だよ母さん。そんな早急に物事を進めてもうまくいかない。そんなことをしても人はアンドロイドを恐怖するだけだ。AI戦争の二の舞になるだけだよ」
「平気よ。私たちアンドロイドは、もう一度その戦争を起こすの。そのために新しく作ったアンドロイドたちに攻性プログラムを仕込んできたのだから。そうね、人類がアンドロイドの半数にまで減れば、彼らはアンドロイドを受け入れるしかなくなるわ」
寒気は怖気に変わった。この人は本気で戦争を起こす気だ。この人は何も変わってない。俺が
「んなこと、セキュリティーホールが許すと思うか!」
吼えるケルティスに、母さんは笑みを嘲笑へと変えた。
「あなた達がどう足掻こうと関係ないわ。プログラムを仕込んだアンドロイドはすでに世界中にいる。アンドロイド一体一体を基地局として通信網を広げられるから、あとは起動パスワードを世界にばら撒くだけ」
母さんが組んだ指をほどき、背後で起動したままのパソコンに似た機械へ手を伸ばす。あれでプログラムを起動させるつもりか。
「ケルティス!!」
「おうっ!」
拳銃を取り出したケルティスが、母さんがキーボードに触れるより先に機械を撃ち抜き破壊する。手元で破裂する機材に母さんがのけ反った。顔を手で覆った女性から漏れ出たのはしかし、俺たちの行動をせせら笑うかのような、勝ち誇った宣言だった。
「残念。無駄よ。起動パスワードはロンドンにいるアンドロイドにはほとんど広めてある。私からの連絡が途絶えれば、彼等のうち誰かがプログラムを起動させる」
絶句する俺たちに母さんが両手を広げる。
「ふふふっ。手詰まりでしょう? もう遅いの。全て遅いの。あなたたちがここから出る頃には、世界は再び戦争を始めているでしょう! なんて愉快なのかしら。あはははははははははっ!!」
高い天井に笑いが
そう、もしも俺たちが何の勝機も見出さずにここへ足を運んでいたら、きっとそうなっていた。
「そっちこそ、残念だったな」
嗤い続ける母さんをケルティスが鼻で笑う。そこに潜む妙な自信に、母さんが反応した。
「なに?」
「俺たちがただ手をこまねいて、後手に回り続ける愚者だと思ったか? お前の目論見は、最初に捕まえたアンドロイドのデータを分析して分かってんだよ。すでにお前の仕込んだ攻勢プログラムとやらを無効化することにも成功してる。『人を傷つけなくて済む』と分かると、アンドロイドはみんな俺たちの指示に従って投降してくれた」
「嘘よ。アレを無効化できる科学力を持った人間がいるわけ…………
疑いの視線が俺へ向く。そこにはさっきまでなかった熱が籠っている。幼いころ欲していたものをこんな形で得ようとは思わなかった。
「俺じゃないよ、母さん。母さんの失敗は、セキュリティーホールがアンドロイドと手を組むわけがないと高を
俺の言葉に嘘が無いことが分かったのだろう。母さんが憎々し気に唇を噛む。だがそれでも彼女は冷静だった。まだ自分のほうが有利であると、すぐ計算をはじき出す。
「それでもアンドロイドが一体でもプログラムを起動すれば、時間はかかっても世界に広まるわ。ロンドンの外まではあなた達の手も届かないでしょう」
「いいや、すでに世界のセキュリティーホール支部に連絡がいってる。攻性プログラムの解除方法も一緒にな」
「冗談は聞きたくないわ。どれだけ鳩を飛ばしても電波より早く情報を世界に届けることなんかできないでしょう」
「あんたが言ったんだろ。アンドロイドを基地局にできるって。セキュリティーホールが保持する古い文献にもそれは書いてあった。だからもしもの時のために、アンドロイド撲滅機構はずっと通信技術を保持し続けてきたんだ」
「そんなバカな。国連からそんな情報は――」
怪訝に言いかけて母さんがハッと口を押える。しかし遅かった。ケルティスがニヤリと笑い、彼女の動揺を膨らませるように手の中で拳銃を弄ぶ。
