そして、私たちはそれぞれの道を行く
エントランスは驚くほどの殺風景だった。洋館にありがちな置物も、花瓶もない。ランプも無く、人が生活しているようには見えない。端のほうには段ボールが山のように積まれていた。まるで会社にありがちな年度末の倉庫のようだ。
俺たちはそのまま奥へと通された。上に続く階段ではなく、隠れるように床下に存在した地下へ続く階段に。
男達はそこから先にはついて来なかった。せまい階段を一列になって降りて行くと頭上で蓋が閉められる音がする。空間が閉鎖されて一気に恐怖心が出たが、ケルティスが前だけ見て階段を下りていくので、俺も拳を握ってそれについていく。
地下一階は壁の無い、広いフロアになっていた。
至るところに機械が並べられ、しかも全て稼働している。ちょっとした電算室のようだ。
視界を遮るそうした巨体が等間隔に並ぶ。そうは言っても強力な冷房を必要とするほどではない。ただ少し、コートを着ていると蒸し暑いと感じるだけだ。ケルティスもそう思ったのか、入り口横に備え付けられていたハンガーにコートをかけた。
俺もそれに
近づくにつれ、彼女の座る周囲が見えてくる。部屋の最奥に置かれた、乱雑に物の置かれたデスク。大学でああいう机を何度も見たことがある。大きな机にはいくつもの電子機器が乗せられ、彼女はそれを手早く操作していた。
巨大な機器の森を抜け、視界がいっきに広がる。俺は圧倒された。壁一面に戸棚が並び、その中には教科書でしか見たことのないカセットテープくらいの何かが、隙間なく詰め込まれていた。
それが左右に二メートルずつ。高さはここの天井まで三メートルほど。長方形の視界いっぱいにそれは並んでいた。
ああ、分かる。俺には分かってしまう。初めて見たはずなのに俺は、あの並ぶケースの中身が全て、過去に収集され現代にまで保存された魂データなのだと気づいてしまう。かつては俺もあの中のどこかに並んでいたに違いないのだ。
心の中だけで「ただいま」と呟く。すると戸棚の前に置かれたデスクに座る女性が、椅子を回転させて俺たちを振り返った。
茶髪をうしろでゆるく結んだ、三十代くらいの女性だった。唇には赤いルージュがひかれ、目元にも濃い化粧が施されている。知らない顔だ。
だが、その世間をつまらなさそうに観察する目つきには、見覚えがあった。
「あんたがアンドロイドたちの言うマザーか」
先手を切ったのはケルティスだった。女性はけだるげに微笑み、答える。
「ええ、そうよ。私がマザー。現行のアンドロイドを生成、管理する者よ。初めましてケルティス・リギザムス。いつもあたしの作品がお世話になってるわ」
女性にしては低く、耳に残る重い声だった。彼女はケルティスに一瞬の目礼をし、ついで俺へ視線を移した。
懐かしい瞳が、俺を真っすぐ捉える。
「そして、久しぶりね、
「そんなの、覚えてない」
「でしょうね。ずいぶん手間をかけて探したものだけど、でもいいの。あなたはこうして帰ってきた。それでいいのよ」
口元だけに笑みを作って彼女が髪をさらりと掻き上げた。そうだ、この人は、いつもこうやって笑うのだ。
「あなたは、
八分の確信と、二分の
「そうよ
「母さん残念だけど、俺は帰ってきたんじゃない。いろいろと、確かめに来たんだ」
俺のその言葉で嬉しそうだった母さんの雰囲気が一変する。冷たい瞳はそのままに、目つきがさらに鋭くなる。俺の背筋に冷たいものが走った。幼い日から、ずっと俺を見下していたあの瞳が俺を捉えて離さない。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。
足の震えを抑えきれない。ケルティスが見かねたように、俺の前に出た。
「単刀直入に訊く。お前の目的はなんだ」
「私の目的? それは母子の再会を邪魔するほど重要なことかしら」
「オレたちはそれを聞くためにわざわざ来たんだ」
「
「…………」
「そう。いいわ。けど私の目的なんて単純よ? 私は標と家族としてもう一度会いたかっただけ」