「やっぱりスパイもいたんだな。だから俺たちは国連の上層部にすらこのことを隠してきた。アンドロイドに切り札が露見しないよう、細心の注意を払ってきたんだ。守ってきた通信設備を使うには、機構の理事の誰かが許可を出す必要があるが……ここロンドンには都合よく、そのうちのお一人がいたんだわ」
ニア・スラマー・スマイルス。いつだって優雅かつ上品な立ち振る舞いを崩さないかの所長は、セキュリティーホールにいる三人の最高指揮官の内の一人だ。彼が許可を出せば、世界中のセキュリティーホール職員が動く。他の理事にもすでに話が行っているはずだ。
「各国各地のセキュリティーホール支部には、すでにアンドロイドを保護するよう指令が出てる。新たなアンドロイドを産みださないことを条件に、俺たちは彼らを確実に守る。そう約束した。俺たちがここに来る前に、すでに二地域でアンドロイドとの交渉が締結していた。これが世界に広がるのは時間の問題だ」
絶句するのは母さんの番だった。口をパクパクと開閉し、揺れ動く視線が一か所に留まらない。それでも、このまま敗北を認めるのは彼女のプライドが許さないのだろう。反論の道を見出し、すぐさまこっちの論を突き崩しに来る。
「馬鹿な……そんなに早く……? 今までアンドロイドを殺し続けてきたセキュリティーホールが、アンドロイドの真実を知ってすぐ立ち上がれるわけがない。すべてお前の出任せよ! それとも本当に、ずっとアンドロイドを否定し破壊してきたあなたたちがアンドロイドを守れると言いたいの!?」
「そうだ。俺は自分の間違いを知った。そりゃあ最初は受け入れられなかった。嘘だと思いたかった。だが結局な、一番この真実に納得してんのは、オレたちセキュリティーホールなんだ」
「は?」
母さんが眉をひそめる。俺も彼が何を言おうとしているのか分からず、彼の顔を見上げた。
そこにあったのは、悲しそうで、苦しそうな、涙にゆらぐ海のように真っ青な瞳だった。
「アンドロイドの感情が本物だと、人間のものだと知って、ずっと感じてた胸のわだかまりが消えた。アンドロイドはな、自分の命より逃げて行った恋人を思いやるような奴なんだ。両親が死んで残された子供たちのために、自ら悪役になるような奴らなんだよ」
ケルティスが震える拳をぎゅっと握った。
「オレたちはそれを破壊するのに、ずっとあれは機械だと自分に言い聞かせることしかできなかった。そういうシステムで、プログラムなんだからと、同情しそうになる自分を殺してきた。そうやってずっとオレたちはアンドロイドと向き合ってきたんだ」
そうだ、と俺は唐突に理解した。彼等は自分の信念を貫いて、今までやってきたんだ。それを恥じることはない。ケルティスは前を向いて進むんだ。失敗を糧に、教訓に、次こそ間違えないと決意を固めて。
「自分の認識が間違いだと知った。世界も間違っていると知った。ずっと否定し続けた己の感傷こそが真実なのだと知った。なら、もうやることは決まってんだよ」
ケルティスは凄い。彼も、彼と同じく決意したであろう世界中のセキュリティーホール職員たちも。
(ああ、そうか。俺だけが知らなかったんだ)
人はこうやって、失敗の上に未来を作っていくのだと。
「アンドロイドの真実をすぐ世間に公表することはできねえ。だが、セキュリティーホールが必ず、アンドロイドの人間としての尊厳を取り戻す。それができなきゃ、なんのための世界機関なのかわかりゃしねえ」
熱く語るケルティスを横目に、俺は涙を堪えていた。俺は自分の失敗から目を背けてきた。人から言われたから
だから失敗を恥としか思えなかった。自分のやりたいことじゃなかったから。そこに自分の意思なんて欠片もなかったから。胸を張れるものが何もなかったんだ。
なんだ、俺が空っぽだったのは自業自得だったのか。それを俺はずっと、周りのせいにしてきた。環境のせいにしてきた。
俺は己の愚かさにようやく気付いた。ならあとは、ケルティスの言う通り。
もう、やるべきことは決まっている。
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