母さんが足を組んで俺を見つめる。その瞳に映る姿はかつてと異なるはずなのに、母さんの瞳は昔と変わらない。ただ真っすぐに、真実と結果だけを把握するために相手を観察していた。
その眼は相手の内側まで見透かそうとする。ケルティスは母さんの目つきと答えが
「それはアンドロイドを暴れさせてる理由にはならねえ!」
声を荒げて眼前の女性を睨みつける。だが母さんはケルティスの激情に付き合ってられないとでも言いたげにため息をついてみせた。
「はぁ、人を阿呆みたいに言わないでもらえる? 命の
不快げに眉をつり上げ握ったペンの裏で机を叩く。彼女が相手を言いくるめてしまう時の癖だ。
「
「そうして、母さんは現代に目覚めた」
「そうよ。もう三十年になるかしら。愕然としたわ。ろくな機材がないんですもの。それでも私の頭脳とアンドロイドの肉体があれば研究には十分だったわ」
ルージュをひいた唇を大きくつり上げ、女性が
「もう分かった。つまり『バグ』は、俺を人間として生き返らせるための実験体――実験の産物だったんだ」
アウラさんは『バグ』の資料を見て言っていた。だんだん上手くなっていると。それは成功に近づいて行っていたということだ。俺こそが、母さんにとって実験の成功例だった。
母さんの性格を知っている俺にはそれほど衝撃は大きくなかった。彼女が論証のためならそれくらいしてしまう人だと知っていたから。だがケルティスは違った。唾の一つ吐き捨てかねない怒気をまとっている。
「胸糞悪い。息子を生き返らせるために、十三人の命を弄んだってのか。クズだな」
「あら、科学の進歩には犠牲が付き物よ? それに、こうして標は記憶を保持し、人格をそのままに百七十九年後の今を生きている。この技術を応用すれば、擬似的な不老不死だって叶う。金持ちならいくらでも金を出す。人類への恩恵だって計り知れない。たった十三人の犠牲でこれほどの偉業を成した私をどうして責めるのかしら」
「なっ、コイツ――――!?」
「母さんに道徳は通じないよっ。この人は結果でしか動かない。昔も、たぶん今も」
あわや母さんに殴りかかりかけたケルティスの身体に腕を回して引き留めた。俺を引きずってでも行きそうだったが、さすがに成人男性一人分の
「っくそ。だがな、てめえがこいつを生き返らせたかったことと、表のアンドロイドを暴れさせてることは繋がらないだろ」
「そんな因果も分からないの? 現代の国連職員ってのは愚者の集まりなのかしら。いえ、あなた、確かただの使い捨て戦闘員だったわね」
「…………」
「ケルティス抑えて。これこの人の平常運転だから。まだ嫌味ですらないから」
頭の血管が二三本千切れたのではと疑うほどの形相だった。ケルティスにしてはとてもよく我慢している。
しかし相手がどれほど怒りに染まっていても気にしないのが母さんだ。眼光でもって射殺さんと向けられる視線をものともしない。
「私はアンドロイドがどれほど人間のうちに紛れていたかを、全ての国民に知らしめなくちゃいけないの。自分たちが道具と思ってきた存在がどれほど人間と大差ない存在だったか。そのためにまず、アンドロイドがアンドロイドとして存在することを知らしめる。そうして人々が膨大なアンドロイドの数に圧倒されたとき、私はアンドロイドのAIが生きた人間のものだったことを大々的に公表するわ」
「どうしてんなことをっ。何も知らねえ一般人が知ったら、どれほどの混乱が起こるか予想できねえわけじゃないだろ!?」
「それくらいの衝撃がないと思い知りはしないでしょう。生半可な説明じゃ、人はアンドロイドを人間として受け入れたりしない。でもそれじゃ駄目なの。アンドロイドが受け入れられる世界にしなくては、
「どういう意味だ……?」
母さんの言いかたはあまりにも奇妙だった。母さんは眉をひそめるケルティスにではなく、胸に去来する予感に立ち尽くす俺へ、視線を向ける。
「度重なる実験で、生きた人間の脳にデータを定着させるには補助具が必要と分かったわ。
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